79.少女、打ち明ける。
再度の呼びかけにようやく男がハッと我に返る。めずらしく戸惑ったような顔を見せた彼は、それでも反対せずについてきた。
「……」
「……」
通りに出て宿への道をたどるのだが、沈黙が重い。後ろからついてくる男に何か言おうとするのだが、そのたびに先ほどの快楽の宴がチラついてしまう。
(やだ……なんか私おかしいよ……)
鼓動が早くなり、ムズムズとした感覚が少女の全身を駆け巡る。しかもなぜかオズワルドの事を意識するたび、そのぞわぞわは増した。そんな状態だったので、いきなり名前を呼ばれ飛び上がるほど驚いた。
「ニチカ」
「ひゃい!?」
おそるおそる振り返ると、師匠が見覚えのある建物の前で立ち止まっている。
「どこまで行く気だ?」
「へっ?」
見上げれば『けやき亭』の看板が目に入る。少女は恥ずかしさをごまかすように大げさに頭を掻いた。
「あ、あぁ! そうだよね! アハハ、なにやってんだろ私」
「……」
「……うぅ」
じっとこちらを見てくる目に耐えられず視線をずらす。見られていると思うだけで顔が熱くなっていった。
(あぁもう、何か言ってよ、いつもみたいな嫌味でもいいから!)
握りしめた手の下で心臓が暴れている。耳鳴りがするほどそれはうるさかった。落ち着け、落ち着いて深呼吸だ。すぅはぁ、よし、少しだけ冷静さを取り戻す。
「は、入ろっか」
震える手で緑のドアの取っ手を握るとチリリと可愛いベルの音が鳴った。カウンターでは出て行った時と同じように幼女が眠りこけている。ウルフィも仰向けになって爆睡しているようだ。ニチカは足早に二階へ駆け上がろうとした。
「じゃ、私もう寝るね。ま、魔水晶の事はまた明日考えよう」
「あぁ……」
そっけなく答える師匠をなるべく視界に入れないように階段の一段目に足を掛ける。再び早鐘を打ち始めた心臓を抑えようと、先ほどと同じように自分に言い聞かせた。
(冷静に冷静に、あとは部屋まで行っちゃえば、変な状態を感づかれる心配もない、そう落ち着いて、不自然じゃないようにゆっくり――)
トン、トン、と順調に階段を上り、自分の部屋が見えてきた その時
「ひゃっ!?」
緊張が弛んだのか、あと数段のところで階段を踏み外す。さらに足を着けようとした場所を誤り、パニックに陥ったニチカはさらにバランスを崩してしまった。掴まる場所を探して空中でもがく。
(落ちる!)
不幸な事に、この階段に手すりはついていなかった。奮闘むなしく少女は後ろ向きに落ちていく。だが、彼女を抱き止めたのは冷たく固い床ではなく、暖かくしっかりした何かだった。
「ふ、ぁ」
とっさには状況が分からず、ひとまず助かった安堵感が押し寄せる。しかしすぐ後ろから声がして文字通り心臓が止まるかと思った。
「よくよく落ちるな、お前は」
「!」
聞き慣れた低い声。肩を掴む大きな手。背中を支えるしっかりとした胸板。ニチカは振り向くことができなかった。振り向いてはダメだと自制していた。そこにある瞳を見てしまったら、自分がどうなってしまうのか、いつも通りで居られる自信がなかったのだ。
「……動くぞ」
「きゃあ!?」
だが少女が必死に冷静さを取り戻そうとしているのに、男は軽々と彼女を抱き上げる。急な動きに意図せず抱き着く形になってしまったニチカは、あわあわと口を動かした。
「やっ、お、降ろし、て」
「上についたら降ろしてやるから暴れるな」
「う、うぅ」
確かにここで暴れて巻き添えにしても悲惨だ。恥ずかしいやら情けないやらでニチカは黙り込む。逆にオズワルドはと言うと、軽率に抱き上げた事を後悔していた。なにせ少女の体は驚くほど柔らかく、オマケに抱き着かれる形になっているので、先ほどから鎖骨の辺りに柔らかいものが押し当てられている。甘い香りがふわりとただよってきて、脳がぐらりと揺さぶられるような気がした。男は己の内側から湧き上がってくる感情と戦うのに必死だった。
(クソ、なんでこんなガキなんかに、俺が)
感情を顔に出さないのが彼の得意技のはずだった。なのに今は頬に熱が集まってくるのを止められない。お互いの顔を見ないまま、いつの間にか部屋の前までたどり着く。
