「末期がんの父の余命」

 ある日、一人の客が訪れた。

「小嶋、春香といいます。あの、私には……」

 一度言いにくそうに口を閉じてから、

「……末期がんになる父がいるんです。五十歳とまだ若くて、何ヶ月か前まで元気だったのに、気付いたときにはがんが進行してて……」

 そこでまた言葉を詰まらせる。


「……大好きな父なんです。どうか、長生きして欲しい。父があとどれだけ生きられるか、占っていただけませんか?」

 ここへくるまでにずいぶん迷ったのだろう。話している今も、手が震えている。結果を聞くのがこわいのだ。

 それでも、万に一つの望みにかけて、やってきたのだろう。

 だがその望みは、残酷にも裏切られる。


「もう長くはありませんね。あと一月もすれば、亡くなられるでしょう」

「! そんな……!」

 春香は立ち上がった。顔面は蒼白となり、手をぎゅっと握り締めている。

 その瞳からみるみる涙があふれだした。

 行く筋も頬を伝って落ちる。


「お父さん……」

 泣きじゃくる春香を、ルーチェは見ていられなかった。

 駆け寄って、抱きしめる。落ち着かせるように何度も背中をさすった。

 しばらく泣いてから、春香は涙を拭いた。

「……ごめんなさい。取り乱して。でも、あと一ヶ月しかないなんて……」

 また春香の目がうるむ。


 ルーチェは見ていられず、言った。

「あと一月の間に、なにかお父様にしてあげられることはないかしら? 今、お父様はどうしているの?」

「……病院に、入院しています。抗がん剤治療をやっていて、その副作用もとても辛そうで……。見ているだけで辛くて……」

「お父様を、何か元気付けられる方法はないかしら。お父様に、何か心残りはない? お父様が、人生でやり残しているようなことはない?」

「……わかりません。私には。父は、これも天命だと言っているけど……」


 ルーチェは青磁をきっ、と見た。

「セージ。占ってあげて」

「はあ? 何をだよ」

「彼女のお父様の、心残りよ」

「なんでそんなこと。んなもん、依頼の範囲外だ」

「いいからやるのよ!」

 いかにも大儀そうにする青磁に、ルーチェは一喝した。


 しぶしぶ、青磁は占う。

「……。あなたのお父さんには、養子に出した息子さんがいらっしゃるようですね」

 青磁の言葉に、春香はびっくりしたように顔を上げた。

「養子!? そんなこと、聞いたことないわ。私、一人っ子のはず……」

「あなたが生まれる何年も前に、息子さんが生まれたようですよ。あなたにとってはお兄さんですね。そのころのお父さんは、とても貧しかった。生活に困って、息子さんを育てることができなくなったようです。そこで、裕福な家庭に引き取ってもらった……。あなたにはそれを内緒にしていたようですね。それ以来、養子に出した子には会っていない。その子が今どうしているのか、幸せにくらしているのか、自分を恨んではいないのか、それが一番心配なようです」

