80.少女、デバガメする。

 収まりかけていた熱がボッと顔に集まる。そういえば、さっきどさくさに紛れてとんでもないことを言ってしまったような……。反射的に振り仰いだニチカは慌てふためき弁解する。


「ちっ、ちがうの! あれはその……っ」

「あれは?」


 ぐっと詰まった少女は、冷や汗をダラダラ流しながら苦し紛れに言った。


「よ、欲求不満なだけ……ですからっ」

「……」

「……」


 いっそ殺せ。そう思ったが後には退けなかった。何を言ってるんだと心の内で喚いている間に、オズワルドは勝手に解釈をしてくれたようだ。


「なるほど、好きというのは性欲処理のことか」

「そ、そう!」

「キスするのが好き、気持ちいいのが好きと」

「そうなの!」

「たまたま俺が近くに居たから、こいつで済ませてしまおうと」

「そうね! あなた顔だけは私の好みだからっ、顔『だけ』は!!」


 ぷしゅ~っと自分の顔から湯気が出ている気がする。うずくまる様に顔を背けたニチカを、男はため息をつきながら抱き直した。


「まぁ、そう言うことにしておくか……」

「勘違いしないでね!? こんな風になったのはあくまでも魔水晶と種の影響なんだから!」

「よく喋る枕だ……」


 反論しようとした時にはもう、オズワルドは深い寝息をたて落ちていた。激しい後悔と羞恥に襲われた少女は、それからしばらく眠れなかった。


 そうでなくても、とても眠れそうにはない状況だったが。


 ***


 翌朝、窓からの朝日に起こされたニチカは一瞬状況が理解できなかった。だが目の前にある男の寝顔を見てすべてを思い出す。這い出るようにベッドから降りると床の上に手と膝をついた。


(うわぁぁぁ! 結局朝まで添い寝しちゃった、途中で抜け出して自分の部屋に戻るつもりだったのに!)


 肌寒い夜。ぬくもりが心地よく気づけば熟睡していた。久しぶりに夢も見ずに懇々と眠った気がする。頭もスッキリとしていて身体も軽く、風邪を移された心配もなさそうだ。チラッと振り返ると、オズワルドはゆったりと胸を上下させながら眠り続けていた。薬が効いているのか顔色も良い。


 少しだけ微笑んだニチカはそっと部屋を出た。自分の部屋で軽く身仕度を整え、魔導球を杖の形に戻す。鏡を見ると首筋に見慣れない痣を発見して顔を赤らめる。慌てて襟を正して見えないようにした。扉を開けて階下へ降りると、トントンというリズミカルな音でウルフィが起きたようだ。カウンターの下で一晩を明かしたらしい彼は寝ぼけ眼のままぱたりと尻尾を振る。


「あれぇ、おはようニチカ。出かけるの?」

「うん、ちょっと調査してくる」


 それなら僕も、と腰を上げたオオカミを制し、少女は階段の上を指した。


「オズワルドが風邪ひいたみたいなの。だいぶ落ち着いたみたいだけど、まだちょっと心配だから看てて貰える?」

「ご主人カゼひいたのー? びしょぬれのまんま歩くからだよー」


 クス、と笑って宿のドアを開ける。通りは朝の光に包まれキラキラと輝いていた。振り返り軽く手を振る。


「それじゃよろしくね、朝ごはんまでには戻るつもりだから」

「いってらっしゃーい」


 後ろ手に扉を閉めた少女は颯爽と歩き出す。陽も昇り始めたばかりなので通りに人は居ない。宿の夫婦も帰ってきているようだし、夜のミサは解散になっているはずだ。


(魔水晶を破壊するには大人も子供も寝ている今しかない)


 一人なことに多少の不安はあるものの、今のニチカは自信に満ちあふれていた。なぜか体の隅々まで魔力が行き渡り、頭の中が澄み切っている。軽く手を振るだけでイメージ通りに炎が溢れ出てきた。


(これなら大丈夫!)


