青磁不在の一日

「それじゃあ、出かけてくるから。家で大人しくしていろよ」

「はいはい、分かってますって。いってらっしゃい」

 青磁を見送って、ルーチェはテレビをつけた。

 今ではこの世界にもすっかり慣れて、家の中のものも使いこなせるようになっている。

 青磁は、なぜか週に一度、かならず外出する。決まって半日ほどは帰ってこない。

 どこに行っているのかは知らない。興味がないわけではなかったが、なんとなく聞きそびれていた。

「買い物してるわけでもなさそうだし、誰かに会ってるのかしらね……」

 やることもなく、家事を済ませた後は、家でのんびりと過ごす。


 そんな時、ルーチェは不思議な気分になるのだ。

 元の世界にいたころは、こんな生活考えられなかった。

 世界中にはびこるモンスター。魔王の配下の侵略。毎日が戦いの連続だった。平穏などどこにもない。

 勇者である自分は、どこにいても注目の的だった。だれもが自分に、世界を救ってくれることを期待していた。人々からの期待を一心に背負っていた。それが分かっていたから、自分が唯一の希望であることを知っていたから、この世界を救うのは自分しかいないのだと、どんな苦境にも立ち向かうことができた。

 毎日を必死に生きていたのだ。

 辛いこともあった。泣きそうになることもあった。

 だが弱音を吐く場所は、どこにもなかった。


 だが、この世界では何を期待されることもない。戦う敵もいない。日々の生活に苦しむこともない。

 青磁は自分のことを、ただの女の子として扱ってくれる。色々と能力も見せたのに、それを利用しようとすることもない。自分に何も期待しない。

 ルーチェは、ただのルーチェでいられる。

 元の世界に戻ろうと焦る半面、今の生活は心温まるものを、ルーチェに与えていた。


「こんな生活に、慣れちゃだめよね……」

 ルーチェが物思いにふけっていた、その時。

 かすかに、何かの物音がした。

 ベランダに、どさっとなにかが降り立つような音。

 そして、人がごそごそと動く気配がする。

「誰……?」

 ルーチェは立ち上がる。

 そして、窓が開いた。


 そこには、部屋に半歩足を踏み入れた姿勢で、ルーチェを見て硬直する、三十代ほどの男性がいた。

「なっ……お前、だれだ! 今、この家は無人のはずじゃ……」

 男性は明らかにうろたえている。

「あなたこそ誰よ。勝手に入ってこないで」

 ルーチェが言うと、男性はおもむろにナイフを取り出した。

「騒ぐな! お、大声を出すなよ。こいつが見えるだろ。さ……さっさと、金をだせ」

「何よ。あなた、強盗?」

「そ……そうだ! 早くしろ!」

 ナイフを差し出してはいるものの、明らかにびびっているのは男性の方だった。

 手は震え、腰は引けている。


 ルーチェはため息をつくと、一瞬で男性に距離を詰めた。

 間髪いれずナイフを蹴り上げ、男性の腕を拘束し、床に押し倒す。そして落ちてきたナイフを受け止めて、男性に首筋にぴたりと押し当てた。

「動かないで。首が切れるわよ」

 男性は、呆気にとられていた。

 何がなんだか分からない。気付けば視界が床で埋まっていた。

 振りほどこうともがくが、ルーチェはびくともしない。


「動かないでったら。私も、殺したくはないのよ」

 あくまで冷静なその声に、男性はぞっとした。

 生き物を殺すことに慣れきった声だった。

「わ……わ……わかった。殺さないでくれ、俺が悪かった……」

「なんだか、情けない強盗ねえ」

 ルーチェはナイフを首から外す。

 捕まった男性は、強盗に失敗したことを悟って、がっくりとうなだれた。


「……で? あなた、どうしてこんなことをしたの」

「……え?」

 てっきり警察に突き出されるのかと思ったが、自分を拘束する女性はそんなことを聞いてくる。

「け……警察を呼ばないのか?」

「何も被害を受けてないしね。それより、強盗は犯罪でしょう。どうしてこんなことをしたの」

 女性は自分の処理よりも、動機の方がよほど気になるようだった。強盗を目の前にして、身の上話を聞こうなんざ、とんだ酔狂な女性だ。

 そう思いながらも、抵抗できる状態ではない。強盗はぽつりぽつりと話し始めた。


「……職がなくて……、金がないんだ。……でも、もうすぐクリスマスだろう。別れた妻との間に、三歳になる娘がいて……。娘のために、プレゼントを買ってやりたかったんだ。妻は、職に就けない俺に愛想をつかして、娘を連れて出て行ってしまった……。でも、クリスマスくらいは……、娘のために、何かしてやりたかったんだ……」

「呆れた。そのために選んだ手段が強盗だっていうの? そんな汚れた手段で手に入れたお金でプレゼントをもらっても、何にも嬉しくないでしょう」

「……それでも、俺にはそれしか方法がなかった……」

 ルーチェはため息を吐くと、男性を立ち上がらせた。


 そして、ばんと背中を叩く。

「情けないことを言わないの! そんなことをしている暇があったら仕事でも探しなさい!」

 そして台所へと引きずっていった。

「プレゼントの品物は諦めなさい。それより、今からケーキを作るわよ」

 男性はぽかんとした。


「は? ……ケ、ケーキ?」

「なによ。クリスマスには、ケーキを食べるものなんでしょう?」

「それは、そうだが……」

「あなたは今から、私と一緒にケーキを作るの。それを娘さんにはプレゼントしてあげなさい」

 この女性は何を言っているのかと思った。


「お……俺は、強盗なんだぞ。それを、俺と一緒にケーキを作る?」

「この家のものはセージのものよ。強盗をさせるわけにはいかないわ。でも幸い、クリスマスに食べようと思っていたケーキの材料はあるの。練習のために、一足先にケーキを作るわ。その時、たまたま一緒にいた男の人に手伝わせたとしても、そして手伝ってもらった御礼にケーキをあげたとしても、それくらいならセージも怒らないでしょう」

