番外編

英訳版二巻記念SS『塗り薬』

※まだ旅を始めた頃の話。オズワルドの家~リゼット村の間くらいのエピソードです


 その森を緑のキャンバスに見立てるのなら、細筆に白いインクをつけてなぞったかのようなせせらぎが走っていた。キラキラと光を反射する小川は浅く、流れる音が耳を心地よく撫でていく。小鳥たちのさえずりが響く中、それら自然の素晴らしいハーモニーは一人の少女の情けない悲鳴によってぶち壊された。


「うぁぁぁ~、痛いと思ったら潰れてるぅぅ」


 小川のほとり、平べったく大きな石に腰掛けていた声の主――ニチカは、自分の右足を抱え込むようにして盛大な溜息をついた。先ほどからズキズキと痛みを訴えていた親指の側面は、見事に靴擦れを起こし見るも無残な状態になっていた。破れた水ぶくれに痛々しく血がにじんでいる。さっさと洗い流そうと小川に足を差し込んだところで間髪入れずに後悔した。めちゃくちゃ痛い。


「だいじょーぶ? そういえばさっきからヒョコヒョコヘンな歩き方してたもんねぇ」


 声にならないうめき声を上げる少女の後ろから茶色いもふもふが顔を出す。巨大な茶色のオオカミ、ウルフィの頭を撫でてやりながらニチカはため息をついた。


「最初はいけると思ったんだけど、ダメだったか」


 靴擦れを起こした箇所を庇うように歩いていたせいか、ケガをしていないはずの左足もなんだかジリジリする。

 痛みを我慢して両足を洗っていると、用を足して戻ってきたオズワルドがいつもの淡々とした口調でこう言った。


「やっぱりか。お前、途中から痛みを庇うように歩いてただろ。こういう時は多少痛くても全体のバランスを崩さずに歩き続けた方がいい。ついでに言うと痛み始めた時点で布を挟むなり早めに処置するべきだったな」

「やっぱりって、そういうアドバイスは最初に欲しいんですけど……」


 恨みがましい目で振り返る。この師匠と旅を始めて間もないが分かったことが一つあった。博識でトラブルの対処法もよく知っていて、教えてくれることは実に的確なのだが――


「一度痛い目を見た方がより深く学習するだろうが」


 これだ。教え方がとにかく雑というか、一度失敗させてから学ばせるのだ。確かに、そのおかげで一度失敗したことは二度とやらないようになったし、できるだけ先回りで回避しようと思考をめぐらせるクセがついてきた。だが、ニチカは言葉の伝わらない獣ではない、最初から言ってくれれば分かるのになぜあえて痛い目に遭わせるのか。


(実は私が失敗するのを見て楽しみたいだけだったりして……)


 あり得る、この男の性格の悪さはお墨付きだ。ニチカがあたふたする様を心の中でせせら笑っているのではないだろうか。

 ジト目で見ていると、ふと何かを思い出したようにオズワルドは腰につけた袋を漁り始めた。目的の物がなかなか見つからないのか口頭で探している物を述べる。


「そうだ、ちょうど薬がある、俺が塗ってやろうか」

「え」


 ニチカが聞き返したのは『薬がある』という部分ではない、後半だ。


(『俺が』って、塗ってくれるの? この人が?)


 傲慢の二文字が服を着て歩いているような師匠が薬を塗ってくれる図を想像する。足先に塗布するため必然的に跪く形になるだろう。性格がアレでもオズワルドはちょっとお目に掛かれないくらいのイケメンだ。それは、なかなかに、レアな体験なのでは。


「おっ、お願いしま……っ」


 期待を込めて振り返ったニチカの鼻先に、おぞましい物体が突きつけられた。白い陶磁の容器に詰められていた薬は――いや、薬と呼ぶのをためらうレベルのクリームはドス黒い紫色をしていた。なぜかポコポコと瘴気が噴き出しており、口に出すのが憚られるアレソレがところどころに点在している。毒沼の中央から犬神家よろしく突き出している黒い物体はカエルの足だろうか。


「すさまじく沁みるが、うるさいから喚くんじゃないぞ」


 世の中の悪意を煮詰めて作られたようなクリームを前にしてニチカは理解した。現代で売られている薬がほとんど白色なのは心のケアの為でもあるのだと。ためらいもせずに指ですくい取ったオズワルドにハッと我に返る。


