第47話 ゲルハルトの脱走

 その夜、レイランをフォローしようとペルシーは彼女の部屋を訪れた。


 婚約者を二人も持つのだから、このくらいの苦労は覚悟しなければならないし、労を惜しめばその反動が必ず返ってくるはずだ。もっとも、それを苦労と感じるのならば、その愛は長続きしないのかもしれない。


「レイラン、さっきは悪かった。俺は二人とも大好きなんだけど、器用じゃないから……」

「ペルシー様、気にし過ぎですよ」


 レイランはペルセスを見つめて微笑んだ。


「ちょっと拗ねてみただけなんです。大人気なかったですね。私も貴方のことが大好きです。エルザ様と同様に愛してくださいね」


 レイランはペルシーの何もかもを包み込むかのように優しく抱きしめた。


「もちろんだよ、レイラン……」


 この世界の女性の器の大きさは、ペルシーを遥かに凌ぐ――

 いや、龍神族の女性だから特にそうなのかもしれないが、彼女いない歴=年齢のペルシーには知る由もない。


「エルザ様とペルシー様と私……、三人でゆっくりと愛を育んでいきましょう」


 クールビューティーの潤んだ瞳がペルシーを見つめる。

 その瞳には魔力が宿っているかのようにペルシーを金縛りにする。


(や、やばい。押し倒したい……)


「お兄ちゃん、パメラはもう眠いの。一緒に寝ようよ」

「パ、パメラ、いつからそこに?」


 ペルシーはパメラをまいたつもりだったのだが、まったくの無駄な労力だったようだ。それはそうだろう、パメラとの精神リンクを切ることは不可能なのだ。


(俺にプライバシーはないのか?)


 ペルシーがその後、パメラとクリスタに監視されながら寂しく寝ることになったのは言うまでもない。





    ◇ ◆ ◇





 翌朝、ペルシーたちは龍王に謁見し、ゲルハルトから引き出した情報を龍王に報告した。

 ゲルハルトは他のスパイが龍王城に潜入しているかどうかは知らないこと。

 カーデシア族の内政は一枚岩ではなく、穏健派と急進派に別れていて、非常に不安定なこと。

 そして、人間社会の各国にスパイを送り込んでいることなどだ。


「我が国も各国に間者を送り込んでいるからな。カーデシア族が同じことをやっていたとしても驚きはしないが、やつらの活動実態を掴めていないのは憂慮すべき問題だ」


 龍神族は遥か昔から各国の首脳陣に間者を潜入させている。それだけでなく、ルーテシア大陸の三ヶ国に関しては、友好条約を締結させることにさえ成功している。

 人間社会の情報を入手するだけでなく、施政までも制御している龍神族の優位性は圧倒的だ。


 しかしだ。破壊しようとする立場からみたらどうなのだろう?


 ペルシーはこの世界の人間の思考や機微などをまだ詳しく知らないし、地球の人間社会とどれだけの違いがあるのかも分からない。

 もし、人間の心や集団心理が地球人と差異がないのならば、カーデシア族が各国の首脳陣に紛れ込んで、微妙なバランスの上に成り立っている平和を自己崩壊させることは可能なのではないだろうか?

 ペルシーは日本の限られた地域の人間にしか触れたことがないので、地球全体の人間社会と、この世界の人間社会を比べようとするには無理があるのは当然のことなのだが――。

 ペルシーの心には、ルーテシア大陸の戦争のない平和は仮初めのものであって、砂上の楼閣なのではないのかという根拠の少ない不安が過ぎった。





 ペルシーはそんな不安をエルザ、レイラン、パメラ、そしてクリスタにぶつけてみた。


「お兄ちゃん、カーデシア族が人間社会を内部崩壊させる可能性があると、どうして思ったの?」

「そうだね……。今までカーデシア族は人間社会や龍神族にたいして武力で侵攻しようとしてきただろ。だけど、それは長い歴史の中で不可能だということが判ってきたんじゃないかと思うんだ」

