69.少女、上げて落とされる。

 ひっくとしゃくり上げるニチカは、それでも魔力を注ぐことを止めなかった。その量がすでに『元々のランバールの許容量』を遥かに超えているとも知らずに。


 風のマナたちが溢れ出た魔力を目当てに続々と集まる。そちらを見た少女は目を見開いた。蛍火のようにわずかだった灯りが、今や眩いほどの光になっている。余りのまぶしさに思わず目を瞑ると、シルミアが信じられない、と小さくつぶやいた。


「魂の昇華……」

「え?」


 そちらを振り返った直後、切に聞きたいと願っていた声が響いた。


「っとに、お人よしっていうか、バカ素直って言うか」


「あ……」


 ゆっくりと目を開けたランバールは、深緑の瞳でニチカをまぶしそうに見上げていた。


「だからオレみたいなのに利用されちゃうんだよ」

「ラン……くんっ」

「あのね、フツー自分を殺そうとしたニンゲンを生き返らせようとなんかしないでしょ」


 幻でも何でもない。自分の知っている青年が確かにそこに居る。頭を優しくポンポンと叩かれ、その温かさに涙がこみ上げた。


「ありがとう、助かった」

「う、うわぁぁあ!!!」


 その首にしがみ付いたニチカは声の限りに泣いた。



 こんな自分にもできることがある。


 奇跡は起きるのだ。


 諦めなければきっと。


***


 と、思っていたのだが


「なーにが奇跡だこのアホ!」


 翌日、シルミアの家の客室で師匠にどなられニチカは首をすくめる。それだけの動作なのにくらりと来て、再び枕に頭から倒れこんだ。


「ううう~、ふらふらするぅぅ」

「バカだろ、自分の限界を考えもせずに魔力をそそぐ奴があるか、この向こう見ず」


 ぴしゃっと冷たいおしぼりを投げつけられ、のろのろと額に移す。その間もオズワルドの口撃はとどまることを知らない。


「間抜け、自信過剰、身の程知らず、聖女気取り」

「そんなに言わなくてもいいでしょぉぉ……」


 悪口のオンパレードに身体だけでなく気分まで滅入ってくる。



 結局あの後、ランバールに倒れこむようにしてニチカは気絶した。目を覚まして最初に感じたのは猛烈な倦怠感、そして吐き気だった。限界を越えて魔力を放出するのは魂をすり減らすのと同じこと、傷ついた魂は休息を求め、こうして横になっていると言うわけだ。


「涙を一つこぼしてちょいと祈れば復活か? ハッ、まさにお望み通りの手垢のついた展開だな」

「何が言いたいのよぉ~」


 なのに先ほどからこの男はぐちぐちとイヤミったらしく言ってくる。なぜこれほどまでに言ってくるかというと――


 ビシリと少女の額に指を突きつけたオズワルドは、ここぞとばかりに苦言を言い渡した。


「まっっったくの無意味な行為でブッ倒れるとか、アホ以外の何物でもねぇんだよ! ぶぁぁぁーか!」

「それ、言わないでよぉぉ!」


 そう、あれだけ努力したというのに、魔力を注いだ事はランバールの復活とはまったくの無関係だったと言うのだ。


「まーだお説教つづくんスかーセンパイ」


 扉を開けて入ってきたその張本人は、サイドボードに氷の入ったタライをトンと置いた。半目のままそちらを見たオズワルドは呆れたように言った。


「お前が一番怒るべきなんじゃないのか、このおせっかいのせいで『肉体に捕らわれた精霊』になったんだからな」

「ぐ、ぐぅぅ……」


 ニチカはグゥの音も出ないほど今回の失態を思い知らされうめき声を上げた。聞けばあのまま放っておいてもランバールは精霊として復活していたらしい。そこをニチカが肉体を正常な状態に治した上、魔力をこれでもかと突っ込み大量の風のマナを引き寄せてしまった。結果、戻ってきた魂は親和性の高い元の肉体に引き戻され――そして世にも珍しい半人半霊が誕生したと。そういう事らしい。


 だが当の本人はケロリとしたもので、人間だった頃と変わらず軽い調子で答えた。


「やー、でも今んとこ不都合はないし、不満はないッスよ。むしろ人間らしい精霊になれて感謝してるというか」

「ほ、ほんと?」


 慰めの言葉に救いを求めてニチカが顔を向けると、後ろからドスッとチョップを落とされた。


「アホか、ちゃんとした精霊になれてたら今とは比べ物にならないくらい便利だったんだ。肉体の枷がないからどこへでも自由に移動できるし、ほぼ不老不死になれたっていうのに」

