第二部 ルーテシア大陸編
第五章 罠に落ちた姫騎士
第60話 姫騎士(1)赤竜討伐
ソロモン帝国はルーテシア大陸の北方のほぼ全体を国領とする大国家である。
その西側には領土の四分の一を占めるガラフ大高原があり、更にその半分ほどが穀倉地帯として使われている。
ガラフ大高原は肥沃な土壌に恵まれて、ソロモン帝国の穀物庫といわれるほどの穀物収穫量を誇る。
その恵みを齎しているのは肥沃な土壌だけによるものではない。ガラフ大高原の北側にはルーテシア大陸を東西に二分するカーデシア山脈があり、その山脈が穀物の育ちやすい気候に良い影響を与えているのだ。
収穫された穀物は各国に輸出され、ソロモン帝国の屋台骨を支える収入源にもなっている。つまり、ソロモン帝国にとって、ガラフ大高原は、帝国の中でも指折りの重要な地域なのである。
ところが、帝国はガルフ大高原に関連する二つの問題を抱えている。
一つは、ガルフ大草原の南西がロマニア法国と接していることである。
ソロモン帝国は軍事国家であるが、不用意にロマニア法国に攻め入ろうものなら、ガラフス高原という重要な穀物庫を荒らしてしまいかねない。実はその問題が国家を安定させていることに貢献しているのだが、帝国元老院がそれを認識しているかどうかは不明である。
一方のロマニア法国はそのことを充分に理解しており、帝国が攻め入ろうものならば、ガラフ高原を集中的に攻撃する方策を練っている。ただし、法国としても帝国の穀物庫を荒らすことは、自分たちの首を締めることに繋がるので、自分たちから積極的に帝国へ攻め入ろうとは考えていない。
そしてもう一つの問題は、カーデシア山脈に棲む赤い竜達の問題である。
カーデシア族といわれている竜の群れは、以前は頻繁に村や町に舞い降りては人々を襲っていた。とことが百年ほど前から襲撃が少なくなり、現在は年に数度の被害にとどまっている。
しかし、被害が少なくなったとしても、帝国としては対外的な面子を保つ必要がある。そして、帝国の民を竜から守るだけでなく、軍事力維持の目的から、赤竜が出現すると必ず討伐部隊を現場に送り出すことにしている。
そして、今年で三度目の赤竜討伐を、帝国が誇る最強の小隊、第三騎士隊が出動してきた。
その騎士隊を指揮するのは、第三皇女ソフィア・エルミタージュである。
彼女はレイピアの使い手であり、帝国内では五本の指に入るほど剣技に長けている。
そしてそれ以上に注目すべき点は、召喚魔法を得意とするところである。
彼女は召喚魔法のお陰で、帝国最強といわれているのだ。
ソフィアの長い金髪がヘルムの後ろで風になびいている。
凛々しい出で立ちとは裏腹に、彼女は困惑していた――
「ソフィー様、いくら赤竜が一頭だといっても、我々小隊の人数では安全圏とはいえません」
「そうだなミリアム。だからこそ、第一騎士隊と第二騎士隊を待っているのだ」
「しかし、未だに追いついてきません。その気配もないのです」
ソフィアの従者で狼獣人のミリアムは、狼獣人でありながら繊細な感覚の持ち主で、非常に優秀な参謀でもある。
ミリアムの外見は頭部に二つの耳を持つこと以外、人間と殆ど変わらない。
だが、嗅覚が鋭く、反射神経や筋力では人間を圧倒する。それが獣人というものなのだ。
「何がいいたいのだミリアム。はっきり言ったらどうだ」
「はい、我々は嵌められたのではないかと」
「何故そう思うのだ、ミリアム」
「我々だけが先行させられたのは不自然でだと思うのです」
「先行するのは偵察の意味合いもあると思うのだがな」
「しかし、この高原で赤竜に遭遇したら、身を隠す場所がありませんし、見つかれば逃げることは不可能です」
「奴等は空を飛ぶからな。確かに逃げることはできないだろう」
ソフィアにはミリアムの言いたいことが判っていた。そして、赤竜と遭遇したら即戦闘になることもあり得る。いや、戦闘は必然だろう。
だからこそ、それが判っているからこそ、ソフィアは内心苛ついていたのである。
彼女の小隊は帝国でも最強と謳われているが、それでもたかが二十名である。一頭の赤竜を相手にするのに、通常は五十人規模の討伐隊を必要とするのだ。
