あんた、誰

 席に着いた私。鞄をおろそうとして、ずっと手に持ったままだったものを思い出す。


  桜色の布に包まれた四角いもの……?

  家を出るときに渡されたものだ。うっかり受け取っちゃったけど、これ、なんだろう?


「それ……お弁当でしょ」


  当たり前のように言う咲良ちゃん。隣で希ちゃんもうなずいている。


「いつも購買なのに、今日はお母さんお弁当作ってくれたの?」

「お弁当?」


  桜色の包みをほどくと、中にはピンクのお弁当箱が。ふたを開ける前からいい匂いが漂っている。

 

  ママはすごく不器用で、料理なんて全然できない。だから私は、誰かの手料理なんてほとんど食べたことがなかった。


  匂いだけでも美味しそうなお弁当。食べたい。食べたいけど……。

  正体不明の怪しい人にもらったんだよ? 食べちゃって大丈夫なの?


  そういえば……テーブルに並べてあった料理、全部美味しそうだったな。食べたかったな。私、今日生まれて初めて朝ご飯を抜いたかもしれない。


「ふわあ……」


  溜め息をついた私の顔を、隣の席の咲良ちゃんがのぞき込んでくる。


「佐和ー。にやけてるにやけてる」

「にやけてないもーん」

「どうせ今日は朝から阿隈くんと話せるし幸せ☆とか考えてるんでしょ? あーもう阿隈くんがうらやましい! 私も佐和をにやけさせるぐらい愛されたいー!」


  後ろから希ちゃんがよくわからないことを言ってくる。

  うーん。希ちゃんの言ってること、ときどき理解できないんだよね……?


「佐和は知らなくていいよ」


  冷静に咲良ちゃんがそう言うから、あんまり考えないようにしてるんだけど。

 

  あのね、阿隈くんはね!

  別に、好きとかそういうのじゃないんだよ!


  って反論してもふたりは信じてくれない。


  佐和はわかりやすいからなーって。


  だってだって、阿隈くんってすごく優しいんだよ!?

  数学のわからないところ教えてくれるし、黒板を消すときに私が届かない高いところを手伝ってくれるし、それにときどきお菓子くれるし(阿隈くんは知らない人じゃないからお菓子をもらっても希ちゃんは怒らない)!


  私はそうやって希ちゃんたちにどれだけ阿隈くんが優しいかを説明したんだけど、ふたりはそろって溜め息をついた。


  佐和、ペット扱いされてるんじゃない?

  お菓子でなつくとか、ほとんど餌付けだよねー。

  っていうか、阿隈くんが佐和を甘やかしすぎなんでしょ。

  えーっ、じゃあ私も佐和を甘やかすー!

  いや、希は余計なことしなくていいから。というよりやめてあげて?


  そんな会話のあと、希ちゃんは不満そうに口を尖らせて、咲良ちゃんはクールに腕を組み、


「佐和はペットとして阿隈くんに可愛がられている!」


 という結論を出した。


「ふわあ……私はペットじゃないもーん!」


  そんな私の不満は聞き入れてもらえなかった。




 ☆★☆★☆★☆★




  「ふわあ……疲れたぁ」


  体操服から制服に着替えながら、まだわずかにドキドキしている心臓を落ち着ける。

 

「疲れたって、佐和はすぐにギブアップしてあとは見学してたじゃない」


  制服に袖を通しながら、呆れたように言う咲良ちゃん。


「だって朝も走ったんだよー? もう体力の限界だもん」

「うんうん。佐和がおとなしく見学してくれてた方が、こっちも安心。佐和ってボールを引き寄せる引力みたいなの持ってるからね」


  自分の言葉に深くうなずきながら希ちゃん。


  ふわー、失礼な。私の運動神経が悪いのは、私のせいじゃないもん。


「だってバレーボールのゲームで顔面レシーブなんてする? しかも3回も!」


  指を3本立てて、希ちゃんが私に突き出してくる。私はその気迫に押されながらも反論する。


「ちゃんと打ち返そうとしたんだよ。でも、ボールが急に変な方向に……」

「あのね、佐和。佐和が落ち込むといけないから黙ってたんだけど、私たち、絶対に佐和にパス回さないようにしてた。相手チームの子もね、皆、細心の注意を払ってたの。それなのに佐和は……」


  ……ふわ。今、咲良ちゃんの口からすごくショックな言葉が……!


「いいんだよ、佐和。そんなに落ち込まなくて」


  急に声色を変えて、希ちゃんが優しく頭をなでてくれる。


「私はいつでも佐和の味方だからね? どんなにどんくさくても、私が守ってあげるからね?」

「………………」


  なんだか希ちゃんの笑顔が怖い。

  咲良ちゃんが溜め息をついた。


「とにかくさ、佐和ってこれまで無事に生きてこられたのが不思議ってぐらい強烈なんだよね。見てるこっちがハラハラする」

「だよねーっ。心臓が持たない! あと、別の意味でも心臓が……」

「だから希は余計なこと言わない」


  ピシャリとクールに希ちゃんを制して、


「あ、佐和、また髪に癖ついてる」


  咲良ちゃんは制服の胸ポケットから櫛を取り出した。


「ほら、こっち来て」

「……ふわ」


  咲良ちゃんが私の髪をとく。私はなんだか嬉しくなって、ほっぺたが上がった。


「ふわあ……やっぱり咲良ちゃんってお姉さんみたい」

「そう?」


  ピクンと希ちゃんの肩が震える。


「え、もしかして佐和、咲良ちゃんみたいな子がいいの。私じゃ満足できないの……?」

「……ふわ、希ちゃん、どうしたの?」

「絶対私の方が佐和を……」

「だ、か、ら。希は余計なこと言わないの」


  こんなふうにワイワイと仲良く過ごした更衣室での時間のあと。

  教室に帰るとき、ちょうど出てくる様子だった阿隈くんとすれ違った。


「ふわ、阿隈くん、その荷物……?」

「……種村さん」


  うつむいて足を引きずるように歩いていた彼は、静かに顔を上げた。一瞬、その瞳がかげった。咳き込んで、彼は視線をそらす。


「ちょっと気分悪くなって……早退する」


  ふわ……早退。


「ちょ、阿隈くん、めっちゃ顔色悪い。大丈夫?」


  私の隣から希ちゃんが心配そうに言った。

 