「だから、龍神族と同じように人間社会に溶け込んで、内部崩壊を企てているということなの?」


 だが、レイランは納得したようではなかった。


「ペルシー様、今までの彼等はあまりにも厚顔無恥でした。それは種族の特性といってもいいでしょう。それが突然真逆な方向に戦略転換できるとは、考えにくいのですが?」

「突然……かな?」

「あっ!?」


「もし、カーデシア族が戦略転換をした場合、人間社会に溶け込むにはかなりの時間がかかるはずだ」

「彼等には我々と同様に長い寿命があるし、工作に百年以上かけても何の問題もないですね」

「その戦略で、一番の障害は何だと思う?」


 龍神族の姫であるエルザには分かったようだ。


「それは私たち龍神族です。だから愚直なまでに武力の攻撃を仕掛けてきたのですね」

「戦略転換を気づかせないためにね」


 レイランはそっと目を閉じた。彼女は考え事をしている時、目を瞑る癖がある。


「なるほど……。今考えてみると、彼等の戦術はとても単純だった。それに状況が不利になるとすぐに逃げ帰っていた……」


 エルザは悔しそうに眉を歪めた。


「それは彼等が下等で愚かな種族だからだと考えていたからです。騙されました」

「ちょっと待って。まだ仮定の段階だ。情報が欠如している今は余り先入観を持たない方がいいかもしれない」

「そうですね……。それよりも彼等の目的を知るほうが、真相に近づける気がします」

「俺もそう思うよ、エルザ」

「もしかして、彼等の目的とは……」

「世界征服……クックックッ」


 そこまで言うとペルシーは笑いを堪えられなくなった。


「ごめん、ごめん。ちょっとツボにはまった」

「お兄ちゃん、せっかく皆から尊敬の目を集めていたのに……。残念な人になっちゃったよ」

「そんなことありませんよ、パメラちゃん。私たちの旦那様ですから」

「エルザ様……」


 レイランはエルザが「私たちの」と言ってくれたことが余程嬉しかったらしい。

 目に涙を浮かべている――


「え~と、話を戻すとだね。地球の人間社会では《世界征服》を考えるような国はほとんど存在しない。その言葉を口にするのは、一部の狂人くらいじゃないかな」

「地球はそれほどまでに成熟した社会規範があるうということですか?」

「いや、それは誤解だよ、エルザ。

 地球の人間社会には愚かな戦争の歴史がある。それが人間社会にどれほどの悲劇を齎したことか……。そうした歴史があるからこそ、経験的に戦争は抑止されているんだと思う」

「割に合わないから戦争しない? ということですか」

「そう。だから成熟した社会とは違うと思う」

「この世界から争いを抑止することはできると思いますか?」

「地球とミストガルを直接比較することはできないけれど、すくなくとも龍神族はすでに上手くやってるよね?」

「はい、お父様たちが人間たちの争いごとを小競り合い程度に抑えています」

「その微妙なバランスを崩さないように手助けしたいね」


 その場の全員がペルシーに賛同してくれた。

 しかし、ペルシー自身にはそうする自身は全く無かった。


「まずは情報収集だな」

「「「「はい!」」」」





    ◇ ◆ ◇





 ペルシーたちが龍王城の客室でティータイムを楽しんでいた時、龍王の付き人であるドロクスからその一報が入った。


「ペルシー様、お楽しみのところ申し訳ありませんが緊急事態です」

「ドロクスさんがここに来るのは初めてですね。何が起こったのでしょうか?」

「今朝、ゲルハルトが脱走しました」


 全員が硬直した。


「詳しく教えてください?」

「はい、もちろんです。昼の看守の交代で発覚しました。午前中に牢獄を守っていた四人の看守が気絶していたのです。すぐに牢獄を調べたのですが、ゲルハルトを収監していた牢獄はもぬけの殻でした」


