第72話 姫騎士(13)ミリアムの策略
自分の部屋に戻るとクリスタがアイスティーを運んでくれた。
「く~っ、風呂上がりの冷たい飲み物は最高だな~」
腰に手を当てて飲み干したいところだけど、ティーカップでは様にならないな~、残念だ。
「ところでクリスタ、体調は大丈夫なのか? あまり無理をするなよ」
クリスタは頑張り屋だし、手抜きが嫌いみたいだから、こんな時はとても心配だ。
「いっぱい食べて、いっぱい休んだので、体調は万全なのです」
「それならいいんだけど」
「ペルシー様、扉の外に気配が……」
「そのようだな」
片足で跳ねている足音がするので、ふたりの獣人のどちらかだろう。先ほど大浴場ではエリシアさんと話をしたから、今度はミリアムさんだと思う。
「ミリアムさんだね。カギはかかってないから入ってきて」
扉が静かに開くと、そこにはネグリジェ姿のミリアムさんがいた。
どうやら部屋に設置してあるクローゼットの中からネグリジェを見つけたらしい。そういえば、レベッカさんや、エミリアさんもネグリジェを見つけて着ていたな。彼女たちは今頃どうしているだろう――
「夜遅くに、どうしましたか?」
「ちょっと、話がしたくて……。だめだろうか?」
「そんなことないよ。ここに座って」
獣人のバランス能力は人間をはるかに超えているが、やはり片足で立たれていてはこちらが落ち着かない。
「それでは失礼する」
扉を閉めると、片足ジャンプでテーブルの傍まで一挙に来た。跳躍力も人間の比ではない。そして、胸の揺れ方も……。パメラがいなくてよかった。
「ペルシー様、どこを見ているのですか?」
「ク、クリスタ……。いや、跳躍力が半端ないな~と思ってただけだよ」
パメラがいないから安心していたのに、クリスタも突っ込むな~。
「はしたないところを見せてしまった。すまない……」
「ぜんぜん気にしてないよ」
「ミリアム様、気にするべきところは跳躍したところではないのでございます」
ここで咳払いでもしておこうか……「ゴホンゴホン」。
「クリスタさん、ここにお酒は置いてあるだろうか?」
「ワインとグラッパならございますが、どちらがよろしいでしょうか?」
「グラッパを頼む。ペルシー殿、クリスタさん、一緒に飲まないか?」
グラッパというのはブドウの皮を発酵させて、さらにそれを蒸留した酒だ。アルコール度は高いが、ブドウの香りが残っているので、とても美味しく感じる。
「もちろんいいよ。ミリアムさんと酒を飲めるなんて幸せな話だよ」
「そう言ってもらえると嬉しいものだな。最近はソフィア様としか飲まなかったので、殿方と飲むのは久しぶりだ」
身内とじゃないと安心して飲めないんだろうな。継承権争いというものは俺が想像している以上に過酷なものに違いない。
クリスタがグラスを三つ持ってきて、グラッパを注いでくれた。
「このグラッパは高級品だな。香りがとてもいい」
「これはシーラシアの町で醸造された酒なんだ。あそこでブドウを収穫するのは命懸けだから、とても貴重な酒なのは確かだ」
「そんな貴重なものなのか。ソフィア様にも飲ませてやりたいな」
「その前にミリアムさんが味見をするといい。さあ、飲もう」
三人でグラッパを飲み干した。
一杯目は飲み干すのがアムール王国の礼儀らしいので、強い酒でも飲み干さなければならない。
「やはり、酒は香りが命だな。これほどの酒を帝国では飲んだことがない。といっても、あまり高級品は飲んだことがないのだがな。ハッハッハッ」
「俺にとって、酒は不味くなければそれでいい。それよりも誰と飲むかで良い酒か悪い酒かが決まる。そう思わないか?」
「ペルシー殿はいいことを言うな。わたしもそう思うが、この酒は間違いなく良い酒だぞ!」
ミリアムさんは豪快に笑っている。同じ獣人でもエリシアさんとはまったくと言っていいほど性格が違うんだな。それに彼女は頭が良さそうだから、こちらの情報をあまり出さないようにしないと……。
「ときにペルシー殿、この屋敷の玄関は洞窟に繋がっているとか?」
「ああ、エリシアさんに聞いたんだね。ちょっと事情があってね」
