第7話 脅威の影! 見えてきた難敵

「この部屋にだけ違和感を感じます」


 思いのほか広い船内をあらかた探索し、最後に行き着いた部屋で弥生やよいはそう言った。

 そこは船内の最下層にある倉庫室だった。

 だが、その部屋は内装工事中という理由で立ち入り禁止の札が入り口にかけられており、中に入ると実際に床板のタイルや壁紙の一部が張り替え途中であった。

 ここ最近は客室としては使われていないということが室内の様子からうかがえる。


「妖魔のニオイがするの?」


 そう尋ねる雷奈らいな弥生やよいは首を横に振った。


「いいえ。逆です。ほとんど妖魔のニオイがしません」


 そう言って弥生やよいは再度そのことを確かめるために目を閉じて、決して高いとはいえない小ぶりな鼻でゆっくりと室内の空気を吸い込んだ。

 雷奈らいなは不思議そうな顔で響詩郎きょうしろうに目線を送ったが、彼の目が「ここは彼女に任せよう」と語っているのを見て、黙って弥生やよいの結論を待つことにした。


 弥生やよいはそれから一分近く慎重に確認するようにニオイを嗅ぎ続けると、ようやく目を開けた。

 その顔には確信めいた表情が浮かんでいた。


「やっぱり変です。この部屋。この船内の他のどの部屋にも妖魔のニオイが残っていたのに、ここだけが不自然なくらいニオイがしません」

「え? それってここは別にあやしくないってことじゃないの?」


 予想しなかった答えに怪訝けげんな表情で聞き返す雷奈らいなの言葉に弥生やよいは首を横に振る。


「私は最近のものだけではなく、古いニオイも嗅ぎ分けられるんです。たとえば他の船室や通路には、数年前にそこを歩いたり座ったりしていた妖魔のニオイが残っていました」


 響詩郎きょうしろう相槌あいづち代わりにうなづくと彼女の言葉に補足を加えて雷奈らいなに説明する。


「密航者なんかじゃなくても、この船で働いてきた妖魔の労働者はいるだろうからな。そういう奴らのニオイが残ってるんだろう」


 響詩郎きょうしろうの話にうなづくと、弥生やよいは先を続けた。


「でもこの部屋にはほとんどそれがない。まるで特別な薬品でも使ってきれいさっぱりニオイを消してしまったみたい」

「ちょっと待って。ほとんどってことは……」


 雷奈らいなの指摘に弥生やよいうなづいた。


「はい。ここにたった1つだけ妖魔のニオイが残っています」


 そう言って弥生やよいは自分の足元を指差した。

 彼女の言葉に雷奈らいな響詩郎きょうしろうは互いに視線を交わし合い、弥生やよいの言葉の先を促した。


「それは?」


 だがそこで弥生やよいは残されたニオイの正体に気が付き、思わず顔を曇らせた。


「キツネ……キツネの妖魔。妖狐です」


 弥生やよいの不安げな表情には理由がある。

 妖狐は非常に珍しい妖魔で、世界中を見ても100と少しを数える程度しかいないという。

 そしてその気性は狡猾こうかつで残忍にして、その妖術は多彩。

 彼らを向こうに回して立ち回るには細心の注意を払うべき、というのは妖魔の世界では常識だった。

 不安げな弥生やよいの様子に響詩郎きょうしろう雷奈らいなの顔にも緊張の色が浮かぶ。


「妖狐か。ランクAの仕事って感じがしてきたな」


 雷奈らいな響詩郎きょうしろうは顔を見合わせた。


弥生やよい。妖狐の足取りは分かるかい?」


 弥生やよいは冴えない表情のまま響詩郎きょうしろうの問いに答える。


「それがおかしいんです。この場所以外にはニオイを感じなくて。どうやって部屋から出て行ったのか、それすらも分からない。まるで瞬間移動でもしたみたいに……」

 

 弥生やよいの困惑した様子に、誰もがその場の空気を重く感じていた。

 さらに彼女はもうひとつ気付いた点を挙げた。


「あと、妖魔じゃないんですけど、人間の女の子みたいなニオイがします。この妖狐がいたのと同じ時間に人間の女の子が一緒にいたようです。たぶんその人間の子は霊能力者です。ニオイで分かります」


 弥生やよいの説明を聞くと、響詩郎きょうしろうはじっくりと思案するように腕組みをした。


「だとすると、その女の子が妖狐の仲間で、何らかの方法でここから脱出したんだろうな。弥生やよいは今までニオイが分からなかったことってあったか?」


 響詩郎きょうしろうの問いに少し考えながら弥生やよいは口を開いた。


「こっちではありませんでしたが、魔界にいた頃はたまにありました。たとえば高度な技術を持った結界士の作った結界の中に入られると、ニオイまで消えてしまうことが……」


 そこまで言って弥生やよいはハッとして響詩郎きょうしろうと顔を見合わせた。

 響詩郎きょうしろうも彼女の言わんとしていることを察してうなづく。


「結界士か。もしそんなに高度な技術を持った結界士が妖狐の側についているなら、この船の中から密航者を隠したまま堂々と船を降りることも不可能じゃない」


 彼の言葉に雷奈らいな弥生やよいも納得してうなづいた。


「さて、そろそろ時間だ。船を降りよう。弥生やよいのおかげでかなり有力な情報をつかめたよ」


 そう言う響詩郎きょうしろう弥生やよいは嬉しそうにはにかみながらペコリと頭を下げた。


「お役に立てて嬉しいです」


 先行きはいまだ不透明ではあったが、まだ何か得られるものがあると確信した彼らは、次の一手を打つために不明瞭な景色の中を一歩踏み出すことにした。

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