16 帰ってごはんにする

 まずはともかくこの伸びている虎からこいつらを引きはがさなければならない。

「おまえら、もうそれはほっとけ。帰るぞ」

「ええー?いやでし。尻尾とるでし!」

「ばか。その尻尾はおまえのと違って切れて飛んだりしないんだぞ。一旦切れたらくっつかないんだぞ。かわいそうだろ!」

「あ、また、ばかっていったでし!」

「ああ、すまんすまん。さあ帰るぞ、すぐ帰るぞ、ともかく帰るぞ」

 虎が目を覚まさないうちに、な!

「でも、マスター、俺っちも尻尾が……」

「聖獣は他人の尻尾を欲しがったりしないんです」

 断言すると、

「そう、なんすね……」

カッペイの耳がへなりとお辞儀した。俺はその皿のない頭を撫でてやって、適当なことをいう。

「聖獣への道は険しいが頑張ろうな」

「頑張るっす!」

 大きな耳をぴんとさせてからちょきちょき左右に動かして、カッペイは頷いた。空を見上げる二人を明るく照らす夕日の演出が欲しいところだが、まだ昼過ぎだ。


「帰ろう。疲れただろ。帰って寝よう」

「えー……」

と若干不満の残るヴィオがぐずぐずするのを宥めていると、ひょっこりと向こうの木の陰からシカが顔を出した。立派だった角はすっぱり切断されてしまっている。

「おいでおいで」

 呼ぶと、ためらいがちではあるが、近づいてきた。俺をマスター呼ばわりするこのバチモンたちと違って、なんたる従順さ。差し出した俺の掌に顔をこすりつけた。すべすべ感触を楽しむ。

「こいつ、一人で帰れるかな……」

 心配になってきくと、

「連れて帰るっす。あねごの転移なら行けるっす」

カッペイが当然のようにいう。

「いや、でもこれ、あそこの館のだし……」

 ……うん、でもまあ、またいずれ、こっそり返しに行けばいいか。角もゴロくんに頼んで修理してやりたいし……、と思い、

「じゃ、じゃあ、転移で?一緒に頼めるか?」

 聞くと、小娘、きりりとした顔で頷いて、

「鍋でしか?焼肉でしか?」

 やめんか!

「これは食料じゃないから。みんなを乗せてくれるから」

 俺はバチモンたちに手伝ってもらい、シカに乗った。巨大な背をもつシカはバチモンたちが乗るのに若干の抵抗は見せたもの、仕方なさそうに、みんなを乗せてくれた。広くて大きくてふかふかの背中。

「んでは、て・ん・いー!」

 ヴィオが叫ぶ。こいつ、なんでも区切って叫べばいいと思ってるよな。俺の秘技、下唇噛みを見習えよ、ヴァカものめ……。


 ヴィオの叫びとともに頭上と足元とに光の輪が現れ、ぐるりと俺たちを囲みながら上下合わさり、渦が巻いたと思うと、景色がぶれて、別の風景の中に立っていた。

「おお、すげえ!」

「ふん、それほどでもないでし!」

 ヴィオは大いばりで胸を張るが、ぼたんがいった。

「ほんとうに大したことがないんですう。さっきの場所はあそこですう」

 ぼたんは、ああん、といいながらヴィオに蹴飛ばされ、俺は、え?振り返ると、五十メートル後ろにのびた虎がみえた。


 俺たちは帰った。百回以上、ヴィオの、て・ん・いー!を聞かされたよ。それだけで疲れた。平地に出たらもうシカに走ってもらおう、といったのに、あくまで転移で帰るのだといって聞かないんだもん……。まあ、帰途はずっと森の中だったけどな……。途中、何十回目だかわからないが、藪に寄り道して、カッペイたち三人が隠しておいた頭の上のお皿を回収した。それ、いらねえだろ。捨てとけよ……。だが、装着した皿に、例のごとくジョウロで水をやると、みなぴちぴち元気になり、ヴィオの転移の距離もちょっと伸びた。