「それはいいとして、何でシュタイナー大隊長が洞窟に入ってきたんだろうか?」
「実は洞窟の入り口で、彼とエドが戦ってね。彼の仲間が迎えに来たらしい」
「洞窟に入ってきたのならばこの屋敷に侵入してきてもよさそうなものだが?」
「この屋敷の玄関を見つけることは、普通の人にはできない。それは大丈夫だよ」
「まさかと思うが、ペルシー殿とシュタイナーが通じているということはないだろうな?」
「ミリアム様、それはありえません。わたしはそのシュタイナーに殺されかけたのです。エドさんに聞いたのですが、ペルシー様は怒りのあまり彼を殺そうとしたようなのです」
「いや~参ったな。あの時は我を忘れてしまったよ」
「それならばいいのだが……、信じることにしよう」
やはり、政争の影響なのだろうか? ミリアムさんは疑り深くなっているようだ。
「それにしてもこの屋敷が山の中にあるとは……、俄には信じられない。しかし、窓の外が真っ暗闇で何も見えないのだから信じるしかないか……」
ミルファクは俺の共次元空間にある。窓の外は異次元だから、真っ暗なのは当然だ。俺は外を見ると恐怖を感じてしまうので、一度しか見たことがないのだが――
誤解が解けたところで、慎ましい酒宴は和やかにすすみ、三人ともかなり酒が回ってきた。
ミリアムさんも俺たちもこの酒宴の目的に触れないようにしている。
だが、その時は必ずやってくる。はじめからそれが目的だったのだから。
「ペルシー殿、実はお願いがある」
ついに来たか。
ミリアムさんの耳が二回ばかりピクピクと動いた。緊張していると獣人は耳が動いてしまうのだろうか?
「ソフィア様とエリシアのことなんだ」
「願いは二つある……、ということだね」
「そうだ。聞いてくれるだろうか?」
「一つは拒否する。もう一つは受け入れよう」
ミリアムさんはガックリと頭をたれた。
「まだ何も言ってないのだが……」
「俺はね……、いや、俺たちは政争に関わるつもりはないんだ。魔物たちから人々を守るならともかく、人対人の争いには巻き込まれたくない」
「護衛だけでも頼めないか? ソフィア様を帝国の自陣にまで運んでくれるだけでいいのだ。もちろんお礼はする」
「それならば外で待ち伏せしている帝国の騎士隊に頼めばいいだろう。俺たちの出る幕じゃない」
「それができないことは分かっているのだろう?」
「継承権争いをしているわけだからね。やつらには頼めないよね。でも、俺たちがそれをやったら、ソフィアさんたちの陣営だと思われてしまう」
「そこは上手くやるつもりだ。絶対に迷惑はかけない」
「絶対に? ミリアムさん、悪いが詐欺師の台詞だぞ」
「う~ん……。ペルシー殿は難攻不落の城塞のようだな」
問題は彼女たちを帝国の領土に運ぶことではない。そんなことは俺たちならば容易いことだ。しかし、彼女たちが帝国内に帰れたら、やることは決まっている。
それは復讐だ――
「ミリアムさん、悪いがミリアムさんたちの復讐に手を貸す気はないよ」
「復讐か……。ペルシー殿はそう思うのか」
「それ以外の未来があるとは思えないんだけど?」
「確かにそうだな。ソフィア様は復讐がしたいのだと思う。もともと継承権争いに興味はなかったのに、第一皇子と第一皇女が勝手に巻き込んで、罠に嵌めた。許されることではない」
「だから敵の懐に飛び込んでフェニックスを召喚し、全滅させる……。さぞかし溜飲が下がるだろうし、痛快だろうな」
「そこまで読まれていたか。さすがペルシー殿だ。しかし、大義は我々にあるはずだ」
「ミリアムさん……、俺たちは大量殺人の手助けもしない」
「大量殺人か……。大義のための復讐なのだが、ペルシー殿にはそう見えるのだな」
俺が彼女たちを元の体に戻せば、復讐のために帝国に戻るだろう。それは分かっているが、彼女たちとは縁を結んだ。予定は変更しない。
「そもそもだが、ミリアムさんは俺たちを買い被っているんじゃないか?」
「そんなことないと思うが? あのシュタイナーを半殺しにしたのだろ?」
「えっ! シュタイナーって、そんなに強いの?」
「帝国でも五本の指に入る
「でも、半殺しにしたのはエドだからな。俺じゃない」
