第三章 迫り来る命の終わり

第1話 戦慄! 黒き呪い

 船着場での戦いから一夜明けた翌朝。

 響詩郎きょうしろう弥生やよいはバスハウスにて簡単な朝食をとっていた。


雷奈らいなの奴はメシも食わずに出て行ったのか」


 雷奈らいなが普段から使っている食卓の椅子が空席になっているのを見て、響詩郎きょうしろうはポツリとつぶやいた。


「ええ。食欲がないみたいです。やっぱり昨日のことがショックだったんじゃないでしょうか」


 そう言うと弥生やよいはしを止めて響詩郎きょうしろうを見上げた。


響詩郎きょうしろうさんはおとなしくしていて下さいね。まだ傷がふさがってないんですから」


 そう言って心配そうな表情を浮かべる弥生やよいに、響詩郎きょうしろうはゆっくりと椅子いすの背もたれに背中を預けながら笑顔を向けた。


「了解。でもそんなに心配しなくてもいいよ。医者も軽症だって言ってたろ?」


 そう言って響詩郎きょうしろうは自分の脇腹を手で軽く押さえた。

 軽症。

 その言葉に弥生やよいは複雑な思いを抱いていた。


 昨夜、船着場で襲い掛かってきた黒い亡者の持っていた小刀は、幸いにも響詩郎きょうしろうの脇腹をかすめる程度であったため、出血の割に傷は深くなかった。

 だが、傷自体は軽症でも、今の響詩郎きょうしろうの体にはもっと深刻な問題が発生していた。

 弥生やよいは昨晩のことを思い出して、身震いを抑えるように右手で自分の左腕を抱く。


 船着場で黒い亡者の群れに襲われ、雷奈らいなをかばって響詩郎きょうしろうは負傷した。

 重要な容疑者と思しき白イタチを奪還されてしまったものの、何とか黒い亡者の群れを一掃した雷奈らいなは、ほどなくして目を覚ました響詩郎きょうしろうを連れ、彼の師であるチョウ香桃シャンタオ御用達ごようたしの妖魔医院へとタクシーで向かったのだった。

 斬られた傷は軽く縫合をするだけで済んだが、それよりも妖魔の医者が顔を曇らせたのは響詩郎きょうしろうの胸に刻み込まれた呪いの刻印だった。


【26】


 刻印はいたって単純に数字が記されているだけのものであったが、診察中にそれは【26】から【25】へと変化した。

 医者の見立てでは響詩郎きょうしろうの症状は呪術によるものらしく、さらには呪術の中でもタチの悪い【死の刻限】と呼ばれる術で、数字は恐らく1時間ごとに1つ減っていく仕組みになっているようであった。


「これが【0】になれば俺は死ぬってことですね?」


 意外なほど冷静な響詩郎きょうしろうの様子に驚きながらも医者は重苦しい顔でうなづいた。

 恐らく響詩郎きょうしろうを斬りつけた刃物には呪術師によって【死の刻限】の呪いが込められており、その刃で斬りつけられた者には呪いが伝染するのだろうとその医者は言っていた。

 響詩郎きょうしろうもそうしたシロモノがあることは聞いたことがあった。


 結局、その医者のところでは呪い自体には手の施しようがなく、一行はチョウ香桃シャンタオに助言を求めることにしたのだが、その役目は雷奈らいなが買って出た。

 夜中のうちにバスハウスに戻って夜明けを待ち、明け方になると雷奈らいなは出かけていった。

 まだ傷口のふさがっていない響詩郎きょうしろう弥生やよいとともにバスハウスへ残って待機することになったのだった。


「あ~あ。白イタチを奪い返されちまったから報酬もお預けか。それに悪路王あくろおうも大盤振る舞いしちまってこのままいくと赤字だな。借り入れしとけば良かったかな」


 響詩郎きょうしろうは自分のケータイを取り出して悪路王あくろおう使役の専用口座の残額を画面で確認しながらそうぼやいた。

 残金はすでに10万イービルを切っており、仮に1分1万イービルの悪路王あくろおう使用コストを想定すると、もう数分間しか大鬼の豪腕を使役できない計算になる。

 白イタチの断罪報酬である45万イービルが手に入っていれば、こんな心配もせずに済んだのにと響詩郎きょうしろうは残念がった。


 換金士は犯罪者の悪事を暴く対価として報酬を得るが、実際に報酬が振り込まれるかどうかはその容疑者を生きたまま警察へ引き渡して初めて決まる。

 今回のように罪は暴いたが容疑者本人は行方知れずの場合、その身柄の引渡しが完了されるまで報酬の支払いは保留となってしまう。


 ただし、今回のように刻印をケータイで読みとって犯罪歴の登録が済まされている場合には報奨金の半額を利息つきで前借りすることが特例として認められるのだが、そのためには借り入れ用の刻印を施す必要があった。

 響詩郎きょうしろうが白イタチに施したのは通常の刻印だった。


「敵にあんな奴がいるとなるとこれからも厄介やっかいだな」


 幻術で多くの亡者を生み出した敵のことを考えながら、響詩郎きょうしろう弥生やよいがカップに用意してくれたぬるま湯をゆっくりと飲んでため息をついた。

 弥生やよいは不安げな様子で響詩郎きょうしろうをじっと見つめ、彼と目が合うと気まずそうに視線をそらした。

 言いたいことを押し殺しているかのような彼女の様子に響詩郎きょうしろうは落ち着いた声をかけた。


「怖くはないのかって思ってるだろ?」


 自分の思っていることが顔に出てしまっていることに気付き、弥生やよいは目を伏せてうなづいた。


響詩郎きょうしろうさん、あまりにも普通にしているから。もし私だったらきっと普通じゃいられないと思います……」


 そう言ってうつむく弥生やよい響詩郎きょうしろうは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「俺だって死ぬのは怖いよ。でも【死の刻限】は相手を恐怖に狂わせながら死に導くとても性格の悪い呪術だ。俺が動揺すれば、あいつは焦る」


 そう言って響詩郎きょうしろうは窓の外を見やった。

 弥生やよいも彼と同じように、まばゆく朝日の差し込む窓の外に目を向けた。


雷奈らいなさんのことですね」


 二人をバスハウスに残し、雷奈らいなチョウ香桃シャンタオの元へと向かっている。

 響詩郎きょうしろうにかけられた呪いを解くヒントを得るために。


「ああ。まあ、この機会を楽しむってのも悪くないさ。あいつが俺のために何かしてくれることって貴重なんだぜ?」


 そう言うと響詩郎きょうしろうはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

 その顔に弥生やよいもようやく少しばかりの安堵あんどを感じることができた。

 少なくとも響詩郎きょうしろうは絶望していないことが弥生やよいの心を勇気付けてくれるのだった。

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