第49話 レイチェルの洗脳解除と身柄の行方
ボクっ娘、もとい、レイチェルは目を覚ましそうだったのだが、苦しげな表情をした後に、再び深い眠りに就いてしまった。
人間はマナを失い過ぎると死んでしまうこともあるという。非常に危険な状態である。
だが、パメラの見立てでは、レイチェルには生命を維持するだけのマナが残っているようだ。しかしこの苦しみようはなんだろう? もしかしたらマナ欠乏以外の問題を抱えているのかもしれない。
レイチェルの回復を試みる前に、ペルシーとクリスタは、ゲルハルトと黒蜘蛛がどこに転移させてしまったのか、探知を試みた。
しかし、探知できなかった――。
ペルシーの魔眼は最長五十キロまでの探知が可能だ。おそらく、それ以上先に転移したから探知できないのだろう。
転移先を闇雲に捜すわけにはいかないので、ペルシー達はレイチェルから直接的か、間接的に訊き出すことにした。
「強制的に覚醒させて訊いてみようかな?」
「どうやるのでございますか?」
「冷水をぶっかけるというのはどう?」
「お兄ちゃんは意外と野蛮なの」
「そうか?」
「パメラがレイチェルの心を読むことにするの」
レイチェルは意識不明のままだが、パメラは自分の頭をレイチェルの頭にくっつけた。
「そうなの……。お兄ちゃん、あの二人はシーラシアの町まで飛ばされたみたいなの」
「ここは龍王山脈の中央付近だから、五百キロ近く飛ばしたのか。シーラシアに潜伏されてしまうと、探知できないな……」
「ゲルハルト達が脱走してから既に五時間くらい経過しています。何でこんなところに隠れていたんでしょうね?」
エルザが疑問に思うのは当然だろう。何か理由があるはずだ。
「レイチェルのマナが回復していなかったからなの。転移魔法というのはマナの消費が激しいから、連続で使用できないの」
「三人一緒に転移しなかったのは、マナの消費を抑えるためということか?」
「そうなの」
「自分を犠牲にしてまで二人を逃したのは、主人への忠誠心か? それとも他に理由があるのか?」
「洗脳魔法の可能性があるの。レイチェルの頭には魔力の残滓が漂っているから」
「洗脳魔法……。まったく魔法っていうやつは訳がわからない……。魔眼で確かめてみるか」
ペルシーはレイチェルの頭を魔眼で探知してみると、魔力の残滓どころではなかった。
「パメラは魔力の残滓と言ってたけれど、実際には脳の表層のシナプスに絡みついている感じだ」
「シナプスってなぁに?」
「脳細胞同士を繋いで信号を伝達する部分なんだけど……。とにかく表層に絡みついているから取り除かないと」
「なんだかよく解らないけれど、お兄ちゃんなら解除できるよ」
おそらく、この世界の魔法の流儀ならば、そうとう難しい呪文か複雑な魔法陣が必要になるだろう。
ペルシーの幻想魔法ならば、魔力自体に働きかけることができる。
幻想魔法には呪文も魔法陣も必要ないのだ。鮮明にイメージすることができれば、ほとんどの魔力の操作ができる。それが幻想魔法の真骨頂である――。
「ああ、俺もそう思うよ。ただし、いきなり解除すると後遺症が心配だ……」
エルザとレイランは二人でお互い頷き合ってこう言った。
「私たちは何が起こってもペルシー様を指示いたします。もし、レイチェルに何かの障害が残ったならば、龍王城で一生面倒をみることができます」
そこでクリスタが両手を握りしめて真剣な表情をペルシーに向けた。
「ペルシー様、私にお手伝いさせてくださいませ」
「クリスタ、何か考えがあるのか?」
「ペルシー様が洗脳魔法を解除した後、治癒魔法をかければ多少は以前の状態に戻るかもしれません」
「つまり脳に障害が残るにしても最小限に留まるということですね、クリスタさん」
「その通りでございます、エルザ様」
おそらくクリスタの治癒魔法は役に立たないだろう。もともと怪我をしているわけではないのだから、治癒はできないはずだ。
「クリスタ、ありがとう。でも、責任を負うのは俺だけでいいよ」
「お兄ちゃん、そこまで深刻に考える必要はないと思うの。魔法の残滓は表層の部分だけだから、記憶障害さえ残らないと思うの」
「えっ、そうなのか?」
「パメラは精神感応で洗脳もできるから分かるの。それにパメラがお兄ちゃんのサポートをするから大丈夫なの」
「分かった。パメラを信じるよ」
ペルシーは魔眼でもう一度レイチェルの頭を探知した。
脳の表層に魔力の繊維のようなものが絡みついているのがペルシーには見えている。
「エルザの左肩の傷から毒素を取り出したときのことを思い出す」
エルザとクリスタは黙って頷いていた。
ペルシーは両手をレイチェルの頭に添えて、自分の魔力を繊維のように練って、レイチェルの脳へと伸ばした。
パメラはペルシーのイメージを強化するような魔法をかけている。