「しかし、エドさんはペルシー殿を随分と慕っているようだがな」
「俺は義理の兄になる身だからな。そりゃあ慕ってくるよ」
「難攻不落だな……。よし! 正直に言おう!」
ミリアムさんは真剣な表情で俺を睨んでいる。ちょっと怖いぞ。
「野生の勘だ!」
言っちゃったよ、この人……、いや獣人は。
「野生の勘では反論のしようもないな……」
「という訳なのだ。頼まれて欲しい。お金ならいくらでも出す」
「いや、お金はほしくないが」
「お金が欲しくないと? ペルシー殿はどこの聖人君主様なのだ? とても人間とは思えない……」
人間ではなくて龍人だけどな。
「いや、俺は聖人でも君主でもない、ただのペルシー様だが」
「ペルシー殿……。冗談はさておき、願いを聞いてくれるならば何でもするつもりだ」
ミリアムさんはネグリジェを器用に脱ぐと、抱きついてきた。
「わたしの汚れた体でよければ差し出そう。奴隷にもなろう。どうか願いを聞いて欲しい」
このボリューム感のある……。クリスタが睨んでいるけど、これは不可抗力だろう。
「婚約者の前でいい度胸でございますね、ペルシー様!」
「クリスタさん、そんなつもりはないのだ。ペルシー殿を責めないで欲しい。わたしはただの性奴隷だ」
クリスタと俺でミリアムさんを強引に引き剥がした。
これ以上引っ付かれると、俺も冷静でいられなくなりそうだ……。
「ミリアム様、緊張を和らげる効果のあるハーブティーでございます。これを飲んで落ち着いてくださいませ」
「すまない、クリスタさん。殿方には色仕掛けがよいと聞いたのだが……」
誰だよ、その間違った知識をミリアムさんに植え付けたのは? いや、間違っていないかも?
「この件はもう少し考えて欲しい。明朝もう一度お聞きするので、ソフィア様の前で回答してほしい」
「分かった。そうするよ」
「それで、もう一つの件だが……」
そうだった。もう一つ問題が残っていたのを忘れていた。
「エリシアさんのことだね」
「彼女は以前から今の待遇に不満を持っていた。確かに辛いことばかりだったからな。彼女には別の人生を送ってほしいと思っていたのだ」
「彼女から相談を受けたんだね」
「それは前から気がついていたことだがな。彼女が本心を話してくれて、わたしは本当に嬉しかった。それにソフィア様も納得してくれた」
「ソフィアさんも? それはよかった」
日本の勤め人にたとえるならば、円満退社といったところだな。揉めないでよかった。
「それに、ペルシー殿に嫁ぐことが決まって、彼女も喜ぶだろう。早く知らせてあげたい」
「はい? 今なんて言いました?」
「ペルシー殿がエリシアを娶ってくれるという話だが?」
「そんなこと言った覚えはないけど……」
「何を言っているのだ。『もう一つは受け入れよう』とたしかに言ったぞ」
「そうだっけ? クリスタ」
「ペルシー様、確かに言ったのでございます。クリスタはそんな話だとは知りませんでした」
エリシアさんが俺たちの仲間になるという話だと思っていたのに、内容を確認しなかった俺が悪いのか。
いや、待てよ……。もしかしたら、はじめから仕組まれたことなんじゃないのか?
エリシアさんが俺のところへ相談しに来たのはミスリードさせるため、クリスタがいるのを承知で話をしたのは彼女を証人にするため、強い酒で酔わせたのは判断力を失わせるため……。
やられたのか?
すべてが策略のように思えてきた。注意していたつもりだったのに――
やばい、クリスタが本気で起こっている。血管が浮き出ている。
思考がどこかへトリップしそうだ。どうしよう――
「約束は守っていただけますよね? 男には二言はないと聞いたことがあります、ペルシー殿」
「え~と……。つかぬことをお訊きしますが、はじめから仕組んでいましたね?」
「それは言いがかりというものだぞ、ペルシー殿」
「……」
ミリアムさんが悪そうな笑みで俺を見つめている。
そうですか、俺の負けですか。
仕方がない――
「ミリアムさん。取引しよう」
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