52.少女、破門される。
その昔、このアルカンシエル大陸を中心にした世界は、現在のようにあちこちに自立国家があるのではなく、巨大な二国があるのみだった。
二国は周囲に散らばるささやかな集落を取り込み、やがて世界は二つに分裂した。北部を拠点とする『白の国』と南を治める『赤の国』の対立がハッキリしたのである。
当然のように二国は互いを征服しようと動き始めた。精霊たちを行使し殺戮を行い、卑劣な魔女道具は幾多の罪のない人々の命を奪い去った。嘆き悲しむ精霊の中には、自らのチカラを封じ姿を消したものも居たそうだ。
「あのお話の通りなんだ……」
桜花国の絵本を思い出しながら少女は言う。イニは頷いて続けた。
「そうだ。だがここからは本にも載っていない天界側からの話になる」
普段はその存在を隠す天界人も、この事態を重くみてようやく重い腰を上げた。精霊とも深い関わりを持つ天界にとっても、この戦争はマイナスにしかならないと判断したからだ。
彼らは一人の少女を用意した。一人の『ヒロイン』を作り上げた方が地上の人間は心を動かされると考えたのだ。
そこまで大人しく聞いていたウルフィが口を挟む。
「それがユーナ様ー?」
「まぁ確かに、ムサい男集団がぞろぞろ降りて行くより、可愛い女の子の『神の遣い』が悪を成敗するため降臨した方が民衆のウケはいいだろうね」
(ジャンヌ・ダルク的な?)
ランバールの発言にニチカはふと思うが、この中の誰にも伝わらなそうなので心の中にとどめておく。イニの昔話は続く――
天界の目論見は大成功だった。とりわけ、強制的に屈服させられそれぞれの二国に取り込まれた集落は彼女を全面的に支援した。大陸を駆けめぐり、無理やり使役されていた精霊たちをユーナは次々と取り返し魔導球に保護していった。そして少しずつ各地で反乱軍の動きは大きくなっていき、両国の王を討ち取ることで戦争はようやく終わりを告げる。赤と白の国は解体され、現在の形になったのだ。
この世界の歴史をなぞり終えた後、ニチカは史実の締めくくりを確かめる。
「それで、その後ユーナ様は精霊王の座についたのよね?」
「正確には精霊の女神。使役することはなく精霊たちの代表といった立ち位置ですね」
グリンディエダが授業を行うかのように答える横で、イニは遠い昔を思い出すかのように目を細めた。
「その通り。あの時の彼女は実に輝いていた。まさに戦乙女と呼ぶにふさわしい姿だったよ」
「……え、見たの? 実際に?」
少女が引っかかるものを感じて尋ねると、イニは当然と言ったように頷いた。
「彼女の悪者成敗のお供をしたのはこの私だからな!」
「だってそれ何百年も前の話なんでしょう? いったいあなた幾つなの?」
どう見ても二十代半ばでしかない男は、踏ん反り返って腰に手をあてた。
「三桁に達した時点で歳を数えるのはやめた。私は永遠の二十六歳だからな!」
「ジジイ通り越して化石じゃないか」
ボソリとつぶやいたオズワルドを一瞬にらみつけたが、気を取り直したようにイニは話を続行した。
「どこまで話したかな? そうそう、ユーナが女神になってからと言うもの、数百年は地上も安定していたんだ。だが……」
ここで声のトーンを落とした彼は視線を落とした。輝くような顔に初めて陰りが差す。
「少し前、天界でとある事件が起こりユーナの魂がその身体を離れてしまった」
「えっ……」
「突然だが、人を構成する三つの存在。『肉体』と『魂』その二つをつなぎ合わせる残り一つが何だかわかるかい?」
ニチカはつい最近聞いた単語にピンと来て、イスに行儀悪く座る青年へと振り返った。
「それ、今日ランバールが授業で教えてくれた?」
「あっ、ちょっとニチカちゃん!」
なぜか焦ったように椅子からずり落ちる彼に向かって、校長の厳しい視線が向けられる。
「まさかとは思いますが、あなたまたロジカル教授の身代わりで授業を――」
「あーっと! えーっと!! そんなことより『心の器』っスよね! イニ神!」
「その通り」
校長はまだ尋問したそうではあったが、(ランバールにとっては幸いなことに)話の主導権は再びイニへと移った。軽く頷いた彼は手の中にホログラムのような映像を映し出す。そのとろけるような美しい金色の聖杯を目にしたニチカはうっとりとため息をついた。
「綺麗……」
聖杯は手のひらほどのサイズで赤・青・緑・黄色の輝く石が四方にはめこまれている。安易に金銭的価値をつけるのが失礼なほど威厳があり重要そうな物に見える。