彼女の小隊だけでは討伐は難しく、もし赤竜を倒せたとして生き残れるのは半分に満たないだろう。
「ソフィー様は気づかれているのでしょう?」
「何のことを言っている?」
「元老院のほとんどは第一皇女様についております。それに先日、第二皇女様は……」
「ミリアム、証拠がないのだ。それ以上の詮索は無意味だ」
「しかしソフィー様! 今度は――」
第二皇女は一週間前に急死した。彼女は健康に問題など抱えていなかった。
おそらく、毒殺されたのだ――
この世界では地球でいうところの西洋医学はまったく発達してはいない。
当然ながら、その代わりに発達したのが薬草の知識である。
しかし、薬草というものはその名の通り薬にもなる一方、毒にもなる。
薬の知識が発達したこの世界では、家督争いにおいて毒殺は常套手段になっている。しかも、そのことが判っていながらも毒殺は起こってしまう。今の時代はそれほど毒殺が巧妙になっているのだ。
ソフィアは殺された第二皇女のセリーヌとは仲良しだった。
二人とも継承権争いになどにまったく興味がなかったのに……セリーヌはあのようなことになってしまった。
ソフィアの心は折れていた。腹違いとはいえ、最愛の姉を殺されたのだ。
毒殺の命令を下したのは第一皇女のアメリアしか考えられない。しかし証拠がまったくないのだ。犯人が判れば追求することはできるだろう。だが、張本人にまで辿り着くのは不可能だ。もし、証拠を握れたとしても、元老院が邪魔をしてくるだろう。
第二皇女のセリーヌが死亡した今、今度は自分が暗殺の対象になっているはずだ。
ソフィアはそのことに理屈では判っていた。だが、何かの間違えだったら――そんな甘い考えが自分の心を支配していた。
だが、自分が暗殺対象になっていたことが今はっきりと判った。
今回の赤竜討伐で合流するはずだった第一、第二騎士隊が来なかったのだ。
間違いなく罠だろう――
絶対に生きて帰ってやる。そして、今度はこちらから反撃する。
ソフィアは死んだセリーヌのためにも心の中だそう誓うのであった。
「ミリアム、案ずるな。私とて、いつまでも手を拱いている訳ではない」
「ソフィー様……」
「やるべきことはやるさ」
§ § §
彼女が現状をどうしたものかと思案していると、斥候に出していた狼獣人のエリシアが帰還した。
「ソ、ソフィー様! 赤竜を発見しました!」
いつも冷静沈着なエリシアが珍しく慌てた様子だった。
「エリシア、何を慌てておる。詳しく申してみよ」
「赤竜は四頭いました」
「何だと! 情報が間違っていたというのか?」
いや、嘘の情報が流されたと考えるべきだろう。
赤竜は団体行動をすることが多い。一頭で出現したという時点で、疑うべきだった。
「その内一頭は、赤竜ではないかもしれません」
「どういうことだ!?」
「鱗が黄金色をしていました」
カーデシア族の竜のほとんどは赤黒い鱗に覆われている。それ故に赤竜といわれているのであるが、異なる色をした竜も存在する。
今までに確認さた色は、黒、灰、黄、茶などである。
龍神山脈に棲んでいる龍神族も様々な種類が確認されているが、赤竜族と違うのは、すべての種類が輝く鱗を持っていることだ。
「黄金色……新種か。それとも龍神族が混じっているのか?」
もし、龍神族が混じっているのならば最悪の事態である。
龍神族の戦闘力は赤竜とは比べ物にならないくらい強大なのだ。龍神族が一頭でもいたら、一つの領地が瞬時に壊滅するだろう――
「ソフィー様! 撤退を進言いたします!」
「許可する」
ソフィアの言葉でミリアムとエリシアは小隊の全員に撤退指示をだした。
赤竜が一頭でも戦闘は命取りなのだ。それが四頭もいるのだから選択の余地はない。
「今すぐ撤退する。撤退の陣形を整えよ!」
ソフィア騎士隊の行動は早かった。しかし、遅かった――
既に四頭の竜が彼等の上空に飛来していたのだった。
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