第7話 不屈の魂! まだ戦える  

 一番星の輝く薄闇が空を染めている。

 工業地帯に建つバスハウスの中から煌々こうこうと灯かりがれていた。

 二階から降りてきた雷奈らいなは、すっかり準備を整えてソファーに座る響詩郎きょうしろうが穏やかな表情をしているのを見て、少しだけ安堵あんどした。


「起きてたのね。響詩郎きょうしろう


 雷奈らいなの声に振り返った響詩郎きょうしろうは顔色も良くなり、ずいぶんと回復したことが窺える。


「ああ。弥生やよいは?」

「上にいるわ。取替え済みのあんたの包帯から呪いのニオイを記憶してるとこ。集中してるみたいだから、1人にしておいたわ」


 昨夜、呪いを受けてからすでに22時間ほどが経過していた。

 日が暮れてからでなければ弥生やよいも自分の力を発揮できないため、じりじりと時間が過ぎていく昼間の間は彼女にとって拷問ごうもんのようなものだった。

 雷奈らいなにとってもそれは同じことだった。

 響詩郎きょうしろうを刺したあのカラス男をすぐにでも捕まえてその報いを受けさせてやりたいという気持ちが幾度も爆発しそうになった。

 だが、二人とも一番辛いのは響詩郎きょうしろうだという思いを胸にこの時間を耐えたのだ。


「気合い入ってるな」


 落ち着いた口調でそう言う響詩郎きょうしろうの目の前に雷奈らいなは腰を下ろした。


響詩郎きょうしろうに残された時間は多分あと6時間……)


