8淫靡テーション

78.少女、霧雨を進む。

 霧のように細かい小雨が続いていた。立ち止まって雨宿りするほどではないが、顔に当たるのが鬱陶しい。先日もらったばかりのマントがフード付きなことに感謝しつつ、ニチカは目深にかぶり直して黙々と道を歩く。


 普段はもっぱらウルフィとしゃべり、そこに時折オズワルドが茶々を入れてくるというのが旅の光景になっていたが、今日ばかりは皆押し黙って足を機械的に動かし続けた。サラサラと降る霧雨の中を、影は一列になって歩いていく。茶色い一匹ウルフィ赤い一人ニチカ黒い一人オズワルド――と、その後ろに付くように湿った緑の生き物が一匹。


「!」


 気配に振り返った時には遅く、緑のカエルがオズワルドの目の高さまで飛び上がっていた。カエルは体を風船のように膨らませたかと思うと、体内に貯めた水を吐き出す。


「オズワルド!」


 少女が慌てて引き返すと、顔中ずぶ濡れになった男は苦い顔で前髪から滴る雫を拭っていた。ケタケタと笑ったカエルが沼地の方へと逃げ、少女とオオカミが後を追おうとする。


「このーっ!」

「やいやいやい、待てぇ!」

「いい、やめろ」


 それを静かに引き止め、男は沼の方を顎で示した。


「反撃したほうが厄介な事になる、あの沼で待機してる奴らが一斉に水を吹きかけてくるぞ」


 見れば沼の中からビー玉のような目だけを出して、カエルたちがこちらを期待に満ちた眼差しで見つめている。その数ざっと二十匹。その「ぬめら」とした光景にぞっとしたニチカは荷物の中からタオルを取り出した。


「うぅ、アレ系の生き物はちょっと……それより拭かなきゃ風邪引いちゃうよ」

「このくらい平気だ。それより見えてきたな」


 少女は師匠の視線の先を追う。けぶるような視界の先にぼんやりと次の町が見えていた。顎を袖でぬぐったオズワルドが簡単な説明をしてくれる。


「あれはユナスの町と言って、精霊の女神ユーナをあがめる女神教の発祥の地だと言われている」

「ユーナ様の?」


 驚いて町をよくみようと目を細める。他の建物より一回り高い教会が雨の向こうに見えてきた。耳をピンと立てたウルフィが自慢げに知識を披露し始める。


「僕しってるよー! 天界から降りてきたユーナ様がいっちばん最初に降り立ったのがあの町だって言われてるんだ」

「へぇ、じゃあきっと魔水晶のことは心配しなくても平気ね」


 ニチカの言葉にオズワルドは片方の眉を上げてみせた。少女はその表情に違うの?とでも言いたそうな顔をする。


「そんな聖なる伝承のある地なら、女神さまのご加護とかあるんじゃないの? これで行って『毒されてました』とかだったらガッカリ感が半端ないんだけど」

「それは……どうだろうな」


 何か含みのある言い方が引っかかるが、師匠は再び歩き出してしまう。


「行けば分かることだ。寒い、さっさと行くぞ」

「あ、待ってよー」

「ごしゅじぃ~ん」


 雨はしとしとと降り続く。誘いに乗らず放置されたカエルたちだけが、残念そうにその後ろ姿を見送っていた。


***


 まだ日暮れには早いはずだったが、崩れた天候のせいで町中は全体的に薄暗くどこか陰鬱な雰囲気を醸し出していた。一行の気持ちを代表するようにニチカが口を開く。


「うわぁ、なにこの町……暗いんだけど」


 そこの曲がり角から幽霊でものっそり出て来そうな町並みにひくりと頬を引きつらせる。早くもウルフィは尻尾をぶわぶわに膨らませてビビっているようだ。通りは人通りもまばらで、なぜか行き交う人は子供たちばかりだった。


