第6話 白銀色のエルザ
その少女のからだは、腰まで伸ばした
それはまるで天使が降臨したかのような錯覚をペルシーに与えた。
「……天使?」
肌は透き通るように白く、膝が隠れるくらいのシンプルな白いドレスを着ていた。
そして目鼻立ちは整っていて、特に瞳は翠色の宝石のように美しかった。
この少女の背中に翼があったほうが自然なくらいだ。
それに、ほどよく締まったウエストのせいもあり、胸が誇張されている。
「う~ん、凄い美少女だ」
ここで妖精通信が――。
『へぇ~、ペルシー様はこんな娘が好みなんですか。心配して損しました』
『別に損はしてないだろ』
『ペルシーの巨乳好きには困ったもんだ』
『まだパメラを困らせたことないと思うが……。俺は何でこんなに非難されてるんだ?』
ペルシーにとってクリスタはかわいい系の筆頭である。しかしこの少女は別格であった。
このような美少女をペルシーはいままで逢ったことも見たこともなかった。
『それにしても、こんなところでドレスかよ?』
『私もそれくらい持ってますから、ペルシー様』
『そ、そうなんですか……』
『パメラもドレスくらい持っている』
『パメラ……何故対抗する?』
もしここが宮殿の一室ならばこのような美少女がいても不思議はない。しかし、ここは未開拓の大森林なのだ。ミスマッチにもほどがある。
「お前は誰だ?」
ペルシー曰く天使が、さきほどと同じ質問を淡々と繰り返した。
「俺の名前はペルセウス。君は?」
「私はエルザ。何でこんなところに隠れているの?」
「別に隠れていたわけじゃない。雨を凌いでいただけさ」
「もう雨は止んでいるわ。ここは私の場所。早く出ていって」
エルザと名乗る少女はそう言うと、突然膝をついて蹲った。
「どうした?」
エルザが蹲ったせいで左肩の顕になり、赤く染まっているのが判った。
「君は怪我をしているのか?」
「あなたには関係ない」
気丈に振る舞っているが、相当痛いらしい。からだが小刻みに震えている。
「関係ないかもしれないけど、ちょっと傷をみせてくれないか」
「近寄るな!」
少女は再び立ち上がり、右手を横に開いた。
「出よ! 神槍ハリバートン!」
次の瞬間、少女の手には真っ白な柄に金色で龍を象った槍が出現していた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「せいっ!」
槍が円弧を描き、ペルシーの左腹に直撃する寸前、彼は左手で槍の柄を掴んだ。
その瞬間、槍から青白い火炎が吹き出す。
「うわっ、あちっ!」
『青白い炎は赤い炎よりも遥かに高熱』
「冷静に解説してるんじゃね~よ」
ペルシーは堪らず後退したが、左手は焼けただれてしまった。
左手の痛みに耐えているペルシーに容赦のない追撃が……。
なかった――。
エルザの怪我はかなり深いようだ。それに出血も酷い……。
ペルシーには多少なりとも勝算があった。
魔眼で傷を調べてから、幻想魔法で傷を治す――そんなイメージができていた。
ペルシーは神槍に注意しながらエルザに近寄ってみたが、エルザはとても攻撃できるような状態ではない。
何かの武器で切られた傷だろう。左肩の後ろがパックリと割れている。
『この傷でよく玄武岩の扉を破壊できたな』
『彼女は人ではありませんから……』
エルザは傷を見られても抵抗しない。いや、できない――。
この短期間に警戒心がとけたということもないはずだ。
(まあいい、魔眼で見てみよう――)
傷の周りに沿って緑色の雲のように異物が広がっている。おそらく、これは毒に違いない。
それにしても流石に魔王の魔眼である。思った通り毒も検出することができた。
「パメラ、解毒魔法と回復魔法を使うよ」
『ペルシー様、シンクロ率は五十パーセントだけど問題ない』
『なんか、いつもよりシンクロ率低いな~』
シンクロ率が低いのは気になるが、とりあえず問題なさそうなので、ペルシーは解毒魔法を発動した。
「解毒魔法!」
エルザの傷にまとわり付いていた毒は、気体となって空中に消えていった。
当然、解毒魔法では傷は塞がらない。
「治癒魔法!」
「回復魔法!」
エルザの傷はものの見事に塞がった。彼女の回復力の高さもあったからだろう。
「あ、ありがとう……。突然攻撃してすまなかった」
エルザは目に涙を浮かべていた。
「どういたしまして……。よかったら、事情を話してくれないか」
彼女は人間ではない――。
クリスタもそう言ってるし、魔眼で彼女を見たときにも分かった。
エルザは龍神族である。おそらく、洞窟から外を覗いたときに見えた
エルザがじっとこちらを見ている。龍神族とはいえ、天使……、いや可憐な美少女に見つめられることに慣れていないペルシーは所在なく目を泳がせた。
「おじ様……」
「えっ!?」
「ジュリアス・フリードおじ様ですね。逢いたかった!」
そう言うと、エルザはペルシーに抱きついてきた。
「えっ、あの、その……。いったいどういう事?」
「おじ様が封印されたと聞いて、ずっと探していました。再会できてよかった」
「ずっとって……、千年も?」
「はい! 千年もです。以前よりも若々しくなって、素敵になられましたね」
「エルザさんは何歳?」
「十六歳ですけど……。おじ様、レディーに歳を尋ねるものではありませんわ」
(千年と十六歳という意味?)
