50.少女、食べられる。

 まさかの再会に動揺を隠すことが出来ない。震えながら一歩後ずさったニチカは無意識の内に尋ねていた。


「ど、どうして」

「分かったのかって?」


 ランバールは微笑を浮かべながら少しずつ距離を詰めてくる。ニチカは後ずさりながら、この『令嬢アンジェリカ』がどう見えるかを頭の中で確認していた。今の自分はロロ村にいた時とは違って見えるはずだ。髪を染め衣装を替え、化粧で少し色を乗せてある。


 膝のうらに机が当たり追い詰められる。トスンッと座ってしまった少女は固まった。間近でみたランバールの黄色い瞳はまるでヘビのようだ。クスリと笑ったヘビ男は、机に手を突き乗り出してくる。からかうような声の響きはそのままに話し始めた。


「そーだよねー、あの時は遠目だったし正直顔はわからなかったけど」


 彼は空いている方の手でするりとニチカの髪を梳き、目の前でその一束に口づけて見せた。フッと笑ってこう続ける。


「魔力の匂いでバレバレ」


 息を呑んだ少女の手が震えだす。頭は逃げろと命令しているのに身体がまったく反応してくれない。これも何かの魔法なのだろうか。青ざめるニチカにはお構いなしに、ランバールはにっこり笑って言った。


「オレ、昔っから魔力の匂いには敏感で嗅ぎ分けられんの。これちょっとした特技」


 昔からの旧友に話しかけるような懐っこさなのに、早鐘のように内側から心臓が暴れだす。言葉では言い表せない本能的な恐怖が少女を襲っていた。それに気づいているのか、彼はさらに気安く手を伸ばしてきた。


「キミさぁ、おもしろい匂いしてるよね。甘くて、とろけそうで――美味しそう」


 首筋に添えられた手が冷たい。わずかに引き寄せられるのを感じ、ニチカはようやく我に返った。なんとか呪縛を振り払い、思い切り押し返す。


「い……やっ!!」

「おっとっと」


 意外にもランバールはあっさり引いてくれた。少しさがっておどけた様に両手を軽く上げる。


「そんなに怒らないでよ、じょーだんじょーだん」

「……」


 キッとにらみつけたニチカは机をはさんで身構えた。炎の精霊に繋がる魔導球は置いてきてしまったが何ならここで一戦まじえる覚悟だった。その本気さに気づいたのか、男はさすがにニヤけた顔をひっこめる。


「おわ、そう身構えないでよ。さすがにオレだって精霊の加護をうけた巫女様とバトルするほど身の程知らずじゃないし」

「何が目的なの? 学校側に言うつもり?」


 鋭く尋ねると、頭の後ろで腕を組んだランバールは、あっけらとそれを否定した。


「チクるわけないじゃん」

「えっ」

「そんなアッサリ追放されちゃ面白くない。さすがに上司に聞かれたら答えるだろうけど、バレるまでオレは傍観させてもらうつもりだよ。それでいい?」

「あ、ありがとう?」


 なぜかお礼を言う少女にクスッと笑った彼は、今度はイタズラ少年のように破顔した。


「ま、一波乱おきなきゃ告げ口しちゃうかもねー」

「!!」


 ひとまずの敵性は無いがやっぱり油断ならない。そう判断した少女は警戒しながらその場を離れようとした。だが思い出したように「あぁ」と、呟いたランバールに引きとめられる。


「ねぇニチカちゃんってさ、何か忘れてない?」

「忘れてる? 何をですか?」


 ――忘れちゃいけない何か。


 ランバールの一言で、ニチカは急に深い霧の中に放り込まれたかのように意識がぼんやりする。


「何かを忘れてない? 忘れたふりをしてるだけかな? オレにはそんな風に見えるんだけど」


 続けられる言葉もどこか遠いところからのように感じた。機械的に動く口から、自分の物ではないような、けれどもはっきりとした声が出る。


「『私は、何も忘れてなんかない』」


 なんだ、これは、誰がしゃべっているんだろう。少女の中の冷静な部分がぼんやりとそう考える。


「……」


 沈黙が降りる。先に降参するように肩をすくめたのはランバールの方だった。


「ま、いいや。そういうことにしておこう」


 急にハッと我に返ったニチカは、混乱したように数回瞬いたがぺこりと会釈すると小走りにホールを出て行った。一人残されたランバールはどこからか棒付きキャンディを取り出すとガリガリと噛み砕き始めた。


