2 浅草

「うわー! でっかいちょうちん!」

 巨大な門に吊り下がった、真っ赤な提灯。

 雷門。

 朝食を済ませ、さっそく浅草にやってきた私とカミサマは、まずは浅草駅西側にある雷門通り周辺を観光することにする。多くの観光客で賑わうこの場所。外国人もかなり多く、きっと日本観光には欠かせない場所であるのだろう。

「ヒヨリ! 写真!」

 カミサマは記念撮影を所望する。巨大な提灯がしっかり映り込む場所に立ち、インカメラでツーショット。撮影された写真を確認し満足げに頷いて、私の手を引っ張って門をくぐる。門をくぐった人々を待ち構えているのは、浅草寺に向けてずらりと軒を連ねる商店街――通称仲見世通り。

 通りはたくさんの観光客でごった返している。あまり広いとは言えない道幅、ぶつかりそうになる肩を避けながら、進んでいく。

「わぁーすごいすごい!」

 カミサマは全ての店ひとつずつに足を止め、物珍しげに陳列された土産物たちを眺める。

 外国人向けに展開されているであろう日本グッズ。カタナ、ベーゴマ、手ぬぐい、扇子、……ハチマキ?

 ビニール包装されてラックに並べられたハチマキは、中心に日の丸が描かれ、その両隣には習字風の墨文字が書かれている。「一番」「日本」「闘魂」「必勝」「神風」……。

「これじゃあ今から自殺しますって意気込みになっちゃうね」

 カミサマが一番右端の「神風」ハチマキを指差しながらけたけたと笑う。確かにそうだ。こういうの、外国人は雰囲気だけで買っちゃったりするのだろうか。

 カミサマは玩具のカタナを手に取って、プラスチックの鞘からちゃちな刀身を抜いて軽く掲げ、「おー」と感嘆する。

「買わないんだから戻しなよ」

 日本人からすればちょっと笑えてしまうような「日本」がそこには陳列されている。国民全員が侍や忍者の血を引いているわけでは、決してないのだけれど。

「ヒヨリ――――っ! 揚げまんじゅ――――!」

 進んだ先にある揚げ饅頭のお店に駆け寄って、カミサマは声を上げる。

 その容姿も相まって、なんだかまるで本当の外国人観光客みたいだ。私は日本を案内するホームステイ先のお姉ちゃんとかで。

「どの味がいい?」

 ひとつ120円。四種類の味から、カミサマはオーソドックスなプレーンを選ぶ。私は抹茶。揚げたてだったらしく一気には頬張れない――と思ったら、隣のカミサマは半分ほどに勢いよくかぶりついていた。

「んぁ……あふ……あふい!」

 案の定熱かったのか口をぱくぱくさせながら狼狽えるカミサマ。それでもそれすらも楽しそうな彼女に笑いながら、私も揚げ饅頭を味わう。カリッとした食感と甘みが口の中に広がる。真夏だけど、悪くない。

「ヒヨリのもちょっとちょーだい!」

 別の味にも興味を持ったらしいカミサマはそう言って、返事を待たずして私の手元の抹茶味に嚙みついた。

「ちょっと! 持っていきすぎだってば!」

 結構な分量を持っていかれた。口にまんじゅうを咥えたまま、カミサマは悪戯っぽく笑う。



 仲見世通りを抜けると、通りには少しだけ歩く余裕が生まれる。宝蔵門をくぐるといよいよ眼前には浅草寺本堂だ。

「あ! おみくじあるよおみくじ!」

 本堂までの通りには、おみくじやお守りなどの授与所が並ぶ。世界の終わりを望む少女がおみくじにテンション上げるだなんておかしな話であるようにも思えるけれど……というかまず神様なんだから、神社やお寺ではしゃいでいること自体がどうにも似合わないんだ。

 ……年相応の普通の女の子だと思えば、それは素直に可愛らしいと思えるのだけれど。


「うげー凶だって~」

「……私も」

 カミサマに誘われるまま、私も彼女と一緒におみくじを引いた。浅草寺のおみくじは凶が多い、だなんて言われたりするらしいけれど(浅草寺を調べた過程で知った)、二人揃って凶である。

