75.少女、画策する。

 一瞬だけ部屋が静まり返る。少女は自分の血がサァァと引いていく音を聞いたような気がした。


「だ、誰ですの!?」


 アンジェリカお嬢様の悲鳴が響く。いち早く我に返ったオズワルドがニチカの襟元をひっつかみベッドの下から飛び出した。引きずられる最中、驚いたような顔をしたウルフィと目が合う。その首には見覚えのない黄色い首輪がはめられていた。バウッと一声吠えたオオカミは驚いたように目を見開いた。


「ニチカ? ご主人っ!?」

「ウルフィ!」


 彼はこちらに来ようとしたのだが、執事に首環の紐を引き戻されてしまった。一瞬それを火炎弾で焼き切ることも考えたがなぜか師匠に止められる。


「どうやって牢から脱出したんですの!? 捕まえてっ」


 そう叫ぶアンジェリカの胸元に、紫の水晶が揺れている。だが確かめようとしたときにはもう、開け放たれた窓から飛び出していた。オズワルドの単純な命令で意識をひっぱたかれる。


「飛べ!」

「ひぃっ!?」


 ニチカはほとんど無意識下で腰のホウキを外す。気づけば二人は星のない夜の下を猛スピードで飛んでいた。


***


 さきほどの木立の中に戻ってきた師弟は、ほとんど自由落下に近い形で着陸した。ザッと、とび降りたオズワルドの横で、疲労困憊した少女がボテッと地に落ちる。頭に葉っぱを付けたニチカは暴れる心臓を抑えながら苦情を言った。


「ぜ、はぁ、いきなり飛べとか、無茶ぶりやめてよね……っていうか、自分で飛べるんだからホウキの一本くらい持ってよ」


 だが頑なに飛ぶことを拒否する男はその提案をあっさりと却下した。


「断る。疲れるから嫌だ」

「だからって私にぶら下がるな!」


 相変わらず男女逆転の労働作業である。ようやくホウキを小さくした少女は、屋敷に振り返り追手が来ていないかどうかを確かめた。ポツポツと火が灯り始めたところを見ると捜索隊が組まれたのだろう、このまま見逃しては貰えなさそうだ。木の影に身を隠しながら師匠に問いかける。


「どうして止めたの? あの紐さえ焼き切っちゃえばウルフィなら簡単に逃げられたはずでしょ」

「いや、それはマズい」

「え?」


 バツの悪そうな声にそちらを見る。微妙に視線を逸らしたオズワルドは、後ろめたい事でもあるのか頭を掻きながらボソボソと呟いた。


「アイツの首に黄色い輪があっただろ?」

「あのゴツゴツした首輪?」


 そう言われて先ほどの光景を思い出す。何やらアゴの辺りに箱のような物がついていたような気がするが?


