76.少女、男装する。
東の彼方から陽が顔を出し始める。眩しい朝日に少し顔をしかめたニチカはうっすらと目を開け、ねぐらにしていた茂みの中から体を起こした。うめきながら全身の動きを確かめる。
「うぅ、身体痛い……あーもう全身びっしょりだし」
明け方にかけて靄でも発生したのか、嫌な湿気で着ている服がじっとりと重い。今日は昨日と打って変わって爽快な晴れ空だった。薄雲が少しかかる明け方の美しい薄紫の空が広がっている。
「オズワルドー? 朝だよ」
少し離れたところで、同じように防水布を敷いて寝ていた男がのっそりと起き上がる。いつもの事だが寝起きが悪い。手にした眼鏡をぼーっと見つめた後、上下逆さまにかけている。疲労の取れないニチカはツッコミを入れる気にもなれず普通に言った。
「外しておけば? その方が昨日と印象違うと思うし」
髪の毛を後ろの高い位置でまとめたニチカは、スカートの代わりに簡素な短パンをはいてゆったりとしたチュニックをかぶる。パッと見は少年のようだ。オズワルドも黒いコートを脱ぎ捨て(平気で脱ぐものだから慌てて目をそらした)村人が着ているようなありふれた服に着替える。
元の服は目立たないところに干しておくことにして、二人はようやく森から出てきた。昨晩は結局追われる内に村から離れた森の中まで追いやられてしまったのだ。ようやく覚醒してきたらしいオズワルドが頭を一つ振って伸びをする。あくび混じりの声で彼は作戦会議を始めた。
「何かいい案は浮かんだか」
「なんにも。アンジェリカの持ってる魔水晶を破壊しちゃえばいいんだけど、かなり警戒されてるだろうし『隠れ玉』を使っても近づくのは難しいだろうなぁ」
遠距離でスナイプできる手立てがあればいいのだろうが、生憎少女の得意とする魔法は広範囲近距離系ばかりだ。増幅装置である杖も取られてしまっているため、狙撃は困難だと思われる。誤って焼き殺しても悲惨なのでそれは止めておいた方が良いだろう。ため息をついたニチカはオズワルドに聞き返した。
「そういうそっちは何か策があるの? そういう小細工はあなたの方が得意でしょ」
「狙撃がむりなら説得か、もしくはあの執事に盗ませるとか?」
二人の脳裏に、高慢ちきに笑うアンジェリカと気弱でおどおどとしたウィルの姿が浮かぶ。どうにも成功するビジョンが浮かばないのはなぜだろう。拭えない不安を考慮し、オズワルドは別の切り口から攻めることにした。
「要はあのお嬢様がニセモノだと暴いて、お前が本物だと証明できれば良いんだろ? 信用を地に落とす方法か……何度かやったことは有るが」
そういうことが得意なのもどうかと思うが、言ったところで何倍にも返ってくるのは経験済みなので黙る。顎に手をやり考えていた男はこう続けた。
「今のままでは少し手札が足りない――なんだ?」
ふいに微かな振動が地面を揺らし始める。見れば向こうの丘のふもとを大量の茶色のマモノたちが通過していくところだった。ニチカが驚いたように目を見開く。
「あれってイノシシ? すっごい数……」
「ドドンガガか。知能が低くて前を走る個体にひたすらついていくマモノなんだが、ある習性があって」
そこで言葉を止めたオズワルドはニヤリと笑った。少年が悪だくみを思いついた時のような表情に嫌な予感がする。予想違わずとんでもない作戦が発表された。
「ひらめいた。あれを村にけしかけるぞ」
「嘘でしょ!?」
「ドドンガガは赤い物めがけて突進していく習性があるんだ。それを利用する」
だんだん師匠の動向が予想できるようになってきた事にニチカは何とも言えない気持ちになった。だが気を取り直すと色々と確認し始める。
「それって安全なの? ケガ人が出たりしないよね?」
「畑が一つダメになるかもしれんがまぁそこは許容して貰おう。あの偽聖女にこのまま搾取されるよりはマシだろ」
オズワルドの作戦はこうだった。赤い布でドドンガガを誘導し村の畑に突っ込ませる。手に負えないマモノの暴走に、村の者たちは滞在している『精霊の巫女』を頼るはずだ。だが所詮は箱入りお嬢様。どうにもできずに困ったアンジェリカが村人たちの信用を失ったところでニチカが登場し、颯爽とマモノたちを追い払う。数時間後にはアンジェリカの方が牢屋に入っているはずだ。