「でも私別におみくじとか信じてないし」負け惜しみとかではなく。

「えー! そうなの⁉」

「カミサマは信じてるの?」

「うーん……そもそも初めて引いたし……」

「あ……そうなんだ。初おみくじの感想は?」

「ハズレだったからびみょう」

「当たりはずれじゃないと思うけど……」

 するとカミサマはワンピースの下からポシェットを引っ張り出して、ファスナーを開こうとする。

「あ、待って、あっち向いてて」

 途中で手を止めて、彼女は私にそう言った。

「なんで?」

「見ちゃダメだから」

「……分かったよ」

 私は境内西側にそびえる五十塔に視線を移す。視界の端っこではカミサマがポシェットを開いて、どうやらその中におみくじをしまったようだった。

 ポシェット。中身は見るなと忠告されている、カミサマ唯一にして謎の持ち物。

 もしかしたらあの中に、彼女の身元が判る何かが入っていたりするのかもしれない。

 ……でも私は、別にそれを望んでいるわけじゃない。彼女が大丈夫だと言うのだから――というか自らを神様だって言うのだから、それを信じてこうして一緒に東京を観光して過ごせばそれでいい。

 夏休みが終わった後、私はどうするか、何も考えてはいないけれど、このままこっちに住んで、なし崩し的に高校も中退とかして、……ああでもそうしたら、自分でお金を稼いで生活したりしなくちゃならないのかな。ああ、分からない。未来のことなんて何も考えたくない。このまま、この夏の終わりと共に、世界が終わってしまえばいいのに。

「よし! おっけー」

 カミサマは服の下にポシェットをしまい込んで、ぴょんと一回、小さく跳ねた。

「あ! それからヒヨリ!」

「ん、どうしたの?」

「昨日の東京タワーの入場チケット、捨てちゃった?」

「え……? あー、捨ててないよ、部屋の机の上に置いてある」

「じゃ、帰ったらそれ一枚ちょーだい!」

「え、あ、いいけど……」

「む! あのケムリなに⁉」

 カミサマは言いたいことだけ伝えて確認し終えたらもう、私に質問なんかさせてはくれずに、授与所の通りの先、本堂の手前にある巨大な釜みたいな構造物を指差して叫ぶ。まったく、次から次に元気な子である。

「あー……あれはね、なんといえばいいか」

 常香炉じょうこうろと呼ばれるもの。神様にお香を供え、心身を清める。その煙を浴びると、からだの悪いところが良くなるのだという。線香は授与所で100円で買えて、それを供えてから煙を浴びる。

「っていう感じだけど――」

 スマートフォンで検索した情報受け売りで説明し終えると、分かったのか分かってないのか「うん!」と大きく頷いて、観光客の塊に向かって駆け出した。

 群がる人を掻き分け、最前列まで到達したカミサマは、立ち昇る煙を両手でかき集めるようにして浴びる。謎の強欲さ。っていうか自分で新しいお香を立ててないのに煙だけ浴びるのって、良くないらしいんだけど……。

 ああ、でもカミサマは神様だから、お香供えられる側なのか。だったらあの煙全部、合法的に彼女のものだね。

 ……なんて、我ながら適当な。


「カミサマはどこを良くしたいの?」

 満足げな表情で戻ってきたカミサマ。髪を撫でるとくすぐったいような顔をする。

「んー?」

「あの煙を浴びると、からだの悪いところが良くなるって言われてるんだけど」

「へー、そうなんだ!」

「……もしかして意味も知らずに浴びてきたの?」

 にかっと笑うカミサマ。……可愛いからいっか。


 本堂へ続く階段を上がって、お賽銭。

 カミサマは五円玉を投球の如き勢いでブン投げて、手を合わせる。

 特に神に祈願する何もない私も一応、カミサマに付き合って形だけ。

 西側の本堂出口から階段を下りながら、私は訊ねる。

「何をお願いした?」

「んー、うまくいきますように、って」

「……うまくいく?」

「うん」

「何が?」

「全てが」

「……世は全てこともなし?」

「それじゃあ世界終わんないじゃん」

 これまた随分とませた……洒落た返事。

「ここからまっすぐ行くと、花やしきだよ」

「! ゆうえんち!」

 カミサマはその言葉に俄かに高揚し、最後の階段残り二段をジャンプして地面に着地する。

「いくぞーヒヨリ!」

「……はいはい」



 入園料大人1000円、小学生500円。乗り物は一枚100円のチケットを指定された枚数分スタッフに手渡すことで乗ることができる。分かりやすく言えば都度課金制。なるべくお金は節約したいのでフリーパスは買わない。

「わー! ゆうえんちー!」

 というわけで花やしき。入場してすぐ、頭をよぎる素朴な感想。


 ……なんだかショボい。


 こぢんまりと、小さな園内。聴こえてくる楽しそうな声はどこか幼く、目の前を通り過ぎる子どもたちの身長も、思った以上に低い。

 もしかしてここって、――かなりお子様向けの?