 内緒話でもするように身を屈めた師匠は、握り拳をニチカの眼前に持っていき、パッと開いた。


「あの箱には爆薬が入ってて、スイッチ一つでボン!と……」

「…………」


 ニチカは目を一つ瞬く。一目見ただけで仕組みが判るということは、つまり――。言葉の意味するところを理解した瞬間、少女は思わず目の前の男を指して叫んでいた。


「製作者ーっ!」

「ええいうるさい! 俺だってこんなところで使われているとは予想外だ!」


 分が悪くなったオズワルドは、むすっとした顔で腕を組み、何やら弁解を始めた。


「言っておくがあれは売り物じゃないんだ。趣味で作ったようなもの――」

「趣味で作らないでよそんなもんっ!」


 そんな倫理ギリギリの物を作って何に使うつもりだったのか。そこは気になったが、ふと冷静になってニチカは問いかける。


「売ってないなら、どうしてここにあるわけ?」

「そこなんだよな。作ったはいいが特に使うでもなく放置していて、興味を持ったシャルに二つ、三つ譲ってやった他は……」


 同時にハッとした二人は同じタイミングでうめいた。あのお嬢様は配送業シャルロッテの上客ではなかったか。


 先に頭を切り替えたのはニチカだった。顔を上げ勇ましい表情をとる。


「仕方ない、とにかく情報があるのは良しとしましょう。物事は前向きに考えなきゃ」

「もう置いてっても良いんじゃないか、アイツ」

「それ本気で言ってたら殴るからね」


 少女はジト目でにらみつける。そんな弟子にオズワルドは冗談だと返そうとした。が、茂みからのっそりと現れた影に言葉を失う。


「え、なに」


 師匠の視線の先を振り向いたニチカは、自分のすぐ背後でぬぼーっと立つ人影に悲鳴を上げた。


「きゃああああ!!」

「ああああすみませんすみません!! 驚かせるつもりはなかったんです申し訳ありません!!」


 慌てて飛び出して来た青年は地に頭を擦りつける。その姿には見覚えがあった。地味な風体に茶髪、とって着せられたような黒いローブ、全身からにじみ出る「下っ端」感がすさまじい彼は


「えっと、ウィルさん……でしたっけ」


 オズワルドが成り代わっていた執事のはずだと思い出し、ニチカは声をかける。だが彼はなぜか震え上がった。


「ひぃぃ!! なぜ僕の名前をご存じなのですか! あっ、あれですか! これを上のお偉いさんに報告してニセモノを捕らえるつもりなんですね! ああああごめんなさいごめんなさい僕は無理やりお嬢様に付き合わされてるだけなんですそもそも屋敷を出た時点で相当嫌な予感はしてたんですけど僕は両親が世話になってるから逆らえなくてですねお許しくださいお嬢様もあぁ見えて本当は素直な良い子なんですただちょっと今は欲に目がくらんでると言いますか平たく言うと家出の資金繰りに必死になってるだけで決して精霊の巫女様を貶めようだなんてそんな大それた考えはもしかしたらほんのちょびっとは持ってるかもしれませんけどいやいやいや! まさかそんな」


 放っておくと永遠に謝罪し続けそうなウィルを前にして、オズワルドがイラッとしたように言う。


「おい、黙らせていいか」

「話がこじれるからやめて」


 それをやんわりと制したニチカはため息をついた。頭を打ち付けながら必死に謝罪する執事はしばらく止まりそうにない……。



 放っておくと謝罪しながら頭をそこらへんの木に打ち付け始めるので、執事の身体をロープでグルグル巻きにして転がす。なんだか追うものと追われるものが逆転している気がするが気にしてはいけない。自分にそう言い聞かせたニチカは改めて執事に確認をとった。


「それじゃあ、その紫水晶を買ってからアンジェリカはおかしくなったのね?」


 気の弱そうな執事は、壊れた人形のように首を振ってそれを肯定した。


「はいぃぃ、風の里に入る辺りだったでしょうか、白いローブを着た行商人から声をかけられて格安で譲り受けたんです。あのペンダントを受け取った辺りから、お嬢様はその、元から欲深な方ですが更にエスカレートしているような。詐欺まがいのことを平気でしますし、ご自身の容姿を利用して精霊の巫女を騙るまでに……」


 聞けば聞くほど怪しすぎる。時間的に考えてもしっくりくるし、もう疑いようがなかった。ニチカは隣の師匠を見上げて確かめるように言う。


「たぶんその行商人っていうの、ファントムだよね?」

「だろうな」


 話を聞く限りではおそらく『強欲』の魔水晶だろうか。どう破壊しようか考えあぐねていると、村の方からドヤドヤと捜索隊が押し寄せてきた。


 ――どこですのー!! 無駄な抵抗はやめて大人しく出てきなさい!!


「うわっ」


 高らかなお嬢様の声に、慌ててその場を逃げ出す。しばらくして背後から「まぁっ!」という大仰な声が聞こえてきた。


「なんてことですの! 皆さま御覧になって? わたくしの連れをこんな簀巻きにするなんて卑劣極まりありませんわ! もう許せません、神の名の元に成敗いたします!!」


(んも~~~っ!!)


