第23話 最後の死闘! 洋上の大激突!

 オロチが黒い炎を噴き出すために力をためた数秒の間に、悪路王あくろおうは大きく翼を広げて宙を舞った。

 その巨体からは考えられないほど素早い動きで一瞬にしてオロチとの距離を詰めると、悪路王あくろおうはゴツゴツとした巨岩のような拳でオロチの横っ面を右から殴りつけた。

 ガツンと耳をつんざく音が鳴り響き、大きくオロチの顔が左に振られる。

 激しい衝撃に、ヒミカは振り落とされないよう必死に耐えた。


「くぅぅぅっ!」


 強烈な一撃を浴びてオロチが溜め込んでいた黒炎の力はあっけなく霧散してしまった。


「お、おのれ……」


 ヒミカは怒りに顔をゆがめたが、すぐ近くで立ち上る血のニオイに彼女はハッとした。

 オロチの口から鮮血がしたたり落ちている。


「な、何だと……?」


 ヒミカは信じられないといった顔で目を見開いた。

 悪路王あくろおうの一撃によってオロチの鋭い左右二本の牙のうち、右の牙がへし折られていた。

 漆黒の大鬼の拳は、先ほどまでとはケタ違いの威力を発揮していた。


 満月に照らされた漆黒の海原の上、巨大な黒い鬼と長大な銀色の蛇がにらみ合う。

 互いに主たる女をその身に乗せて対峙する2体の巨神の姿は、さながら神話の物語を彷彿ほうふつとさせた。


「立場が逆転したわね。今度はあなたが時間に追われる番よ」


 雷奈らいな悪路王あくろおうの身の内にあふれかえる強烈な力の奔流ほんりゅうを感じてそう言った。


「立場が逆転? 身の程を知れ。古の邪神たるオロチに刃向かう愚かな娘よ」


 ヒミカは身を焦がさんばかりの怒りが憎悪と殺意となって怒髪が天を突くのを感じていた。

 2人の間にそれ以上の言葉も視線も不要だった。


 悪路王あくろおうは果敢に飛びついてオロチの胴体を握りつぶさんばかりにつかみかかった。

 反対にオロチは悪路王あくろおうの漆黒の体に白い帯のように巻きついて強烈にその体を締め上げる。

 ギシギシと巨躯の骨がきしむ音が聞こえるほどの強烈な巻き付きに、悪路王あくろおうは大きくえた。

 オロチは悪路王あくろおうに巻き付いたままさらにその肩口に食らいつき、残った一本の牙を鋭く突き立てた。

 悪路王あくろおうの体から重油のようなドス黒い血が流れ落ちる。


 先ほどよりもさらに大きな咆哮ほうこうを上げ、悪路王あくろおうはオロチの頭を手でつかむと強引に自分の肩から引き離した。

 鮮血が舞い散るのも構わず、悪路王あくろおうはオロチの頭を海面に叩きつけた。

 ヒミカは振り落とされて海中へ落ちそうになるが、とっさに呼び寄せたオロチの尾に乗って難を逃れる。


 オロチは悪路王あくろおうの手の中をスルリとすり抜けて、首もとを食いちぎろうと牙を剥いた。

 だが、すんでのところで悪路王あくろおうは左腕をオロチに噛ませてそれを防ぐ。

 その牙が肌を突き抜けて肉に食い込むのもかまわずに悪路王あくろおうは己の左腕に食らいついているオロチの頭に右手の拳を上から幾度も叩きつけた。

 オロチの頭蓋骨ずがいこつが衝撃を受けてひしゃげる。


 残された一本の牙も折れて悪路王あくろおうの腕の中深くに埋まっていき、その腕からはおびただしい量の出血が見られる。

 もはやオロチも悪路王あくろおうも血みどろの状態となった。


「くっ……何というバケモノだ」


 悪路王あくろおう凄惨せいさんな戦いを目の当たりにしてヒミカはうめくように言った。

 絶対の存在だと長年信奉してきた邪神の傷つき果てたその姿を目の当たりにして、銀髪妖狐のその声からはすでに余裕も自信も失われている。


「死んでも……死んでも負けるわけにはいかないのよ!」


