最後の夜

 それからも二人は依頼を受け続け――とうとう。

「魔素が、溜まった……!」

 ルーチェがペンダントを握りしめ、声を漏らした。

「っ!」

 ついに、来るべきときが来たという思いに、青磁は息を呑んだ。


 ルーチェも複雑な表情を隠せない。これで故郷に念話を送ることができる。だが、そうすれば青磁とは……。

 いけない。ルーチェは自分を叱咤する。こんなことを考えてはいけない。

 故郷の人々を救わなければ。そのために、戻って戦わなければ。

 ルーチェは青磁を振り向く。

「魔素が、溜まったわ。これで故郷に、連絡をとることができる」


「そうか……」

 青磁は言葉がなかった。本当は止めたい。手の届かないところに行ってほしくない。

 だが、ルーチェはずっとこれを待っていたのだ。知らない世界で、一人で待っていたのだ。

 止めることはできなかった。


 ルーチェは引き止められなかったことで、青磁には自分は必要ないのだと感じた。

「それじゃ……始めるわね。――オンダの精よ、遥か地に立つルーナに声の道を結べ、ストレッタ・ディ・マーノ」

 ルーチェが唱えると、カッ! とペンダントが白く光り輝いた。


 光の中、どこからか声が響く。

「――ルーチェ、ルーチェですか!?」

「ルーナ!」

 久し振りに聞いた、懐かしい仲間の声に、ルーチェは笑顔をこぼす。


「ああ、繋がった! よかったです! ルーチェが飛ばされてから、この世界のどこにも気配を感じないから、時空転移だって心配していたんです。私達も、どの世界に飛ばされたのか必死で探していましたけど、なにせ世界は無数にあるものですから……。なかなか見つけられずにいました。そちらから念話を送ってくれて助かりました。元気にしていますか?」

「ええ、元気よ。そちらは変わりない?」

「はい。何せ、プロデッツァとの戦闘から、ほとんど時間は経っていませんから。あ、プロデッツァは無事に倒せましたよ。ルーチェを転移させられたことに怒ったカヴァリエーレが暴れて、ぼこぼこにしてました」

「あはは、あいつらしいわ。……その調子なら、私がいなくても大丈夫なんじゃない?」

「何を言ってるんですか。ルーチェがいてくれなきゃ困りますよ。あなたは私達の勇者なんですからね。――今から迎えに行きます。準備はいいですか?」


「……ええ。あ、いえ……待って。ちょっと待ってちょうだい」

「? どうしたんですか?」

 ルーチェは一度、目を閉じた。振り絞るように言う。

「お願い……一晩、あと一晩だけ、時間をちょうだい。あと一日だけ、こちらで過ごす時間をちょうだい」

 青磁は驚く。

 聞こえてくる声も、不思議そうだった。


「別にいいですけど……やっとこちらに戻ってこれるんですよ? ずいぶんお待たせしたでしょうに……。何かわけでもあるんですか?」

「そういうわけじゃないんだけど……。でも、もう少しだけ時間が欲しいの。お願い」

 重ねて言うルーチェに、

「……わかりました。じゃあ、そちらの時間で明日、迎えに行きますから」

 声は了承した。

 そして念話は切れる。


 青磁は言った。

「……どうしてだ? ずっと、還りたかったんじゃなかったのか?」

「……。こちらで過ごした時間も長かったからね。少し、名残を惜しみたかったのよ。それで、つい。言っちゃった」

 ルーチェは内心の思いを押し隠して笑う。だがその笑みはぎこちなく、こちらの世界への未練がにじんでいた。


 その笑みを見て、青磁の中で何かがあふれた。

 胸をつくその衝動に駆られ、青磁はルーチェを抱きしめる。強く強く、その身体をかき抱いた。

「セ、セージ……?」

 青磁の腕に抱かれ、ルーチェは動揺する。いつかも感じた、青磁の体温。どうして、こんなことを……?


「ルーチェ、お前が好きだ」

 瞬間、時が止まったような気がした。

 自分の耳が信じられなかった。都合の良い幻聴を聞いているんじゃないかと思った。

 だが、自分の身体を抱く、青磁の腕の強い力は、まぎれもなく本物だった。


「今、なんて……?」

「聞こえなかったのか? 何度だって言うぞ。ルーチェ。俺は、お前が好きだ」

 耳元で囁かれる言葉に、涙が浮かんでくる。

(セージが、私のことを好き……?)