 山の上からあの湖が見え出す地点までくると、結界があるとかで、やっとシカに走ってもらうことになった。家まで結構距離があったので、シカ連れてきて本当によかった……。

 こうして帰り道に苦労してみると、あのエルフの魔法はすごかったのだ。そして、ここのあるのかないのかわからんザル結界、だいじょうぶなのか……。


 再び小屋のような家にたどりつくと、そのそばに水場のようなものがあるのに気付いた。小さな滝が崖を伝って流れ、地中に水たまりをつくっては沁み込んでいるのだ。シカがみつけて、勝手に近づいていくので気づいた。シカは水をのみ、またその付近の崖の土というか岩肌を熱心に舐めている。

「これは塩でし」

 シカから降りながらヴィオが嫌そうにいった。

「へえ、岩塩なんだ。すげえな……」

「あんなに舐めるなんて信じられないでし。体が縮みそうでし」

 おまえはナメクジか……?

「そうか?まあ、草食動物は塩が必要だからなあ」

と、いつか図鑑で呼んだ知識を披露する。ついでに、シカは立派な角がないと森を走るとき枝が目に入ってしまうらしいから、あとで角つくってやってくれよ、ゴロ、と頼むと、ゴロくんは頼もしく頷いて引き受けてくれた。

 また窓から家に入った。ふたたび温泉に入る気にはなれないので、バチモンたちが乾かしておいてくれた本物のタオルを水場で濡らして絞り、それで体を拭いて、本物の服に着替える。脱いだ服はこれもまた貴重なので、水場で洗っておいた。が、灰を使う気にもなれないから水洗いして、木の枝にかけておく。


 やっと家の中に落ち着いた。ここで、カッペイがいう。

「マスター、飯食いましょう。魚、こっちの冷蔵庫に残ってるっす」

「は?冷蔵庫?」

  俺の耳がおかしくなったのか?

だが、おかしくなかった。もふもふ洞窟を入り、温泉方向と別の穴をいくと、部屋があった。洞窟を穿った穴なのだが、そこは明らかに台所だった。

 崖に沿った位置にあるのか、土に直接窓ガラスがはまった窓があり、採光している。しかも換気扇のようなものまである。岩壁をくりぬいて作った棚には調理器具やら、なにかが入ったガラス瓶、調味料のような瓶がぎっしり、さらに壁には刃物の類もまな板まで揃っている。その隣に石の戸があって、開けると冷気が漂った。入れるほどの大きさの部屋全体が冷えた冷蔵庫というよりむしろ冷蔵室だ。


 それだけでも驚きなのだが、なにより衝撃的なのは、調味料とかそういった類が、日本産の、スーパーで見かけるやつだということなのだ。なに?このイージーモード……。……ひょっとして俺、実はもう死んじまって、天国にいるんじゃ……。

 ……いや、ないな。アレは天国に居ていいもんじゃない。

 バチモンたちが大きな魚の半身を冷蔵室から出してくる。わっしょいわっしょい、といいながら、運んでくる。両腕を伸び縮みさせて、魚の死骸を上下させている。天国的光景ではない。

 この世界、俺向きではある。あるのだが……、やりすぎじゃないか?だって、このバターとか、いちきゅっぱの値札が……、俺のあたりなら底値だな……。タイムセールか?いやいや、なに言っているんだ。たぶん、これは苦労した俺へのご褒美!でも、誰からの?バチモンからでないことは確かだ。一体……。


と考えている間に、んでは、と、バチモンたちが大口あけて、早速食おうとする。 それを反射的に止める。

「唐揚げ!唐揚げにしてやるから!」

 そうだ、ともかく食いモンだ。まともなものが食える!ココ大事!

 おまえら、これをころころのサイコロ状に切るんだ。それで、この醤油に漬けこむ!ビニール袋まであるじゃん。これに入れて粉入れて振って、まんべんなく粉がついたところを、俺がこのでかい鍋で揚げてやる。任せろ!