「そんなことが、あったんですか……」

 春香は衝撃を受けている。


 ルーチェは決断した。

「セージ、その息子さんを、探し出しましょう」

「はあ!? なんで!」

「なんでも何もないわよ。養子に出して以来一度も会えていない息子さんなんて、最後に一度会いたいに決まっているでしょう!? お父様に、会わせてあげるのよ!」

「そんなことしたって意味ないだろう!」

「あんたには人の心ってものがないの!?」

 何度も言い合い、どうにか養子の居場所を占うことを、青磁に了承させた。

「ハルカさん。そういうわけだから、病室で待っていて。かならず、お兄さんを連れて行くから」

 春香は何度も何度もお礼を言って帰って行った。


「……わかんねえな。あいつの父親は、どうせ亡くなるんだぞ」

「だからこそ、それなら余計に、最後までどう生きるかが大切でしょう」

 父親の占いから、養子の生年月日を割り出し、養子の現在の居場所を占う。

 訪れた先は、立派なマンションだった。

 呼び鈴を鳴らすと、しばらくして一人の人物が出てきた。

 三十歳ほどの青年だ。

「……間違いない。こいつだな」

「? あの、あなた方は――?」

 青年は見知らぬ二人に、不思議そうにしている。

 ルーチェは青年に事情を説明した。


「お父さん、今日はいい天気よ。陽の光が気持ちよかったわ」

「ああ……春香。いつもありがとうな……」

 お見舞いに行った春香を、父親がベッドの上で出迎える。

 治療の副作用で髪の毛は抜けてしまった。がんのせいで全身に痛みがあるのだろう、どうにか笑顔を浮かべようとするが、その顔はぎこちなく、暗い影を隠しきれなかった。

 春香は痛々しく思いながら看病をする。

「何か食べたいものはある? お見舞いでいただいたりんごもあるわよ」

「ありがとう……。だが、今は大丈夫だよ……」

 食欲もないのだろう。春香は、父親のために何もできない自分がくやしかった。


 そんな時。

「こんにちは」

「! あなたは、月宮さんの……!」

 ルーチェが病室を訪れた。

「どうしてここが? ……って、それも占いですか」

「そういうこと」

「お見舞いにきてくれて嬉しいです。どうぞこちらへ」

 案内しようとする春香を、ルーチェは引き止めた。

「待って。私はついでなの。約束どおり、つれてきたわよ」

「え――?」

 ルーチェが後ろを指し示す。


 そこには。

「きみが……春香かい?」

 三十歳ほどの青年が、見舞いの品を持ってたたずんでいた。

「あなたは……」

 春香が視線を揺らす。

「……はじめまして。君の、兄だよ」

 呆然とする春香の横を抜け、青年は真っ直ぐに、ベッドのもとへと歩く。

 そして横たわる父親の横にしゃがみこみ、優しく語りかけた。


「……僕が誰か、わかりますか?」

 父親は必死に身体を起こし、信じられないと言う顔で、青年を見つめた。

「お前は……。泰孝!」

「お久し振りです、お父さん」

「お前……ど、どうしてここに。それに、なぜ、わしのことを」

「親切な占い師さんが、全部教えてくれたんですよ」

 泰孝は父親の手を握る。


「……お父さん。僕は今、とても幸せに暮らしています。僕を育ててくれた両親は僕を愛し、とても大切に育ててくれました。成人したときに、僕は養子であることを知らされました。最初は驚いたけど、でも、育ての両親から、本当の両親がどれほど僕のことを愛していたか、どれほど手放したがらなかったかを聞きました。僕は二組の両親を、どちらも愛しています。僕は結婚して、子供もできました。大切な家族です。今の僕があってよかった。僕を生んでくれたお父さんに――あなたに、心から感謝しています。……会えて、よかった……」

「泰孝……」

 父親は涙でぐしゃぐしゃに顔を濡らしていた。


「こんなに……こんなに立派な青年に育ったんだな。お前を養子に出すしかなかったことを、ずっと後悔していた。お前が元気に暮らしているか、ずっと心配していた。それが、こんな風に会うことができるなんて……。お前から、そんな言葉を聞くことができるなんて……。わしは、もう会うことはできないと、このまま死んでいくのだと思っていた。それが最後にお前に会うことができて、こんなに嬉しいことはない。泰孝、よく、来てくれた。よく、わしを許してくれた……!」

 父親と泰孝はかたく抱き合った。

 春香もそれを見て泣いている。


「何十年も前に別れた息子と会うことができた。それにわしには、いつも献身的に看病してくれる優しく愛おしい娘もいる。……私は幸せ者だ。これでもう、思い残すことはない。今日は最高の日だ」

 父親は顔中で笑った。それは春香が久し振りに見る、父親の心からの笑顔だった。

「今度は、僕の子供達もつれてきますよ。あなたの孫に、是非会ってやってください」

「おお……それは楽しみだ。また一つ、幸せが増えたな」

 父親はもう治療の副作用も、がんの痛みも、どこかにいってしまったようだった。

 ルーチェと青磁はそれを見届けて、そっと病室をでた。


 父親は、それから一ヵ月後、娘と息子、そして孫達に見守られながら、笑顔で息を引き取った。


「お父様、喜んでくれて良かったわね。魔素も放出されたし、満足してくれたみたい。ハルカさんも嬉しそうだったわ」

「……寿命は、変わらないのにな……」

「いつ死ぬかじゃなく、それまでどう生きるか、でしょう? お父様は、充分に生ききったのだわ」

 青磁はわからなかった。

 ルーチェは、どうしてそこまで他人のために必死になれるのか。未来を知っても、それを少しでも良いものにしようと必死であがく。運命に抗おうと努力する。

 結果は変わらないのに。過程を変えようと懸命に生きる。

 そうしたら、客は笑顔になった。

 青磁は、運命が見えることに慣れきっていた。悪い未来でも、仕方のないことと諦めていた。

 だが、諦めなければ何かが変わるというのか――?

 ルーチェの存在は、青磁の心に小さな変化を及ぼしていた。

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