これから。
襟元をゆるめた男は、想いをなんとか言葉にしようとする少女の必死さに少しだけ苦笑する。感極まって泣き出す彼女が愛おしかった。
言葉など要らない、その狂おしいほどに切なげな表情が何よりも雄弁だ。フッと笑って本格的に触れようとしたその時、
ふいに少女が窓の方に向け、ギョッとしたように固まった。
……嫌な予感がする。
おそるおそるそちらを向いたオズワルドは、窓枠にちょこんと乗せられた生首と目が合った。
「や、やぁ! その……さすがに僕も無粋だなぁとは思ったんだけど、なんていうか、『その前』にどうしても耳に入れておかなきゃいけない情報がありまして、あのその」
急速に身体の下で増大していく魔力を感知し、オズワルドは間一髪のところでベッドから転がり落ちた。
「きゃあああああ!!」
「もげーっ!?」
しどろもどろになる女神の顔に、特大の火球が命中する。
少女の盛大な悲鳴を背中に、男は誰にも邪魔されないような魔女道具の開発を急ぐべきかと頭を抱えた。
***
「ホンットもう信じらんない! どういうつもりなんですか!」
居間のソファに移動したニチカは、乱れた衣服を整えショールを羽織りなおしていた。対するユーナはと言えば、焼け焦げチリチリになった髪の毛を魔力で修復しながら何とも言えない表情を浮かべる。
「だから悪かったってー」
「いいましたよね!? 今夜だけは絶対に邪魔しないでって! わっ、私がどれだけの勇気を振り絞ってここに来たと……!」
見られたという羞恥心もあるのだろう、少女は拳を震わせ涙を浮かべる。再び火球弾を撃ち込まれては敵わないと、女神は素直に打ち明けることにした。
「確かに約束はしたよ? でもちょっと事情が変わって……」
「……」
「寒い! 寒いよ黒すけ! 無言で冷気出すのやめて!」
またしても『お預け』を食らった男は、どうしたらこの邪魔者を早急に追い返せるだろうかとそれしか頭になかった。早く帰れ、中途半端に煽られて溜まった熱をどうしてくれる。
居心地が悪そうに身をよじったユーナは懐から一通の手紙を取り出した。
「君が降りてから、昼間に届いた手紙のチェックをしていたんだよ。そしたら『忘れ去られた大陸』からの書簡が届いていて」
「忘れ去られた大陸?」
聞きなれない単語に少女が首を傾げる。その隣の男は少し驚いたように目を見開いた。
「あの未開の地から? 驚いた、人が居たのか」
「人っていうか、うーん何て説明したら良いんだろう」
「ちょっと待ってよ、何の話?」
話に置いて行かれそうになったニチカは慌ててストップをかける。ポンと立ち上がったユーナは壁にかかっていた世界地図を指した。
「ここが僕らが今いるこのアルカンシエル大陸、それから黒ちっちの故郷であるホワイトローズがここ」
中央、北の白く塗られた地を示した後、そのまま指をスライドした彼女は地図の端――東に位置する島を指した。ホワイトローズよりはやや大きく白い霧の絵がかかっている。
「この『忘れ去られた大陸』はすべてが謎に包まれた不思議な地でね、上空から入ろうとすると霧が発生していつの間にか追い出されているんだ」
沈黙の地は、これまでこちらから干渉することも、向こうがしてくることも一切なかった。噂では年老いた力のある精霊が結界を張っているのだろうと言われていたが――
「ところがどっこい、僕らとはまったく異なる文明が発展してたんだよ。ねぇニチカ、異世界って聞いて思い浮かべるモンスターって何?」
「え? えぇと……ドラゴンとかユニコーンとかハーピーとか?」
この大陸にそれらは居ない。ウルフィたちのような
(ちなみにユーナの黒竜ヴァドニールはトカゲの遺伝子を改良して出来た『ドラゴンモドキ』の旅客機らしい)
ここでグッと声のトーンを落とした女神は内緒話でもするかのように乗り出してきた。
「それがさ、居るらしいんだよ。ファンタジーな幻獣」
「……へ?」
突拍子もない話題に目が点になる。瞳を輝かせたユーナは書簡をバッと縦に広げた。
「そんでもって、ほら! こっちの大陸と交易をしたいって申し出が来たんだ!」
