51.少女、鷲掴みされる。

(今のは取り引き今のは取り引き今のは取り引き今のは……)


 数分後、呪詛のように頭の中で繰り返しながらニチカは走っていた。どうしてこの世界の人は、あぁも人の許可なくキスしてくるのか。もしかしてキスとは自分が考えているほど気持ちのこもった物ではないのだろうか。激しく動揺する少女をよそに、先導するランバールは楽しげに説明を始めた。


「この学校内は結界が張られてるから、生徒の転移はできないはずでさ、許可されてるのは教員以上になるんだけど、たぶんさっきの渋い魔力は校長のだと思うんだよねー」


 クルリと振り返った青年は、器用に後ろ走りしながら満面の笑みを浮かべて見せた。


「それにしてもキミの魔力おいしかったなー、ねぇもっかい良い?」

「いいから早く案内してっ!!」


 真っ赤になりながら叫ぶニチカに彼はケラケラ笑う。その横を走っていたウルフィが興味深そうに質問をした。


「お兄さんご主人の知り合いだったんだねー。ここの生徒なの?」

「オレ? 生徒というか、院生かな。今は教授の助手として研究室に所属してる」

「教授?」

「うん、ロロ村のマキナくんの父親。ロジカル教授のね」


 その言葉でサッと緊張が走り少女は足を止める。そうだった、この青年は魔導具で操られたスミレを投身自殺させようとしたのでは無かったか。急に止まり表情を陰らせたニチカに何かを察したのだろう、ランバールは相変わらず親しげな顔をして問いかけて来た。


「どうしたの? あ、もしかしてこのまま教授のとこまで連れてかれるんじゃないかって心配してる?」


 笑いながら顔の横で手をパタパタと振った彼はそれを否定した。


「ないない、安心してよ。オレ報酬をもらったらきっちりその分はお仕事する派ですから。これからオズワルド先輩のとこにキミを連れて行くのは本当」

「……」


 それでも警戒を解かない少女に向かって、青年はこう続けた。


「ロロ村のメイドちゃんの件はオレの意思じゃないよ。教授の命令だったから仕方ない、お給料もらってる以上はちゃんと働かないと」

「だからって……」


 それまでヘラヘラ笑うだけだったランバールが急に真剣な顔つきになる。急に声色を変えたかと思うと穏やかに自分の信念を述べた。


「魔に携わるものは、一度約束したことは必ず守らなければならない。どんなにささいな口約束でもそれは契約だからさ」


 師匠と同じようなことを言っている。その事を思い出したニチカは、散々悩んだ後コクンと頷いた。


「わかった、道案内の件は信じる」


 その言葉を聞き、ニッと笑ったランバールは再び走り出した。横を走る少女の顔を盗み見ながら内心ほくそ笑む。


(本当に子供みたいな純真さだな、その素直さは美徳ではあるけど、言い換えれば都合が良いってことだよ)


 青年はあえてその忠告を口に出さなかった。なぜなら彼にとってその方が“都合が良くなる”かもしれないからだ。


(ま、それがいつになるかは分からないけど)


***


 それから階段を上り、降りて、また上り、また降りる。とうにここまでの道を忘れ、半ばやけくそ気味に走り続けていた少女だったが気力よりも体力が先に尽きた。薄暗い通路のレンガの壁に手をついて立ち止まる。


「はぁ、はぁ、いったいどこまで連れていくつもり……なの」


 玉のような汗がぽたりと落ちる。いくらこの世界に来て体力が付きはじめてると言ってもしょせんは女の体力だ。野生のオオカミや青年に敵うはずも無い。心配そうに寄ってきたウルフィが彼女の腰につけられた小さなホウキを見てこんな提案をした。


「ホウキで飛んでみたら?」

「それが……できたら、私、走ってない……」


 ゼェハァと息をつきながら答える。うっかりすると暴走しそうになるので、ホウキに乗るのは実は走っているのと同じくらい体力を消耗するのだ。汗一つかいていないランバールも通路を引き返して戻ってきてくれた。励ますように明るい声をかけてくる。


「もうちょいもうちょい、校長室はあの上だよ」

「あそこ? 本当?」


 指し示す先を見れば、先の通路には数十段の階段が待ち構えていた。案内人が頭の後ろで手を組みながら助太刀を申し出る。


「何だったらおんぶしてあげようか?」

「だいじょうぶっ、ここまで来たら後は……っ」


 根性で立ち上がった少女は、最後の難関をキッとにらみつけた。ここまで来たら意地でも自力で行く覚悟だ。


「出てきて!」


 腰からホウキのミニチュアを外し投げる。ボムッと白いケムリを出して普通サイズになったそれに横乗りで飛び乗り仲間に合図を出す。


「行こうっ」


 ふわっと急浮上をかけた少女の後を、オオカミと青年が余裕で駆け上がって付いてくる。


 ところが階段の行く先を見据えていた少女はふと気づく。シャルロッテから教わったブレーキは周りに風の空気抵抗を起こしながら少しずつ止めていくやり方だ。だがここは狭い通路。


 どう、止まれば?


