第97話 魔物大戦の予兆

 ロマニア法国の防衛軍は秘密裏に一個師団を暗黒地帯ダークテリトリに送り出していた。

 一個師団(今回は約一万人)を魔獣討伐に当てるのは法国はじまって以来の規模である。防衛軍としても、最近になって頻発している魔物暴走スタンピードが看過できない魔物災害に発展する可能性を危惧しているのだ。

 法国の防衛軍が動くにあたって、当然のことながら教皇庁の許可は受けている。ガラリア大穀倉地帯が被害を受ければ、経済的な打撃があまりにも甚大になるからだ。武力を行使することに後ろ向きな教皇庁としても許可するしかなかった。それにしても今回の出兵許可は異例といえるほど早かった。相手は人ではなく魔物なのだ。教皇庁もそこは理解しているのだろう。


 ロマニア法国第二級魔導士のマリエッタは教皇庁が管轄する魔法研究所の研究員である。普段は魔法の研究に勤しんでいる彼女だが、サリンジャー司祭をリーダーとする暗黒地帯ダークテリトリ調査隊に参加するはめになってしまった。


 その調査隊であるが、魔物掃討作戦が計画されたのを機に、教皇庁が主導して編成された急ごしらえのチームである。それも人員はたったの十人。暗黒地帯ダークテリトリを調査するのにそれはないだろうと、マリエッタは嘆くしかなかった。

 人数が少ないのは調査員と護衛隊を集める時間がなかったこともあるが、掃討部隊の後をついて行くなら護衛隊はいらないだろうという安直な考えから護衛隊はバッサリと切られた。そこはサリンジャー司祭も必死で抗議したのだが、受け入れられることはなかった。

 護衛隊が認められなかったのにはもう一つ理由がある。

 それは〈孤高の賢者〉と称されている天才魔法使い、レイラン・ハサウェイが参加するからだ。

 現在、暗黒地帯ダークテリトリ調査隊は先行する魔物討伐部隊の後方十キロまで追いついている。十キロという距離は、調査隊の魔導士がギリギリで探知できる距離である。


 マリエッタとしては調査隊の一員になることに不満はない。なぜなら彼女が尊敬してやまない賢者レイランも参加しているからだ。レイランが調査隊に参加することになった経緯をマリエッタは知らないが、そんなこと彼女にとってはどうでもよかった。レイランと懇意になれるかもしれないのだ。彼女はこの機を逃すつもりはない。


