ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

1ようこそ、世界へ

1.少女、落下中。

 ピンクの世界がぐるぐる回る。


 夢のような光景の中を、少女はどこかへ向かって一直線に飛んでいた。


 どうしてこんなことになったのだろうかとボンヤリする頭で考える。確か……そうだ、学校の帰り道で変な道を見つけたのだ。


 住宅街のなんの変哲もないただの路地裏。普段なら気にも止めないような場所で足を止めたのは、奥からひどく美しい歌声が聴こえてきたからだった。


 引き寄せられるように道に入った少女はいきなり足元を失った。胃が浮き上がるような感覚にようやく落ちたのだと理解する。


 そして気がつけばこのピンク色の世界で絶賛落下中というわけだ。


 落下とは言ったが、落ちていると言うよりかは引き寄せられているような気がした。



 どこへ?



「うわああああ!?」


 その事を考えた瞬間、稲妻のような恐怖が少女を襲った。


 落ちているのか昇っているのか分からないが体感スピードはかなりのものだ。もしこのままどこかへ激突したのなら確実に命はないだろう。


「誰か助けてぇぇぇぇ!!!」


 ドシャッ


「へぶっ」


 恐怖を覚えるのとほぼ同時に、どこかにぐしゃっと叩きつけられる。


 女子高生らしからぬ悲鳴をあげた少女はしばらく突っ伏していた。死んだ、のだろうか。


「………………」


 そのまま一分ほど動かず、ギュッと目をつむったまま身動きを止める。


 目の前の壁はおそらく地面だ。ザラザラとしていて柔らく、ところどころゴツゴツしている。チチチと言う声は鳥だろうか、慌てて飛び立つような羽音が聞こえた。


(森?)


 十を数えるほど深呼吸して、どうやら息が止まっていないことを確認する。初めて嗅ぐ緑の匂いが胸いっぱいに広がり、戸惑いがさらに加速した。


 伏せた状態のまま顔をあげ、おそるおそる目をうっすらと開ける。輝くばかりの森がそこには広がっていた。


「うそぉ……」


 どうやら身体に大きな異常はないようなので上半身を起こす。落ちた時に鼻を少しだけ打ったがそれ以外に大きな痛みはない。あの速度で落ちたのに奇跡としか言いようがなかった。


 しばらく少女は呆然と座り込んでいた。見たところ森は平穏そのものだ。柔らかな木漏れ日が爽やかな風で揺れ、少女の肩まで伸びた髪をそよそよとなびかせる。


「あ、ありえない。こんなのありえないよ」


 誰もいない森の中で独り言をつぶやく。たとえ自分の声でもいいから人の声を聞きたい、それほどまでにこの森は人の気配がしなかった。


 少し強い風が吹き葉擦れの音がざわめく。ごく平凡なよくある市街地に暮らしていた少女にとって森の中は異世界に等しい物がある。


 いや、そもそもここは日本なのだろうか? ずいぶん緑の色が濃くて深い。辺りに茂る植物も見たことのないような種類ばかりだ。例えるなら以前テレビでみた北欧の深い森に雰囲気が近い気がする。


(オオカミとかクマとか居るんじゃ……)


 凶暴な獣に襲われる図、もしくは空腹で倒れている自分の未来が見えたような気がして少女は身震いをする。


 嫌な想像を振り払い、にじむ涙を制服の袖で乱暴にこすり落として勢いよく立ち上がった。


「だ、大丈夫、いまのところ大型の獣がいる気配はないし、歩き続けていればきっとどこかに出られるはず。きっと数時間後には家に帰って夕飯の支度をしてる。ミィ子も待ってるし早く帰らなきゃ」


 大丈夫、絶対平気、と、勇気を奮い立たせながら一歩踏み出そうとしたところで文字通り出鼻を挫かれてしまう。履いていたはずのローファーがいつの間にか両足とも無くなっている。少女は紺のハイソックス一枚という森の中を歩くには心もとない足装備で立ち尽くしていたのである。


「……」


 先行きの不安さに声も出ない。あのピンク色のふしぎ空間ですっぽ抜けてしまったのだろうか?


