ルーチェの熱意

「本当に……異世界の人間なのか」

「ええ。残念ながらね」

 少女は剣を収めて言う。

「まだ名乗ってもいなかったわね。私はルーチェよ」

「俺は……月宮青磁だ」


 ルーチェは申し訳なさそうに言う。

「一刻も早くもとの世界に戻りたいんだけど……、魔法が使えないから、仲間に連絡をとることもできないわ。このままでは、ルーナたちが迎えに来てくれるのを待つしかないわね」

 ルーチェは青磁を見た。

「そういうわけで、悪いけど、しばらくここに泊めてくれないかしら」

「はあ!?」


「転移させられた座標から、なるべく動かないほうが見つけてもらいやすいのよ。だから、ここで迎えを待たせてもらいたい。もちろん、お金は払うから」

 そう言ってルーチェが取り出したのは、金貨だった。

 見事に輝いており、メッキではなく純金に見える。


「いや、金とかの問題じゃねえよ。俺はあんたと暮らしたくなんかねえ!」

「迷惑をかけるのは申し訳ないと思うわ。でも、今の私にはこれが最善の策なの。……なんとか、泊めてもらえないかしら」

 ルーチェは本気で困っているように懇願する。

 そこまで頼まれて、青磁も心が揺れた。


 それに――。考えてみる。

 ルーチェは、運命が読むことができない。

 それは全ての人間の運命を見てきた青磁にとって、新鮮な感覚だった。

 未来が見えない者と一緒にいることは、占いが見えてうるさいこともなく、居心地がよかったし、何が起こるかわからないというのは新鮮で楽しくもあった。

(……一緒にいる人間としては、こいつはマシな部類なのかもしれねえな)


 それに、お金を払ってもらえるのも魅力的だった。

 さすがに慈善事業で人一人を養えるほど、家計に余裕は無い。

 金貨を換金すれば、青磁のある目的のためにも役立てることができる。


「……仕方ねえな」

 青磁は心を決めた。

「それじゃあ?」

 ルーチェが顔を輝かせる。

「仲間が迎えに来るまでだ。それまでなら、この部屋に泊まっていい」

「! ありがとう!」

 ルーチェは花がほころぶような笑顔で笑った。

 こうして青磁とルーチェの、奇妙な同居生活は始まった。


 翌朝、いつもより早い時間に青磁は目が覚めた。

 なにやら、かすかな物音がしたのだ。

「なんだ……?」

 身体を起こすと、そこにはすでにルーチェが起きていた。

 起きていただけではなく、剣を抜いている。

 そして目で追えないほどの速さで、突き、斬り、斬り上げ、回転し、空中に向かってすさまじい斬戟を繰り出している。

 その形は美しく、まるでひらひらと舞うようで、まさに剣舞の名に相応しかった。

 それだけ動いていながら、ルーチェの足元はひそりとも音を立てない。

 かすかな物音は、剣が巻き起こす風きり音だった。

 青磁はその美技に、思わず魅入った。


 そこで、ルーチェは動きを止めた。青磁が起きたことに気がついたのだ。

「ごめんなさい。起こしてしまったかしら」

「いや、いい。どうせもうすぐ起きる予定だった。――今のは?」

「朝の鍛錬をしていたの。練習しないと、剣はすぐ鈍るから」

 ルーチェはちゃき、と剣を収める。


「起きてきたのならちょうどよかった。聞きたいことがあったの」

「なんだ?」

「モンスター退治をするなら、ここからどっちの方角にいったらいい?」

「…………は?」

 ルーチェの言葉に、青磁は固まった。

 こいつは今なんと言った? モンスター退治?