 そんなマリエッタであるが、魔物討伐部隊とユリシーズ大陸屈指の魔法使いであるレイランがいても得体の知れない不安にさいなまれていた。


「マリエッタ、いつもの元気はどうした?」男装の麗人が尋ねた。

 レイランが切れ長の美しい目でマリエッタを見つめた。

 傍目から見ても判るほどマリエッタの顔がみるみる紅潮していく。


「レイラン様、わたし何だか不安なんです」

「君は研究員だからな。実戦ははじめてか?」

「恥ずかしながら」

「別に恥ずかしがることはない。それよりも何が不安なのか教えてくれないか?」


 ――ああ、やはりレイラン様は優しい。惚れちゃいそう……。


「前の方から圧力がかかって、背中がぞわぞわっとして、鳥肌になって、冷や汗が出るのです」

「そ、そうか……。君は研究員なのに表現が抽象的なのだな」

「あっ、申し訳ありません。いつもはこんな説明はしないのですが、レイラン様の前なので緊張しているのです」


 マリエッタが緊張しているのは本当のことだろう。

 彼女が真っ赤な顔でアワアワしている様子を見て、レイランの表情は柔らかくなった。おそらくレイラン自身も緊張していたのではないだろうか。


「我々の前方には掃討部隊がいる。その事を言ってるのか?」

「違うと思います。もっと遠くの方から、粘着質の何かが纏わりつくように……」


 レイランが眉をしかめたのを見て、マリエッタは自分の表現力のなさを嘆く。しかし、感覚を表現するのが難しいのは当然のことだ。嘆いても仕方がない。


「もしかしたら君は探知魔法が使えるのか?」

「いえ、使。何度も試してみたのですが……」


 四大精霊魔法を使える者は数多存在する。ところが探知魔法をはじめとする系統外魔法を使える者は極端に少ない。

 マリエッタは魔法界で知られている系統外魔法をすべて試した。しかし、その結果はさんざんだった。

 彼女が系統外魔法に拘るのには理由がある。それは彼女が精霊完全フルスペックだからだ。

 精霊完全フルスペックとは、四大精霊魔法のすべての属性魔法を発動できることを意味する。

 マリエッタは欲張りなのだ。次の完全性――系統外魔法――を求め続けた結果、魔法研究の道へ進むことになった。

 そして彼女はまだ系統外魔法を諦めていない――

 

 レイランが黙考し始めたのでマリエッタは更に不安になった。もしレイランに、マリエッタは系統外魔法を使えない、と否定されたら……。


「マナの質か……」

「はい、何と仰いましたか?」

「マリエッタはマナ感応を知っているな」

「もちろんです。魔法使いならば程度の差こそあれマナ感応力を持っていますし」

「それではマナには質の違いがあることを知っているか?」

「マナの質の違い? いえ、存じません」


 魔法使いの中にはマナ感応に秀でたものが居り、古代魔法文明のアーティファクトが無くともマナの保持量が判るらしい。つまり、マナ感応とは魔法使いの中では常識である。だが、マナの質について論じられたことはないはず。マリエッタは困惑するしかなかった。


「ペルシー様が、マナには質の違いがあると言っていたのを思い出した」


 ――ペルシー様って誰?


「例えば魔物と人間ではマナの質が違い、魔物は自分達と違うマナを感じると集まって来るそうだ」

「わたしが感じたゾワゾワ感は、魔物のマナを探知したからではないかと?」

「まだ判らない。以前にそのようなことはあったか?」

「魔法実験で魔物と対峙したことはありますが……その時は感じませんでした」

「ということは、量的な問題か、あるいは強度の問題か……。いずれにせよ機会があったら調べた方がいい」

「はい、そうします」


 マリエッタは無事に帰還したらすぐにマナの質について調べようと心に決めた。

 そしてもう一つ、マリエッタには確かめなければならないことがあった。


「ところで、ペルシー様という方とはどのような関係でしょうか?」

「ど、どうしてその名前を知っている!」


 レイランの慌てぶりにマリエッタは少し引いた。


「レイラン様……それはレイラン様が口にしたお名前です」

「そうだったか? 取り乱してしまった。すまない」


 いつも凛々しいレイランが乙女になっている。マリエッタは今まで見たことのないレイランの恥じらいに、ちょっとだけ得した気分になる。


 ――えっ? この感覚は何?


 マリエッタは突然、両手で自分の体を抱き締めた。


「マリエッタ?!」


 暗黒地帯ダークテリトリに近づくにつれて強まってきたおぞましい感覚が、再び躍動し始めた。そしてマリエッタは確信した。


「レイランさま、戦闘が始まったようです」

「討伐部隊のことか? 彼らはまだ暗黒地帯ダークテリトリに到達していないはずだ」

「その方向から強い圧力を感じるのです」


 魔物暴走スタンピードがこの地域にまで達している。それはあまりにも奇妙現象だ。なぜなら、魔物達は長距離を走ることによって、その原因から遠ざかり、暴走を続ける理由が無くなるからだ。それに異種族間で群れをなすことは、その習性上あり得ない。


「シーラシア魔物大戦の時と同じか……」レイランが呟いた。

 もしかしたらレイラン様は今回の魔物暴走スタンピードの真相を知っていらっしゃるのかもしれない、マリエッタは直感した。


「レイラン様、私に真実を教えてくださらないでしょうか?」

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