しかしニチカは計画を聞いても不安を隠せなかった。それにどうにも何か大事な事を忘れているような気がする。思い出せないモヤモヤを抱えたまま口を開いた。
「そんなにうまく行くかなぁ? だいたい、赤い布なんてどうやって用意するの?」
「あるだろう、いい材料が」
言われて「あ」と、小さく声を上げる。自信たっぷりの師匠は作戦を開始した。
「村に行くぞ。情報操作をして来い」
***
ブロニィ村の朝は早い。田舎全般に言えることだが畑仕事をするため村全体の生活リズムが前倒しになっているのだ。村のメインストリートもそれに合わせて動き始める。店の看板を表に出したパン屋のおかみは、同じように看板を出しに来た隣の靴屋のおかみと目が合うといつものように噂話を始めた。
「ねぇ、聞いた? 昨日の聖女さまのコンサートに乱入してきた旅人が居たでしょう?」
「捕まえられて牢に入れられたっていう?」
「えぇそう。それが昨日の内に逃げ出したらしいのよ! でね……」
クククと笑ったパン屋のおかみは、内緒話をするように声を潜めた。
「それがわかったとき、牢に何が居たと思う? イヴンの旦那さんが下半身丸出しで眠りこけてたんですって!」
「うそー! 何それ、どういう状況?」
「ホント、笑えるわよねぇ」
おしゃべりに花を咲かせていると、いつの間にか目の前に帽子をかぶった少年が表れた。村では見ない顔だったが、大きめのキャスケットからのぞく顔が可愛らしくおかみたちはすぐに警戒心を解いて話しかける。
「おはよう、お使い?」
「おはようございますっ、そうなんです。親分から言いつけられちゃって。頑丈なレインブーツを二足頂けますか?」
「レインブーツね、はいはいあるわよ。大きさは? 僕がつかうの?」
少年の物と、男性用の二足を用意した靴屋のおかみは紙ぶくろにそれを包みながら怪訝な顔をした。
「だけどこんないい天気なのにレインブーツなの? 他にいくらでもあるわよ?」
そう尋ねると、少年は代金を手渡しながら自信満々にうなずいた。
「いいんです。親方はそりゃあ天気を予知するのが上手くて、なんでも朝鳴き鳥が遅めに三回、早めに二回を繰り返し鳴くと、その日はどんなに天気がよくても昼過ぎから絶対に土砂降りになるそうです。奥さんたちも気をつけた方がいいですよ。じゃっ!」
ぺこりと会釈した少年はそのまま駆けていく。顔を見合わせたおかみたちは今日の品ぞろえを少し変えることにした。それぞれの店に引っ込みながら主人に話しかける。
「あなたー、今日は昼過ぎから雨ですって。あったかい惣菜パンの方が売れ行きがいいかもよー」
「レインブーツの在庫、倉庫から出してこなきゃ」
***
収穫直前のクレナの葉は強い雨に当たると痛んで商品価値が下がってしまう。そのため雨が降りそうになると葉の上に布を張るのがブロニィ村の常識になっていた。段々畑の中、白い厚手の布をかけていた二人組がそこそこ快晴の空を見上げながら雑談を始める。
「ほんとに雨なんか降るのかねー?」
「おっかぁが言ってただ。パン屋の女将が高名な旅の占い師に占ってもらって、今日は絶対に昼過ぎから土砂降りだって」
噂と言うのは得てして尾ひれが付きがちなものだが、話題が少ないこの村では特にそれが顕著だった。昼前にはパン屋の女将が高額を出して占って貰った事になっていた。
もうお分かりだろうが、先ほど少年に変装していたのは師匠から指示を出されたニチカである。あんな単純な作り話一つでここまで人を動かしてしまうのだから、噂と言うものは恐ろしいものだ。村人たちは、だいたいの面に布を張り終えた段階で額の汗をぬぐった。
「しかし蒸すなぁ」
「仕方ねぇよ、昨夜は変な天気だったからなぁ」
足元のぬかるみに気をつけながら二人で残りの布を張っていく。その時、作業をしていた片方がその異変に気づいた。
「お? なんだあれ」
丘の上を駆け抜けて茶色い大群が迫ってくる。この辺りではよく見かけるマモノなのだが、問題なのはそれがまっすぐこちらに向かって来ている事だった。
「うわ、うわっ、ドドンガガだああ!!」
***
アンジェリカはふかふかのシーツの中で甘い夢を見ていた。自分好みの美形をたくさん侍らせて優雅に紅茶を飲む夢だ。
『アンジェリカ様、遠方より取り寄せた珍しい砂糖菓子でごさいます』
『あら、ありがと』