ところが聖杯は何の前触れもなく粉々に砕け散ってしまった。破片が飛び散り中からキラキラとした光がこぼれ落ちる。目を見開いたニチカを確認したイニは、哀し気に一つ頷いてみせた。
「そうだ。『心の器』を破壊されたユーナの魂は、肉体から離れてしまった」
「それ、消えちゃったってこと?」
少女がおそるおそる聞くと、彼はゆっくりと首を振ってそれを否定した。
「いいや、彼女ほどの魂がそう簡単に世界に還ってしまうとは考えづらい。戻るべき肉体を見失い、まだどこかを彷徨っていると私は考えている」
イニは右手を掲げると今度は別の映像を出現させた。さきほどの金の聖杯と形サイズは似ているが、真っ白でなんの装飾もついていないシンプルな器だ。それをくるりと回しながら彼は計画の内容を打ち明けていく。
「すでに新しい『心の器』は用意してある。問題はここにどうやってユーナの魂を引き寄せるかだが――」
「それが、私の役目?」
ほぼ確信を持って尋ねると、微笑んだイニは少女の腰につけられた魔導球を指した。
「その通り。ユーナの魂はいつも四大精霊たちと共にあった。きっと彼らの存在を感じることができれば……」
「彼女の魂も、きっと戻ってくる」
託された魔導球を握り締めたニチカは、改まった気持ちで気合を入れなおした。
「分かった。頑張る! 一刻も早くユーナ様を身体に戻さないとね、そうでしょオズワルド!」
ところが振り返った先の師匠は、無表情だった。その表情に言い知れぬ不安を感じて少女は顔をこわばらせる。
どうして悪い予感というものに限って当たってしまうのだろう。次の一言を言わせまいと息を吸い込んだところで、師匠は静かに口を開いた。
「ニチカ。俺は行かない、ここでお別れだ」
目を見開いた少女に対し、男は視線を合わせようとしなかった。代わりにグリンディエダ校長が進み出てニチカの前に立つ。
「実は貴女が来るまで、その件でこの子と話し合っていたのです。ニチカさん。あなたはこれから女神を救う旅に出る。そんな救世主の横にこの男は相応しいと思いますか?」
「そ……れは」
ニチカが答えを言いよどむのも無理はない。思えば最初の村で魔女協会に追われ、ホウェールを力尽くで洗脳しようとし、桜花国では彼の作った魔弾で危うく死にかけた。校長は黙り込む少女の返事を待たず、自らの結論を下した。
「私はそうは思いません。オズワルドの悪名は裏社会では高まりつつあります、精霊の巫女がそんな男と共に居たら何を言われるか」
わずかな反発心が少女の中で生まれる。確かにオズワルドは人をやり込める天才だしあちこちで敵を作りやすい。だがそれだけでは無いことをニチカは知っている。しかしどう言い返そうか迷っているうちに校長は決めつけにかかった。
「どうやってあなたに近づいたかは知りませんが、その名声と力を利用しようと考えたのでしょうね」
「っ、違うの! 私が精霊の巫女とかそういう使命とか知る前に、こっちから強引にお願いして弟子にしてもらっただけで――」
思わず少女は反論する。だが冷徹な校長はさえぎるようにして声をかぶせて来た。
「ならば尚更、ここでけじめを付けるべきだとは思いませんか? あなた個人の感情ではありません。ユーナ神の名に関わることなのです。駄々をこねる子供で無いのなら理解すべきですよ」
「……」
言い返せない自分が悔しかった。突然突き付けられた別れに頭が混乱して追いつかない。うつむいた少女はギュッと服の裾を握りしめる。
何か理由をと思いめぐらせたところで気づいてしまう。彼と自分を繋ぎとめているものは、曖昧な師弟という関係だけだ。それだって一方的に弟子入りした形だけの物であり、口約束に過ぎない。
ふと、昨夜の事が蘇る。もしあの時、触れた手を受け入れていたら何かが変わったのだろうか、この場で堂々と言えるだけの関係性に――
逡巡していた少女の頭に、ふわりと手が乗せられた。驚いて見上げれば、いつになく穏やかな目をした師匠がそこに居た。少しだけ困ったように眉を寄せ、軽く微笑んでさえいる。……皮肉にも、今までで一番優しい表情だった。
「ニチカ、お前はたぶん勘違いしている。この世界に落とされて初めて会った人間を無条件に信用しているだけ。産まれたばかりの雛が最初に目にしたものに懐くのと一緒だ」
