81.少女、拒絶する。

 ドッと言う音をたて、ニチカの体が暗い地下の一室に投げ出される。両の手足を鎖で縛られた少女は、せめてもの抵抗とばかりに突き飛ばした二人を睨みつけた。その二人はさきほどの行為で乱れた着衣のまま、虚ろな眼差しをそれぞれあらぬ方向に向けている。片方の胸を露わにした女が白目を剥きながら低い声を出した。


「シシシ司祭さまー ガ、来られるマデ 大人しく オ おとなしく ナシク ナシクナシクナシクシテシテ大人しく来るまで シテテテ」


 ヨダレを垂らしながら頬をピクピクと痙攣させる様はとても正気には見えない。ぞっとして青ざめる少女を二人は冷たい石壁に固定する。壁から垂れている鉄の輪を両手首にガチンと嵌めると、吊り下げられるような恰好で膝立ちになった。その作業を終えた二人はゾンビのような動きでまた階段を上っていく。


 一人残されたニチカは震えながら周りを見回した。昔、本で読んだような定番のアイアンメイデンやら指締め道具はまだいい(いや、良くはないが)問題はどうみてもアレ関係のブツが大量に壁に掛けられて居ることだった。ロウソク、鞭、はたまた口に出すのが憚られるような形状のあれそれ……。


(教会の地下で何やってんのよぉぉ)


 手首を拘束しているのは鉄だが、そこから壁に繋がっているのは幸いな事に縄だ。そこを狙って焼き切ろうと意識を集中させるのだが、どうにも上手く変換コンバートできない。集めた魔力が具現化されず、虚しく空気中に霧散していった。


「な、なんで?」


 途方に暮れた声に答えるように誰かの足音が近づいてくる。階段を降りて来たのはでっぷりと肥え太った中年の男だった。


「ほっほっほ、その手枷には魔の発動を制限する陣が刻み込まれておりましてな。具体的に言うと『心の器』を揺さぶり魔法への変換が出来ないようになっておるのです」


 ねっとりとした視線でねめつけるようにこちらを見下してくるのは、昨夜、快楽の宴の中心で声高に説教を説いていた司祭だ。彼はゆったりとした白い服をさばけながら近寄ってきた。


「さてお嬢さん。こんな時間に一体何のご用事ですかな? 夜のミサまではまだ時間がありますし、しっかり戸締まりもしていたと思うのですがねぇ?」


 奇妙に甲高い声を出す司祭に歯噛みして自分の迂闊さを呪う。あの時、覗き行為に気を取られていたニチカは、背後に迫っていた司祭にあっさり捕まってしまったのだ。そんな苦い思いを振り払い、司祭に向けて威嚇するように叫ぶ。


「今すぐこの拘束を解いて! 私はユーナ様を復活させようと各地を回っている精霊の巫女。あなたたちを正気に戻しにきたのよ、みんなあの魔水晶に操られているの、早く壊さないと!」

「魔水晶? もしかしてご神体の事を言っているのですか?」


 茶色っぽいはずの司祭の小さな目がギラッと紫に染まる。それだけで辺りの温度が一気に下がったようにニチカには感じられた。司祭はニコニコと笑いながら言う。


「いけませんねぇ、アレを破壊するなどと……異教徒と見なしますよ?」

「だって、あれはファントムが――」


 ダンッと、いきなり前髪を掴まれて壁に押し付けられる。痛みに少女は小さな悲鳴を上げた。


「壊させるものか……アレは尊いもの、素晴らしいもの、快楽に素直になって何が悪い?」


 司祭はそれまでの愛想のよさから一転、急に底冷えするような声を出す。彼は醜悪に笑うと舌なめずりをした。ニチカの太ももをするりと撫で上げ、ねとつくような息を首筋に吹きかける。


「快楽の味を、貴女にも教えて差し上げましょう」

「ひっ……」


 ニチカはこれから先の展開を嫌でも察してしまい、嫌悪感に震え上がった。


「いや! いやぁ!! 離してっ」


 盛大に暴れ始めた少女を見た司祭は、舌打ちを一つするといきなりその横顔を張り飛ばした。


「わめくな! 自分の立場が分かっていないようだな!!」


 威圧するような大声に、痛みで状況を理解できず茫然としていたニチカの肩がビクッと跳ねる。しばらくしてゆるゆると上げられた瞳から、光は失われていた。


「……ぁ……ぅぁ」


 ガタガタと震える彼女の頬は腫れあがり、喉からは息が漏れるような声しか出てこない。


 その目は、司祭ではない『誰か』を見ていた。


「顔を上げなさい」


 司祭は力なくうつむいた少女に命令を下すが、まるで聞こえていないかのように反応がない。ただ小さく何かを呟いているだけだ。


「殴るぞ!」

「ひっ……」


 反射的にこちらを見た少女の瞳に、みるみる内に涙がたまる。


「ごめんなさい、ごめっ、なさい、ゆるして……」


 司祭はうわごとのように繰り返す少女を見下ろす。つややかな髪の毛が流れるように首筋を滑り落ち、潤んだ瞳が零れ落ちそうなほど見開かれている。肉感的な娼婦に比べればやや体型は劣るが、それでも少女特有の瑞々しさが溢れている。抱けばさぞ締まりがいいだろう。