「ところで、エルザさん。俺は……」
(ジュリアス・フリードではないんだ――)
「封印される前の記憶が無いんだ……」
本当のことを何故かペルシーは言えなかった。
ジュリアス・フリードはもうこの世にいない。消滅してしまったと――。
「そ、そんな。私のこと覚えてないんですか?」
エルザは絶句した。
「ごめん。思い出せなくて……」
「でも、おじ様であることに変わりありません」
「そ、そんなに見つめないでほしい……」
(これ以上天使に見つめられたら気絶してしまうかもしれない)
「あっ、ごめんなさい。あまりにも嬉しくてつい……」
「き、気にしないでください。それより俺に傷を見せてくれたのは……」
「はい、もしかしてと思いましたの。そうでなければ傷を他人に見せるなんてしませんわ」
もし、知り合いでなかったらどうなっていたことか。ペルシーの頬を一筋の汗がしたたり落ちた。
ここで妖精通信が入った――。
『ペルシー様』
『出てきていいぞ、クリスタ。ただし、話を合わせてくれよ』
『分かっております。ペルシー様』
メイド姿のクリスタが目の前に現れた。
「お久しゅうございます。エルザ様」
(なぜメイド姿で現れた。クリスタ……)
「あなたはだれですか?」
「ジュリアス様にお仕えしていたクリスタでございます」
「クリスタ……思い出しました。以前会ったときは妖精の姿だったと記憶してますが」
「はい、メイドの仕事をするときはこの姿になっております」
「そういうことでしたか。懐かしいですね。あれから千年以上たちます」
「じつは、私もジュリアス様と一緒に封印されていました」
「一緒にですか……。どういうことでしょうか? おじ様……」
(ちょっとエルザの目が怖い……なんで?)
「一緒にというのは語弊があるな。クリスタは共次元空間に幽閉されていたわけだから」
「まあ、そうでしたか。良かった……」
天使の、もとい、エルザの話で千年の間に世界はかなり変わったことが判った。
それはそうだろう、千年前というと日本ならば平安時代だ。
「時代が変わったといっても、悪名高き魔王だと勘違いされるのも嫌なので、ジュリアス・フリードではなくて、ペルセウスと名乗っています」
(何で嘘ついてるんだろう、俺は……)
「おじ様は魔王なんかじゃないのに。悔しいです」
(そうか、エルザさんはジュリアスが魔王と呼ばれている理由を知っているのか)
エルザは両手の拳を胸の前でぐっと握りこう言った。
「おじ様が封印されている間も、私は世の中の動きを見てきましたの。これからは私がおじ様をお守りいたしますわ」
「助かるよ。何も分からず、途方に暮れていたんだ。ところで、エルザさんの家族はどうしている?」
「父上は……、龍王のベイグランドは千年経った今でも健在ですし、母上のアニエスは以前に増して若々しく元気にしておりますわ」
(龍王だって!?)