諭すような響きに、呆然と目を見開く。この男はいったい、何をいっているのだろう? 耳から入ってきた声を、脳が噛み砕くのを拒否する。呑み下せない言葉は容赦なくニチカの胸をえぐった。頭をいやいやと振りたくることしかできない少女に向かって、師匠は容赦なく優しく告げる。
「お前なら俺が居なくてもやって行ける。きっと最初から俺なんか要らないくらいに、お前はたくさんの人に好かれる才能があったんだ」
どうしてこの男はこういう時に限って突き放してくれないのか。その優しさが返って残酷になるのを知らないのか。
もう我慢できなかった。目からあふれた大粒の涙が頬を伝い床に落ちる。それを見て少しだけ苦しそうな顔をした男は、少女の頭から手を離し一歩引いた。
「師弟の関係はここまでだ」
彼の静かな宣言にニチカがビクッと跳ねる。言わないで、その先は聞きたくない。その願いも虚しく二人の関係の終わりを告げられた。
「お前を破門する」
***
ショックを受けたような少女がランバールとウルフィに付き添われ帰っていった後、校長室に残された三人は更なる話し合いを続けた。グリンディエダ校長が最後に残していた議題を口にする。
「さて、魔女協会が執拗にあなたを狙い出した理由ですが――」
「人材の確保だろ」
普段よりことさら固い声でオズワルドは返す。捕まる危険を冒してまで五老星の元へ潜りこんだ結果分かったのは、彼ら魔女協会が何かの計画を秘密裏に進めているということだった。あの短い潜入時間でだいたいの事態を把握した彼は、書かれていた項目とその意図を簡単にまとめる。
「希少な素材を集め、有能な魔女を確保して自分のところに抱きこむ。いったい何を作らせるつもりなんだか」
その言葉にイニがフンと冷たく笑った。輝く金の糸のような髪を払いながら侮蔑するような視線を向ける。
「貴様が普段作っているようなものだろうよ。まったく知恵をつけた人間はロクなことを考えない、それが集団になると手に負えんな。グリンディエダ、君も一応は魔女協会に属している身だろう。ヤツらが何を企んでいるのか知らないのか」
「権限を持たないお飾りだけの名誉顧問のところに来る情報なんて、真意を隠しまくった無難な報告ばかりよ」
聡明な校長はローズブラウンの瞳を伏せ、軽いため息をついた。
「現会長のウィズマックは思い通りに動かないこのおいぼれを煙たがっているようね。その内わたくしを失脚させて五老星の誰かをここの校長にしようと企んでいるのではないかしら」
もちろん、そのような事態には決してさせない。自分を厳しく律することができるグリンディエダではあったが、唯一の不安要素がこの目の前に居る弟子である。
「オズワルド、まさかとは思いますが貴方すでに……」
師匠の危惧しているところを察して、オズワルドは少しだけ肩をすくめ素直に否定した。
「俺があんなカルト集団に進んで入るとでも? 師匠」
「やりかねないから心配しているのですよ」
弟子の危うさを知っているグリンディエダは顔をしかめる。金と研究材料をチラつかせればこの男は簡単に飛びついてしまうかもしれない。
信用されていない事に気付いたのだろう、スッと青いまなざしを細めたオズワルドは彼なりの信念をハッキリと口にした。
「俺は自分の作りたいものを作っているだけだ。それがどういう使われ方をしようが知ったこっちゃ無いが、興味の向かないものを作る気はない」
それはつまり、言い換えれば魔女協会の望みと合致してしまえば手を組むという事にならないだろうか。学生時代から口が酸っぱくなるほど倫理やルールを叩き込んだというのに、どうしてもそこだけは変わらない。ためいきをついた師は、過去の自分を責めながらつぶやいた。
「……やはり貴方は私の管理下に置くべきでしたね」
オズワルドの魔女としての力はすでに師匠である自分を抜いている。あの日、やはり学園から追放するべきでは無かったのだ。そう考えたグリンディエダは、当時の口調そのままに単純明快な指示を下した。
「ここに残りなさいオズワルド。これは師匠として、校長として、平和を願うものとしての命令です」
「……」
「安心なさい、ここに居る限りは魔女協会からあなたを匿ってあげるわ」
何も答えず沈黙した男の脳裏に、少女の太陽のような笑顔が浮かぶ。だがそれをすぐに打ち消すと、静かに頷いた。
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