「あの、やっぱいい。やめっ」


 ひくりと頬を引きつらせ石の上をじりじりと後退し始めるのだが、師匠はにっこりと笑みを浮かべた。


「逃がすか」


 ガッと足首を掴まれる。ふりほどく前に患部をなぞられる感覚が走る。ぞわりと官能的な疼きが走りそうな気がしたが、それを打ち消す勢いですぐさま激烈な刺激が襲い掛かった。森の中に少女の悲鳴が響き渡る。水で洗った時とは比にならないくらい沁み、あ、ちょっとこれシャレにならない。


「ここもか、しっかり塗っておかないとな」

「ひぎぃぃぃぁぁぁ!!」

「そーら、もっといい声で鳴け~」

「なんで楽しそうなの!?」


 上半身をよじって岩をタップアウトするが、レフェリーなど居るはずもなく(頼みのウルフィは蝶々を追いかけて森の中へ行ってしまった)一方的な責め苦は続いた。なんだその見たこともない良い笑顔は。絶対楽しんでる百パーセント楽しんでる。


「ちょっ、もういい加減やめっ――ふぁぁっ!?」


 制止しようと目の前のコートに掴みかかった瞬間、指が滑ったのかふくらはぎから腿にかけて一気になぞり上げられる。連動するように尾てい骨から背筋をぞくぞくと電流が駆けあがり意図せず声が出てしまう。慌てて口を閉じたが、自分でも聞いたことのない声にニチカは目を丸くした。オズワルドも同様に眼鏡の奥で青い目を見開いている。


「……」

「……」


 そこでようやくお互いの状況を再認識する。ほとんど伸し掛かるように手を着いているオズワルドと、その胸元にしがみついているニチカ。どう見ても押し倒されている体勢に少女はカァァと熱が顔に集まって来るのを止められなかった。


「あ、あの、あの」


 言葉にならない声が漏れ出る。どれだけそうして居たのだろう。急に半目に戻った男は少女の額をべしっと叩いた。


「処置終わり。何を期待してんだ、ガキが」

「んなっ!」


 オズワルドはそっけなく呟いて上体を起こす。顔を真っ赤にしたニチカは反射的に言い返していた。


「誰がガキよ! 期待なんかしてるわけないでしょっ、あなたみたいなドSのヘンタイ、こっちから願い下げなんだからっ」

「そのヘンタイ相手にあんな声出すのかお前、いい趣味してるな」

「ちがぁーう!! さっきのは、そのっ」


 慌てるニチカをよそに、オズワルドはいつもの無表情で河原に膝を着き手を洗い始めてしまう。早鐘を打つ心臓を抑えようと少女は胸を抑えた。


(なに、なんだったの、今の)


 ちらりと観察するがオズワルドに照れた様子はみじんもない。その背中を見つめていると次第にやるせなさがこみ上げて来た。自分とは違い彼は大人の男だ、あんな状況なんて慣れきっているのだろう。

 またからかわれた。と、むくれていたニチカだったが、靴を履きなおそうとしたところで、焼けつくようだった足の痛みがきれいさっぱり引いていることに気づいた。それまでの苛立ちも忘れ、驚きながら足先を持ち上げる。


「すごい! 全然痛くなくなってる」

「即効性だからな、痛みを麻痺させる成分と、治癒力を促進する成分をたっぷり入れておいた。その代わり新しく傷ができても何の痛みもないから気を付けろよ」


 はー、と純粋な尊敬の念を込めて師匠の背中を見つめる。魔女として一流だと言っていたのはどうやら嘘ではなさそうだ。


「これ、すごい売れるでしょ? 俺は医者じゃないとか言ってたけど、これならお医者さんになれるんじゃない?」


 空気が変わったことにホッとしながら提案すると、オズワルドは濡れた手を払いながらふむ、と呟いた。


「なら、これから商品化するか。どうやら人体に使っても問題は無さそうだしな」

「……はい?」


 嫌な予感がする。冷や汗が流れるのを感じながら次の言葉を待っていると、悪魔の男はニヤリと邪悪な笑みを浮かべて言い放った。


「いい治験ができた、礼を言う」


 効力を上げすぎたから大変な事になっていたかも。そう続けられニチカはブルブルと拳を震わせた。涙目になりながら精いっぱい叫んだ声が森の中に木霊する。


「私はモルモットかぁぁぁぁ!!!」


 本日二回目の絶叫に、森の鳥たちがバサバサと空へ飛び立っていった。


+++


2/28に英訳版の二巻を出していただけることになりました!

今回も素敵な挿し絵がたくさんありますので良かったら

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ひねくれ師匠と偽りの恋人 紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中 @tana_any

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