「フフフ、そうですよ、大人しくしてさえいればすぐに気持ちよくしてあげますからね」


 ゆっくりとその前をはだけさせて行くと、まろやかな膨らみが現れた。ピンク色の突起が目に入りニタリと口の端を吊り上げる。泣きじゃくるニチカの体内にあるフェイクラヴァーが『これからされるであろう行為』を期待したのだろう、地下室に誘惑の甘い匂いがふわりと充満し始めた。その匂いにひくりと鼻をひくつかせた司祭はそそり立つ自身を――自身を?


「こ、これは……」


 彼は自分の体の変化に動揺する。自己主張していたはずのイチモツがへにゃりと萎れているではないか。


 その時、司祭の全身をぞくりと悪寒が走った。夜道で悪魔に遭遇したとしてもここまでの恐怖は感じないだろう。震えながら振り向いた時、凄まじく冷えた眼差しとまともに目があった。黒衣を纏った若い男だ。まさに氷のようなと表現するにふさわしい鋭いまなざしを射抜くようにこちらに向けている。だがしょせんは人間だ。部下たちを呼べば簡単に取り押さえられるだろう。そのことに安堵しやや気力が回復する。司祭はすっくと立ち上がると威厳のある声を出した。


「なんだ貴様は! 上の見張りは何をして――ごあっ!?」


 無遠慮によってきた男の強烈な蹴りが司祭の腹に命中する。もんどり打った体は壁に叩きつけられてべしょりと落ちた。


『冷厳なる氷雪、安らかなる眠りと慈悲を持っての者をかいないだき……』


 流れるような詠唱が男の口からあふれだす。それと同時に司祭の落ちた辺りを中心に霜が降り始めた。手足がパキパキと凍っていくのに気づいた司祭はヒッと息を呑むが男の詠唱は止まらない。


『……永遠とわに』


 結びの言葉を呟いた時にはもう、司祭の身体は氷の棺に閉じ込められていた。かろうじて出ている頭が恐怖で気を失ったのかガクリと落ちる。その時、オズワルドが激しく咳き込んだ。口から外した手には赤い物が付着していたが、軽く顔をしかめただけの彼は服の裾で拭うと歩き出した。悪趣味な氷のオブジェには目もくれず、オズワルドはニチカの前に立った。一瞬ビクリと反応した少女は、歯をカチカチ鳴らしながら怯えた眼差しを向けてくる。そのことに戸惑いながらもオズワルドはそっと声をかける。


「ニチカ、俺だ。わかるか?」

「っ、いやあああああ!!! いやあ!!」


 手を差し伸べた瞬間、拒絶ともいえるレベルで少女が叫んだ。驚いて手を引くとニチカは半狂乱に頭を振りたくった。


「来っ……来ないでっ!! 嫌だ! 触らないでッッ!! あああああぁぁぁあぁああああぁああ!!!!!」


 手負いの獣のように大声を出す少女は、鎖につながれたまま暴れた。壁に背中を押し付けるようにして自由な足でめちゃくちゃに空を蹴る。


「やだ、やだよぉ、お母さん、お母さん、助けておねがい、どうしてぇぇ なんでぇぇ……」


 次第に勢いを失った少女は、壁にもたれるとすすり泣きを始めた。暴れたせいか両手首の鎖部分の皮膚が裂け、少し血が滲んでいる。


「おかあさぁーん……」


 グスグスと泣き続けるニチカの傍らに片膝を着き、オズワルドはそっと頬に手をやった。少女の肩が少しだけ跳ねたが、もう叫び疲れたのか大声を出されることは無かった。代わりにしゃくりあげるような泣き声が地下室に響く。


「怯えなくていい」


 穏やかな声で話しかけたオズワルドは、ゆっくりと手を回し、細かく震える頭を抱き込んだ。あやすように背中を優しく叩きながらそっと口を開く。


「お前を傷つけたりはしないから」


 震えは少しずつ収まっていき、やがて全身の力を抜いたニチカは師匠に体重を預けた。

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