 火炎を消し去った少女は、教会の前へと来ると昨夜の正面扉ではなくグルっと回り込むように移動した。すると四分の一左に回り込んだところで勝手口のような小さな扉が目に入る。空いていないだろうかとそっと引っ張ると、すぐにガチンという手ごたえが返ってきた。そう上手くはいかないものだ。


 顔をしかめたニチカは手っ取り早く燃やしてしまおうかと杖を構えた。しかし魔力を練る直前になって扉のわきに並べられている鉢植えたちが目に入った。もしかして、と左から持ち上げていくと、四つ目の鉢の下から黒っぽい古い鍵が出てくる。試しに扉の鍵穴に差し込んでみるとカチャリと錠の開く音がした。


(こういうのって、どこの世界でも共通なんだ)


 妙な感心をしながらそっと中に入り込む。雑多な木箱の間をすりぬけるとツンと青臭い薬草の匂いがただよった。教会なだけあって薬草やクスリを扱っているのだろうか? 案の定、中には誰も居らず、うす暗い中を小走りにかけていく。すると通路の先からぼんやりとした紫の明かりが漏れてきた。確信をもってそちらに突き進む。


 ……と、ここで何かの声が聞こえてきた。色を含んだような声に嫌な予感がしてそっと覗くと、魔水晶が設置されている祭壇の下で若い男女が真っ最中だった。


「あっあっあっ、そこ、そこなのぉ」

「オラッ、もっとケツ突き出せ!」


 パンパンと叩きつけるような音がホール中に響いている。ニチカは慌てて物陰に引っ込み口を押えた。なぜまだ残っているのか、早まる鼓動を抑えながらそっと顔を出す。男の方は昨日入り口で案内してくれた職員だった。女の方も同じような服を着ていることからここの職員だろう。


「死ぬ、死んじゃうぅぅ」

「イけよ! 派手に飛べっ」

「あああぁぁああぁぁぁぁ」


 その激しい情事を思わず凝視してしまう。世界を救う巫女と言えど、肩書きを外せばニチカだって思春期の少女、まるで興味がないと言えばウソになった。


(すごい……あんな風になっちゃうんだ。私も昨日、あのまま行ってたら……)


 そのことを思った瞬間、全身がカッと熱くなった。


(や、やだ、またヘンな気分になってきちゃった)


 ドキドキしながらも男女の行為から目が離せない。足のつけねがキュッとなり、握っていた杖にすがりつく。


「~~っ」


 嫌でも昨日の事が蘇ってきてしまう。しなやかで長い指が慈しむように髪を撫で、頬をたどり首筋に噛みつく。服の裾から侵入してきた手がヘソの脇をなぞり上へ――


 コツッ


 何とかそれを振り払おうとしている少女の背後に、何者かが立った。ハッとして振り返った時にはもう遅く、ニチカの手は何者かにしっかりと掴まれていた。


***


 オズワルドは闇の中にいた。


 空に月はなく、遠くに見えるシルエットはかろうじて木々たちだと判断できる。

 辺りを取り囲む森からは梢のざわめきもせず、時が止まったかのような死の空間がどこまでも続いていた。


 足下には鏡のように澄んだ水面が波紋の一つも立てずに広がっている。どうやら自分はその黒々とした湖の表面に置かれた椅子に座っているようだ。

 ひじかけのない簡素な椅子は、沈む気配もなくぴたりと水面に固定されていた。


(なんだ、ここは)


