77.少女、ヒーローになる。

 集結したドドンガガは集団暴走を繰り返し、もはや村人たちでは手が着けられなくなっていた。事態を重くみたアンジェリカは、執事の腕を掴むと非常事態宣言を出す。


「逃げるわよ! ウィル」

「えっ、えええ!?」


 目をむいたのはウィルだけではない、無意味に腕を振り回していた村長もギョッとしたように振り向いた。


「せせせ聖女様? 我々を見捨てるのですか? 冗談ではありませんぞー!!」

「無茶言わないでくださいまし! いくらわたくしでもあんな凶暴な群れには立ち向かえませんわ!」

「そうはいきませぬ! 迷い苦しむ民を救うのも聖女としての務めではありませんか!」

「ええいっ、とっとと離しやがれですのコンチクショー!」

「聖女さまぁぁ!!」


 ぷちん、とキレたアンジェリカはついに言ってしまった。


「だーもう! 聖女聖女うるっせーですわ! わたくしは精霊の巫女じゃなっ――あ!?」


 慌てて口を塞ぐがもう遅い、周りにいた村人たちも含めカミングアウトをバッチリ聞いてしまった。ドドドドとドドンガガの駆け回る音だけが響く。


「おほ、おほほほ、なんちゃってー……」


 冷や汗をたらしながらアンジェリカはカニ歩きで逃げ始める。ため息をついた執事が全てを明かそうと顔を上げたその時だった。目を見開いた彼は鋭く叫ぶ。


「お嬢様!」

「え?」


 アンジェリカは、ふと気配を感じて振り返る。坂道を猛烈な勢いで下るマモノの集団がこちらに向かってきていた。その理性を失った目はまっすぐこちらに向けられている。


「うわぁぁ逃げろぉ!」


 村長以下村人たちが、クモの子を散らすように逃げていく。それでもアンジェリカは動かなかった。否、動けなかった。生まれて初めて死の恐怖に直面したからだ。屋敷での魔法レッスンの的にしていたわら人形とは違う。明確な殺意がびりびりと肌に突き刺さりへたりと座り込んでしまう。なんとか立ち上がろうとするがここに来て魔力枯渇の影響が出た。くらりとめまいがして立つ事も出来ない。


(あ、やだ、足、動かな……)


 頭を抱えたアンジェリカは布を引き裂くような悲鳴をあげた。


「いやぁぁぁあああああ!!」


 衝撃を覚悟した彼女を包み込んだのは、春の嵐のような突風だった。激しく髪を巻き上げる風に思わず目をつむると、凛とした声が響く。


『地表を翔ける大気の流れをここに、シルフィード!』


 驚いて目を開けると、両手を水平に構えた少女が自分をかばうようにふわりと目の前に着地するところだった。昨日、牢獄にぶち込んだ姿にアンジェリカは目を見開く。


「あ、あなたは!」

「立って! 杖を早く構えてっ」


 見れば一度は風に押し戻されたドドンガガたちが、隊列を組み再び突進してくる。ニチカに指示され、アンジェリカはようやく立ち上がり杖を構えた。だがその手は誰が見てもわかるほどに震えていた。彼女が悲鳴を上げて逃げ出そうとした寸前、震える手を上からそっと包み込まれる。


「大丈夫、一緒にやろう」


 横を見れば、力強くうなずくニチカの目が澄んだ緑色に染まっている。その目を見ただけでアンジェリカは自分がなすべきことを悟った。


 二人の少女はザッと足元を踏みしめ反動に備える。呼応する魔力が引き出され、魔導球の中で混ざり合った。


『吹き飛ばせ』

『焼き尽くせ』


 二人で詠唱を始めた瞬間、アンジェリカの中で世界が開ける。経験したことのない爽快感と共に、彼女はその魔法を放った。


『『フレイム・トルネード!!』』


***


 精霊の巫女と偽聖女の放った複合魔法は、すさまじい威力を発揮し見事ドドンガガたちを追い払う事に成功した。作戦に利用して少し悪いような気もしたが、普段から畑に悪さをしていたと言うので今回の事はいいお灸になっただろう。一件落着したところで、囚われていたウルフィが屋敷から飛び出してくる。