「ど、どうして……」

「……最初は、うっとうしい奴だと思った。いつも俺の占いに口を出して、勝手なことを客に言って、行動して。理想を追って、夢を見てる奴だと。だが、それで客は笑顔になった。望まない運命を迎えても、満足して帰っていった。俺がずっと諦めていたことを、お前はやってのけたんだ。俺がずっと負け続けていた運命に、お前は立ち向かった。それが俺には眩しかった。そんなお前に、いつからか憧れるようになっていった。お前のように、俺も強くなりたいと」

「セージ……」

「気がついたら、お前の笑顔を追っていた。いつだって他の誰かのために全力で頑張るお前を、愛しいと思った。いつかは故郷に帰って、俺の前からいなくなってしまうんだと思うと、どうしようもなくやりきれなかった。お前を失いたくないと、そう思った」


 離したらいなくなってしまうとでもいうように、きつく抱きしめる青磁を、ルーチェはそっと抱きしめ返した。

「嬉しい……」

 ルーチェは涙をこぼしながら声を漏らした。

「セージが……そんな風に思ってくれたなんて……」

 ルーチェの手が、青磁の背を撫でる。

「私も、セージが好き。大好き」

「ルーチェ」

 青磁が意外そうな声を上げる。


「最初は、冷たい人だと思ったわ。お客さんに冷徹な台詞を吐いて……。でもそれは、あなたの過去が原因だった。あなたはひどく傷ついていたのね。でも少しずつ、前向きになっていった。運命が見えるという、自分の力に抗おうとしていった。そんなあなたは魅力的だったわ。それに、私の力を見せても、利用しようともしない。私を勇者ではなく、一人の女の子として扱ってくれる。そんなあなたに惹かれるようになっていった」

 青磁は身体を離し、透明な雫をたたえるルーチェの瞳を見つめた。

「あなたとユリさんを見たとき、少しだけ心が痛かった。別れたと聞いたとき、本当は嬉しかったわ。でも、そんな酷いことを考えた自分が嫌になった。それに、私は故郷へ還らなくちゃいけない。いずれ離れ離れになるのは分かっているのだもの、あなたのことは諦めようとした。でも、本当に還る時になって――どうしても、切なくて仕方なかった。それで、意味のないことだと分かっていながら、還る時間を延ばしてもらったの」

 青磁の指が、ルーチェの涙をぬぐう。


「これが最後の夜になる。今夜だけ一緒に過ごして、それで満足しようと思っていたわ。それなのに、こんなことを言ってもらえるなんて……」

 もう一度、ルーチェが青磁に抱きつく。

「嬉しいの。幸せだわ……。もう、これで、この世界を離れることができる」

「ルーチェ」

 青磁は真剣な顔で、青い瞳をのぞきこんだ。

「どうしても……還らなくちゃだめか?」


「セージ」

「向こうの世界は、辛いことも多いんじゃないのか。戦ったり、傷ついたり。お前はこんなに華奢な女の子なのに。こっちの世界なら、平和に暮らせる。それなら――」

 言い募る青磁の言葉は、ルーチェの指にふさがれた。

 ルーチェは、首を横に振る。


「こっちの世界は、居心地がいいわ。――でも、だめよ。故郷には、私を待っている何千万という人たちがいるの。魔王を倒さなければ、平穏な生活は訪れない。故郷では今も、たくさんの民が苦しんでいる。私は私を待っている人たちのために、還らないといけない。たとえそれが、どんなに過酷な世界でも」

「ルーチェ……」


「セージ、それなら私も言うわ。――私と一緒に、私の故郷に来てくれない? あなたのことは私が守るわ。それに、私の世界なら、占いで悩むことはない。誰の運命も見ずにすむわ。私と一緒に……来てくれない?」

 青磁も首を横に振った。


「……以前の俺なら、ついていったかもしれないな。でも、だめだ。俺には、俺の占いを必要としてくれる人たちがいる。お前のおかげで、俺は運命に抗うと決めたんだ。どんな運命も、俺が幸せに変えてみせる。俺はまだ、この国でやるべきことがあるんだ」

「うん……そうね。わかっていたわ」

 また、ルーチェの瞳が潤む。


「じゃあ……今日が本当に最後ね」

「ああ……」

 青磁の瞳を見つめ、ルーチェが言う。

「これが最後なら、お願いがあるの」

「なんだ……?」

「今日は――私と一緒に寝てくれない?」


 青磁はルーチェの頬に手を当てた。

「意味、分かって言ってるのか?」

「分かってるわよ。私だって、子供じゃないんだから」

 ルーチェは頬を染めた。

「セージを……覚えておきたい」

「ルーチェ……」


 青磁は、ルーチェのあごに指をかけ、軽く持ち上げる。

 ルーチェはかすかに、震えていた。

 紅く色付いた唇に、そっと口付ける。

 優しく触れたそれは、想いを伝え合うように長く。

 そして次第に、深くなった。

 角度を変え、何度も何度も唇を貪る。


「は……」

 力が入らなくなったルーチェを、青磁が抱き上げる。

 そして、ベッドへと運んだ。

 二人分の体重を受け、ベッドがぎしりと軋む。

「ルーチェ――愛している」

「私も――愛しているわ」

 その夜、二人は初めて結ばれた。

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