「どうしました?」
「いや……、やっぱり思い出せなくて……」
「千年も封印されていたのです。急ぐことはありませんわ。記憶がもどるまで……、いえ、それからもず~とっ……」
エルザは顔を赤らめながら俯いた。
龍神族の姫を騙したことが知れたら、その者の末路がどうなるかは推して知るべしである。
ペルシーは天使のようなエルザに殺されるのならば本望などと、まさか考えていはいないはずである。
何かペルシーの知らない話が進行しそうなので妖精通信をしてみる。
『俺の誤解かもしれないが、ジュリアスはエルザさんと婚約してたりするか?』
『そのような話は聞いたことがありません。それに、ジュリアス様には聖女様という恋人がいましたから……』
(ジュリアスの愛する人って、本当に聖女だったのか。羨ましい……。俺は社畜だったから、大学の時以来彼女がいたことはない)
『そ、そうか……。でも、結婚してましたというよりはマシだな』
ペルシーはこの世界でも独身のままだった。
『でも、私はいつもジュリアス様と一緒にいたわけではないのです。メイドですから屋敷を守るのが仕事でしたし。それにジュリアス様ほどのお方ならば、何人妻を娶ろうとも不思議ではありませんし』
『この世界は一夫多妻制なのか?』
『ジュリアス様はお目当ての女性と話をする時、パメラは外されることが多かった』
『それは分かる気がする……』
『どうして?』
『心の中を覗くからだよ。反省しなさい』
『……』
(ジュリアスさんの事情はよく分からないが、エルザに訊くと藪蛇になりそうだな)
「話は変わるけど、エルザさんは何でこんなところにいるんだ?」
「エルザとお呼びください」
「それでは、エルザ」
『ペルシー様。エルザ様は龍神族の姫様ですよ。くれぐれも勘違いされませんように』
『ああ、分かってるよ』
そのあと、エルザはここに滞在していた理由を話し始めた。
「実は不覚にも冒険者に襲われて怪我をしましたの」
「エルザよりも強い冒険者がいるとは……」
「いえ、その冒険者たちはたいして強かったわけではありませんわ。龍神族と対等に戦える人間などこの世界におりません」
「私たち龍神族は、千年以上生きると人の体を持つことができますの」
「人に変身できるようになると?」
「正確には違いますの。龍と人の体の両方を持つことができるのです」
「えっ、それじゃ龍の体はどこに?」
「別次元に存在していますの」
「ああ、そういうことか。ということは、エルザが年齢を十六歳と言ったのは、人間の体が十六歳ということか」
「はい、もちろんですわ」
(十六歳というのは龍ではなくて、人間の体のことだったのか。理解できないが、納得はした)
「そうです。龍と人の体は同じ次元に存在できないという制約がありますけど」
「何となく分かる。どうやって体を切り替えるのだろう?」
「自分でも良く分かりませんけが、自然にできてしまいますの」
「その……意識は一つだよね」
「意識は一つですの。つまり、龍でもあるし、人でもある。それが今の私なのです」
(龍神族は凄い。やはり族名に「神」とつくくらいだから、神に近い存在なのかもしれないな)
「おじ様は、そんなこともお忘れなんですか? お労しや……」
「ああ、記憶が曖昧なんだ」
(そんなこと知らないと変なのか? ジュリアスは龍神族と親密だったんだな)
「それで、冒険者に襲われたときの状況を教えてくれないか?」
「まだ私は人の体を持ったばかりですし、うまく扱えなかったからです。それに、この大陸には冒険者は殆ど来ませんし、来ても強力な魔物に殺されるのが落ちです」
「油断していたと?」
「ええ、恥ずかしながら油断していました。人のからだの時に受けた傷は龍の体にも影響します。だから高く飛べなくて、龍神山脈へ帰れなくなっていたのです。おじ様に逢えて本当に良かった。これも龍神様の思し召しかもしれません」
「それは良かった。俺にとってもエルザと逢えたことは幸運だったよ」
「おじ様ったら。ふふふ」
エルザがまた抱きついてきた――。
(ふっくらとした感触が……)
『ペルシー様、よだれが垂れているのでございます』
ペルシーは慌てて口元を拭ったがよだれは垂れていなかった。
どうやらクリスタに嵌められたようだ。
『クリスタ。あとで覚えてろよ』
『クリスタでは飽きたらず……ペルシーの変態!』
『はいはい、俺は変態ですよ……』
「おじ様、以前のように優しく抱きしめて、頭を撫でてください……」
エルザは俯き加減に恥じらいをアピールしてきた。
「あの~。エルザ」
「はい! おじ様!」
「それは嘘だよね」
「はい?」
「千年前の龍のエルザを、俺がどうやって抱きしめて頭を撫でたんだ?」
「え~と。ごめんなさい」
(この小悪魔な天使め。かわいいから許そう。でも、龍の時からジュリアスを好きだったのか。この世界ではそんなこともあるんだな……)
「それで、その冒険者たちの消息はつかめているのか?」
「まだ、近くにいると思いますわ。とても執念深くて困っていましたの。おじ様が洞窟にいた時、その……冒険者たちかと思って。ごめんなさい」
「いや、謝ることはない。事情はよくわかったよ」
(いま、冒険者が近くにいるとまずいな――)
「クリスタ、探知魔法!」
ペルシーがそう叫ぶと、クリスタが範囲を十キロまで広げて探知魔法を使った。
「見つけました! 三人のパーティーが四キロほど北にいます」
「三人ですか、私が襲われた時は五人でした」
「この森の中にいたんだから、魔物に襲われて人数が減ったのかもしれない。あるいは斥候として別の場所にいる可能性もあるな。どうしたい? 逃げるか?」
「いいえ、懲らしめますわ」
エルザはやるき満々である。どうやって懲らしめるのか聞いておいたほうがいいかもしれない。
『人間との戦闘ははじめてになるけど、殺傷能力の低い魔法はまだ習得てきていないんだよな。どうしようか……』
『そんな時のためにクリスタがいるのです』
『パメラもいるから大丈夫』
『そうだな。二人とも、頼んだぞ!』
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