「彼氏の幸せの行方」

 その日の客は、社会人の女性だった。

 地味で大人しそうな女性だ。

「高橋有希奈といいます。恋愛の運勢を、占って欲しいんです」


「恋愛ですね……具体的には?」

「私には今、付き合っている人がいるんですけど……、その人、女友達がすごく多いんです。その中でも、特に仲がいい女の人がいて。莉沙さんっていうんですけど。二人で遊びにいったりもしてるみたいなんです。それで、この間……莉沙さんに、彼氏が、告白されたらしくて。彼氏は断ったけど、莉沙さんは諦めなくて」

「それで?」


 苦しそうな顔で、客は言う。

「莉沙さんは……すごく人当たりが良くて、明るくて、人気者なんです。スポーツもできるし、家事も得意で、仕事もできて。彼氏と趣味も合ってるみたいなんです。とにかく、女性としてすごく魅力的な人で……。彼氏も、仕事もスポーツも家事も、なんでもできる人なんです。それに比べて、私は……。人付き合いが苦手だし、友達も少なくて。不器用で家事も苦手だし、運動音痴で、彼氏が好きなスポーツに付き合うこともできません」

「……」

 青磁はこの女性は何を言いたいのだろう? と思う。


「この年だし、結婚も考えてます。でも……。私なんかより、莉沙さんと付き合ったほうが、彼氏にとって幸せなんじゃないかと思って。だって私より、何もかもがずっと優れてるんです。その人と結婚するほうが、彼氏は幸せに暮らせるんじゃないかって……。だから、もしそうなら、私は身を引こうと思うんです。彼氏のこと、諦めようと思うんです」

「それで、占いたい内容は?」


「……私と、莉沙さんと、どちらと結婚するほうが、彼氏は幸せになれるのか。それを占って欲しいんです」

 有希奈は胸が苦しかった。本当は、彼氏には自分を選んで欲しい。でも、莉沙さんに勝てる自信なんかない。彼氏と自分がつりあう自信なんかない。

 それならいっそ身を引こうと思った。だから、彼氏の幸せはどこにあるのか、占ってほしかった。

 有希奈の目には、悲愴な決意が湛えられていた。


「わかりました。彼氏さんの、生年月日はわかりますか?」

「はい」

 有希奈が答えて、青磁が占う。

「結果がでました」

 有希奈がぎゅっと手を握る。


「莉沙さんと結婚するほうが、幸せに暮らせますね」

 その言葉を聞いたとき、有希奈の胸は張り裂けそうになった。

 想像してはいた。予想してはいたが、その宣告は、それを認めることは、どうしようもなく切なくて苦しかった。

 有希奈の目から涙がこぼれる。


「そうですか……。やっぱり、そうですよね……」

 ぽたぽたと雫が落ちる。

「分かりました……。私、諦めようと思います。莉沙さんと付き合って、って、彼氏に言います。……占い、ありがとうございました……」

 ぼろぼろと泣きながら、有希奈は席を立とうとする。

 そこに。


「待って」

 ルーチェが声をかけた。

「おい」

 青磁が止めようとする。だが、ルーチェは聞かなかった。

 有希奈を見つめて言う。

「あなた、本当にそれでいいの? 後悔しないの?」

 その言葉は、鋭く有希奈の胸に突き刺さった。


「悪いけど、言わせてもらうわ。リサさんの方が自分より魅力的な女性だから、彼氏の幸せを思って身を引くなんて、そんなの、自分が努力することを放棄しているだけじゃない。本当に彼氏が好きなら、リサさんに負けないように、自分を磨けばいいじゃない。彼氏につりあうように、リサさんより魅力的になれるように、あなた自身が変わろうとするべきなんだわ。努力もしないで、向上することもしないで、ただ自分を選んでくれるのを待つなんて、そんなの贅沢だわ」