 諦めたように一つため息をついた少女は、できるだけ柔らかい下草の上をたどるようにして歩き始めた。




 しかし、更なるトラブルはそれから数分も経たない内に襲い掛かってきた。


「うっ」


 危機的状況に追い込まれ、眠っていた第六感が冴え渡っているようだ。何か言い知れぬ予感に足を止める。


 単刀直入に言おう、前方に何かが居る。


「……」


 茂みの向こうで四つ足の獣が移動している。カサ、カサと落ち葉を踏む音がやけに大きく聞こえ、音と比例するように自分の鼓動も大きくなっていく。握りこんだ手の中がじとりと汗を掻き始めた。


「!」


 無意識の内に後ずさった瞬間、落ちていた小枝を踏みつけてしまった。パキン、という音に、数メートルも離れていない場所の『何か』も気づいたようだった。


 少女は考える前に向きを反転して逃げ出していた。走るのは得意では無かったがそんなことを言っていられる状況でもないだろう。


「あっ!!」


 だが気が動転していたせいか、もしくは靴が無いのが災いしたか、足がもつれて派手に転んでしまう。すりむいた腕が痛かったが、目の前に着地した影に痛みも何も一瞬忘れてしまう。


 巨大な茶色のオオカミだ。息遣いも荒く、鋭く光る金色の目が少女を捕らえて離さない。グルルルと低く唸る声が、懸命に立ち上がろうとする身体に金縛りをかける。


「い、いや……来ないで」


 茶色のオオカミは飛び掛る予備動作のように姿勢を低くした。白い歯を見せつけるように歯茎まで剥き出しにしている。


 少女の懇願も虚しく、ついにオオカミは飛びかかった。ギュッと目を閉じて衝撃を覚悟する。


 ところがいつまで経っても痛みは襲ってこなかった。


「……え?」


 かばうように前に突き出した腕がなんだか生暖かい。見ればさきほどすりむいて血が出ていた箇所をオオカミがペロペロとなめているではないか。呆気に取られて見つめていると、さらに信じられないことが起こった。


「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだ、ホントだよ、ウソじゃないよ?」


 申し訳なさそうな少年の声に辺りを見回し声の出所を探す。誰も居なかった、少女とオオカミ以外は。


 まさかと言う気持ちで目の前の獣を見つめていると、確かにその口から言葉が飛び出ていた。


「ケガしちゃったね、痛む? 痛いよねぇ、そうだよね、僕だって切ったら痛いもの、でも僕も痛いんだ、胸の辺りが傷むんだよぅ、ゴメンね、ゴメンねぇぇ」


 そういってオオカミは黄色い目からポロポロと涙を流す。あまりに責任を感じているようだったので恐怖とか疑問とかが全て吹き飛んでしまった。


 話しかけようとして一瞬ためらう。日本語……で、通じるだろうか。いや、でも、彼(?)も話しているのだし


「あ、あの、大丈夫だから、そんなに泣かないで」

「でもぉ、でもぉ、僕のせいだしぃぃ」


 よかった、通じてはいるらしい。意思の疎通ができると分かった瞬間、どっと安堵が押し寄せた。


「大丈夫よ、あなたがなめてくれたからホラ、血も止まったみたいだし」


 元気なところを見せようとポンと立ち上がると、グスグスと鼻を鳴らしながらもようやくオオカミは泣き止んだ。


「ホントにホント? 大丈夫なの?」

「うん、全然へいき」


 そう答えると、再び歯茎を剥き出しにされてビクッとする。だがそれはオオカミなりの笑顔らしかった。お座りの体勢でこちらを見上げパタパタと尻尾を振るオオカミは、やたらと図体が大きいことを除けば人懐こい犬のようだ。


「良かったぁ。あのね、あのね、キミどこから来たの? この森にお客さんが来るなんてめずらしくてね、だから興奮して追いかけちゃったんだ」


 本当に怖かったんだから、と言いかけた言葉をグッと呑み込んで少女はたずねた。


「それが私にも分からないの。いつの間にか迷い込んじゃったみたいなんだけど」

「じゃあ迷子? 迷子だ!」


 何がそんなに嬉しいのか、オオカミはぴょいっと立ち上がると少女の周りをグルグル回りだした。十周ほど回ったところで急ブレーキをかけると正面で止まる。金色の瞳を輝かせたままこんな事を言った。


「あのね、あのね、僕のトモダチになってよ。ご主人は優しいけどあんまり遊んでくれないし、退屈で仕方なかったんだぁ」

「ご主人? この森に人が居るの!?」


 思わぬ話の展開に急き込むように尋ねると、キョトンとした顔のオオカミは(本当に表情豊かだ)コクリと頷いた。


「ご主人様は居るよ」

「お願い、そのご主人様のところへ私を連れてって!」


 そういうとオオカミは飛び上がらんばかりに喜んだ。


「やったぁ、三人で暮らすんだね!」


 それは違う。大いに違う――が、飛び跳ねて喜ぶ彼をガッカリさせるのが忍びなくて苦笑いするだけに留めておいた。


「あっ、ねぇ名前はなんて言うの?」

「私? 私は――」


 少女の名前を聞いたオオカミは嬉しそうに飛び跳ねた。


「ニチカって言うんだね! よろしく!」

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