「わ、わぁぁぁぁっ!!?」

「ニチカ!?」


 勢いよく加速していたニチカは、自らの悲鳴をBGMにそのままのスピードで扉へ突っ込んだ。どうなったか分からない内にゴロゴロと中に転がり込む。


「いったたた」


 あちこちにぶつかってようやく止まった彼女は、腰をさすりながら身体を起こす。するとすぐ上から呆れたような声が降ってきた。


「……何をやってるんだお前は」


 探していた声に反射的に顔を上げると、執事から元の姿に戻った師匠が腕を組んでこちらを見下ろしていた。彼が口を開きかける前に立ち上がり、その黒い長身を見回して点検する。


「オズワルド! 大丈夫? 怪我は? 拷問されてたりしてない!?」

「拷問って、何を想像してたんだ」


 どこからも血は出てないし不自然に折れ曲がってもいないようだ。そのことに安堵したニチカはホッと胸をなでおろす。


「良かったぁぁ」

「お前、どうやって此処まで――」


 疑問に感じたオズワルドだったが、入り口から入ってくるランバールと目が合いゲッと顔をしかめた。そんなあからさまな反応にも関わらず、ニヤついた青年は声をかける。


「どもども、やだなぁ~そんな嬉しそうな顔しないで下さいよセンパイ」

「ごしゅじーん! 探したよぉー」


 床に落ちたホウキを拾い上げながらニチカは周囲を見回した。どうやらここは高いところにある円柱状の部屋のようで、窓からはぼんやり灯る街並みとその先に広がる暗い森が見える。部屋の中はとても落ち着いた内装だ。よくわからない魔法的なオブジェが一つクルクルと回転している他は、特に変な物はない。


「ここが、校長室?」


 なら部屋の主はどこにいるのだろうと思った瞬間、背後からいきなり手が伸びて来て問答無用で抱きしめられた。聞き覚えのあるハイテンションな声がすぐ間近から聞こえてくる。


「ニチカくぅぅぅん!! 我が天使よ元気だったか!?」

「うわぁあああっ!?」


 慌てて振り仰ぐと、まばゆい金色の光が満面の笑みを浮かべていた。驚いたニチカはその名を呼ぶ。


「イニ!?」


 世界をめぐり四大精霊のチカラを集めよと魔導球を託していった謎の男は、初対面の時と少しも変わらず、そして同じようにセクハラ案件をかましてきた。


「うむ。変わりはないようだな! む? ここは少し成長したか?」


 むにっ


「ひっ……!!」


 いきなり胸を鷲掴みにされ、ニチカは勢いをつけて拳を振りかぶる。


「触るなヘンタイ!!」

「ごふっ」


 見事に右ストレートが頬に決まり、金色の男が部屋のすみに吹っ飛んでいく。やればできるものだと少女が肩で息をしていると、また新たな声が校長室に響いた。


「まったく騒々しい。ここをどこだと思っているのですか」


 厳格な声にニチカは振り返る。いつの間に現れたのか、壊れた扉の近くに立っていたのは老齢の女性だった。理知的なローズブラウンの瞳に、白髪交じりの茶色い髪をひっつめにしている。


「グリンディエダ」

「師匠」

「校長先生」


 イニ、オズワルド、ランバールの順番で呼びかけたので、図らずも彼女の名前と正体が一発で判明する。落ち着き払った彼女はグリンディエダという名前で、ここの校長で、さらにはオズワルドの師匠らしい。


 呼びかける男共には目もくれず、魔女ローブをひるがえした校長は少女の前に立った。ニコリともせず話しかけてくる。


「あなたがニチカさんね」

「あっ、はい、初めまして!」


 慌ててブンッと頭を下げる。何かそうさせるだけの雰囲気をこの校長は持っていた。頭を上げて様子を窺おうとしたところで、何とも答えづらい質問をされてしまう。


「アンジェリカ・ルーベンスはどうやら入学を拒否したようね」

「~~~っ」


 まずい。この状況では言い訳の仕様が無い。手のひらにじわっと汗がにじむのを感じ、少女は何とかごまかそうと言葉を濁す。


「えぇと、それは……そのですね」

「まぁいいでしょう。頭を上げて」


 恐る恐る顔を上げると、彼女は何の表情も浮かべずにニチカをジッと見下ろしていた。やがて重たいため息をついて目を伏せる。


「そう、あなたが精霊の……」

「どうしてそれを?」


 イニから聞いたのだろうか。校長が口を開く前に、タイミングを見計らったようにイニが金色の翼を広げながら皆の前に進み出てきた。


「ここは私の出番のようだな。ニチカ君とあのホウェールの甲板で運命的な出会いをした時に全部説明できればよかったのだが、なんやかんやでここまで引き伸ばしになってしまった」