 レイランは我に返って、ドロクスに疑問を投げた。


「魔法的にも物理的にも堅牢なあの牢獄が……。鍵は壊されていましたか?」

「鍵は普通に開けられていました。物理的な破壊はまったくありませんでした。魔法を抑制する魔法陣にも異常は見られませんでした」


 どうやって脱走したかは後回しでいいだろう。問題はゲルハルトの行方である。


「捜索は続けているのですか?」

「もちろんです。ゲルハルトはまだ傷が癒えてませんから、カーデシア族の竜化はできません。遠くには逃げられないはずです」

「龍王城に潜伏している可能性もあると?」

「はい、龍王城の外は龍体の衛兵たちが囲んでいます。脱出は不可能かと」

「分かりました。我々も協力します」

「ありがとうございます」


 ドロクスはいつもの恭しい挨拶はせずに、すぐに出ていった。

 いつも冷静なドロクスがあのように取り乱しているところをペルシーは初めて見た。彼の立ち居振る舞いからも、かなりまずい状況なのが分かる。


「ペルシー様、ゲルハルトは傷を負っているとはいえ、龍王騎士団で最強だった猛者です。被害がおよばないうちに捕まえないと」


 レイランも取り乱し気味だ。


「ゲルハルトは狂人ではなかったはずだ。無闇に龍人を殺すようなことはしないと思うよ。看守たちも気絶していただけだしね」

「それはそうですが……」

「あの牢獄からゲルハルトが逃げ出せるとしたら……。どうやって?」

「ゲルハルトの牢屋に仕掛けてある魔法陣は、完全に魔法を消滅させるものではありませんでした。それでも、牢屋を破るのは無理だと思います」


 クリスタは魔法で牢屋を破るのは無理だと考えている。


 ここで魔法に詳しいのはパメラ、クリスタ、そしてレイランだ。ペルシーは幻想魔法使いであるが、魔法自体に詳しいわけではない。


「まったく……、魔法っていうやつはわけがわからない」

「お兄ちゃんでも単独であそこから脱出するのは難しいんじゃないの?」

「そうだな……」


(俺だったらどうやるだろう? 抜け道はあるはずだ……)


「レイラン、あの牢屋では食事と排泄物の処理はどのようにやっているんだっけ?」

「ドアの中央付近にには小さい出し入れ口があって、そこから食事を渡したり、容器を回収したりしています」

「パメラならば、食事を手渡された時に精神感応で看守を操ることができそうだな」

「できるよ」

「相手が魔法防御能力を持っていないという前提条件が必要ではないですか?」

「精神感応は魔法じゃないんだよね」


 エルザとレイランはパメラの能力を殆ど知らない。驚くのも当然だろう。

 今の人間社会には魔法以外の超自然的な能力は認識されていないのだ。


「そのような能力があるとは知りませんでした。パメラちゃんは凄いですね」

「へへへ」


 パメラはエルザとレイランにちやほやされて上機嫌だ。


「え~と、横道にそれたのでもとに戻すけどいいかな?」

「ごめんなさい、お兄ちゃん」


(しゅんとしたパメラも可愛いな)


「ああ、まあいいよ。なんで脱出方法を確認したいかというと、単独犯なのか複数犯なのかを知りたいからなんだ」

「お兄ちゃん、眠らされた看守の頭を覗いてみたいんだけど」

「それはいい考えだね。レイラン、パメラを看守のところに連れて行ってくれないか」

「はい、ペルシー様。行きましょうパメラちゃん」

「了解!」


 パメラとレイランが看守の調査に向っている間、ペルシー、エルザそしてクリスタは、ゲルハルトの脱出方法について検討していたが、具体的な方法は分からずじまいだった。


「時間の猶予が余りなくなってきたな……」

「ペルシー様と私の探知魔法で龍王城の内部だけでも調べたほうがいいのではないでしょうか?」

「そうだな。隠れた場所だけでも調べておくか」

「ペルシー様、探知魔法と仰いましたか?」

「ああ、俺は半径五十キロを、クリスタは半径十キロの範囲を探知することができるんだ。パメラも近距離なら可能だよ」

「さすがペルシー様です。クリスタさんも凄いですね。龍神族にも探知魔法を使える者はいますが、数が少ない上に狩りに使える程度の距離しか探知できないのです」

「ということは、龍神族の中でも探索は進んでいるのかもしれないね」

「ドロクスに訊いてきましょうか?」

「いや、俺たちだけでやってみよう。彼等の邪魔をしたくないしな」

「ご配慮して頂きありがとうございます、ペルシー様」

「ははは、好き勝手にやりたいのが本音なんだけれどね」

「ペルシー様らしいのでございます」

「それにしても、今日は忙しい一日になりそうだな」

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