 ルーチェの言葉に、有希奈は、はっとした。

 そうだ。最初から諦めるなんて、それは甘えだ。莉沙さんに立ち向かうことを放棄しているだけだ。


 ルーチェはさらに続ける。

「それに、彼氏の幸せを思って、好きなのに身を引くなんて、あなた、彼氏のこと大好きなんじゃない。自分を後回しにできるくらい、本当に好きなんじゃない」

 その言葉に、有希奈の胸は大きく揺れた。

 莉沙のことを知ったときから、諦めようとしていた。自分の心を押し殺していた。私なんかが勝てるわけがないという諦観もあった。

 でも、そうだ。そうだったのだ。

 私は、自分が辛くても我慢できるくらい、彼氏のことが大好きで、愛しているのだ。

 言われて初めて、自分のその気持ちを真正面から受け止めた。


「それなのに、別れて後悔しないの? 二人を、笑ってみていられる? 二人の結婚を、祝福できる? その後の人生をずっと共にする二人を、あなたの人生でずっと見続けることを、あなたは耐えられる?」

「う……わあ、あああ!」

 有希奈は号泣した。

 辛かった、辛かった、辛かった。

 莉沙さんに告白されたと聞いたときから、本当は辛くて仕方がなかった。心の中では私を選んでと絶叫していた。私だけを見てほしかった。

 辛いから、逃げて、諦めた振りをして、自分の傷から目をそらした。

 でもそんなこと、本当はなんの解決にもなっていなかったんだ。

 だって、私はこんなにも、彼氏のことが大好きなのだから。


「いやです……。そんなの、いやです! 諦めたくありません……! そんな二人、見たくない!」

「それじゃあ、立ち向かいなさい。私を選んで、って、ちゃんとあなたの恋人に伝えなさい。彼氏のために身を引くだなんて、そんな欺瞞はやめなさい。あなたの心に、素直になって」

 ルーチェの言葉は、有希奈の心に染み入ってきた。

 そうだ、ちゃんと、伝えなければ。


「はい……伝えます。あなたのことが好きだって。莉沙さんより、誰より、あなたのことが好きだって。わかってもらえるまで、何度でも」

 有希奈は涙を拭いた。

「もう、諦めません。莉沙さんに負けないよう、努力します。自信を持って、彼の隣に並べるように。私が彼の恋人なんだと、胸を張って言えるように。彼と将来を歩めるように」

 ルーチェは笑った。

「そのほうがいいわ、きっと」


 有希奈も笑う。

「後で後悔しても、どうしようもないですもんね。――私、早速彼に会いにいってきます! この気持ちを早く伝えたい」

「ええ、いってらっしゃい」

「あなた……お名前は?」

「ルーチェというわ」

「ルーチェさん。ありがとうございました!」

 有希奈は頭を下げ、吹っ切れたような笑顔で立ち上がる。

 それから顔を上げ、颯爽と歩いて行った。


 有希奈は彼氏に電話をかける。

「……もしもし? 私。話したいことがあるの。会ってもらえるかな?」

 もう一度、告白しよう。結果がどうなるかは分からない。

 それでも、胸にあふれるこの気持ちを伝えたら、きっと何かが変わる。

 そう思った。


「いい顔をしていたわね、彼女」

「……あんな風にたきつけて、結果振られたらどうするつもりだ?」

「いいのよ、それでも。自分の気持ちに嘘をついて押し込めて、最初から諦めるより、正面からぶつかったほうがよっぽど彼女のためだわ。結果がどうでも、きっと無駄にはならないはずよ」

「……女心は、よくわからん」

 それでも、心を決めた有希奈の笑顔は、確かに輝いていた。


 青磁は考える。

 運命は変えられない。

 悪い結果がでて客が落ち込んでも、仕方のないこととして割り切っていた。

 だが、ルーチェはそれに立ち向かう。結果は同じでも、過程が違うことによって客は笑顔になる。

(……俺は、運命に負け、そういうものだと諦めていた)

 だが、ルーチェは諦めない。いつでも、どんな未来が待っていたとしても、それに立ち向かう。抗おうとする。

 青磁は、客の笑顔を見て、喜んでいる自分に気付いた。

 運命に立ち向かうために、努力することは無駄ではないのかもしれない。そんな風に思うようになった。

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