師弟そろってのぞき込むと、金箔が押された品のある書面には『今後ぜひとも交流を深めたい』との意味がしたためられていた。一度視察においでくださいとの招待も後半に見て取れる。
「知っての通りこの大陸は精霊戦争の影響で小国が散らばってるだろう? だから代表して天界の僕のところに招待状が来たってわけさ」
「でも、それと私に何の関係が?」
確かに大きな知らせではあるが、夜中の――しかも『込み入った最中の二人』のところに割り込むにしては理由が弱い気がする。
疑問をぶつけられたユーナは、「あー」と頭を掻いた後、スッと上司の顔に戻り、こちらを見据えた。
「ニチカ、この視察は君に行ってもらおうかと考えている。僕はまだこっちのマナ問題が片付いてなくて自由に動ける状態じゃないからね」
「私に?」
こんな小娘で良いのだろうかと不安になると、彼女はにこっと笑ってこう続けた。
「視察以外にもちゃんとした理由があるんだ。なんでも彼の地にいるユニコーンは絶大な癒しの力を持ってて、フェイクラヴァーズを治療してもらえるらしいよ」
「本当ですか!?」
思わぬ話の展開に立ち上がって乗り出す。
実はここまで来ても種は体内に残り続けていた。ユーナもいることだしすぐに解決するだろうと高を括っていたのだが、長期間寄生されていたため思ったより深く根付いているらしい。八方ふさがりで現状維持を歯痒く思っていたところに希望の光だ。
「行きます! 私いきますっ」
「おい何を勝手に――」
「ところが一つ問題があってさ」
不機嫌な顔をした師匠もろとも向き直る。ユーナは何となく気まずそうな雰囲気で苦笑いを浮かべていた。
「念のため確認しておくけど……ニチカって乙女?」
なぜか少女ではなく男の方を向いて女神は尋ねる。それを不思議に思いながらも当の本人は口を開いた。
「当たり前じゃないですか、私のどこが男に見えるって――」
そこまで言ってハッと質問の意図を察する。見る間に赤くなっていく様子で察したのか、ユーナはどこか安堵したように肩の力を抜いた。
「その様子だと大丈夫みたいだね。そう、早い話が『処女厨』なんだって、ユニコーン」
遠い目をしながら、ユーナは書簡の2枚目【ご提案一覧】の上から3項目を押さえてみせる。
不治の病でお困りの方をユニコーンの奇跡の術で回復することができます。
※ただし穢れを知らぬ乙女であることが条件です。
一度でも男を知ってしまえばこの選択肢は消え失せる。
ユーナが無粋と知りながらも割り込んで来た理由はこれだったのだ。
「どうする? 行くっていうなら使節団という扱いでヴニを貸してあげるよ」
「……」
横にいる師匠をチラリと見て、考える。
正直、この種がもたらす悪影響にニチカはほとほと困り果てていた。
命の危険にさらされるのはもちろんだが、それ以上にちょっとでも投薬が遅れると『疼いて』仕方ないのだ。
特にオズワルドと恋人関係が成立してからと言うものその影響は酷く、彼の姿を目にする度になりふり構わず胸に飛び込みたくなる衝動をこらえるのに必死だったりする。なんとか平静を装ってはいるが、めちゃくちゃに犯される想像をしながら自分を慰めたのも一度や二度ではない。
(どうしよう、私がこんなにえっちな子だって知ったら嫌われちゃう……)
持て余し気味の性欲をどうにかできるなら、行く価値はあるのではないだろうか。
そう考えたニチカは彼に向き直るとハッキリと言った。
「私、行きたい」
「……」
「行って、ちゃんと治療して貰ってからじゃ……ダメ、かな」
赤くなり俯く弟子に、オズワルドは重いため息をついた。長い沈黙の後ユーナに向けて言う。
「おい、その使節団とやらに俺も加えろ」
「えっ」
「どうせ貿易上の取り決めを結ぶんだろ? 交渉事なら慣れてる、こっちに有利になるような条件をもぎ取ってきてやるよ」
片方の眉を器用にあげて見せたユーナは、いいのかい?とでも言いたげな顔つきだった。
「そりゃ君にお願いできるなら願ってもない話だけどさ、治療が済むまでは隣に彼女が居るのに常にお預け状態なんだよ? こっちの大陸で待ってた方が安全じゃないかな。『事故』があってからじゃ取返しがつかないんだし」
「俺を盛りのついたオス犬みたいに言うな、ウルフィじゃあるまいし」
(え、ウルフィってそうなの?)
