「地区大会での勝敗」

 三人目の客は、男子高校生だった。

「もうすぐ、剣道の地区大会があるんです。でも、うちの学校は、今まで一度も優勝したことがなくて……。おれは三年生だから、今年が最後のチャンスなんです。どうしても優勝したくて。できるかどうか、占ってもらえませんか」

 青磁の答えは、

「無理だな。優勝はできない」

だった。


「……そう、ですか……」

 がっくりと肩を落とす男子高校生。

「諦めるのは早いわ!」

 そのとき、ルーチェが声を上げた。

「優勝できないというのなら、今から強くなればいいのよ!」

 高校生は突然声を上げた美少女に、何事かと驚いている。


「強くなるって言ったって……もちろん練習はしているよ。そんな急には……」

「私が稽古をつけてあげるわ」

「きみが……?」

 高校生は少しムッとした様子を見せた。

「悪いけど、きみ、僕と同い年くらいだろう? いくらなんでも、女の子に教えてもらうほど弱くはないよ」

「ケンドウ、といったわね。察するに、剣術みたいなものでしょう? それなら私、それなりに強いと思うわよ。――得物は持っている?」

「あ……ああ、部活帰りだから、竹刀は持っているけど」

「ちょっと貸してくれない?」

 ルーチェは高校生に竹刀を借りた。


「絶対に動かないでね」

 ルーチェが竹刀を握る。

 そう思った次の瞬間、高校生の目の前には寸止めされた竹刀があった。

 一歩遅れて、剣圧で前髪が揺れる。

 高校生は何が起きたのか分からなかった。目で追うどころではない。瞬間移動したとした思えないほどの速さだった。それだけの速さでありながら、数ミリ単位の正確さで寸止めされている。

 これで防具をつけ、叩き込まれていたなら、試合だと文句なしの一本をとられているだろう。


「認めてもらえるかしら?」

 高校生は圧倒されたように、こくこくと頷いた。

「それじゃあ、練習しましょう。まずはルールを教えてくれる?」

 ルーチェは高校生――拓也というそうだ――にルールを聞き、体育館について行った。ルーチェを一人にすると何をするか分からないので、仕方なく青磁も同行する。


 拓也は防具をつける。ルーチェはそのままだ。竹刀だけを持っている。

「それじゃあ、とにかく私が打ち込むから、それを防いでみて」

「わ……わかった」

 拓也は竹刀を構える。

 パァン! と、小気味いい音が鳴った。

 竹刀を振り上げる瞬間すら見せず、一瞬のうちに、ルーチェの竹刀が拓也を打ったのだ。

 それも一箇所ではない。正面から面を打ち、降ろす刀で胴を打ち、そのまま小手を叩き落す。三箇所を一度に攻撃していた。

 それなのに、音は一回しか聞こえなかったのだ。どれほどの速さで打たれたのかが伺える。

 拓也は微動だにできなかった。見ることすらできないのだから、反応の仕様がない。


「まだまだ行くわよ。頑張ってね」

 そこからルーチェの猛攻が始まった。

 目にも止まらぬ速さで、次々と攻撃を繰り出す。残像で手が何本にも見えるほどだ。

 マシンガンの乱射を受けているように、拓也は数え切れぬ衝撃をくらう。

 防ぐどころではない。どこから打ち込まれているのかすら見えない。

 途中から反応することは諦めて、とにかく攻撃を見ることだけに集中していた。

 それでもとても目で捉えることはできず、見えない攻撃をただ立ち尽くしてくらい続けた。

 永遠にも思えた攻撃が止む。

 随分長い時間打ち合っていたようだが、実際は一分ほどの間だった。


「どう?」

「すごいよ! 全然見えなかった。君だったら全国大会でも優勝……いや、それ以上だよ! きみ、一体何者なんだい?」

「あー……」

 ルーチェはちらりと青磁を見る。

 青磁は目で「黙っていろ」と合図した。

「……ごめんね。何者かは言えないの。でも、名前はルーチェよ。これからよろしく」

 拓也はルーチェのような美少女に微笑まれ、頬を赤くした。


「じゃあ、次は一本ずつ打ちましょう。私が面、胴、小手のどこかに打ち込むから、あなたはそれを防いで」

「わかった」

 向かい合い、二人が静止する。

 拓也はわずかな動きも見逃さまいと、集中してルーチェを見つめた。

 だが、気付いたときにはルーチェの竹刀が拓也の面を打っていた。

「次、行くわよ」

 拓也は瞬きもせずに目を凝らす。

 しかし、見る間もなく小手を打たれる。

 結局、ルーチェの攻撃は一度も防ぐことができなかった。


「今度は攻守交替しましょう。あなたが私に打ち込んできて」

「え? でも、きみは防具をつけてないけど……」

「大丈夫、当たらないから」

 さらりと言われて、拓也は戦意を刺激された。

 絶対に当ててやる! そう思って竹刀を構えるが……。

(……ぜ、全然隙がない……)

 ルーチェはただ立っているだけのように見えて、その実全く隙を見せなかった。

 破れかぶれで拓也は打ち込むが、あっさりと防がれる。

 何度打ち込んでも、ルーチェの身体にかすりもしなかった。


「少し、難しいかしらね……。じゃあ、私がわざと隙をつくるから。それを逃さず打ち込んでみて」

 そんな提案すらされる。

 じっと見ると、確かに一瞬の隙が生じた。

 すかさず打ち込むが、拓也が打ち込むより早くルーチェは防御体勢をとっていて、またも竹刀ははじかれた。

 その後も、ルーチェの防御をかいくぐることはできなかった。


「今日は、このぐらいにしましょうか」

 一時間ほどの練習が終わった後には、拓也は汗だくになっていた。だが、ルーチェは汗一つかいてない。涼しい顔をしている。

 力の差は歴然だった。

(彼女は……コーチより、どんな選手より、ずっと強い。まるで常人離れしている。人間業じゃないみたいだ。彼女に鍛えてもらったら、おれも強くなれるかもしれない)