 私だって来るのは初めてで、ネットで調べたところでそこまでを把握することはちょっとできなかった。年季の入った、寂れた空気感。園内に流れているのは普通の歌謡曲。テーマ性も統一感もまるでない。……当たり前だ、何たって日本最古の遊園地なんだから。

 それでも隣のカミサマは目を輝かせて、駆け出す許可が出るのを今か今かと待ち望んでいる幼稚園児みたいにうずうずしていた。

「……カミサマ、もしかして遊園地って、初めて……?」

「うん! ずっときてみたかった!」

 神様なんだから遊園地に来たことがないのも当たり前――?


 ううん、違う。


 この日本に暮らしていて、遊園地にも行ったことがなくて、おみくじも引いたことがないだなんて、そんなのちょっと、おかしい。

 心の中にずっと引っかかっていた違和感。

 この子は、世界を知らない。

 いろんな言葉を知っていても、それは多分、経験と結びついていない。

 ――どんな十何年間を、過ごしてきたのだろう。

 彼女は自身のことを12歳程度と言っていた。けれどもしかしたら、それだって嘘なのかもしれない。本当だと言える確証はどこにもない。その容貌からしても、やっぱり9、10歳くらいだと考える方が、理に適っているように思う。

 彼女のことを神様だと信じていることと同じくらい、何か深刻な裏を抱えた普通の少女であるのだと思う気持ちも、未だ拭えてはいなかった。何も行動に移さないのはただ――面倒事にしたくなくて、目を逸らしているだけなのかもしれなかった。

「ヒヨリ、ヒヨリ!」

「んあ……あ、ごめん、なに?」

「しゃーしーんー!」

「……うん、撮ろっか」

 入場口を越えてすぐ。小さなアーチが架かっている丸い花壇が撮影スポットになっている。花壇には謎のキャラクター人形がいて、その両脇には動物の置物が二匹、笑っている。

 近くにいたスタッフを呼び止めて、撮影をお願いする。


「ありがとうございました」

 お礼を言って、撮ってもらった写真を確認する。私の隣で笑うカミサマ。あどけない、小さな少女。遊園地に初めて来た、女の子……。

 服の裾が引っ張られる。引かれた方向には、カミサマ。

「ヒヨリ? どうしたの?」

「……あ、ううん、なんでもない。……最初はどこがいい?」

 入場口でもらった園内パンフレットを開いて、カミサマと一緒に覗き込む。

「んーとね、んーとね! ジェットコースター!」



 ローラーコースターは気づいたら乗降ブースに帰ってきていた。全く怖くもなく、子どもにも優しいであろう設計で、大人には物足りなくてもカミサマくらいの年齢(本当の歳は分からないけれど)の子だったら十分満足できるだろう。もっとすごいやつは、大きくなったら乗ればいい。

 事実カミサマは大声を上げて楽しんでいた。花やしきの建物スレスレを走っていくコースター。レールの高さからして、下町周辺の風景も眺められるようになっていて、個人的には景色を楽しむ割合の方が大きいように思えた。

「次あれ!」

 ディスク・オー。遠心力で振り回される感覚を味わえる円型のアトラクション。

「うわ~なんかフラフラする~」

「ジェットコースターより楽しかったかも……」

「おほしさま! なにあれ回ってる!」

 リトルスター。星型のボックス席が前後に一回転するアトラクション。

「う――――わ―――ぁ――――」

 そしてスペースショット。一気に空まで持ち上げられた後、垂直落下するアトラクション。

「多分この園内で一番怖いよこれ」

「乗る!」

「「う――――わ――――ぁ――――」」



 室内アトラクションがある建物の屋上。そこまで高いわけでもないけれど、スペースショット頂点の次くらいには高いこの場所で、東京の街を眺めながら風に当たる。

 カミサマは右隣でソフトクリームを頬張りながら、眼下の遊園地を見回している。

 視線を下げれば、駆け回るちびっこたち。笑顔で追いかける母親。くたびれた様子の父親。穏やかで、平和な風景。

 青く広がる空。遠く伸びる入道雲。空気も比較的気持ちがよくて、観光日和な今日。

 そして、歪な凹凸の中、空に向けて一際高く立つスカイツリー。

 花やしきの中央に伸びる、取り壊しの決まった遊園地のシンボルBeeタワー、スペースショット、そしてスカイツリー。視界に鉄塔が三本も生えているのは、ちょっとお腹いっぱいでもある。

「ヒヨリー、お腹空いたー」

「ん、そうだね」

 どこかで昼食を取って、そのままスカイツリーに向かおうか。その提案にカミサマは頷いて笑う。結局フリーパス二人分近いお金をチケット代に使ってしまったけれど、カミサマが満足してくれたのなら、きっとそれでいいんだ。

 ……最初からフリーパスにしておけばよかったなぁ。

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