 昼の間も呪いのカウントダウンは無情にも経過していき、ようやく日が暮れて動き出せるようになった時には、もはや残された時間はわずかだった。

 差し迫る恐怖に雷奈らいなの心は今にも折れそうになる。

 不安げな視線を響詩郎きょうしろうに向け、だが雷奈らいなはすぐにうつむいた。


響詩郎きょうしろう……」

「ん?」

「傷……痛む?」


 消え入りそうな声でそう尋ねる雷奈らいな響詩郎きょうしろううなづいた。


「少しはな。でもまあ大丈夫。状況的には悠長なことは言ってられないけど、俺はあきらめてないぞ」


 そう言って拳を握り締める響詩郎きょうしろうに、雷奈らいなは勇気を振り絞るようにもう一度、彼の目を見つめた。


「ご、ごめんね。響詩郎きょうしろう。私のせいで……。守ってくれてありがと」


 珍しく殊勝な雷奈らいなの態度に、響詩郎きょうしろうは胸の中をくすぐられるような面映おもはゆい心持ちを覚えて眉を潜めた。


「どうした? 何か、女っぽいぞ?」


 うつむいている雷奈らいなを下からのぞき込もうとすると、彼女はほほを紅潮させて両手で響詩郎きょうしろうの左右のほほつかんだ。


「う、うるさいわね! それより香桃シャンタオさんが言ってたわよ。これはいい機会だって」


 雷奈らいなの力で顔面をゆがめられながら響詩郎きょうしろうは苦笑した。


「命を失いそうな状況で何ができるか。それで俺の価値が決まる。みたいなことだろ?」


 雷奈らいなは驚いて眉を上げた。


「そうよ。よく分かったわね。しょっちゅう言われてるの?」

「いや。けど桃先生の言いそうなことは分かるよ」


 そう言って響詩郎きょうしろうは意味ありげに笑った。

 そんな彼の顔を放すと、雷奈らいなは顔を窓の外に向けてつぶやいた。


「どうしてそんなに普通にしてられるのよ。怖くないはずないでしょ」


 思わずそんなことを口にしてしまい、言ったそばから雷奈らいなは後悔する。

 だが、それでも響詩郎きょうしろうは落ち着いた態度を崩さず、静かに口を開いた。


「そりゃ怖いさ。けど不思議と取り乱さなくて済んでるのは雷奈らいなが俺の分まで怖がってくれてるからかもな」


 響詩郎きょうしろうの言葉に雷奈らいなは再び彼の目を見つめた。

 響詩郎きょうしろうの目には自分の顔が映っている。


「おまえのほうがよっぽど青ざめた顔してるぞ。珍しいから写真でも撮っておくか」


 少しふざけた口調でそう言い、それからすぐに響詩郎きょうしろうはその目に真剣な光を浮かべる。


「俺たちは駆け出しとはいえプロだ。命の危険に直面する仕事をしてる。こういう事態はいつでも起こり得るんだ。俺にもおまえにもな。そのことは覚悟しとかなきゃならないぞ」

「分かってるわよ」

「こういう局面を乗り切っていかなきゃ、どちらにしろ俺たちに未来はない。俺たちが選んだ道はそういう道なんだよ。だからどんな状況に置かれても前を向いて歯を食いしばるしかないだろ?」


 神妙な顔つきでそう言う響詩郎きょうしろう雷奈らいなは納得してうなづいた。


響詩郎きょうしろう……そうね。確かにそうだわ」


 雷奈らいなは今朝の香桃シャンタオの言葉が響詩郎きょうしろうだけではなく、自分にも向けられたメッセージだったことを今さらながらに知った。

 雷奈らいなの目に力が戻るのを見るうちに、響詩郎きょうしろうは自分自身の心にも勇気の炎が灯るのを感じていた。


「まだ俺たちは戦える。そうだろ?」

「ええ。もちろんよ」


 そう言って雷奈らいなはようやくいつもの勝気な笑みを浮かべた。

 だが、バスハウスがガタッと強い揺れに襲われたのはその時だった。


「じ、地震?」


 雷奈らいな響詩郎きょうしろうと顔を見合わせる。


「いや……」


 連続して大きな揺れに見舞われ、雷奈らいなは座っていた椅子いすから転げ落ちた。


「きゃっ!」

雷奈らいなっ!」


 響詩郎きょうしろう咄嗟とっさ雷奈らいなの体におおいかぶさるが、家具が次々と倒れていくほどの揺れに、その場にうずくまっていることすら出来ずに仰向けに倒れて床を転がった。

 それでも響詩郎きょうしろう雷奈らいなの体をグッと抱き寄せて、飛んでくる家具から必死に彼女を守った。


「ど、どうなって……うおっ!」

「きゃあっ!」


 二人が必死に衝撃に耐えているうちに、さらに大きな揺れが来て、ついにバスハウスが大きくよろけて横転した。

 轟音が鳴り響く中、二人は身を投げ出されて壁に体を打ちつける。


 ほこりが舞い散り、ようやくそこで衝撃が止まった。

 雷奈らいな響詩郎きょうしろうも痛みと衝撃に言葉を失っていた。

 ようやく静けさを取り戻した今、自分たちが置かれている状況を判断しようと必死に思考を巡らせた。


 彼らの視界の中で、家具が全て倒れている。

 響詩郎きょうしろう雷奈らいなは今、床ではなく壁だった部分に身を横たえていた。

 それで二人ともバスハウスが横倒しになっていることをようやく悟った。

 体を打ちつけたことにより刺し傷が開いたようで、鋭い痛みが響詩郎きょうしろうの腹部を襲ったが、彼は必死にそれを耐えながら雷奈らいなの肩をつかんだ。


雷奈らいな! 大丈夫か!」


 響詩郎きょうしろう雷奈らいなを抱き起こすと、彼女は額からわずかに血を流していたが意識はハッキリとしていた。


「わ、私のことより弥生やよいを……」


 そう言うと雷奈らいな響詩郎きょうしろうの手を振り払って立ち上がり、横倒しになったバスハウスから抜け出すべく悪路王あくろおうを呼び出した。


「分かった。用心しろ。雷奈らいな


 そう言うと響詩郎きょうしろうは転倒した家具の上を乗り越えて、弥生やよいのいる2階部分へと駆け出した。

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