 拓也は疲れきっていたが、心の中は希望に燃えていた。

「これから試合まで毎日、練習をしましょう。あまり、他の人には見られたくないの。ブカツが終わった後にここにくるから、一人で待っていて」

 そう約束して、ルーチェは帰った。


 帰り道、青磁は言う。

「何の関係もない高校生の練習につきあうなんざ、変わった奴だな」

「そう? 勝負に勝ちたいというのなら、応援してあげたいじゃない。私にできることなら、助けになるわ」

「ふん……。まあ、勝手にすればいいさ。結果は変わらないんだ」

「あなたはそればっかりね。努力してみなきゃわからないじゃない」

「……」

 青磁はもう何も言わず、冷めた目で歩き続けた。

 

 翌日から、青磁の仕事が終わった後、ルーチェは毎日拓也の練習につきあった。

 相変わらずルーチェの攻撃を拓也は防げず、拓也の攻撃はルーチェに当たらないままだった。

「本当にこれで上達してんのか?」

「余計なこと言わないで。少しずつでも、変化しているはずよ」

 青磁の茶々に、ルーチェは言い返す。

 拓也も、

「部員との練習の時には、前より攻撃が見えるようになったよ。一本取れることも多くなった」

そう主張する。

 地区大会まで三週間、ルーチェはみっちり指導を続けた。


 そして地区大会当日。

 ルーチェは青磁と共に見学に来ている。

 拓也のチームは決勝戦まで勝ち進んでいた。

 試合の合間に、声をかける。

「すごいじゃない! あと一回戦ね」

「ああ。だけど……」

 拓也は口ごもる。

「決勝での俺の対戦相手は、全国大会の常連なんだ。優勝したこともある、有名な選手だ。おれに、勝てるかどうか……」

 ルーチェは、どん、と拓也の胸を叩く。

「何言ってるの。どんな選手だろうと、絶対に私の方が強いわ。その私とずっと訓練していたのだもの。自信を持ちなさい」

 いたずらっぽく笑うルーチェに、拓也も笑った。

「――そうだね。全力を尽くすよ」


 試合が始まった。

 拓也の対戦相手は大柄な選手だ。威圧感も半端ではない。

 しかし向かい合った拓也は、不思議な気分に包まれていた。

(あれ……なんだろう。全然気迫を感じない。圧力が弱いぞ)

 自分より数段格上の選手のはずだが、全く負ける気がしなかった。

 相手選手が猛然と打ち込んでくる。

(見える! ルーチェより全然遅い)

 拓也は竹刀でそれを払う。

 何度も連撃が打ち込まれるが、拓也は余裕でそれを払っていた。


 次第に、相手選手がイラついてくるのがわかる。

 攻撃にも乱れが出始めていた。

 そしてそれは、隙にも繋がる。

 攻撃が当たらないことに業を煮やして、攻めることで頭がいっぱいになった相手は、防御が後回しになっていた。

 今の拓也にはそれが隙だらけに見える。

 相手の攻撃をかいくぐり、拓也は鋭い一撃を繰り出した。

 パァン! と乾いた音が鳴り響く。

 拓也の一撃は、相手の面を見事捉えていた。


「一本!」

 審判の声があがる。

 相手選手は驚愕した。

 その後も、勝負を焦って粗い攻撃を繰り返す相手に、拓也は冷静に対応し、隙を逃さず胴を払った。

「一本!」

 二本を先取し、勝負は拓也の勝ちとなった。


「タクヤ、お疲れさま」

 大会後、ルーチェは拓也に駆け寄る。

「ルーチェ、今までありがとう。おかげでおれはあいつに勝つことができたよ。――残念ながら、優勝はできなかったけどね……」

 大会は、団体戦だった。拓也だけは白星を得たものの、他の選手が全敗し、結局決勝戦は敗退してしまったのだ。


「でも、おれは嬉しかったよ。あんな強い選手に勝つことができたんだ。全部、ルーチェのおかげだ」

 拓也は晴れやかな笑顔を見せる。

「今回は、おれが自分のことしか考えていなかったから、チームを引っ張ることができなかった。今度は、ルーチェに教えてもらったことをもとに、卒業までの間、部員達を指導するよ。それでみんなを強くするんだ。そうすれば、おれはもういないけど、来年にはきっと大会にも優勝できる」

 拓也はルーチェと固く握手をした。

「きみのおかげで、最後に後悔しない試合をすることができた。本当にありがとう」

 拓也は笑顔で礼を言った。


 帰り道。

「よかったわね、タクヤ、嬉しそうで。魔素も回収することができたわ」

「……」

 青磁は黙っていた。

 結果は、占いどおりだった。占ったとおりに、拓也は地区大会で優勝することはできなかった。

 拓也が望まぬ結果になったのに、どうして拓也はあんなにも晴れやかに笑っていたのだ? どうして、満足することができた?

 それは青磁には衝撃だった。

(そんなこともあるのか……?)

 青磁の心には小さなさざなみが立った。

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