「うわぁぁぁーんごしゅじぃぃん!! きっと助けに来てくれるって信じ」


 ゴンッ


「痛ぁーっ!!」


 喜び勇んで主人に飛びかかろうとしたオオカミは、鉄拳制裁のカウンターを喰らい悲鳴を上げた。


「本っっ当にお前はバカだな! 食い物につられて見知らぬ奴にホイホイついていくやつがあるかっ」


 ブチブチと小言を言いながらオズワルドは起爆用リモコンの裏にあるカバーを外す。動力になっている小さな魔力水晶を引きちぎると、途端にウルフィの首についていた黄色い輪がぷしゅーっと音を出しゴトンと外れた。感心したように横から執事ウィルが覗き込んでくる。


「おお、一目見ただけでわかるとはさすが魔女さんですね。そうすれば解除できたのですか」

「あ、あぁ、こういうのは大抵どれも同じような仕組みだから」


 まさか自分で作った物だとも言えず、オズワルドは微妙に視線をそらしながら答えた。回路をねじ曲げて完全なガラクタにしてから捨てる。そのまま振り返った男は未だ騒がしいクレナ畑の珍事を眺める事にした。


「一体全体どういうことなのですか聖女さま……じゃなく、えーとえーと」


 こんがりと焼けたクレナ畑を前にして嘆く村長だったが、彼が向ける怒りの矛は完全にスルーされていた。なぜかと言うと、当のアンジェリカはニチカにぴったりと寄り添い外野の声などまるで届いていなかったからである。とろけきった甘い声で彼女は自分を救ってくれたヒーローに語り掛ける。


「あぁニチカ様……颯爽と飛び込んできて下さったそのお姿、わたくしの脳裏にしっかりと焼きつきましたわ」

「えーと」


 苦笑いで応えるニチカは戸惑っていた。やけに近い位置にあるお嬢様の目が熱っぽくこちらを見上げている。困惑するヒーローの様子などお構いなしに、アンジェリカは続けた。


「あの電流にも似た衝撃! わたくしのハートを掻っ攫っていきましたの、アンジェリカこんなの初めて……」


 ポッと頬を染める彼女に向かって、無視されていい加減爆発しそうだった村長が掴みかかる。


「だからどうしてくれるんだっ! 結局きみは聖女じゃなかったんだろう!?」

「ええいお黙りなさい外野っ、わたくしとニチカ様の愛の語らいを邪魔しようなど無礼千万ですわよ! すっこんでなさいっ」


 その悪びれもしない高慢な態度に、ついに村長がキレた。顔を真っ赤にしながらブンブンと腕を振り回す。


「村の畑をメチャクチャにしておいてなんて態度だ! もういい、なんとしてでも君のご両親を見つけて責任を取ってもらうからな!」

「えぇ、良いわよ」


 パチンと指を鳴らしたアンジェリカの傍に、執事がサッと駆けつける。


「お呼びでしょうか」

「ウィル、お父様に連絡してこちらの村長さんのおっしゃる通りの金額を支払うように伝えてちょうだい。そのまま買い取るわ」

「はっ?」


 ポカンとする村長をよそに、不敵な笑みを浮かべたお嬢様はこう続けた。


「この焼けた畑の跡地にうちの宿を建てたら中々いい利益になると思うの」

「は?」


 もはや疑問符を発する機械になっている村長を置いて、アンジェリカはツラツラと『ブロニィ村・宿場町計画』を挙げていく。


「さいきん風の里が賑やかみたいだし、そこに向かう人たちの中継地点としてこの村はちょうどいい位置にあると目をつけていたのよね。従業員はこの村の者を雇えばいいし、宿ができれば旅人はお金を落としていくだろうから……うん、この村に特産品があればなお良いわね。そうだ村長さん、せっかく質の良いクレナの葉があるんですもの。葉をそのまま出荷するだけでなく、この場で染めて製品にしてはいかが?」