「すごいなあれ、かなり強力な忘却術だ」


 彼女自身とは明らかに違う、嫌な臭いのする魔力が彼女を包み込んでいたのをランバールは嗅ぎ取っていた。


(誰が何のために? 都合の悪い真実を隠しているのか)


 ふとよぎるのは、いつも彼女のそばにいるはずの黒尽くめの男。あれだけの術を行使できるとなると、彼女の周りでは彼くらいしか居ないのではないだろうか。


「これは、思ったより楽しめそうだな」


 プッと棒を吐き出した青年は、実に楽しそうな笑みを浮かべた。


「味見してみたいな、あのコ」


***


 一方、少女が思わぬ危険に遭遇していたその頃、オズワルドは不法侵入の真っ最中だった。ねばついたクモの巣に顔面から突っ込み、舌打ちを一つしてそれを拭い取る。


(この辺りか)


 這いつくばっていた床の一部をずらすと、途端にむせかえるような獣の臭いが屋根裏にまで立ち込めてきた。ため息の一つを堪え、タッと部屋の中に降り立つ。書棚の前に置かれたデスクを見つけ、引き出しに手をかけると合言葉をつぶやいた。カチャッと錠の開く音がして引き出しは素直に中身をさらけ出す。昨夜ウルフィに潜入させて聞き出しておいてよかったと思いながら、オズワルドは遠慮なしに五老星のデスクを漁り始めた。すぐに目的の書類を見つけ素早く文面に目を走らせる。


(次回の魔女協会・定例会議で提案する事案について)


 手早く中を確認すると、そこには彼にとって都合の悪いことが続々と書かれていた。正式な免状を持たない魔女のしかるべき拘束と、技術・知識の剥奪。危険度の高い調合を行う際は必ず協会に対して事前に申請。特A以上の素材を見つけた場合協会に即時報告し、管理庫に納めること……


「!」


 そこで外からの足音に気づいたオズワルドは、荒らした後を手早く元通りにすると本棚の裏に隠れた。念のため『隠れ玉』を作動させ息をひそめる。何か揉めながら部屋の前を通り過ぎたのは、おそらくここに住んでいる五老星本人たちだろう。


 この部屋の主人が戻ってこない内に逃げようと、オズワルドが腰を浮かせた――その時だった。


「相変わらず、あなたの作る魔女道具は優秀すぎますね」


 背後から聞こえた深みのある声に、男は弾かれたように振り替える。そこに居た人物に彼は目を見開いた。老齢ながらも背筋のしゃんとした品の良い女性がニコリともせずそこに立っていたのだ。見覚えがある、というか、一時期は毎日のように顔合わせをしていた彼女は記憶の中の厳格な声そのままに評価を続けた。


「優秀すぎるのです。ですからこのように油断して背後に迫っている気配にもまるで気づかない。そこを踏まえた上で使用しなければならないと忠告したはずですよ」


 この学校の校長でもあるグリンディエダは、手を一振りするとそれまでに密かに構築していた魔方陣を完成させた。発動者の許可なしには外に出る事のできない包囲の陣だ。


 それに気づいた男は観念したようにため息を一つつき、自身にかけていた目くらましの効果を解いた。茶髪の優しげな執事が一瞬にして黒髪の冷ややかな魔女の姿へと戻る。正体を表したオズワルドは苦々しく言い返した。