 どちらにせよ、今夜は屋根のあるところで眠るのは難しそうだ。どこにぶつけたらいいか分からない怒りを発散するように、ニチカは地を蹴った。


***


 ちょうどその頃、ブロニィ村から遠く離れた北の大陸ではある事件が起こっていた。正確に言うと『北の大陸の遥か上空』でだ。


 どこまでも広がる雲海の上を、美しい黒い竜が飛行していた。その背に仰向けで寝ていた少年がフードのえりもとを掻き合わせながら白い息を吐く。


「うー寒ぅ。まったくもう、寒いのなんてキライだっ、あーでもこう言うところだと温泉が気持ちいいだろうな~、雪見温泉! いい! それいい!」


 明るい声を出した少年は、はしゃいだように転がると竜に向かって話しかけた。


「よし、帰りにどっかの水脈ブチあてて温泉入ってこっか、ヴァドニール」

『ヴゥゥ?』

「きもちいーんだよー、僕が元いた世界では猿だって温泉に入るんだ。竜が入ってもおかしくないって。やっぱりー温泉はさいこうだよねぇ、持ち運びできる温泉とかあったらいいのになー」


 青い月の光が黒々としたウロコに反射し、竜が羽ばたく度に滑らかな光の波がその表面を走った。


 その時、黒竜がピクリと反応して警戒音を飼い主に鳴らす。起き上がったファントムはその鼻面の向こうに白く輝く鳥を九羽発見した。両の翼を広げた長さは黒竜よりも大きく、生気のない眼は雪で出来ているようだ。


「ありゃ、ガーディアン? さすがに易々と侵入はさせてくれないか」


 さすがは閉ざされた北の国。とつぶやいた少年はパッと身体を起こすと実に楽しそうに命令をだした。


「よぉーしやっちゃえヴニ! 『かえんほうしゃ』だ! なんちって」


 カパッと口を開けた黒竜から暗黒の炎が吐き出される。よける間もなく巻き込まれた三羽が一瞬で蒸発した。辛うじて避けた二羽も熱の余波でドロドロに溶け始める。


「おぉ、タイプ一致で四倍? それにしても――」


 形を保てなくなった鳥たちが地表へ落ちていく。だが残りの鳥たちは特に感情を示すでもなく淡々とこちらに向かって攻撃をしかけてくる。どうやら生き物ではなく雪と氷で出来た戦闘人形らしい。それに気づいたファントムは口を尖らせ言った。


「ちぇ、魂がないんじゃ闇のマナを回収できないじゃんか」


 空中旋回する黒竜にやすやすと掴まりながら、彼は片手を掲げる。構えたその指先には巨大な火の輪が回転していた。


「ま、たまには僕も本気を出さなきゃね……っと!」


 バッと放った火輪が巨大化し、残りの鳥たちをまとめて切り刻む。ガーディアンをあっさりと撃破した少年は手放しで喜んだ。


「やったぁ、僕の勝ちぃ~」


 だがひときわ強い風にさらされてブルリと身を震わせる。フードを掻き合わせたかと思うと腰につけたポーチを漁り始めた。


「うがぁ、んもーさっさと片づけちゃおう。えっと確かこの辺りに」


 そうして引き出したのは一握りもある大きな水晶だった。軽く表面を撫でたかと思うと無造作に投げ捨てる。厚い雲に吸い込まれたそれはすぐに見えなくなった。ニィと口元を歪ませた少年は遥か下にあるはずの白い大地に向かって呟く。


「かつて南の大陸全土を相手に互角、いやそれ以上に戦った『白の国』。今は閉ざされて他国との交流を一切絶ってるけど、さぞかし深い欲が渦巻いているんだろうねぇ」


 これが最後の魔水晶だ。少女がこれから行きそうなルートに沿ってバラまいて来たがここが本命とも言えた。彼女がいずれここに来ることは分かっている。そこで声のトーンを落としたファントムはその標的のことを思った。


「憤怒、怠惰、嫉妬が壊されて、後四つ……結構しぶといな、あの子も」


 いかにもお人よしで騙されやすそうな少女の顔が浮かぶ。直接的な恨みはないが、イニに肩入れしている時点で同罪である。少年はじっと自分の手を見つめる。それまで愉快そうに発していた声に、初めて苦悩の色がにじんだ。


「僕を切り捨てた世界なんか、要らないんだ」


 主人のことを気遣った黒竜が小さく鳴く。ハッとしたファントムはその首を抱きしめた。


「ごめん、ヴァドニールの事は大好きさ。さぁ見つからないうちに離れようよ、あ、ちょっと開けた人気のないところに行って。温泉掘ろう、温泉」


 いつも通りに戻った主人に、黒竜はホッとしてスピードを上げる。温泉とやらに密かに心躍らせながら降下すべく雲の中に突っ込んだ。

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