 そういって彼がパチンと指を鳴らすと、各人の後ろにボムッと椅子が現れる。芝居がかった仕草で手を広げた彼は仰々しく場の主導を握った。


「掛けたまえ諸君、今回の精霊の巫女プロジェクトについて説明しようではないか」


***


 『それ』は闇の中で確かに胎動していた。


 とろりと濃い闇夜の中で、『それ』は幸せな気分だった。


 “もうすぐあの人がやってくる、おいしいあれを持ってくる”


 やがて滑るように闇の中に出てきたのは、白いフードをかぶった小柄な人物だった。重たそうにブリキのバケツを運んでいる。


 その姿を認めた瞬間、『それ』は歓喜の咆哮をあげた。常人ならば聞いただけで魂が吹き飛びそうなその音を、白いフードの人物は平然と聞き流していた。白いフードは軽く遅れたことの詫びを入れ、持ってきたバケツを返す。


「お待たせ、いっぱいお食べ」


 鈍色の容器からドロリとした紫の濃いゲル状のものが流れ出す。


 『それ』は喜び勇んで飛びついた。その様子を楽しそうに見守りながら、フードの人物は優しく語り掛ける。


「ふふっ、早く大きくなるんだよ。そしたら……」


 辺りにはしばらくビチャビチャという汚い咀嚼音だけが鳴り響いていた。


***


「ユーナ様を復活させるのが、私の役目!?」


 告げられた本当の目的に、ニチカは思わず立ち上がった。倒れた椅子がカタンと後ろに倒れる。だが彼女はそれにも気づかず混乱しながら情報を整理していた。


「えっと、ちょっと待って、ユーナ様っていうのは神話の中の存在で? 大昔に居た『かも』しれないカミサマみたいな人物じゃなかったっけ?」


 少ない知識をかき集めると、右隣に座っていたランバールが補足してくれる。


「そっ。んで、数カ月前に死んじゃったってウワサが流れてる」

「マナの働きが不安定だったり、地域によってはまったく魔法の使えないとことか出てきちゃってるんだよねー。マモノが凶暴化したのもそのせいだって言われてるよ」


 さらに向こうにお座りしていたウルフィがピンと耳を立てて続ける。それに対して、少し目を伏せたイニは辛そうな声を出した。


「その件に関しては、本当に迷惑を掛けてすまないと思っている。天界の者を代表して私から謝らせてもらいたい」


 天界。いきなり出てきたファンタジーな単語にニチカは言葉を失う。この大陸には、お空の上にもう一つ世界があるというのか。


 目をまん丸にして黙り込む弟子を不審に思ったのだろう、左隣にいた師匠が呆れたように呼びかけて来た。


「何をアホ面している」

「師匠、天界って!?」

「……」


 勢いよく振り向くと、いつものように珍妙な物でも見るような目つきを向けられてしまった。ニチカは憤慨しつつも回答を求めた。


「あっ、久しぶりにその顔! えぇどうせこの世界で私は無知ですよ世間知らずですよっ。でも聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥っていうでしょ!」


 久しぶりにまっとうに言い返せた気がする。数度瞬いたオズワルドは、まともに答えてくれた。非常に歯切れ悪くはあったが。


「天界っていうのは、文字通り空の上にある神々が住まう世界……と、言われている、らしい」

「なんでそんな曖昧な言い方なの?」


 博識な彼にしては珍しいこともあるものだと思いながら聞き返す。すると師匠は腕を組みながらこう答えた。


「ユーナの聖女伝説と同じく、それだっておとぎ話みたいなものなんだ。誰もたどり着けたことは無いし、そこの住人がこうして人前に姿を現すことなんて滅多にないとされているのに――」


 そこでチラッとイニを見たオズワルドは、辛辣に言い放った。


「ずいぶんと俗世っぽいカミサマも居たもんだ。イメージが損なわれる」


 対するイニはというと、鼻でせせら笑いながら嫌味を切り返した。


「おや、誰かと思えば、我が后の下男ではないか。相変わらず辛気臭いツラをしているな」

「そっちこそ相変わらずアホみたいなテンション維持してるな、頭のネジは見つかったか?」

「あーっ、あーっ! そんなことより、イニは神さまで間違いないのね!?」


 話が拗れるのを察してニチカが二人の間に割って入る。すると金色の男はドヤ顔をしてみせた。


「我々は自分たちのことを天界人と称しているが、この地上から見れば神と同等であろうな」


 セクハラをしてくる神様なんて嫌だ。ニチカは密かに心の中で思った。だが口には出さなかったのでイニは語り始める。


「私はユーナに仕える従者だった……」

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