3.少女、問う。
目の前のカップの中で揺れる紅い水面をコクリと飲み下す。花のような匂いがふわりと鼻から抜け、砂糖を溶かした優しい甘さは疲れた心と身体を癒してくれた。
「なるほど、つまりお前はニホンと言う国からやって来たジョシコーセーだと言うんだな?」
「うん」
カチャリとカップをソーサーに戻すと、渋い顔をした男が向かいのソファからこちらを見ていた。
「お前、小説家になれるんじゃないか」
「本当なんですっ」
とりあえず事情を説明してみろと、歩いて二、三分の自宅に連れていかれ洗いざらい説明したところで第一声が「嘘をつけ」である。これでは反論したくなるのも当然だった。
「どっかから落ちて頭でも打ったか? 俺は医者じゃねーんだぞ、診療所にでも行けよ」
なんでも男が言うには、ここは『アルカンシエル大陸の深き惑わしの森(封鎖中)』なのだそうだ。
知らない単語がポンポン飛び出て、半分も理解できなかったが一つだけ分かったことがあった。
「異世界に来ちゃったんだ、私」
ポツリと呟いて背後の窓を振り仰ぐ。そこには神秘的な青と赤の二つの月が、仲良く夜空に浮かんでいた。
「なんでこんなことに……」
重いため息をつくニチカにはお構いなしに、男は何やら戸棚から色の違う二つの小瓶を取り出して来た。目の前のテーブルにコトンと置くと切り出す。
「とにかくこの場所を知られたからにはタダで帰すわけにはいかないな。選ばせてやろう」
「選ぶ?」
興味深々で両方の小瓶を手にとる。手のひらに収まる薄い
「声を失うか、脳を破壊するかだ」
ガシャン
思わず取り落とした小瓶が床で砕け散る。足元でウトウトしていたウルフィが慌てて飛び起きた。
「あっ、てめっ、なにしやがる! 高いんだぞ!」
「冗談じゃない、どっちもお断りします!」
なんて危険な物を服用させようとするのだろう。ニチカとしてはマトモな身体で帰りたい。脳や声帯を破壊するなんてまっぴらごめんだ。
「まったく、こっちがせっかく譲歩してやってるって言っているのに」
「あなた何者なんですか? こんな森の中で何をしてるの?」
ブチブチとボヤく男から安全距離を取り、ニチカは恐る恐るたずねてみた。その言葉に再度戸棚をあさっていた男は冷たい視線を投げて寄越す。
「好奇心は猫をも殺すと言うが、よほどお前は死にたいようだな」
「!」
男はメガネのズレを直しながら向かいのソファに腰掛けた。皮肉気に笑ったその顔すらサマになっているのが何だか腹立たしい。
「俺は魔女だ。世の中を良くも悪くもする物を作っている」
「ま、じょ」
脳裏におとぎばなしに出てくる魔女が浮かぶ。主人公たちを惑わし、時には導くフシギな力を持った人たち。
「なんでも作るぜ? 毒薬、自白剤、惚れ薬から魔導兵器。擬似生命体からアンデッド生成キットまで」
どこかなげやりに言った男は両手を広げて肩をすくめてみせた。
「おかげ様で敵も多いけどな。それでも駆け引き小競り合いが絶えないこんな世の中じゃ俺みたいな仕事は需要があるのさ」
だからこそ、こんな森の中に篭って誰にも居場所を知られてはいけないのだと言う。
「……私を殺すの?」
そこまで洗いざらい白状したということは、タダで返す気はないのだろう。立ち上がった男は隣室への扉を開けながら振り向かずに声だけを投げてきた。
「お前の処遇については明日きめる。逃げ出そうだなんて考えるなよ」
黒い背中が扉の向こうへ消えていく。残された少女は真っ青な顔をして座り込むしかなかった。
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