「だ、だがそう言った物には設備投資が――」


 ここでパッと顔を明るくしたアンジェリカは、商売人の娘としてここぞとばかりに売り込んだ。


「ご心配なく。わたくしがお父様に取り次ぎ、我がルーベンス家が全面的にバックアップ致しますわ。まずは小さな染め物工場から始めましょう。評判が良いようなら拡大していけば良いわ」

「るっ、ルーベンスぅ!? まさかっ、あの大富豪の!?」


 ようやくこの高慢ちきが聖女などではなく……いやある意味では聖女よりも重要人物だと気づいた村長は腰を抜かした。だが疑わしい目を向けると人差し指を向ける。


「まさか、またワシをだますつもりじゃあ?」

「失礼ですわねっ」


 話にほとんどついていけず傍観していたニチカの横に師匠が並ぶ。解放されたウルフィも一緒だ。ようやく会えた安心からか、少女はしゃがんでモフモフの体を抱きしめた。


「ウルフィ! なんだか久しぶり。身体の方は大丈夫? ケガしてない?」

「ニチカ~、会いたかったよぉぉ」


 どうやら食事はしっかり与えられていたようで元気そうだ。と、いうか、別れる前より若干腹がたるんでいるような気がしなくもない。疑わし気な視線を向けながらニチカは尋ねた。


「……ちょっと太った?」

「でへへ~、逆らわなければトントン焼きとか、ビフステーキとかお腹いーっぱい貰えてー」


 もしかしてこのオオカミ、食べ物につられて誘拐されたのでは。そうこうしている間にアンジェリカと村長の話がまとまったらしい。一月後には宿の建設が始まるそうだ。それを聞いたオズワルドが感心したような、半ば呆れたような表情で言う。


「とんでもない手腕だな……」

「こういうお金儲けには興味ないの?」


 最近はなりを潜めているが、元来の守銭奴である彼にそう尋ねると呆れた顔で言われてしまった。


「バカ言うな。こういうのは十分な資金源とコネがあって初めて出来るんだ。いや、待てよ。あのご令嬢と玉の輿に乗れば……」

「えぇっ!?」

「よし行ってこい」

「私かい!」


 ぺいっと投げ出されたニチカはアンジェリカの前に落ちる。まぁ!と顔を輝かせた彼女はその手を取ると言った。


「ニチカ様、あと少しお待ちくださいね、家の者への引き継ぎが終わりましたらわたくしも出立できますわ」

「しゅっ……え、どこへ?」


 その問いに暴走お嬢様は決まってるじゃありませんの!と微笑んだ。


「わたくしもお供させて頂きますわ、手取り足取り誠心誠意お世話いたします。そしてゆくゆくは……ぐへ、ぐへへへへ」


 恍惚の表情でよだれを垂らした令嬢に、ぞぞぞと冷たいものか走る。ニチカは慌てて制止をかけた。


「ま、待った待った! 宿の経営はどうするの?」

「わたくしはお父様に提案するだけ。後は然るべき者に任せるつもりですわ」

「ついてきたら危険なんだよっ」

「お任せくださいな! わたくしの炎ですべて焼き払ってごらんに入れます」


 それに、とアンジェリカは自分を連れて行く利点を挙げた。


「ニチカ様が望むなら我がグループの総力を挙げてお手伝い致しますの。快適な旅ができるよう最高級馬車を用意し、各地の宿は全て手配し、必要とあらば護衛部隊を組ませますわ」