「相変わらず満点はつけない主義なんですね、師匠」

「不肖の弟子と再会できて嬉しいわ。さぁ校長室へいらっしゃい。積もる話はそこでしましょう」


 ……数分後、ガチャリと扉を開けて部屋の主が戻ってくる。その時すでにそこには誰も居らず、ただ魔法の残り香だけがかすかに漂っていた。


***


 師匠が捕まってしまった事など露知らず、夕方になり授業を終えて部屋まで戻ったニチカは落ち着きなく部屋をうろつくオオカミに出迎えられた。耳をピクッと立てた彼は少女の姿を認めるなり半泣きになって飛びついてくる。


「あぁぁっ、ニチカ! おかえりぃぃ!!」

「ただいま。どうしたの? そんなに慌てて」


 途方にくれたようにクーンと鳴いたウルフィはとんでもない知らせをくれた。


「ご主人がぁぁ、ご主人が消えちゃったよぅ」

「どっ、どういうこと?」


 聞けば彼らは今日、調査のために五老星の館へ潜入していたのだそうだ。外で見張りをしてろと言われたが、待てど暮らせどオズワルド戻ってくる気配が無い。どうしようかと迷っている内に例の犬好きの五老星が戻り、昨日のトラウマが蘇ったウルフィは慌てて逃げてきたのだという。あの師匠が指定した時間までに戻らなかったとなると――ニチカは最悪の可能性にたどり着いた。思わずウルフィの顔を両脇から挟んで叫ぶ。


「それ、捕まっちゃったってことじゃない!」

「ふぇぇん、どーしよー!!」


 詳しく聞こうとしたところで少女は異変に気付いた。光の粒子が自分の髪から溶け出すように落ちていく。


「っ!」


 パンッとはじけるような音を立てて目くらましの魔法が解けてしまう。派手な赤い髪が元の落ち着いた色に戻った。この魔女道具の発動者はオズワルドで、彼の魔力を微量使い続けることで術が保たれていたはずだ。それが維持できなくなったと言うことは、彼の身に何か起こったのではないだろうか。そう考えたのはウルフィも同じだったようで、毛を逆立てた彼は一声吠える。


「ご主人の身に何かあったんだよ!」

「行こうウルフィ!」


 ベッドの枕の下に隠しておいた魔導球を取った少女は、オオカミと共に部屋を飛び出した。だが寮を降りて玄関ホールを駆け抜けようとしたところで誰かに呼び止められる。


「あれ、そんなに慌ててどしたの?」

「ランバール! ……さん」


 夕陽に照らされた彼は楽しそうに手を振っている。立ち止まったオオカミと少女は戸惑ったように彼を見るのだが、彼は親しげに笑いかけながら朗らかに言った。


「やだなぁ、そんな警戒しないでよ。呼び捨てでいいよ」

「えぇっと、おにーさんダレ?」


 初対面のウルフィに、ランバールはふざけた返しをする。


「ん? 正義の味方」

「ヒーロー!?」


 途端に目を輝かせるウルフィに頭を抱えるが、ニチカは足元をキュッと鳴らしながら言った。


「ごめんなさい急いでるのっ、用なら後で――」

「もしかしてセンパイ探してたりする?」


 しれっと言われて慌てて急ブレーキをかける。振り向くとランバールはきょとんとした顔で立っていた。少女は三歩詰め寄り問いかける。


「知ってるの!?」

「あー、なんかさっきこの敷地内で、転移系の魔法が発動する気配を感じたんだよね。たぶんだけどソレ」

「お願い! その転移先を教えて!」


 掴みかかるように迫る少女に、青年は一瞬おどろいたような顔をする。だがすぐにニッと笑うとこう返した。


「そう素直にお願いする子って初めてかも」


 この世界のやりとりは基本的に駆け引きだ。またしてもその事を忘れていたニチカは自分のあつかましさに赤面して相手の胸元を掴んでいた手を放す。


「ご、ごめんなさい」

「いいよ、ちょっと心が動いたし。あ、でもお礼は欲しいかな」

「私に渡せるものだったら――」


 両手を握り締め、上を向いた少女の唇を何かがかすめる。何が起きたかわからず、ニチカはすぐ間近にあるランバールの顔を見つめることしかできない。


「……」


 ペロッと舌なめずりをした彼は満足そうに微笑み一言だけ落とした。


「ごちそうさま」

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