第2話 破壊の王! 漆黒の大鬼・悪路王

 巫女みこ装束しょうぞくの女の額に【鬼】の文字が浮かび上がっている。

 そんな彼女に襲い掛かる化け猿の目の前に漆黒の大鬼が立ちはだかった。

 コンクリートの床から突然現れたその巨大な黒鬼は、受け止めた化け猿の右腕を無造作に握ると、その手に力を込めた。

 化け猿はすぐさまこれを振り解こうとしたが無駄だった。

 バキバキッという渇いた音が鳴り、化け猿が悲鳴を上げる。


「ギャオアアッ!」


 無残にも化け猿の腕は黒鬼によって握りつぶされて、その骨は粉砕される。

 化け猿は激痛にもだえ狂いながら残った左腕で黒鬼の頭や体を幾度も殴りつけ、その爪を突き立てた。

 だが、黒鬼は地に根を生やしたように仁王立ちのままビクとも動かない。

 化け猿の鋭い爪も黒鬼の硬質な肉体の前にはまるで用を成さなかった。


「無駄よ。そんなことじゃ悪路王あくろおうには傷ひとつつけられないわ」


 女がそうつぶやくと、今度は悪路王あくろおうと呼ばれた黒鬼が化け猿の胴体に両手を回して、渾身こんしんの力でその体を締め上げた。

 化け猿は強烈な力に呼吸すらままならないほどの圧迫感を受けて、苦しみあえぐ。

 背筋せすじに耐え難い圧力を受けて激痛と呼吸困難による恐慌状態に陥った化け猿は、声にならない悲鳴を上げながらその手を振り解こうと、甲板に釣り上げられた魚のように激しく暴れ狂う。

 だが、そんなことはお構いなしに悪路王あくろおうは化け猿の毛むくじゃらの体を容赦なくギリギリと締め上げた。


「キアアアアアアッ!」


 メキメキッと灌木かんぼくをへし折るかのような音が鳴り響き、化け猿は絹を引き裂くようなひときわ高い悲鳴を最後に、悪路王あくろおうの豪腕の中でぐったりと頭を垂れて動かなくなった。


 眉一つ動かさずに腕組みしながらその様子を見つめていた女が指をパチンと鳴らすと、屈強なその黒鬼はつかんでいた化け猿を無造作に投げ捨てた。

 地面に打ち捨てられた化け猿は手足をあらぬ方向にひん曲げられ、白目をむき口から泡を吹いて瀕死の状態で失神していた。

 女は仁王立ちのままフンッと鼻で息を吐くと、倒れたまま気を失っている少女に目をやる。


「変なのに目をつけられちゃって不運だったわね」


 同情の色をその瞳に浮かべてそう言う女のかたわらに、もう一つの人影がスッと並び立った。


「これはまた派手にコテンパンだな」


 そう言って現れたのは、黒のジーンズにツヤのない茶色のブーツを履き、深緑色のパーカーを着用した黒髪の若い男だった。

 その男に向かって白装束に青袴あおばかまの女は平然と声をかける。


「凶悪犯だもの。これくらいは法の範疇はんちゅうよ」


 そう言うと女は再び指をパチリと鳴らす。

 するとそれを合図に、先ほど化け猿を打ちのめした悪路王あくろおうは地面の中へと姿を消した。


「さあ、あなたの仕事を早々に済ませて。響詩郎きょうしろう

「了解」


 響詩郎きょうしろうと呼ばれた少年は女に短く言葉を返すと、倒れている化け猿の体の上で宙に何やら文字を書くかのように指をおどらせた。


勘定丸かんじょうまる。罪の清算の時間だ」


 響詩郎きょうしろうがそう言うと、彼を背後から見下ろすような形で影なき影が宙に浮かび上がる。

 黒い衣をまとい灰色の仮面をかぶった不気味なそれは、まるで死神のようにおぞましく、それでいて裁判官のようにおごそかであり、現れた途端にその場の空気が重くよどむように感じられた。

 だが、響詩郎きょうしろうも女もそうした空気の変化を感じながら平然とその様子を見据みすえている。


なんじの罪を清算せよ。刻印」


 響詩郎きょうしろうがそう言うと、勘定丸かんじょうまると呼ばれた不気味なそれが何事かとつぶやく。

 ブツブツと聞こえてくるその言葉は人間の言語とは思えないような奇怪な響きを持っていた。

 ほどなくして倒れている化け猿の胸に奇妙な模様もようが現れる。

 それは四角い枠の内側に記されたバーコードのような模様もようだった。


 響詩郎きょうしろうはポケットからタブレット端末を取り出すと、化け猿の胸のバーコードを読み込む。

 すると端末の画面には次々と文字が浮かび上がった。

 響詩郎きょうしろうはその文字を読み上げる。


「殺人3件、殺人未遂6件、傷害26件。以上。換金額およそ17万イービル」


 イービル。

 人間社会の裏側に人知れず存在する魔界の通貨である妖貨ようかを表わす単位である。

 金額を聞くとはかま姿の女は舌打ちして、動かない化け猿の体をつま先で軽く小突いた。


「けっこうなワルね。もう2、3本くらい骨をへし折ってやるべきかしら」


 それを見た響詩郎きょうしろうは半ば呆れて首を横に振った。


「やめとけよ雷奈らいな。生きたまま引き渡さないと俺たちのほうが骨折り損になっちまう。それよりその娘は大丈夫か?」


 そう言って響詩郎きょうしろうはタブレット端末をポケットにしまい込んだ。

 雷奈らいなと呼ばれたはかま姿の女は倒れている被害者の少女の側にしゃがみ込んだ。


「大丈夫。ちょっとケガしてるけど息はあるわ」


 そう言って雷奈らいなは気を失ったままの少女の髪を撫でてやった。

 少女は悪夢にうなされる幼子おさなごのようにわずかに苦しげな表情を見せるのだった。


 妖魔。

 それは空想の世界にのみ語られる架空の存在。

 だが、この世にはふとしたことで闇の漂う路地裏に迷い込んでしまう者もいる。

 そしてこの少女のように運悪く闇の住人たる妖魔に遭遇してしまうことがある。

 そんな者たちを普段の日常に戻してあげるべく、妖魔を討つ者がいる。

 ここにいる雷奈らいな響詩郎きょうしろうもそうした妖魔討伐とうばつを稼業とする者たちだった。

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