「大丈夫……ごめん、そこ通して」


  いつもより低い声で言い、阿隈くんは私たちの横をすり抜けていく。

  咲良ちゃんがすぐに道を空け、


「お大事に」


 と短く言う。

  私と希ちゃんも慌てて咲良ちゃんに習い、廊下の脇に退く。

  鞄を背負った彼の背中が遠ざかっていき、私たち3人は顔を見合わせる。


「ふわあ、大丈夫かな、阿隈くん」

「本人は大丈夫って言ってたけどね」

「大丈夫だったら普通は早退しないだろうし、結構つらいんじゃない? 朝は気分悪そうに見えなかったけど、体育の授業で無理しすぎたのかも」


  うちの学校の体育の授業は男女別だ。女子はバレーボールだったけど、たしか男子はサッカーだったと思う。

  ……ふわあ、きっとカッコいいんだろうな、サッカーしてる阿隈くん。


「おーい、佐和ー? 戻ってこーい」


  耳元で希ちゃんが呼んでいる。


「ふわあ……」

「佐和ー!?」

「ちょっと希、うるさい。鼓膜破れる」

「うわーん、佐和が無視するー!」

「……希も私の言ったこと聞いてなかったでしょ」

「ふわあ……お腹空いたなぁ」


  ガクッ。ふたりが脱力した。


「佐和……」

「朝ご飯食べてないんだよー。寝坊しちゃったから」

「……はいはい、食べよう。私も購買で買ってくる」


  普段の私と同じ購買組の咲良ちゃんがお財布を持って教室を出ていき、希ちゃんは自分の席から椅子とお弁当を持ってきた。

  私も桜色の包みを開ける。


「ふわあ……!」


  お弁当箱いっぱいに詰まった色とりどりのおかず。ふわっと鮮やかな黄色の卵焼き、アスパラとベーコンの炒め物、茸ソースの和風ハンバーグ、ころっと可愛いひとくちサイズのおにぎり、タコさんウインナー……。


「ふわ、タコさん……!」


  今、私はとっても感動している。

  だってタコさん! タコさんが入ってる! 憧れのタコさんウインナーが……!

  不器用なママには絶対に作れない、伝説の8本脚。食べちゃうのがもったいない。持って帰って水槽で飼いたいぐらい……。


「あれ、佐和のお母さん、料理できる人だった?」


  希ちゃんが不思議そうに首を傾げている。

 

「………………」


  内緒内緒。これを作ってくれたのが今日の朝、突然現れた謎の人だなんて。

  正直に言ったら、そんな怪しいものを食べるなんて、って止められちゃう。

 私は決めたんだ、こんなに美味しそうなお弁当を食べてもし毒にあたっても、美味しければそれでいい!

  人って空腹になると頭がおかしくなるみたい……。

 



 ☆★☆★☆★☆★




  私はまだ無事に生きている。

  お弁当には毒も睡眠薬も入ってなかったし、見た目通りすごく美味しかった。お腹いっぱいになって幸せ。希ちゃんがふたつもチョコレートをくれたし(いつもお菓子は1日ひとつまでなんだけど、今日は特別だって!)、私はほくほく顔だ。


  1日の授業が終わり、今日は部活もないので早い時間に帰路につく。


  電車に揺られているとき、ふと思いついた。

 

「あの人、まだ家にいるかな……」


  美味しいお弁当をくれた優しい(?)人。誰だかわかんないけど、悪い人じゃないよね……?

  ふわ! 何かお土産買って帰ろう。お弁当のお礼に。

  いいこと思いついちゃった、と嬉しくなった私はいつも降りる駅の少し前でふらーっと途中下車。


  改札を出て、歩く。


「……ふわ?」


  駅から数分歩いた頃、何メートルか前に同じ学校の制服を見つけた。

  ……もしかして。

  思い立ったらすぐに行動するタイプ。私は駆け出した。


「阿隈くん!」


  彼が十字路を曲がろうとしているところで追いついた。彼は振り返り……。


「ふ……わぁ」


  私の口からおかしな声が漏れた。

  あれ、私、目がおかしくなっちゃったのかな。


「………………」


  彼は不思議な色の瞳をしていた。透明な水に一滴、真っ赤な絵の具を垂らしたみたいに。瞳の中心は穴が空いたように黒い。その周りに鮮やかな赤が広がる。


 私と目が合うと、彼は一瞬顔を苦しそうに歪めた。それから素早く視線をそらす。

 

「あんた、誰」

「阿隈……くん?」


  たしかに彼は阿隈くんなのに。見間違えるはずないのに。


「………………」


  彼はそれ以上何も言わず、背を向けた。

  どうして?

  私だよ、佐和だよ。


「阿隈くん……!」


  彼は振り返らず、そのまま十字路の先に消えていった。



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