『パメラ、ありがとう』
『礼は無用』
相変わらずテレパシーと人間形態とでは話し口調や性格が違う気がするが、パメラが頼りになることは確かである。
ペルシーが練りだした百余りの魔力繊維がレイチェルのシナプスに絡みつく魔力繊維に触れると、それらは次々と煙のように霧散していく。
とても繊細な作業ではあったが、三十分ほどですべての魔力繊維を取り除くことに成功した。
「よし! 上手くいったと思う。クリスタ、後は任せた」
「はい! 任せてくださいませ」
ペルシーとクリスタは交代し、レイチェルの頭に両手を付けて目を閉じる。
そしてクリスタの両手が仄かに光りだし、レイチェルの頭を包み込んでいく。
◇ ◆ ◇
「龍王様、申し訳ありません。侵入者の一人を拿捕することに成功したのですが、ゲルハルトともう一人の侵入者を逃してしまいました。逃亡先はシーラシアです」
「ペルシーよ。それは卿の責任ではない。それに、侵入者の一人を拿捕したのだから上出来ではないか。褒めて使わす」
「はっ! ありがとうございます……」
ここは龍王城謁見の間の隣りにある会議室だ。
「どうしたペルシー、卿が遠慮するとは妙だな」
「えっ、はい……。実は最初、ゲルハルトの脱獄は龍王様の策ではないかと思っていました」
「はっはっは。それは半分当たっているぞ。計画ではもう少し先だったがな」
「やはり、そうでしたか」
「追跡部隊の編成や根回しに時間がかかってしまってな。そこに侵入者が先に着てしまったわけだ」
「ところで、追跡部隊はどうなっておりますか?」
「すでに龍王城を立っている。それにシーラシアの町の工作員にはすでに計画を報せてあるので、ゲルハルト達を追跡しているかもしれない」
「そこまで用意周到とは、お見事です」
「お世辞はいい。卿らしくないぞ」
「えっ、そうですか?」
――俺は龍王様にどういう人物だと思われているのだろう? 心配になってきた。
「龍王様、拿捕した一味について気になるのですが」
ドロクスが珍しく口を挟んできた。
「そうだったな。そやつは目を覚ましたのか?」
「いえ、まだです。洗脳魔法を掛けられていたので解除しました。しかし、初めて使った魔法だったので、ちょっと自信がありません」
「解除に失敗するかもしれないということか?」
「洗脳の解除は完全だと思いますが、多少後遺症が残るかもしれません」
「尋問は可能か?」
「はい、それは問題ありません」
実際は、パメラがいるので尋問の必要もないのだが、パメラの能力に関しては余り口外しないほうがいいだろうとペルシーは考えた。
「それならば何も問題ないだろう」
「しかし、手足の痺れなどの軽微な障害が残る可能性があります」
「ペルシー殿、その者は尋問が終わり次第処刑することになります。体の障害は問題にはなりませぬぞ」
龍王城に侵入した挙句、ゲルハルトを脱走させたのだ。処刑されるのは当然のことだろう。
しかし、ペルシーはレイチェルの処刑を容認するわけにはいかない。それは彼女が美少女だからとか、ボクっ娘だからとかいう理由ではなかった……たぶん。
「彼女は時空魔法の使い手です」
龍王とドロクスは息を呑んだ。
「時空魔法とな……」
「そんな莫迦な。時空魔法は千年以上前に途絶えた魔法ですぞ、ペルシー殿」
「ちょっと待て、ドロクス」
「はっ! 申し訳ありません」
「彼女は転移魔法でゲルハルトと黒蜘蛛という男をシーラシアに転移させました。転移魔法は時空魔法の一種です」
「ということは……。
「はい、
この世界では精霊魔法を極めた者を大魔法使い、あるい賢者と呼ぶ。
それに加えて時空魔法を使えるものを
「レイチェルを私に委ねていただけないでしょうか?」
「その者を利用できるのか?」
「少し様子見が必要ですが、おそらく大丈夫かと思います」
「う~む、その者を生かしておくとしたら、卿にしか御することはできまい」
龍王は少し間を開けてこう言った。それは非常に厳しい命令でもあった。
「よし判った。全責任は卿にある! もし、御することができないと判断したのならば即刻抹殺せよ!」
「御意」
◇ ◆ ◇
ここは異次元屋敷ミルファクの一室。
ベッドで眠るレイチェルをエルザとレイランが見張っている。
ミルファクはペルシーが支配する共次元空間の中にある。たとえ転移魔法で転移しようとしても、脱出することはできないのだ。
もしレイチェルが賢者ほどの魔法が使えたとしても、エルザとレイランの二人を相手にすることは不可能だろう。
因みに、エルザは姫様とはいえ龍神族であるし、レイランは龍神族であることは勿論、賢者の称号を持っている。二人とも人間が勝てる相手ではないのだ。