「あの、こんにちは」


 通りの向こうから大きな紙ぶくろを抱えた少年がやってきて、ニチカが声をかける。手のあちこちに絆創膏をつけた少年は、一瞬怪訝そうな顔をしたが立ち止まってくれた。


「こんちわ、ねーさんたち旅の人?」

「えぇそうなの。宿を探してるんだけど教えてもらってもいいかな?」


 そう尋ねると、少年は自分が今来た道を指さして道案内をしてくれる。


「ここをまっすぐ行って、あの金物屋の看板を曲がった先に『けやき亭』ってのがあるよ。でもあそこはなぁ、大丈夫かな……」

「ヘンな宿屋なのー?」


 少女の後ろから覗き込むようにしてウルフィが口を開く。一瞬びくっとした少年だったが悲鳴を上げるようなことはなかった。落としかけた紙袋を抱えなおしながら言葉を返す。


「喋る犬なんて面白いね。宿がヘンっていうか、あそこん家の子はちっちゃな女の子一人だから……」

「?」


 宿屋に居る娘が小さいと何か問題があるのだろうか? だが少年は通りの時計を見上げるとあーっと声をあげた。


「もうこんな時間! 仕込みの時間に間に合わなくなっちまう!」

「あ、ありがとうね!」


 駆けて行った少年の背中にお礼の言葉を投げかける。少年は向かいの通りの食堂屋に飛び込んでいった。家の手伝いでもしているのだろうか。


 とにかく、宿の場所は教えてもらったので一行は移動する。金物屋の半開きのドアから覗くと、カウンターに座ったメガネの男の子と目が合いぺこりと会釈をされた。ニチカは軽く笑い手を振り返す。


「この町の子って、家の手伝いをちゃんとしてるのね。ここかな?」


 なんて親孝行なのだろうか。感心しながら宿屋のドアを開けた少女は待ち構えていた人物にポカンとした。


「いらっちゃいませ、よーこそけやきていへ、おつかれでしょお? あたたかなベッドと、ごはんをおやくそくしましゅ」


 緑のブカブカな上着を着た幼女が、深々とおじぎをしていたのである。小さな支配人は両手を出すと舌ったらずな口調で続けた。


「さぁおきゃくさま、おにもつをおはこびいたしましゅ」


 みな一同に呆けていたが、いち早く我に返ったニチカが苦笑いを浮かべながら少し屈んだ。女の子と視線を合わせると優しく問いかける。


「こんにちわ、あなたがここの支配人さん? お父さんとお母さんはどうしたの?」


 恐らくごっこ遊びをしているのだろう。すぐにでも大人が奥のドアから……ドアから…………出て来ないだと。こちらが言いたい事を察したのだろう、しょぼんとした女の子はこう答えた。


「おとうさん、おかあさん、奥の部屋で寝てるでし。夜のミサがあるから、寝ないとダメなのだと言ってまちた」


 しかしパッと顔を上げるとどこか誇らしげに胸を張った。


「でもでもっ、どこのおうちもみんな同じでしゅ。いつかはこのお店を継ぐので、子どもたちが店番をするのはよこーれんしゅーだと言ってまちた」


 その言葉で嫌な想像がニチカの中で浮かぶ。まさかあの道を尋ねた少年も、目が合った金物屋の男の子も店番だと言うのだろうか。そして親たちはサボって寝ている? 顔をしかめたオズワルドが横で呆れたように言った。


「なんて怠けた町なんだ……」

「それって、つい最近はじまったの?」


 ニチカがそう聞くと女の子はこくりと頷いた。


「町ぜんぶで決まったことなのでしゅ。なんでも『しょーらいせいと、じしゅせいを育てる取り組み』のため、司祭さまがお決めになったことだといってまちた」


***


 部屋の湯殿で旅の汚れを落としたニチカは、タオルで髪を乾かしながら向かいの部屋のドアをノックして開けた。同じくこざっぱりとしたオズワルドが袖を留めながらこちらに目を向ける。開口一番、ニチカはこの街の異常さを話題に上げた。


「ぜーったいおかしいよね? いくらなんでも無責任すぎない?」

「しかも十日前からだと言うからな。魔水晶の仕業と考えるのが妥当か」


 見かけによらずあの女の子はしっかり者だったようで、チェックインの手続きも料金もしっかりしたものだった。夕食も多少焦げてはいたが普通に美味だった(さすがに料理はできなかったようで、近所のレストランから宅配を頼んだそうだ――おきゃくさまにご満足していただくためには、でりばりーも辞さないのでち!)


「でも変じゃない? この状況に一番近そうな『怠惰』はすでに壊してるし……」


 難しい顔をしながらニチカは考え込む。寝てばかりいると聞いて最初に思い浮かべたのは怠惰だったが、それはすでにペタコロンがいた谷で破壊している。もしくは同じものが二つあるのだろうか?