「あんた……どれだけお人よしなんだ」

「娘のために強盗しようとする人を、放っておけなかっただけよ」


 ネットでレシピを見て、二人はケーキ作りを始める。

「ボールに卵と砂糖を入れて、かき混ぜて」

 男性が不器用な手つきで作業を進める。

 途中からルーチェに交代すると、超速でかき混ぜ、一瞬で泡立った。

 薄力粉をふるい入れ、混ぜて、オーブンで焼いてスポンジを作る。

 生クリームもルーチェが一瞬で泡立てた。

 スポンジと苺をスライスする。

 盛り付けは男性にまかせた。


 作業中に、男性の昔話を聞く。

「昔は俺も、ちゃんと働いてたんだ。でも、気に入らない上司がいて、ケンカになって、クビになっちまった。その後も何回か就職したけど、結局長続きしなくて、どうせ俺なんか駄目だと思うようになって……就職もせず、家でごろごろするようになっちまった」

「そう……ケンカの原因は、なんだったの?」


「……上司が女性社員に、セクハラをしていたんだ。それをかばって、やめさせようと注意したら、さんざんいびられるようになった。それに我慢できなくて反論したら、終わりだよ」

「次の会社を辞めたのは?」

「上司が、周りにばかり言い顔をする人間だった。どんどん余計な仕事を取ってきて、部下たちは無駄な仕事でいつも残業させられて、残業をつけることも許されなかった。改善してくれと申し入れたら、クビだよ。いつもそんなことばかりだ。上司でも、だめだと思うところがあったら我慢できなくて、つい言ってしまうんだ。そんな奴は、組織では煙たがられる。そして会社から追い出されるんだ」


「なんだ。じゃあ、あなたは悪くないじゃない」

「……え?」

「あなたは、悪いと思ったことを指摘しただけでしょう? それなら、言われたほうはそれを改善すればよかった。それをせずに、あなたを悪者にしたのは、その人の器の小ささよ」

「でも、会社は縦社会なんだ。上の言うことは絶対だ。俺は、我慢しなくちゃならなかったのに……」

「それは何もかも思い通りになるわけではないわ。不本意でも、気に入らなくても、我慢しなくちゃいけないことはあるわよ。あなたに我慢が足りなかったのなら、反省すべきね。でも悪いところを悪いと認めずに、自分に都合の悪い人間を排除するような組織なら、辞めてよかったわよ」

「やめて、よかった……」


「きっと、もっといい会社があるわ。働き甲斐のある会社があるわ。あなたはそれを探すべきよ」

「……だが、何度も転職をしていると、就職活動には不利なんだ。なかなか雇ってもらえない……」

「それでも、頑張るしかないわ。何故って、あなたは娘さんが大切なんでしょう? 強盗してまでプレゼントを上げたいと思うくらい、愛しているんでしょう? それなら、愛する人のために努力するべきだわ。強盗なんて、もってのほかよ。犯罪を犯したら、もう二度と娘さんには会えなくなるかもしれないわよ」

「……」


「あなたには、犯罪者なんかより、真面目に働いているほうがよっぽど向いているわよ。自分はもうだめだなんて諦めないで。あなたは、人の心を持っている。もう一度、仕事を探しましょう。胸を張って、娘さんに会えるように」

「あんた……本当にお人よしだな。こんな俺の話を、真面目に聞いて……」

「誰でも、幸せになれる可能性があるのなら、幸せにしたいわ。私には、一緒にケーキを作ることくらいしかできないけれど」

「いや……充分だよ、ありがとう」


 出来上がったケーキを箱に詰め、強盗は玄関から出ていった。

「もう一度……就職活動を始めて見る。今度は自分の稼いだ金で、娘にプレゼントを買ってやるよ」

「ええ、その意気よ。……頑張ってね」

 ルーチェは男性を見送った。


「娘……か」

 ルーチェは考える。

 故郷の両親は、今頃どうしているだろうか。十二歳のときに勇者として旅立ってから、もうずいぶんと会っていない。

 元気にしているだろうか。モンスターに襲われてはいないだろうか。

 会いたい。考えないようにしていた郷愁の念が、ルーチェの心に忍び寄る。

 帰りたい。故郷に帰りたい。

 でも今は、考えてもしょうがない。ルーチェは無理矢理、想いを振り払った。

 ここでは、迎えを待つしかないのだから。

 魔素を貯めて、仲間達に念話を送る。そうすれば。迎えに来てもらえる。

 魔素も随分溜まってきた。故郷に帰れる日も、もうすぐだ。

 それまでは、ここで、自分にできることをしよう。


「ただいま」

 青磁が帰ってきた。

「おかえりなさい」

「留守中、何もなかったか?」

 ルーチェは笑顔で答えた。

「ええ、何もなかったわよ」

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