「ほら」
ドアの前にトッと降ろしてやる。うつむいたままの少女を残して、オズワルドは一刻も早く自分の部屋へと逃げようとした。何かがおかしい。ぐるぐると全身をめぐる熱がある一か所に集まってくるようで気持ちが悪くなる。あらぬ妄想がチラついて仕方ない。
このまま引き返して、腕を掴んで、引き込んで……
押し倒して、焦らすように触れたらどんな声で
はだけた胸元からのぞく肌はしっとりと吸い付くように手に吸い付き、
熱で滲む目が切なげに細められ、壊れてしまったかのようにひたすらこちらの名を呼ぶ。彼女が求めるように腕を伸ばして――
そこで男はハッと我に返る。これは本格的におかしい。早く寝てしまおうと明かりもつけずに暗い室内を二、三歩進む。
「え……」
だが後ろから袖を軽く引かれ、立ち止まった。振り向いた先では、少女が張り詰めたような表情でこちらを見上げていた。潤んだ瞳は熱を帯び、胸の前で握り締めた手が微かに震えている。短く浅い呼吸を繰り返す彼女は混乱したように言った。
「どうしよう、私……何か変……っ」
「変って」
「からだ、熱くて、ぞくぞくして、ぅあっ……」
一言喋るたびに内側をこすり上げられるような快感が少女を襲う。助けを求めるように見上げたニチカは、一瞬ためらったかと思うとしがみつくように抱きついて来た。
「っ、」
なんだ、これは どうしてこんなことに? オズワルドは上手く働かない頭で必死に考える。
いや理由は分かっている。ニチカは魔水晶に影響されたのだろう、そしておそらくは自分も。意志とは関係ない欲情に揺さぶられて眩暈がする。頭までもがガンガン痛み始めてきたような気がした。
「オズワルド……」
どうにもならない熱を持て余し、少女が自分を呼ぶ。ふと、男は我慢している自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。無意識の内にニチカの背に手が回る。
(何を我慢する必要が――我慢? 俺は何を我慢してきたと言うんだ。いや違う、落ち着け、血迷ってどうする。どうせ朝になったら我に返って口うるさく喚くに決まってる、だったら……)
抱きしめてしまう寸前で、ぎこちなくその両肩をつかんで引きはがす。目をみないようにすると口元が目に入った。今にも食べてくれと言わんばかりに少しだけ開いている。このまま食らいつきたい衝動と、かろうじて残っている理性とがせめぎ合う。男は慎重に一言ずつ切り出した。
「たぶんお前は魔水晶にやられてる。それにフェイクラヴァーも影響していて」
「種も?」
「そうだ。例のキャンディーがあっただろ、あれを舐めて横になっていれば少しはラクになるはずだから、自分の部屋に」
泣きそうな顔の少女は、こちらの左手を取ると自分の頬にそっと当てさせた。悲しそうな顔で問いかける。
「キス……してくれないの?」
「仕方ない、だろ」
「私のこと、そんなに嫌い?」
「っ、馬鹿が!」
思い通りにならない身体と感情と少女に苛立ちが混ざる。オズワルドはつい言葉を荒げてしまった。
「冷静になれ! お互いにこんな状態で歯止めが効くとでも思ってるのか!」
一瞬ビクッとした少女の瞳にみるみる涙がたまっていく。こぼれ落ちた涙が手の甲を濡らした。その泣き顔に男の背すじに快感が走った。ダメだ、これ以上はもう……多少ひどいことを言ってでも追い出してしまおう。
「分かったら早く」
「……き」
「あ?」
「好き、です」
今度こそ完全に思考が停止した。
「ごめん、ごめんなさい、好きなの」
少女は手のひらで涙を拭うように泣きじゃくる。赦しを乞うように繰り返す謝罪が胸に突き刺さる。
最後の理性が砕ける音がした。
「……ニチカ」
「あっ」
その手をつかんで引き寄せる。何度見たかわからない泣き顔を見つめ、何も言わずに口づける。
何度も 何度も ……何度も。
夢中になってその行為だけを繰り返す。気づけば二人はベッドになだれ込みお互いを求めあっていた。一息ついた男が襟元を緩めながら見下ろしてくる。