 反対に雷奈らいなの目には死に物狂いの一歩も引けない決死の炎が燃え盛っていた。

 鬼留神社始まって以来の落ちこぼれ。

 史上最弱の鬼巫女みこ候補。

 そう呼ばれ続けた。


「負けたくない」


 そうした汚名への反骨心だけで雷奈らいなは歯を食いしばって生きてきた。

 だが、響詩郎きょうしろう雷奈らいな落伍者らくごしゃとして見ることはただの一度もなかった。

 いつでも雷奈らいなへの信頼がその目に込められていたのだ。


「負けられない……負けたくない!」


 その言葉に込められた真意はもはや以前とは違っていた。

 信じてくれた響詩郎きょうしろうのために自分は負けたくないのだと雷奈らいなは感じることができた。

 ずっと傷だらけだった雷奈らいなの誇りを響詩郎きょうしろうは守ってくれていたのだ。

 だからこそ雷奈らいなは今、心の底から思うことが出来た。


響詩郎きょうしろうの心に応えるんだ」 


 牙を抜かれてボロボロのオロチが苦しげな悲鳴を上げる。

 オロチはその尾で悪路王あくろおうの顔面をピシャリと打ち、悪路王あくろおうがほんのわずかにひるんだすきにウナギのように体をくねらせて悪路王あくろおうの手の中を脱出すると距離をとった。

 ヒミカはのた打ち回って苦しむオロチの体に必死にしがみついていた。


「くっ……私はこんなところで敗れるわけにはいかん!」


 懸命にオロチの頭の上に再び昇ると、ヒミカは憎悪に満ちた視線を悪路王あくろおうに向けた。

 悪路王あくろおうとオロチは再び百メートルほどの距離を挟んでにらみ合った。

 オロチは牙を失った口を震わせながらそれでも大きく開いた。


「灰すら残らないほどに消し去ってやる!」


 黒く絶望的な波動がオロチの口の中に充満していく。 

 だが、雷奈らいな悪路王あくろおうの腹の底に渦巻く熱い力の奔流ほんりゅうを感じ取っていた。

 高レートの妖貨をかけて力を高めたことにより、悪路王あくろおうの腹の中にはぐつぐつと煮えたつ炉のような力の塊が生まれ、それが悪路王あくろおうを興奮状態に保っていた。

 そしてその炉が体の奥底から競りあがるエネルギーを生み出し、それが悪路王あくろおう咽元のどもとからあふれ出した。

 たまらず口を開けた悪路王あくろおうの口内にそうしたエネルギーが蓄積されていく。


「消え失せろ!」


 ヒミカの叫びとともにオロチは充満した波動を巨大な黒炎に変え、悪路王あくろおうに向けてそれを一気に吐き出した。

 爆発音とともに黒炎は大気を焼きながら悪路王あくろおうに向かって一直線に飛んでいく。


「消えるのはそっちだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 雷奈らいなの絶叫に呼応して悪路王あくろおうも口内に蓄積されたエネルギーを赤く巨大な炎に変えて思い切り射出した。

 赤と黒の炎が海上で正面衝突し、風圧が海面を大きく波立たせ、海水を蒸気に変える。


 戦いを見守っていた白雪たちが乗る船は転覆するかというほどに大きく揺れた。

 紫水しすいは疲労し切った白雪の体を抱き寄せ、ルイランと弥生やよいは互いにしがみついて踏ん張った。


 ぶつかり合う炎は2体の巨神の間で互いを飲み込もうとせめぎ合っている。

 悪路王あくろおうが轟然と咆哮ほうこうを響かせ、重低音が辺りの空気を震わせる。

 激しい水しぶきが舞い上がり、悪路王あくろおうの吐き出した赤い炎がオロチの黒い炎を圧倒した。


「なっ……何だと?」


 眼前に迫り来る巨大な紅蓮ぐれんの炎にヒミカは目を見開き、オロチとともに燃え盛る炎の中に飲み込まれていった。

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