68.少女、嫌悪する。

 風の里レースは大波乱の内に終結した。我に返った住人たちが、先ほどまで振り回されていた感情を恥じながら揉めていた相手と謝罪しあう。


 そんな気まずい雰囲気が漂う中、血相を変えて地上に降り立ったニチカは、地面に転がる黒い物体を目にして息を呑んだ。人かどうだったかも分からない黒焦げの塊は辛うじて生きていた。胸の辺りは微かに上下し、焼けただれた手には風のオーブだった破片が突き刺さっている。駆け寄らなければという気持ちと、どう見ても死体なのに生きている物体への恐怖が少女の中で天秤にかけられ揺れ動く。


 これはなんだ、ほんとにあの屈託なく笑っていた青年なのか?

 これは生き物? まだ生き物? それともただの炭素?

 者? 物? 人とはなんだ、何をもってヒトたらしめるのか?


 吐き気がこみ上げて一歩後ずさった時、ひゅうひゅうと漏れるような息の合間に自分を呼ぶ声がした。


「っ、ら、ラン君!」


 天秤が傾いた。恐怖心をすり潰したニチカはその側に膝を着く。それでも手がブルブルと震え、触るのをためらう。


(いやだ、気持ち悪い、触りたくない)


 白い骨がむき出しになっていて、人体の焦げる臭いが鼻にツンと来る。変わり果てた姿にどうしたら良いか分からず涙がこみ上げて来た。


「う、うぅぅー……」


 何が精霊の巫女だ、自分が本当にそんな立派な人物なら、迷わずこの焦げた肉を抱きしめてやれるだろうに、嫌悪する気持ちが勝ってしまっている。自分は聖女にはなれない。お話のように、清廉なヒロインにはなれないのだ。


 そうニチカが自覚した瞬間、どろりと、形容しがたい気持ちが彼女の心の奥底で蠢いた。なぜだろう、前にもこんな思いをした、ような、


「ひっ!!」


 突然、焦げた肉に手首をガッと掴まれ、ニチカは悲鳴をあげて振りほどこうとした。だが驚くほど強い力がそれを許さない。目すら潰れたランバールは、ぎこちない動きで反対側の手に握っていた物をニチカの手の甲に触れさせた。


「え……?」


 意図が分からず戸惑っていると、ポーンとリストから軽い音が上がり、一番右端の最後のチェックポイントが点灯する。


 ――ゆうしょう おめでとう


 黒焦げの口の動きを読んだニチカは、雷に打たれたような衝撃を受けた。ランバールは、いや、ランバールだった物は、手を落としそれきり動かなくなった。


「あ……ぁ……」


 叫ぼうとした声は音にならず、少女は崩れ落ちる。


「――――っ!!!」


 声にならない声は、どんな叫びよりも悲痛だった。





 しばらくしても嗚咽が止まらない少女を、オズワルドは黙って静かに見守っていた。その時、背後から流れるような声が響く。


「『それ』は、ランバールかい?」


 はじかれたように振り向く少女の視線の先に、緑の髪をなびかせた精霊の姿があった。ハッとして立ち上がったニチカは、ほとんどしがみつくように彼の服に掴みかかる。


「シルミア様! お願いです、ラン君を助けてくださいっ!!」


 だが風の精霊は少女の手に付けられたリストを一瞥すると、固い笑みを浮かべこう言い放った。


「今年の優勝者は君だね。それでは約束通り魔導球に力を分け与えよう」

「え……」


 呆然とする少女の額に手をかざし、シルミアは何かを呟く。優しい緑の風に包まれたかと思うと、魔導球に緑の光が渦巻いた。彼は落ち着いた口調で続ける。


「さぁこれで女神復活にまた一歩近づいたわけだ」

「なん、で? どうして?」


 その余りの落ち着きぶりに、ニチカは半笑いになって一歩下がる。それでもシルミアは冷静なままだった。


「何がかな?」


 冷たい一言にニチカの目からぶわっと涙が噴き出る。怒りさえにじませる声で叫びながら、少女は後ろの死体を指した。


「あそこに転がってるのが誰なのか、あなたなら分かるでしょ!? たとえ養子だとしても家族じゃなかったんですか!?」

「……」

「なんでそんなっ、冷たい態度……」


 絞り出すようにいった少女の言葉に、風の精霊は重い溜め息をついた。指を鳴らし何かの魔導を発動させる。途端に風が渦巻き外との音が遮断された。それを確認したシルミアは、信じられないような一言を言ってのける。


「君のホウキが壊れるよう、細工したのがランバールだとしても?」

「!?」


 目を見開いたニチカは辺りに散らばるホウキの残骸を見やる。それらは不自然すぎるほど綺麗に分かれていた。ランバールが、自分を陥れようとした? わけの分からない事態に少女はただ目を白黒させるばかりだ。