「私は一人でも、それなりに戦えると思うの。望んでないとは言え、結果的にこの世界に飛ばされたんだもの。この世界にいる間は、私にできることをしたいわ。モンスターに困っている地域はない? 私が倒してくるわよ」

「ルーチェ、あのな……」

 青磁は脱力する。

 やる気に満ち溢れているルーチェを見て、訂正するのは忍びなかったが、青磁は言う。


「この世界に、モンスターは存在しない」

「え……?」

 ルーチェは信じられないという顔をする。

「嘘でしょう? ルーポもゴブリンもいないの? 一匹も?」

「ああ、いない」

「じゃ……じゃあ、どこを歩いても安全なの? 森の中でモンスターに襲われたりしないの?」

「野生動物くらいはでるかもしれないが、襲われるようなことはめったにないよ」

「それじゃあ……ギルドは? 村人からの依頼を請け負う施設はないの?」

「そういうのは、警察と役人っていう職業の人がやってる」

「……内乱とか、戦争が起きたりは……」

「外国ではあるけどな。日本ではないよ。そりゃあ犯罪がゼロってわけじゃないけど、この国は概ね、安全で平和な国だ。みんななんの心配もなく暮らしているよ」


「そんな……そんな、夢みたいな国があるなんて……」

 ルーチェはなにやらカルチャーショックを受けているようだ。

 ルーチェの故郷は、魔王が存在し、モンスターがはびこる危険な世界だった。その中で、ルーチェは勇者として戦い続ける日々を送っていたのだ。戦いのない世界というのは、現実のものとは思えなかった。


「じゃ……じゃあ、私はこの国で何をすればいいの? この世界の人たちのために、何ができるの?」

 すがるように聞くルーチェに、青磁は冷淡に答えた。

「何って……別に何もしなくていいんじゃないか?」

「そんな! 私は勇者なのに! みんなのために働くのが使命なのに!」

「んなこといったって、私は勇者だーなんて言ったら、頭がおかしいやつだと思われるぞ。その剣も、この国では持ってるだけで犯罪だしな。その姿で一歩外に出て見つかれば、あんたは犯罪者だ」

「剣を持ってるだけで犯罪者……」

 ルーチェにとって、愛剣は自らの体の一部といえるくらい大切なものだった。どんな苦しい戦いのときも、この剣のおかげで生き残ってきたのだ。それを手放さなければならないというのは、身を切られるような衝撃があった。


「本当に……外は安全なの?」

「何度も言わせるな」

「それじゃあ、私は……迎えが来るまで、ただじっと待っているしかできないってこと? 何もできずに?」

 その姿が、まるで捨てられた犬のように、あまりにもしょげていたので、青磁は思わず口走っていた。


「あー……。じゃあ、俺の仕事でも手伝えばいいんじゃないのか?」

 途端、ルーチェはぱっと顔を輝かせた。

「仕事? 何をすればいいの? 私にできることなら何でもするわ」

 あまりの喜びように、青磁は、うっと言葉に詰まった。何の気なしに言っただけだったからだ。

 青磁の仕事は占いで客の相談に乗ることなので、正直、ルーチェにできることなど何もない。


「……そうだな。俺が客の相手をするから、あんたはそれを黙って聞いててくれ」

 案の定、ルーチェは不満そうな顔をした。

「……それだけ? 私、何の役にも立ってないじゃない」

「……正直、あんたにできそうなことはない」

 率直な物言いに、ルーチェはショックを受けた顔になった。

「私が……役立たず……」

 目に見えて落ち込んでいる。青磁はフォローするのがめんどくさくなってきた。


「もういいだろ。あんたは仲間の迎えとやらを大人しく待ってろ」

「……ちょっと、そんな言い方はないんじゃない? 誰かのために何かをしたいと思うのは、そんなにいけないこと?」

 ムッとしたようにルーチェは言う。

「誰かのために何かをする、なんて。そんな簡単なことじゃねえだろ。へたすりゃ偽善だ。思い上がりだよ」

「たとえそうだとしても、やらないよりやる方がいいと思うわ」

 にらみ合う二人。

 ルーチェは青磁のことを冷たい人間だと思ったし、青磁はルーチェのことを熱血でうっとうしい奴だと思った。二人はお互いにいい印象を抱かなかった。


「……まあいい。とりあえず、飯喰ったら仕事に連れてってやるよ。いいか、占いは客の私生活に関わる繊細なもんだからな。くれぐれも余計なことはするなよ」

「あなた、占い師なのね? ……わかったわよ。こちらの世界のことが良く分かってないのは事実だし。ひとまずは大人しくしておくわ」

 部屋を出るとき、ルーチェの鎧と剣は外させた。ずいぶん渋ったが、犯罪者の一言が効いたのだろう。なんとか家に置いていってくれた。

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