「ほんとにごめんなさいぃぃぃ」


 合わせる顔がないと布団に突っ伏すと、苦笑したランバールはこう言った。


「良いんだって。それにやっぱり精霊に昇華できたのはニチカちゃんのおかげでもあるんだよ」

「?」


 ベッドに腰掛けた彼は、風の精霊となったことで変化した緑の瞳で優しく微笑んだ。


「あの時、必死になって呼びかけてくれただろ? オレはあの声を頼りに戻ってこれたんだ」


 頭に手を乗せられ撫でられる。それはとても愛おしげな手つきだった。


「復讐しか頭になかったオレがようやく気づいたんだ。この泣いてる女の子をこれ以上悲しませちゃいけない、戻らないとって」

「ラン君……」

「本当に裏切って嵌めようとしてごめん。もう二度とあんなことはしない、誓うよ」


 これまでとは違う真剣な顔で言われ顔が熱くなる。その後ろで師匠が面白くなさそうな顔をしていたが、ニチカは気づかなかった。腕を組んだオズワルドは頃合いを見てランバールに話しかける。


「で、どうするんだこれから」

「それなんスけど」


 だが言葉を遮るようにして、扉をすり抜けて入ってきた人物が騒々しくがなり立てた。


「ラン! こんなところに居たか!」

「げっ!」


 相変わらず風をまとったシルミアは、美しい顔に青筋を立てながら迫ってきた。


「僕の授業から抜け出すとは何事だ! 仮にも風の精霊となったとは言え半人前、これから跡継ぎとしてビシバシ鍛えていくからな、覚悟したまえ!」


 つまりランバールは授業を抜け出してニチカの見舞いに来ていたらしい。一瞬目を泳がせた彼は、ダッと窓に駆け寄ると二階の窓から飛び出した。


「待ちたまえ! この僕から逃げられるとでも思っているのか!」


 すぐさまシルミアが後を追い、壁に突入して消える。残された二人はあっけにとられながらポツリと呟いた。


「……ありゃランバールが不利だな」

「う、うん」


 大きくふくらんだカーテンが明るい陽射しの中で揺れる。平和を取り戻した風の里は、今日も穏やかに風が吹き抜けていた。


***


 結局、ニチカが起き上がれるようになったのはそれから二日ほど経ってからの事だった。


 だいぶ調子が戻って来たので、旅の間に溜まった洗濯物をシルミアの家で洗わせて貰うことにする。流しで衣類に石けんを付け、ゴシゴシと洗うのは爽快だ。汚れてた物が綺麗になっていくのは見ていて気持ちいい。大判タオルをパンっと干して飛んでいかないようにクリップで止める。ここなら日当たりもいいしカラッと乾くだろう。借りてた洗濯カゴを持ち上げた少女は、ようやく質問に答えた。


「だって『ランバール』って長いじゃない。年上の男性を呼び捨てにするっていうのもアレだし、普通の呼び方じゃない?」


 振り向いた先には、黒い長身がソファにだらしなく寝そべり仏頂面を向けている。なぜかオズワルドはニチカの『ラン君』呼びが気に入らないらしく、先ほどからやたらと突っかかって来ているのだ。フンと鼻を鳴らした師匠は両腕を枕代わりに組み仰向けになる。不機嫌さをにじませる声で会話は続いた。


「命を狙われたっていうのによくもまぁそんな呑気な呼び方ができるもんだ。そもそも最初は呼び捨てだったじゃないか」

「だってそれは、あの時は面と向かって会ったこともなかったし……」


 この人は何を怒ってるんだか。呆れたニチカはカゴを元の場所に返しに行く。戻ってくるとオズワルドはそのままの体勢で目を閉じていた。何気なくそばに座りこんでジーッとのぞき込んでみる。ふと目元を食い入るように見つめる。この前、睫毛が白銀に輝いてるような気がしたが、気のせいだろうか。


 視線を感じたのか師匠が目を開ける。のぞき込んでいる少女と目が合うと形のいい眉を寄せた。


「何を見ている」

「別に」

「襲うぞ」


 ニチカはサッと身を引いて安全距離を確保する。まぁ本気ではないとは分かっているが、一応のリアクションだ。気だるげに上体を起こしたオズワルドは、今度はこんなことを言ってきた。


「年上の男を呼び捨てにできないとか言ったな、俺は違うのか」


 そこに戻るのか。やけにこだわるなと思いつつニチカは冗談半分に笑い飛ばした。


「まさかとは思うけどオズ君なんて呼ばれたいわけ?」

「……」


 自分で言っておきながらオズ君と言う響きがおかしくて吹き出しそうになる。その気配を感じたのだろう、師匠の眉間のシワがより一層深く刻まれた。


「……不愉快だ」

「ほらね、それに最初に出会ったとき『気安く呼ぶな』って言ってたじゃない。だから師匠」


 そう結論付けると、しばらくした後オズワルドはブスッとした顔のまま立ち上がった。旅の物資を点検していたニチカは顔を上げ尋ねる。


「どこいくの?」

「適当にぶらついてくる」

「じゃあ私も! そろそろ外にでないと身体がなまっちゃいそうなの。連れてってくれる?」


 なにしろずっと篭もりきりだったのだ。散歩から始めるのもいいかもしれない。こちらをチラッと見たオズワルドは、そっけなく一言だけ寄越して部屋を出た。


「好きにしろ」

「待ってよ、待ってよ、ししょーっ!」


 少女は慌ててカーディガンを羽織りその後を追った。

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