 指先ひとつ動かせない。拘束されているわけではないのに、頭からの命令に身体は無反応だった。

 ふと、少し離れた正面に同じように椅子に座った男がいることに気づく。


 その男は鏡に写したように自分と酷似していた。

 そっくりな顔、暖かみのない氷のような瞳。

 違うと言えば髪の色くらいで、男の髪は雪のように透き通る白銀色をしていた。


天華てんか……」


 無意識にその名前を呼ぶと銀の男はニヤリと笑う。彼は皮肉気な笑みを浮かべたまま両手を広げた。その口から流れた声色はやはり自分と同じものだ。


「俺を覚えていたとは驚く。とっくに記憶から消し去ったものだと思っていたんだがな」


 男は背もたれを離れ乗り出すようにこちらを見据えると、いやに節をつけて言った。


「久し振りだな『オズワルド』ぉ」

「……」

「それとも、元の名前で呼んでやろうか?」


 無言の拒否を感じ取ったのか、銀の男は肩をすくめて話題を変えた。


「まぁいい、それより何をやっているんだ? 据え膳喰わぬとはそこまで萎えたか」

「お前には関係ない」

「ハッ!」


 銀の男はぞっとするような歪んだ笑みを浮かべた。


「俺なら組み敷いて、ひん剥いて、さっさと割り入れて」

「だまれ」

「抵抗するなら首を絞めればいい。落ちる直前まで締め上げて、泣いてすがってくるまでめちゃくちゃに――」

「黙れと言っている」


 静かだが圧力のある声に会話が止まる。銀の男は冷ややかな視線をこちらに向け、つまらなそうに鼻を鳴らす。その体が椅子ごとゆっくりと湖面に沈み始めた。


「らしくもない、他人などカケラも信じていないお前が、何にほだされている?」


 銀の男が沈むと同時にこちらの体も沈んでいく。水面がせりあがり胸の辺りまで迫って来た。オズワルドは顔をしかめるが相変わらず身体は動かない。


「信じるだけ無駄だ! どうせ最後は捨てられるに決まってる! 世界を救う聖なる巫女様なら尚更なぁっ!!」


 銀の男の声には憎しみが篭っていた。苦しさが滲みだすような、悲痛な叫びが。もはやその声は半狂乱に近い。首の辺りまで浸かると、最後とばかりに捨て吐いた。


「裏切られる前に殺すんだ! ははっ、簡単だろう? すぐにやればいい」


 ――俺とリッカを殺したようにな!


 お前が殺したんだ。お前のせいだ。お前さえいなければ。水の中に沈み切ったはずなのに、そんな言葉ばかりが頭の中に響いている。


 ――お前のせいだ お前のせいだ お前のせいだ


「……やめろ」


 ――お前が お前があの時逃げなければ


 ――他の誰も悪くない 誰にも責任はない



 ――お前が





 俺が


 あの時


***


 ハッとして目を覚ます、簡素な宿の少しだけ色褪せた天井の色がやけに現実的で、今見ていた物がすべて夢だったと気づかされる。気配に気づいたのか、すぐ傍でウトウトしていたオオカミがぱちりと目を覚まし明るく声をかけた。


「ご主人、おはよう。カゼの調子はどう? すっごいうなされてたよ」

「ウルフィ……」


 上体を起こすと全身がびっしょりと嫌な汗でぬれている。貼りついたシャツが不快だった。そんな様子を見てウルフィは気遣うようにクーンと小さく鳴く。


「ヘーキ? やっぱり顔色悪いよー」

「いや……なんでもない。大丈夫だ」


 気分はともかく体調はだいぶ元に戻っていた。重だるさはないし頭痛も吐き気もすっかり消え去っている。一つ頭をふった男は気持ちを切り替えることにした。今のはただの夢だ、何も気に病むことはない。


「アイツはどうした?」


 目覚めてからずっと気配を探していたことに気づいて心の中でそっと苦笑する。だが次のオオカミの言葉でそんな気分も吹き飛んでしまった。


「んーとねぇ、ニチカなら一人で調査してくるって教会に行ったよ」

「なっ――」

「でもでも、朝ごはんまでには戻ってくるからって! だから心配しないでご主人を看ててあげてって」


 愕然としたのは一瞬だった。跳ね起きたオズワルドは壁にかけてあったマントをむしり取ると部屋を飛び出した。あまりの勢いに尻もちをついたウルフィが追いかけながら声をかける。


「ひゃあ! どこ行くの!?」

「あれだけ勝手な行動はするなと言っただろうが! 後を追うぞっ」

「待ってよごしゅじ~ん!!」


 嫌な予感がざわりと胸を騒がせる。己の勘に絶対の自信を持っている男にとって、それは無視できないものだった。


「あのバカ……!」

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