後ろから銀盆を差し出してきた黒髪の男が微笑む。どことなく昨日牢から逃げだした男に面影が似ているような気がする。あの男は平凡な自称巫女には勿体ないくらいの美形だった。もう一度捕まえることができたら自分の下に付かないか持ちかけてみよう。欲しいものは全て手に入れなければ気が済まない。それができるだけの実力と才能を自分は備えているのだから。そう考えながらアンジェリカは砂糖菓子をつまんで男に薦め返す。
『あなたもいかが?』
『ありがとうごさいます。ですがわたくしはこちらの砂糖菓子の方が……』
ぐっとアゴを掴まれ振り向かされる。整った顔が近づいてきて――
『あ、いけませんわ、そんな……』
めくるめくロマンスが始まりそうだったその時、いきなり乱入してきたダミ声がフワフワの夢をひっぱたいた。
「聖女さまあああああああああ!!!」
一気に覚醒したアンジェリカは、身体を起こして入り口の方を向く。扉を猛烈に叩いているのが村長だと分かった途端、頭に血が上った。
「うるさいですわよ! 朝っぱらからなんですのもうっ」
態度を取り繕うことも忘れ鍵を開ける。するとブサイクに泣き崩れた村長がなだれ込み、足にすがりながら懇願を始めた。
「聖女様どうかお助けくださいませ! マモノが! ドドンガガが!」
「はぁ?」
その後ろからのっそり現れたウィルが困ったように告げた。
「村の入り口のクレナ畑に、大量のドドンガガが押し寄せているらしいんです」
***
手早く着替えたアンジェリカは、屋敷のすぐ裏の段々畑のふもとに来た。視線をあげれば知らせ通りにドドンガガたちが収穫直前のクレナ畑の間を走り抜けている。その数、十数匹。揉み手をして待ち構えていた村長が顔中の筋肉を歪ませながら叫んだ。
「早く追っ払って下さい、これ以上被害が広がると村の収入が! ひいては私への給料が!!!」
「わかっていますわ、追っ払えばいーんでしょ追っ払えば!!」
叩き起こされてイライラしていたアンジェリカは、あの少女から奪った杖を構えた。そしてよく考えないままに自分の一番得意とする魔法をぶっ放す。
『フレイムバースト!!』
杖の先端に取り付けられた魔導球が一瞬まぶしいほどに輝く。グッと反動が起こり、自分の中の魔力が一気に引きずり出される感覚がする。
「え――?」
驚いた次の瞬間、爆発するような炎が杖から発射された。制御できない魔法はあちこちを炙っていく。予想だにしない威力にアンジェリカは完全にパニックに陥っていた。
「キャァアア! キャアアアアア!?」
「な、なにをなさっておいでか聖女様!」
辺りの気温は一気に上昇し、空気中の水分が蒸発し始めた。クレナの葉は自然と蒸される形になり、上に張られていた布に色素が移り始める。この世の終わりのような声を出した村長が頭を抱え叫んだ。
「あああああっ!? 商品が!」
「アンジェリカお嬢様、おやめください!」
「止まらないのよ!」
執事のウィルが後ろから叫ぶが、赤く輝く魔導球はアンジェリカの内なる魔力をすさまじい勢いで魔導へと変換していった。
ブモッ!?
そして事態はさらに悪化した。鮮やかに赤く染まった布を見たドドンガガ達がさらに興奮しだしたのだ。いつの間にかその数も手に負えないほどに増加している。村長の裏返った悲鳴がクレナ畑に響き渡った。
「聖女さまああああ!!」
***
さて、そろそろ仕込みに行くかとやってきた師弟は、到着するなりその場の惨状に言葉を失った。計画では自分たちでこっそり畑を蒸して赤い布を作る予定だったのだが、まさかアンジェリカが炎魔導を扱えるとは。ニチカの中で引っかかっていた事がようやく解ける。
「そういえばアンジェリカお嬢様、魔法、使えたんだ……」
――本物のアンジェリカ・ルーベンスは、魔導の腕はともかく、座学はとても苦手と聞いていましたから
グリンディエダ校長のコメントが少女の頭の中でリピートされる。隣のオズワルドはそれを聞いて頭を抱えた。
「そういうことは早めにだな……」
「それより、どーすんのこれ!?」
どうみても想定していたよりも被害が甚大になっている。師匠の顔にも「こんなはずでは」という文字が浮かんでいた。
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