2.少女、出会う。
「ご主人はねぇ、普段は忙しくてあんまりお家から出ないんだ」
「ふーん、買い物とかはどうしてるの?」
森の中を二人で(一人と一匹で?)歩いていく。あんなに恐ろしく思えた森も、隣に人懐っこい巨大なオオカミが居ると思うだけでだいぶ心強かった。
「お野菜とかお肉とか食べ物は、三日に一度配達してもらってる。シャルロッテさんが空から来るんだよ」
「空、から?」
「僕ね、シャルロッテさんだーいすき! たまにオヤツを持ってきてくれるし頭を撫でてくれるんだ」
「ウルフィは頭を撫でられると嬉しいの?」
陽気なオオカミは自分のことをウルフィだと名乗った。なんでもご主人さまから貰った大切な名前なのだそうだ。
「うんっ、僕ってばこんなに体がおっきいから、街に行ってもみんなが怖がって逃げちゃうんだ。いくら説明してもダメなの……鏡の前で笑顔の練習とかしてるんだけどな」
とたんにしょげるオオカミは尻尾も垂れ下がって落ち込んでしまう。一瞬ためらったが、その頭に手を乗せるとぎこちなく撫でてやった。
「んん~、ニチカも好きー、僕のこと怖がってないものー」
尻尾をパタパタと振るウルフィに思わず笑みがこぼれる。本音を言えばまだ少し怖かったがそれは黙っておいた。
それにしても流暢な人語を話すオオカミに、空から来るという配達員のシャルロッテさん。これから会う『ご主人様』がどのような人物なのか不安を隠すことができなかった。
「あっ、ニチカついたよ! ご主人おーい!」
そんな事を考えている間に到着したらしい。隣に居たウルフィが森の少し開けた広場に向かって飛び出していく。急に増した光量に目を細めながら少女も後を追う。
鮮やかな若葉が萌える中にその人は佇んでいた。男だろうか、背が高く、裾の長い黒いローブを着ている。少なくとも後ろ姿は人間だ。
『ご主人様』はパタパタとかけてくるオオカミに気づいたのか振り返った。目深にかぶったフードの端から黒い髪と眼鏡が覗く。
「あぁ? お前な、薬草一つ探すのにどんだけ時間かけてるん――」
不機嫌そうなその声は予想していたより若かった。そこでウルフィの後ろから来た少女の姿を認めたのか、言いかけていた小言がピタリと止まる。
「あ、あの、こんにちわ」
「うわっ!?」
何がそんなに恐ろしいのか男は草原に尻もちをついた。大げさなその反応に驚きながらも話しかけてみる。
「大丈夫、ですか?」
ニチカは助け起こそうと手を差し伸べる。ところが手首をいきなり掴まれたかと思うと逆にグイッと引かれ、そのまま引き倒されてしまった。
「ぐぇ!?」
膝で背中を抑え込まれ潰れたカエルのような声が出る。状況を理解するより先に上から怒声を浴びせられた。
「お前どこから入ってきた!」
「痛い痛い痛い! 離して!」
割と容赦なく後ろ手にねじり上げられ悲鳴を上げる。必死に抵抗するのだが疲れて力が出ないし、ましてや男と女だ。はねのける事など到底できやしない。
その緊迫した空気をやぶったのは場違いに明るいオオカミの声だった。
「ニチカはねぇ~迷子なんだよ。森の中で困ってたから連れてきたの、偉いでしょ」
ステップでも踏みそうな足取りでやってきたオオカミに、男は重いため息をついた後、特大のカミナリを落とした。
「こンの――駄犬が!」
「キャインッ!?」
「てめェの脳みそは鳥以下か! 俺の出した命令はなんだった? 侵入者はその場で噛み殺せと言っただろうが! 救助犬やってんじゃねぇ!」
オオカミは完全におびえて地面に伏せてしまう。ニチカは抑えつけられている頭をむりやり捻り声を張り上げた。
「やめて、ウルフィは悪くないの!」
「……名前まで教えたのか」
苦虫を噛み潰したような顔をした男は少女をジロリと見下ろした。無遠慮に全身を見回した後、ハッと軽く鼻で笑う。
「迷子だ? 何を寝ぼけたこと言ってんだ。その間の抜けたツラにお似合いのボケかましてないで本当のことを吐きやがれ、おら」
男の完全に馬鹿にしたような物言いに、普段は礼儀正しいニチカと言えどさすがにカチンと来た。グッと奥歯を噛み締め、息を吸う。
「――れがっ」
「あ?」
「誰がボケた顔だー!!」
「どぉわ!?」
怒りの燃料が爆発的な力を生んだ。油断しきっていた男はニチカの反撃にとっさに反応できなかった。一瞬の隙をついて抜け出た少女は飛びつく勢いで相手を押し倒す。今までとは逆に馬乗りになると相手の襟を掴み激しく前後に揺さぶり始めた。
「困ってる人がいるなら助けなさいって小学校で習ったでしょ! それをなんですか、親切心で助けたウルフィを逆に叱りつけるなんてどんな神経してるのよ!」
「はぁ!? ショウガッコウって何だ!」
襟元を掴んで揺さぶっていたためか、男のフードがずれた。鋭いアイスブルーの瞳に見つめられドキリとする。
ゴンッ
「ぐっ!」
思わずパッと手を放してしまい、落とされた男がしたたかに頭を打ち付ける。
ここに来て急に冷静になった少女は青ざめた。森の中で唯一出会えた人間に対して、なぜ自分はマウントポジションを取っているのか。
そそくさと後ずさるように男の上から退き、後ろで控えていたオオカミに耳打ちするように問いかけた。
(ねぇ、本当にあの物騒な人が『優しいご主人様』で間違いない? 何か弱みでも握られたりしない? 大丈夫?)
「聞こえてるんだよ」
ひくりと頬を引きつらせた男は、大股で近づいてくるとその大きな手でニチカの頭をガッと掴んだ。しゃがんで視線を合わせると抑圧するようなドスの効いた声でゆっくりと話し出す。
「よーし整理してみようか。ニチカとか言ったな、お前は今三つの罪を犯している。まず結界を破ってこの森に不法侵入していること。次に俺の使い魔を惑わしたこと。最後の一つが何だかわかるか?」
「え、えっと、暗くなっても家に帰らないこと? なんちゃって……」
「俺を怒らせたことだ!!」
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