「……直接確かめた方が早いかもな」


 窓辺から夜の町を見下ろしていたオズワルドがつぶやく。少女が慌ててその横に立つと、今居る建物から男女の二人組が出て行くのが見えた。今日この宿に泊まっているのは自分たち一組しかいない。と言うことは―― ニチカは窓に貼りつくようにしながら言った。


「あれ、ここの夫婦?」


 眠りこけていたはずの幼女の両親は、通りに出ると夢遊病者のように歩き出した。見ればあちこちの家から同じように大人たちが出て来ている。


「みんなどこかへ向かってるみたい」

「後をつけてみるか」


 立ち上がった二人は階下に降りフロントを通り過ぎる。小さな支配人はカウンターに突っ伏してかわいらしい寝息をたてていた。その下でおしゃべりしていたはずのウルフィもぐっすり眠り込んでいる。ニチカは幼女を起こさないよう小声でオオカミを起こしにかかった。


「ウルフィ、ウルフィ、起きてっ」

「放っておけ、どうせ起きない」


 オズワルドに言われ、叩いていた手を止め立ち上がる。置いていくしかなさそうだ。


 通りにでると、うすぼんやりとしたランプの下を大人たちがぞろぞろと歩いていく。最後尾から少し離れて着いていくと、町外れからも見えた教会が現れた。少し古いが立派な建物だ。白を基調としていて、昼間みればさぞかし雄大な教会なのだろうが、下から照らされているせいかぞっとするほど威圧感があった。正面のアプローチ階段の上に巨大な扉があり、少しだけ開いている。大人たちは皆そこに吸い込まれていくようだ。その扉の脇にいた青年が、見慣れない二人組に気が付いたのか、とろんとした目で話しかけてきた。


「やぁこんばんわ、旅人さんかい?」


 聖職者がまとうような白いローブを着ていることからここの職員だろうか。こちらが何かを言う前に彼は扉の奥を示しこう言った。


「だったら見学していくといい。夜のミサが始まったところなんだ」


 少し迷ったが師匠と顔を見合わせ頷く。焦点の合わない職員に見送られながら扉を潜った。……中は薄暗く、何の匂いかは分からないが、ふわりと甘ったるしい香りが鼻をつく。同時に聞こえてきたのは複数のうめき声だった。通路の終わりが見えてくる。


「!!!」


 ニチカは目を疑った。教会の内部は円形状の造りをしており、今いる通路から下のホールに降りていけるようになっている。だが、見下ろす会場は凄まじい光景が広がっていた。あちこちで生まれたままの姿の男女が絡み合い、快楽を貪り合っている。獣のようなうなり声を出す姿はもはや理性ある人の姿には見えなかった。


「ミサと言うよりサバトじゃないか……」


 呆れたような声を出す師匠の横で、ニチカはよろめく。その時、柱だとばかり思いこんでいた中央のご神体が目に入る。妖しい紫に輝くそれは今までで見た魔水晶の中でダントツに大きかった。見上げるほど高い天井までつきそうなほどだ。その表面にでかでかと殴り書きされた文字を読んだ少女はうめいた。


「わかった……ここの魔水晶、『色欲』だ」


 魔水晶にはへたくそな日本語で「えっちぃの」と書かれていた。これで合点がいく。ここで一晩中こんなことを続けていれば、昼間は眠くて仕方ないに違いない。子供たちが無事なのも性の目覚めまでは影響が少ないのだろう。そう理解したところで目の前のAVの企画物も真っ青な光景が消えてくれるわけでもない。ニチカはなるべく見ないように頭を抱えながら叫んだ。


「なんでこんなの見せられなきゃいけないのよぉぉぉ」

「すごいな、あそこ八人で――」

「冷静に観察しなくていいからっ!」


 その時、魔水晶の前に居た中年の男が進み出る。でっぷりと肥え太った身体を立派な服で包んだ彼は両手を広げて叫んだ。


「さぁみなさん、もっと快楽を求めるのです! 精神の高揚を女神ユーナに捧げることによりさらなる加護を得られましょうぞ!」


 そこかしこから聞こえる嬌声がますます声高になり、呼応するように魔水晶が輝きを増す。しばらくするとあの紫のもやが噴き出してきた。


「うっ」


 ニチカはくらりと来て思わず後ずさる。まずい、このままだと自分まで影響されるかもしれない。そう考えた少女は師匠に脱出を持ち掛ける。


「と、とにかく一旦ここから出ようよ」

「……」

「オズワルド?」

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