第68話 姫騎士(9)レイチェルの過去(2)
俺たちは先日、レイチェルをギルティックから奪取し、彼女にかけられた洗脳魔法を解除した。
いくら彼女を助けるためとはいえ、脳に影響を与えそうな施術をするしかなかったのだ。レイチェルに対して悪いと思うが、それは俺にとってとても恐ろしい体験だった。
幸いなことにその後の経過は順調で、レイチェルの洗脳解除は問題なく成功したように見えるし、おそらく上手くいったのだと思う。
だが妙なことに、俺のことを「お兄様」と呼ぶことに変化はなかった。
彼女はもう大丈夫だろう、そう思っていても知らず知らずのうちに彼女を避けている自分に気がついた。
しかし、今は彼女と正面から向き合わないといけない。その時が来たのだと思う。
俺は夕食の支度をしているレイチェルを呼び出し、今回の件について訊くことにした。
「レイチェル、すべて話してくれないか?」
「お兄様……、分かりました。隠していてごめんなさい」
やはり、今回の騒動はレイチェルが仕組んでいたことなのだろう。
「ソフィアさんたちをギルティックのアジトに転移させたのは私です」
「俺たちをここに連れてきたのはソフィアさんたちを救い出してほしかったからか?」
「はい……」
レイチェルは今にも泣きそうだ。事情を知りたいだけなのだが、責められている思っているのかもしれない。
「誤解しないでくれないか。そのことを責めているわけじゃない」
「はい、それでも私はお兄様たちに隠し事をしていました。そのせいでクリスタさんに重症を負わせてしまいました……」
レイチェルはクリスタに向って深々と頭を下げた。
床に涙がポトリと落ちる。
「クリスタさんごめんなさい。私は赦されないことをしてしまいました」
「レイチェルさん……、私は自分が重症を負った責任は自分自身にあると思っているのです。それはエドさんも同じではないかと思うのでございます」
「おう、俺もそう思う。自分の未熟さを思い知らされたぜ」
「だけどね、レイチェルさん。私は怒っています……」
「やっぱり……、そうですよね」
「勘違いしないでほしいのです。レイチェルさんが私たちに隠し事をしていたこと……、それを問題にしているのです」
「……」
「何で私たちに話してくれなかったのですか? そんなに私たちが信用できなかったのですか?」
「信用できなかったなんて……、そんなことありません。そうじゃなくて……」
ここにいる全員が、レイチェルの返事を待った。彼女が彼女のタイミングで話出せるように。
「私……、今まで人に優しくされたことがなかったんです。お兄様を除いては……」
「そのお兄様というのはレイチェルの本当の兄のことか?」
「そうです」
思ったとおり、彼女には本当の兄がいたんだな。その兄と俺を重ねている……、ということは――
彼女は祈るように両手を胸の前で組んでいる。
「私の家、クロノフィールド家は、代々上級魔法士を輩出することで有名な一族でした」
「クロノフィールド家は帝国の一族だよな?」
「はい、そうです。ご存知なのですか?」
「レイランに教えてもらった」
「レイランさんなら知っていそうですよね。物知りだし」
「彼女は賢者としても高名だからな。話を続けてくれ」
「私の兄も歴代最高ではないかといわれるほどの逸材でした。魔法の天才が存在するというのなら、兄は間違いなく天才の一人だったと思います」
「それは精霊魔法の天才ということか? 召喚魔法ではなくて?」
「はい、もちろん精霊魔法です。召喚魔法については書物の知識しかありません」
彼女は本当に自分が召喚魔法を使っていることを知らないのかもしれない。いや、本を読んだことがあるなら、知識としてはあるはずだ。ということは、自分が召喚魔法を使えること……それを精神的に認識できないのではないか?
彼女は自分のふわっとした髪の毛を右手で捩っている。考え事をしている時の彼女の癖のようだ。
「私の家の魔法教育は酷いものでした。精霊魔法をうまく操れなかった私は何回も独房に閉じ込められて、人間扱いされませんでした」
「それは辛かったな」
もちろん、彼女の本当の辛さを理解することなど、俺にはできない。俺の辛い体験といえば、せいぜい社畜時代のデスマーチ程度だ。
「一方、兄は一族の希望でした。家族はもちろん、一族揃って兄を賞賛しました」
直接は知らないが、地球でもそれは珍しいことではないと思う。
「兄と私が山を超えた雪原に雪男を討伐に行ったときのことです。不覚にも二十体ほどの雪男に遭遇してしまったのです。私は死を覚悟しました。いくら天才といえ、兄はまだ子供です。討伐の経験も少ないし、私がいては逃げることもできません」
「クリスタ、雪男とはどんな魔物なんだ?」
「大きさはオーガより少し小ぶりで、全身が白い毛で覆われています。素早さと腕力が特徴の魔物です」
なるほど……。ゴリラの魔物版といったところか。
「兄は必死に火炎魔法で対抗しようとしました。相手が野生動物ならば火を恐れて逃げていくでしょう。ところが相手は魔物です」
「レイチェルの兄はそこで……」
「いえ、私たちは助かりました。その時、私の精霊魔法が突然開花したからです」
「まさか、イフリータさんを呼び出したのか?」
「違います。それは火焔地獄を連想させるような炎の塊でした。まるで炎を纏った竜の如く、雪男たちは呆気なく焼き尽くされていきました」
それって……、精霊サラマンダーじゃないの?