「はっ、ひどい顔」
そう言うオズワルドの顔こそ普段は見れないようなものだ。上気した頬で笑う様がぞくぞくするほど色気に満ちている。ニチカは思わず口元を覆って漏れ出る声を抑えようとした。
「っ、ふっ」
「嫌いじゃないけどな」
耳元で熱く囁かれ、服の上からするりと身体の線に沿って撫でられる。弱い刺激だからこそ過剰に反応してしまう。
「~~~っ!」
ピクンッと跳ねた少女を見降ろしオズワルドは笑みを浮かべる。どれだけ敏感になってるというのか。
しかし先ほどから彼はひどい頭痛に悩まされていた。少しずつ悪化していたそれは無視できないレベルになってきていた。
「…………」
一瞬意識が飛んだが気のせいだ。星が飛び始めているのも気のせいだ。そう思い込もうとするが、次第に吐き気すらせり上がってくる。
「ぐっ……」
「……オズワルド?」
異変を感じたニチカがそっとその首筋に手を伸ばす。そのあまりの熱さに少女は目を見開いた。
「ちょっ、熱あるじゃない!!」
「はぁ? 気のせい……だろ……」
「気のせいじゃないって! うわっ、すごい汗」
いくら情事で熱を上げたとはいえ、人体が出せる温度を軽く越している。甘い気分など一気に吹き飛んでしまった。だが男はムッとした顔をしたかと思うと起き上がろうとする少女を縫い止める。
「うるさい、さっさとやるぞ」
「そんな体調じゃないでしょ!」
あるていど欲求を満たされた少女は、実を言うとこの発熱騒動でほぼ正気に戻ってしまった。ひくりと笑い今の状況を確認する。
「往生際の悪い……覚悟を決めろ」
上にのし掛かる男の目が完全に据わっている。ふらふらになりながらもヤケというか、もはや意地だけで意識を保ってはいないだろうか? 少し考えた少女は、その襟元を掴んでぐるりと反転してみた。
「えいっ」
「!?」
朦朧としていたせいか、男はアッサリと反されてしまった。痛む頭を抑えながら枕に沈む。上にまたがったニチカは乱れた襟元を合わせながら諭すように言った。
「急病人なんだから、は、激しい運動なんかしちゃダメだよ」
「このくらい何でも……」
とは言え、昼間からじわじわと上がってきた熱に体力を消耗しているのも事実だ。性欲よりも睡眠を体は欲しがっている。今も泥のように絡みつく眠気を振り払うのがやっとだ。心の中でためいきをついたオズワルドは呻くような声を出した。
「……俺の、マントの内側に青い小瓶が入っている」
「小瓶?」
「薬だ、取ってくれ」
ベッドからタッと降りたニチカは、壁に掛かっていた黒いマントをさぐる。目的のものはすぐに見つかった。
「あったよ、飲める?」
ぼんやりと目を向けた男は体を起こすのも辛いのか、寝たまま薬を飲もうとする。
「うー……」
「あぁもう、こぼしてるよ」
少し迷ったニチカは、その瓶を取ると中味を口に含んだ。辛そうな男の頬に手を添え口うつしで流し込む。嚥下したのを確認した少女は口元をぬぐった。氷水でも持ってこようと動きかけ、後ろから伸びて来た長い腕に引き戻される。
「わっ」
ボフッとベッドに引き込まれ後ろから抱え込まれる。当然のようにもがいて抗議するが腹に巻き付いた両腕はぎゅうっと締まるだけだった。
「ちょっとー、離してよ。氷水貰ってくるから」
「要らん、ここにいろ」
「なんでっ」
「うつして治した方が早い」
「私に押しつけないでよっ」
「バカは風邪ひかないんだろ」
「もぉぉ」
それ以上抵抗するのも酷な気がして、ニチカは拘束する腕にそっと手を重ねる。この体勢だと顔は見えないが、不安なのかもしれない。自分も風邪を引いたときは弱気になるし、誰かに側にいてほしい。そう思うと、普段あれだけ傲慢な男が急にかわいく思えて来た。
「しょうがないなぁ~、いいよいいよ、寝つくまで側にいてあげるから安心して眠りなさい」
まるで母のように言い聞かせると、半分まどろみかけている男から思わぬ反撃を食らった。
「お前、さっき『好き』とか言わなかったか」
「!」
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