「つまりアンタは、全部わかってて仕組んだのか」


 オズワルドの言葉に、シルミアは静かに目を閉じた。一度だけ頷いた彼は悲しいほど平坦な声で謝罪を述べた。


「僕の賭けに巻き込んでしまって申し訳なかったと思っている。君の言う通り、僕はランが魔水晶を引き込むのを敢えて見過ごした」


 整った顔をゆがませ、風の精霊は息子の傍らに膝をついた。そっと伸ばした手の甲に涙が一つ落ちて弾ける。


「この子なら思い留まってくれるのではないかと……願っていたから」


 風を統べる存在であるシルミアは、全てを知っていた。ランバールの取り繕った仮面の裏側も、心の奥底の暗い復讐の炎も、自分以外の存在をすべて見下しているということも。


「信じたかったのだ、ほんの少しでも自分やこの街に情が湧いてくれているのではないかと」


 見事に失敗に終わったけどね、とシルミアは静かにつぶやく。真意を聞かされたニチカは、涙をこらえながらこぶしを握り締めた。


「間違って、ない」

「え?」


 震える声で、絞り出すように彼女は続ける。


「きっと、ラン君にとって、シルミア様も街のみんなも大事なものになってたはず」


 いつの間にか恐怖は消えていた。遺体に駆け寄り、ランバールだった物の手を握る。


「だってそうじゃなきゃ、こんな風になってまでオーブを爆破させようだなんて思わないでしょ!?」


 ニチカの濡れた瞳が緑色に輝く。その途端、握っていた炭の手からパラッと表皮が崩れ落ちた。だがそれにも気づかず無茶苦茶なまでに少女はがなり立てる。


「バカじゃないの!? そんな試すようなことする前に、ちゃんと話し合えばよかったのよ!! 死んでからじゃ遅いじゃないっ」


 叫ぶたびバラバラと皮膚が零れ落ちる。その下から新しい真皮が次々と形成されていた。同時に死体が風のマナを取り込み始め淡く輝き出す。ほたる火を灯したようにそこだけ明るくなった。


「ランくんはぁっ……きっとラン君は……!!」

「やめたまえ! すぐにその手を放すんだ!!」

「え?」


 ようやく状況に気づいたニチカは辺りの変化に目を見開いた。同時に体が急激にずしっと重くなる。ここに来て初めて焦るシルミアが警告を叫んだ。


「君は今、自分の魔力をランに向けて全力で注いでいる! そんなことをしたら魂が疲弊して最悪死ぬぞ!!」

「で、でも、身体が再生してる」


 少女は希望を見出したかのようにそれを見つめる。だがシルミアは哀し気に顔を歪ませた。


「無駄なんだ……」


 一見奇跡のように見える光景だが、まるで意味のない行為だ。魔力で体細胞を活性化させ、『肉』として生まれ変わってはいるが魂がすでに離れている。少女がやっていることは死体を小綺麗にしているに過ぎない。


「お願い……目を開けて!」


 だが目を欄々とさせた少女には現実が見えていない。シルミアとて、精霊の巫女をみすみす見殺しにするつもりはなかった。彼女の師であるオズワルドに振り向き助力を求める。


「止めてくれ、君はあの子の師匠なんだろう?」


 だが男は視線を落とすと小さく頭を振った。


「難しいだろうな。あいつは無駄に頑固で諦めが悪い。起こりもしない奇跡を夢見て、世の中は光で満ち溢れると信じている、ヒロインなりたがり症候群なんだ」


 オズワルドの中で、共に行こうと朝日の中に引きずり出された記憶が蘇る。あの時は望み通りになった、いやさせてしまったが、今回ばかりは難しいだろう。


「気の済むまでやらせるしかない」


 そうは言ったが、限界を超えてまで粘るようならムリにでも止めるしかない。オズワルドは際限なく魔力を注ぎ続ける弟子をじっと見つめた。


***



(ラン君、ラン君――!)


 見た目だけなら完全に元通りになった青年だが、いまだその頬は青ざめたままだ。一見眠っているだけのようにも見える。ニチカは必死に心の中で呼びかけ続けた。これまでの思い出を呼び覚ましながら。


(最初はロロ村のスミレさんの中から話しかけてきたんだよね、いきなり投身自殺させようとするからとんでもない悪人だと思ったよ)


 独特の口調と軽いノリが、えげつない行為と噛み合わなくて衝撃的だったことを覚えている。つなぎとめる媒介を破壊し、撃退した時でさえひょうひょうとしていた。


(それで、学校で実体と初めて会ったんだ)


 警戒するこちらに無遠慮に迫り、それでいてひらりとかわす不思議な人。かすめるように奪われた唇の感触はいまだに消えない。のらりくらりと翻弄しながらも、約束通り校長室へと案内してくれた後ろ姿がよみがえる。


(落ち込んでる私に会いに来て、状況を変えるきっかけをくれた)


 輝く夜空に引っ張り出され、ニッと笑った顔がまぶしかった。あの時から少しだけポジティブ思考になれた気がした。


「ねぇラン君、私まだ何も返せてないよ。いっぱい助けてもらって、お礼だって十分に出来てない」


 泣き笑いを浮かべる少女は必死に語り掛ける。まるでそこだけ結界ができたかのように風が舞い、緑に光り輝いていた。


「私、あなたのことまだ何も知らない。これから知りたい。暗い部分も含めて、全部」


 それでも青年は目を覚まさない。すでにニチカの気力は限界だった。意識がもうろうとし、目がかすむ。


「私の魔力、好きなんでしょ? まだ、たりないの?」


 スポンジが水を吸収するように、際限なく魔力を吸い取られていく。


「ねぇ……」

「ニチカ」


 静かに自分を呼ぶ声に少女はノロノロと振り返る。オズワルドがどこか憐れんでいるようなまなざしでこちらを見降ろしていた。


「もう諦めろ、死んだ人間は蘇らない」

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