 ガスコンロではないが、牢にあったような灯りと同じ魔法具らしき調理台で問題なく火を使って調理した。

「うんまいでしー!」

 俺が揚げまくった魚の醤油味唐揚げにみんな大満足。当然だ。妹のカナのために覚えたにいちゃんの料理の腕は最上級とはいかないが、まあまあなのだ。基本ができてりゃいいんだよ、と妹に慰めてもらっていた腕前だ……。


 ちなみにお手伝いはカッペイとゴロくんである。メイド姿のぼたんはもう本当に姿だけ、本人いわくのかわいいだけは伊達ではなかったようで、エプロンのふりふりをいじりながら見ているだけ。醤油に漬けこんで待っている時間に飲むお茶も俺が淹れた。そのくせ、一番最初に揚がった唐揚げをヴィオが手を出す横から引っさらい、蹴られながらしっかり食っていた性格のいいメイドである。

 バチモンたちは台所を使っているのは冷蔵庫に保存のためだけで、あとは何をどう使うのか、おぼろげにわかるだけで実際に手を出しはしなかったらしい。まあ、モンスターだから、なんでも生で食べるのが基本だろうな……。


 どんどん揚げて腹いっぱい食って、みんなでワイワイ言いながら小屋に戻って毛皮の上にごろんと横になる。

「あー、マスター来てくれてよかったっす!」

 カッペイが言ってくれる。ゴロくんも頷いている。

「こんなおいしいものが食べれるなんてしあわせですう」

「マスター、帰らないでずっといてくれたらいいっす……」

 ちょっとカッペイがしんみりした声を出す。ヴィオもいう。

「そうでし!マスターで闘うのも、楽しかったでし!」

 それは何より。……でも、マスターで、じゃなくて、マスターと、だよな?

 そんなことを話したりきれいなヴァの発音を練習したりしていたら、いつの間にか眠ってしまった。ぐっすり夢も見ず、深く眠った。


 目を開けると、部屋に光が差し込んでいた。目をこすりつつ起き上がり、いてて、筋肉痛だ、と耐えながら窓から外に出ると、ちょうど夜明けだった。地上は薄暗いが、明るく水色に晴れ渡った空にオレンジ色の朝日が差し始めている。俺は草露に靴を濡らしながら小さな滝で顔を洗い、少し離れたところで用を足した。

 田舎の朝の匂いがする。清涼な空気を胸いっぱい吸い込む。草を踏む音がして振り向くと、くーという小さな声を発して角の切れたシカが近づいてきて温かな息を吹きかけながら俺の頬を舐めて挨拶した。

 シカと一緒にしばらく、昇る日が次々と低い山々の青い影を払って山肌を緑に変えてゆくのを眺めてから小屋の中に戻った。毛皮にはバチモンたちが子供感丸出しでてんで好きな格好で眠っている。なんか、ほっこりした。とはいえ、俺もまだ眠い。もう一眠り、と二度寝。……最高だ。

 眠りの途中でカッペイが、マスター、俺ら、ちょっと狩りにいってくるっす、また、ごはん、お願いするっす、とか言っていたような気がするが、眠くて起きられなかった。


 目覚めたときには周りに、バチモンたちはいなかった。遊びにいっちゃったのか。

 俺は敷いた毛皮を堪能すべく、うつぶせになってまず顔を毛に埋めて左右に動かす。ふわふわ、やわらかーい。それから、手足いっぱいに毛皮の感触を堪能すべく、そのまま平泳ぎ。もふもふ、ふさふさ、さいこー……。うへへへへ、とそのまま想像で、ゆっくりとだが25メートルプールを五往復したところで、上の方から声が降ってきた。

「貴様、それをいつまでやるのだ」


 は?

 俺は口を開けて、平泳ぎ体制のまま固まった。おそるおそる頭を上げると、二メートルくらい上の部屋の中空に、あの少女が座っていた。


 サイカ公──。

 あの魔族が優雅にゆったりと、何もない宙に肘をつきその手を片頬に当て、黒衣の中で両膝を組んで、冷然と俺を見下ろしていた。

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