意外なコメントに驚いていると、散々迷った挙句ユーナは承諾した。
「わかった、それじゃあ黒ちっちの理性が鋼鉄よりも頑丈なことを期待して送り出そう。各国に連絡して承諾を得るから出発はそうだな、三日後でいい?」
「はい、私は大丈夫です」
ここでビシッとニチカを指した女神は厳しい顔で忠告を寄越した。
「いいかい? ユニコーンに会うまではくれぐれも過ちを犯さないこと! って、なんだかフラグ立てたみたいになっちゃったな」
「フラグって……」
「ヤるなよヤるなよ、絶対ヤるなよって、あれじゃないからな!? ホントにね!?」
「もう黙ってて下さいユーナ様!」
***
三日後の朝は、旅立ちを祝福するかのように晴れやかな日だった。
玄関口まで迎えに来た少女を一瞥したオズワルドは、口の端に少しだけ笑みを浮かべた。
「その方が馴染みがあるな」
「やっぱりそう思う?」
照れたように頬を掻くニチカは、精霊集めをしていた時と同じ恰好をしていた。学校指定の制服の上にケープを羽織り、厚手の赤いマント。腰のベルトには精霊たちにつながる魔導球が揺れている。
「結局、ゆっくりできたのは一月かそこらだったな」
「あははー、また旅に出るなんてね」
若干申し訳なくなりながらも歩き出す。予定では森の中のポータルから天界に上がり、そのままヴァドニールを借りて飛び立つ段取りだ。
いつかの井戸を通り越し、少し開けた場所に差し掛かった少女は足を止めた。やわらかな光が射し込む森の広場一面に、白く可愛らしい花が咲き乱れている。
「わぁぁ……」
「ユキダマソウ、もうそんな時期か」
駆け出した少女の後をゆっくり追ったオズワルドは、そういえばここで出会ったのだと思い出した。
あの時から自分の運命は変わり始めた。もしニチカがウルフィに連れられてやって来なければ、自分は今も森の中で引きこもっていたのだろうか。
「シロツメクサに似てるけどちょっと違う? ねぇ師匠っ」
摘み取った花を手に、笑顔で振り返った少女が眩しかった。
「覚えてる? ここで初めて会ったんだよね、ここから始まったんだよ」
いきなり引き倒されて拘束された時はびっくりしたけど、と笑いながら言われた言葉に少しだけ苦い思いが広がる。確かに出会いは最悪だった。
しゃがんだ状態から立ち上がったニチカはこちらに向き直ると真正面からはにかんだような笑顔を向けてきた。
「あれから色々あったけど、やっぱり出会えて良かった」
「これから先、どうなるかなんて誰にも分からないぞ? 俺の顔を見たくもないくらい嫌いになるかもしれないのに、そんなこと言っていいのか?」
「もう、相変わらずひねくれてるんだから」
口をとがらせた少女だったが、フッと微笑みを浮かべるとそのまま飛びついてきた。受け止めるとニチカは幸せそうに胸に頬をぴたりと寄せ、目を閉じた。
「ありがとう」
「一緒に行くことになって?」
「ううん、それもあるけど……なんだか全てに対して感謝したい気持ちでいっぱいなの」
未来のことなど誰にも保証はできない。
それでも、オズワルドはつられて微笑んだ。
「お前も、相変わらず単純な奴だな」
***
どれだけそうしていただろう、唐突に顔を上げたニチカは脈絡もなく切り出した。
「そうだ! フェイクラヴァーズを取り除きたいのには、もう一つ理由があってね」
「理由?」
爆弾を取り除く以外に理由でもあるのだろうか。実のところ自分的には『美味しい』のでこのままでも構わないのだが。
そんな怒られそうなことを考えていると、目の前の少女はとんでもない爆弾発言をかましてくれた。
「ユーナ様が言ってたんだけど、フェイクラヴァーズが寄生してると身体が『妊娠してる状態』って錯覚してるんだって。だから生理もこれまで止まってたらしいの」
「……は?」
ニチカはどこまでも真面目に、そして真剣なまなざしで言い放った。
「私、赤ちゃん欲しいもの」
近年ここまで脳みそが停止することがあっただろうか。
どこか遠いところに飛んだ自分の意識が無意識にぼやく。
「……い、一応聞くぞ。誰とのだ?」
「……」
すねたように口をとがらせたニチカが、こちらを見上げながら頬を赤らめた。
「……そういうこと、言わせる?」
果たして自分の本能は魔女道具で抑えきれるだろうか
男は一抹の不安にかられながら天を仰ぎ見た。
旅はまだ始まったばかりだ。
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