本当はパメラが監視すれば完璧だったのだが、ペルシーはパメラがいないとミストガルの言葉が話せなくなるので、止むを得なかった。
午後のお茶の時間になったので、クリスタがエルザとレイランのためにお茶を持ってきた。
「すまないなクリスタ」
「まあ、このお茶、いい香りですね、クリスタさん」
「ありがとうございます。これは紅茶という飲み物でございます。エドガー様からいただきました」
「エドガーが……。奴め、気が利くじゃないか」
エドガーはレイランの弟で、龍王騎士団の一員である。
先日、ゲルハルトに挑んで手痛い敗北を喫している。
「それで、レイチェルさんの容態は如何でしょうか?」
「ペルシー様とクリスタが洗脳魔法を解除してからは苦しむ様子はない。よく眠っているよ」
あれから三時間ほど経過しているのでマナ欠乏で苦しむことはないはずである。やはり、先程の苦しみ用は洗脳魔法の副作用だったのかもしれない。
問題は目を覚ました後だ。洗脳を解除した副作用がなければ良いのだが――。
「まさかも時空魔法使いを拿捕できるとは思いませんでした。ギルティックという秘密結社としたら大損失ですね、エルザ様」
「そうね。この娘はこちらの味方になってくれるかしら? 味方になってくれたら差し引き二倍の損ということになるわね」
「たしかにそうですね。いざとなればパメラが洗脳してくれるでしょう」
「「……」」
「もちろん冗談ですよ。パメラにそんなことはさせません」
レイランが気まずそうにしていたその時、ペルシーたちが帰還した。
「パメラがどうしたって?」
「ペルシー様、お帰りなさいませ!」
クリスタがお茶の用意をしてくれている間に、ペルシーはエルザとレイランにボクっ娘、もとい、レイチェルの様子を訊いた。
「彼女はぐっすりと眠っています。洗脳さていた時は苦しんでいたようですが」
「むしろ洗脳の解除は回復方向に転んだということか」
ペルシーは一安心してクリスタが淹れてくれたお茶を飲んだ。
「このお茶はいい香りだね、クリスタ」
「エルザ様と同じことを言うのでございますね、ペルシー様」
「まあ、クリスタったら……」
エルザは超絶美少女の笑顔でペルシーを見つめた。
――エルザは可愛いなぁ。
ペルシーにとって、顔を赤くしたエルザを見るのは至高の楽しみになっていた。
この時、パメラは少女形態だったので心を読まれてないはずだが、何故かペルシーの方を見て微笑んでいた。
パメラはペルシーの心を読まなくても、考えそうなことは分かるようだ。
「それは紅茶という飲み物でございます。エドガー様からの頂きものでございます。お気に召されたでしょうか?」
「ああ、とても気に入ったよ。エドガーに会ったら礼を言わないとな」
「ペルシー様、お気遣いは無用です。私のほうから伝えておきますから」
「そうか、それではよろしく伝ておいてくれ、レイラン」
レイランは超絶美人の笑顔でペルシーに応えた。
パメラはまたペルシーを見つめ直した。何か言いたそうである。
全員が紅茶の香りを満喫した後、ペルシーは本題を話すことにした。
「龍王様からの命令なんだが……。レイチェルの身柄に関する全責任を俺が負うことになった」
「えっ、それはどうしてでしょうか? 龍神族の常識から言うと処刑に値する罪だと思いますが?」
もちろん、レイランが処刑を望んでいるわけではない。龍神族の規範では処刑なのだろう。
「彼女は
「なるほど、それで納得しました。エルザ様と私は、彼女を助ける方法を考えていたものですから、それを聞いて安心しました」
「そうだったのか。エルザ、レイラン、ありがとう」
「いえ、結果良ければ全て良しですわ、ペルシー様」
「だけど、まだ安心はできない。彼女は我々の味方になってくれるだろうか? それには自信がない」
「洗脳が解けたからといって、味方になってくれるか分かりませんものね」
「もし、我々の手に負えないようならば抹殺せよと言われている。それは龍神族の規範に則ったことだろう?」
「はい、龍王様から勅命であるならば、尚更のことです」
一同の顔は曇り気味だったが、ペルシーは話しを続けた。
「でもね、漠然とだけど、彼女は味方になってくれるようなきがするんだよね」
今度はエルザが質問してきた。
「何か理由があるようですね」
「彼女は洗脳されていたといっても、自分を犠牲にしてゲルハルトと黒蜘蛛を転移させたよね。あれは命令されてやったことじゃないだろ」
「もともとの性格とか深層心理が行動にでたのかも知れませんね」
「そうだと思うよ、エルザ」
「パメラはレイチェルはいい子だと思うよ」
パメラが言うのだから間違いないだろう。ただし、味方になるかどうかは今のところ未知数である。
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