「炎の正体はさておき、レイチェルたちは助かったんだな」
「はい、でも……、その日から優しかった兄さんが豹変してしまったのです」
豹変ってことは、レイチェルの才能を羨んで虐めがはじまったとか、その逆に……。
「自分の才能に疑いを覚えた兄は、精神を病み、ついには自殺をしてしまったのです」
そっちか……。
「私が兄を自殺に追い込んでしまった。でも、独房に監禁されている私には何もできなかった……」
「それは不可抗力というやつだ。魔法が突然開花したのも、その状況に追い込まれたからだし、レイチェルは何も悪くない」
「そうだぞ、レイチェル。兄貴の言うとおりだ。一番悪いのはレイチェルの兄をちやほやして精神的に弱くしてしまったクロノフィールド家だと思うぜ」
「レイチェルさん、わたしもそう思うのです。どこのレイチェルさんに非があるというのでございましょうか」
「みなさん、ありがとうございます。そう言っていただけると、救われた気がします」
もし、レイチェルが兄と自由に話ができたら……。レイチェルの魔法の秘密が分かり、兄も召喚魔法を手に入れることができたかもしれない。それは仮定に仮定を重ねる愚かな連想ゲームでしかないが……。
「兄の死後、クロノフィールド家はレイチェルの魔法が開花したことを知ったのか?」
「いえ、私に対してまったく興味がなくなってしまったようです」
「なるほどね、兄に対してプレッシャーを与えるために、レイチェルに酷い仕打ちをしていたのか。恐ろしい一族だな」
「私は文字通り開放されました。少しのお金をもらって、どこにでも行けと……。私は自分の運命を呪いました。すべてが憎くて、悔しくて、情けなくて――」
「レイチェル……」
慰めようがないな。俺が何を言っても嘘くさくなる……。
「そう思ってクロノフィールド家の屋敷を外から見ていたときです。再び炎が戻ってきたのです――」
「えっ、まさか……」
「はい……。その炎は屋敷をあっという間に焼き尽くしてしまいました。その時から私は天涯孤独の身です」
「そうだったのか。時が来たらクロノフィールド家に帰ったほうがいいのではないかと思っていたんだけれど、その家はもうないのか……」
困った……。彼女には帰る場所がない。
「その後、どうやって生き延びたんだ。その時期にギルティックに洗脳されたんだと思うが?」
「ちょうどその時、ギルティックの黒蜘蛛がクロノフィールド家を訪れていたのです」
「都合が良すぎるな。まさか……、レイチェルの殺害依頼か?」
「お察しのとおりです。クロノフィールド家は用済みになった私を亡き者にしょうとしました。実の親がそんな事するでしょうか? たぶんですが、私は拾い児だったのかもしれませんね」
「酷なようだけど、はっきり言ってその可能性が高いと思う」
それにしても、そこまでするのか……。
「その時、黒蜘蛛に屋敷を燃やしたところを目撃されたんだね」
「そうです。あいつはそれが召喚魔法であることに気がつきました」
あれっ、レイチェルは自分の魔法を召喚魔法だと知ってたのか。
「私はその時放心状態だったので、彼らの言われるがままについて行って……、抵抗したのですが洗脳魔法を……」
「分かったよ。よく分った。レイチェル、これから君はどうしたい?」
「ペルシー様、そんなこと訊くまでもありません。レイチェルさん、私たちの家族にお成りなさいませ」
「クリスタさん……」
「おれは異議なしだぜ」
「パメラも同意する」
んっ? パメラの話し方が変わったような?
「俺のファミリーはレイチェルを受け入れる気まんまんのようだ。レイチェル、返事は?」
「はい……、私はペルシーさんの家族になりたいです」
「よし、決まった。レイチェル、俺たちはギルティックの魔の手から君を全力で守るぞ。家族だからな」
「ギルティックとは全面戦争になってもいいよな、兄貴!」
「もちろんだ! 叩き潰してやる!」
あっ、調子に乗りすぎたかも……。俺って、争いごとが苦手だしな。
「ペルシー様、そのお言葉、忘れないでほしいのです」
「クリスタは抜け目ないな……」
「でも、ペルシーにならば容易い仕事」
「パメラちゃん、言うね~。俺もそう思うぜ」
「エドを全面に出して全面戦争をするか」
「なんで俺なんだよ!」
みんなで笑った。
こんなに笑ったのは久しぶりだ。
俺は今、とても幸せを感じている。
日本にいた時、こんな気持ちになったことがあっただろうか?
「レイチェル、もう俺たちのことを信用してくれるよな」
「もちろんですわ、お兄様。もう家族ですしね」
レイチェルはそういうと、俺に抱きついてきた。
可愛いものだな。
「ところで、俺はレイチェルの兄さんに似ていたのか?」
「いえ、全然似てませんよ」
「それじゃあなんで俺のことをお兄様と呼ぶんだ?」
「こんなお兄様が欲しかったからです」
「なんだそりゃ?」
レイチェルは、へへへと恥ずかしそうに笑った。
「ああ、もう家族だし、これからもそう呼んでくれ」
「パメラも赦す。ペルシーはレイチェルのお兄様。ただし、ペルシーはエッチだからレイチェルは気をつけたほうがいい」
「な、何を言ってるんだ、パメラ!」
「たしかにそうでございますね。ラッキースケベと言うのでございましょうか?」
「クリスタまで……」
大所帯も楽しいものだな。
ここにエルザとレイランも加わったら、どうなるんだろう。
「ペルシー様、エリシアさんが来ました」
ソフィアさんが目を覚ましたのかもしれない。
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