「うっ……」


 好条件に少しだけ気持ちがぐらついたが、心に喝を入れたニチカは熱弁を振るい続ける彼女の肩にそっと手を置く。


「アンジェリカ、ありがとう。その気持ちは嬉しいよ。でもね、今回の旅はちゃんと自分の足で歩いて、見て、聞いて、確かめなきゃいけないことなんだと思う。些細な変化も見落としちゃいけない、だからその申し出は受けられない」


 優しく、だがきっぱりと断られたご令嬢は一瞬だけ泣きそうな顔をする。だがしばらくして困ったような笑みを浮かべた。


「ご立派でございますわ……それでこそ精霊の巫女ですのね」

「あは、あはは、そんな立派だなんて、そんなことないと思うけどなぁー」

「ですが同行は許して頂けますわね!?」

「だぁぁっ」


 話の堂々巡りにズッこけそうになる。なんとか踏ん張ったニチカはある提案を思いついた。


「そうだ! それじゃあこうしよう」


***


「それではニチカ様ぁー、しばしのお別れですわーっ!!」


 街道の分かれ道。子供のように大きく手を振るアンジェリカに向けてニチカは小さく手を振り返す。彼女は満面の笑みでこう続けた。


「エルミナージュで学を修めた暁には、ぜったいぜったい追いかけますからねーっ!」


 ニチカの出した条件。それは彼女が一度逃げ出した魔法学校へきちんと入学することだった。


 最初は不満そうな令嬢だったが、嫌なことから逃げ出すようでは同行者の資格なしとウィルに説得されて考えを改めたようだ(その時の執事の熱の入りようと来たら……彼はこのチャンスを逃がすまいと必死だった)


 しばらく歩いたところでオズワルドが後ろを振り返り、見えたものを報告してくれる。


「まだ手を振ってるぞ」

「振り向かない振り向かない。私は前だけを見続ける」


 まるで青春の標語のような事を唱えながら少女は歩き続け、見えなくなったであろう位置まで来てようやく息をついた。


「さすがにあんな子を連れていけないよね……」


 決して悪い子ではないのだが、オズワルド以上のトラブルメーカーだと本能が告げていた。なまじ影響力があるぶん手に負えない。それでも胸を痛めていると師匠が横でポツリと呟いた。


「エルミナージュは大丈夫だろうか……」

(ああああ校長先生、メリッサもごめんなさいいい)


 ニチカは心の中でスライディング土下座を披露する。押し付けるようで申し訳ないが後の面倒はあちらで見て貰おう。もともと入学予定ではあったのだし。そう区切りをつけたニチカはふぅっと息をついて少しだけ口の端を吊り上げた。


「でも、何とか収まって良かった」


 歩きながら妖しく輝き続ける魔水晶を陽にかざす。アンジェリカから別れの品にと貰ったそれには予想通り『強欲』と書かれていた。放り上げて、炎の魔法を命中させる。砕け散った破片は落ちてくる途中でサラサラと崩れ、風に流れていった。一、二、三……と、指折り数えた少女は首を傾げる。


「これで残る魔水晶はあと三つ、なのかな?」

「行こー行こーどこまでも~」


 尻尾をゆらしながらウルフィが追い越していく。ふいに風が吹いてニチカが羽織った深紅のマントをばさりと翻らせた。村を出る時、牢に捕らえたお詫びと村長から渡されたクレナ染めの試作品だ。素直に喜んで受け取ったものの、オズワルドはその狙いを見抜いていたようで呆れたように言う。


「それもあの令嬢の入れ知恵だってな、お前を歩く広告塔にするつもりか」

「いーのっ、色合いは気に入ったもん」


 町や村を一つ通り過ぎていく度に、装備や思い出が増えていく。


(元の世界に戻ってもちゃんと覚えていられるかな……)


 忘れたくない。少女は強くそう願った。




 だがその願いは次の村でアッサリと覆された。できれば記憶から早く消してしまいたい出来事に遭遇するとは、まだこの時は思いもしなかったのである。

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