14 はじめての戦闘
シカの角を一瞬で食い獲った魔物にぼたんの軍手が果敢に向かってゆく。
「ぼたん!」
思わず叫んだ。喰われちまう。
俺は木の枝に巻き付いて勢いを殺したタオルに助けられ、地面に着地した。軍手なしの裸のほうの手をついてしまい、痛みが脳天に響く。
魔蛭がさらにその大きな円い口を開け、ぼたんの軍手に襲い掛かっている。しかし、軍手は親指を千切られながらも白い輪に変じて口を避け、管のようにぞろりと長い魔物を締めあげた。ぼたりと落ちて地面に縫い付けられた蛭がはげしく身を捩っている。
──マスタ、逃げるですう!今のうちですう!
すぐ、ぼたんの声が頭に響く。おまえ、無事なのか?
──平気ですう。本体じゃないですう。でも、長くもたないですう。
畳みかけるようにいってくる。
直後、ぶちりと蛭が切れた。短くなりながらも、その牙がぐるりと生えた円い口が迫ってくる。再度ぼたんの軍手が追いすがり、抑え込もうとするが、口にくわえられた。急速に軍手が縮んでゆく。
──力吸われますう……。アンッ……。
おまえ、平気なんだったら意味深な声出すな!
ぼたん軍手を吸収した魔蛭がでかくなり、身ぶるいして、またこちらに目のない顔を向ける。
俺は走った。藪を飛び越え、タオルの助けを借りて、岩から岩、枝から枝へ飛び移りながら、逃げる逃げる。だが、魔物は速い。回り込まれ、真正面から魔物の口、暗い大きな穴が顔に迫ってきた。
身体を伏せて、軍手をはめた片手で、思い切り跳ねのける。だがすぐ魔物は身をひるがえした。宙を滑空し、ぐるぐると俺の周りをまわり、不意をつき、急に角度をかえて降下して襲い掛かってくる。
魔物の動きに翻弄されながら辛うじてよけるが、体のあちこちを牙がかすめてゆく。血の匂いが鼻をつく。俺の血だ。頭がぶっとんでいて、痛みなんかまるで感じないが……。
くそっ、目蓋切られた。滴る血で視界がふさがれる。とっさに残ったぼたんの軍手を目に当てた。隙ができる。が、ゴロくんタオルが俺の手をすり抜け、広い膜に変じる。魔蛭と俺の間に割って入り、そのまま切り裂かれながら魔蛭を包み込んだ。だが、それも一瞬で魔物に食いつかれている
「ゴロ!!」
ゴロくんの歯ぎしりするような悔しさが伝わってくる。
──俺、弱い……。
「ゴロ、分裂だ!ボールになれ!それで、攻撃だ!さされ!」
──!
蛭の口に噛まれもがいていたタオルがたちまち自ら崩れて、無数のボールに変じ、さらに矢じりのような鋭い刃に姿をかえる。
「囲め!切り裂けえ!!」
俺の叫びに答えた刃が魔ものの身体をえぐる。しかし、それは一度きりのラッキーだった。身を捩り、刃の立ちにくい角度に巧みに体を流しては、管状の魔物は刃の群れを喰い削ってゆく。
「固めるな!バラバラに行くんだ!」
群れは波状攻撃に変わる。
む、むずかしいっ、ゴロくんが刃を操ろうと必死になっているのがわかる。くそ、俺も……。
「ぼたん、ナイフ……、短剣になってくれ」
頼むが、ごめんなさいですう、と謝るだけあって、ぼたん軍手が変じたのは、もう、みるからになまくらな包丁のような刃物的棒。そのへんの石拾ったほうがまだマシみたいな奴だった。
──マスター、俺が!
カッペイが勢い込んでいってくる。
ちょ、ちょっと待てっ。それは脱げない!あ……。
履いてる本人が脱げないって強くいってるのに、脱げることにまるで躊躇のないパンツが俺のズボンの右裾から出てきた。人生で一回くらい、こういうパンツとの遭遇って、あるよな……。
だが、ためらっている場合でないことも確かだ。刃の群れの数が減っている。ゴロのピンチだ。元パンツの鋭い小太刀を手に、俺は参戦した。
「覚悟しろや!魔物めえっ!」
が、参戦した直後、いわれた。
──離すっす!マスター!
魔物たちの闘いは想像以上に速くて、俺はただカッペイナイフに振り回され引きずり回されるだけ。マスター、邪魔だった……。
カッペイナイフが閃き、魔物の牙と渡り合う。魔物の歯とナイフが合わさる高い金属音に、時々魔物の歯が嚙合わさるガツンという音が交じり合う。
──あいつの口の中に入ると力吸われますう!避けるですう!
ぼたんがカッペイに呼び掛けた警戒もむなしく、ナイフががっつり歯に噛まれた。
カッペイが呻く。ゴロの刃も懸命に攻撃を仕掛けるが、魔物の体に刺さったまま今度は抜けない。そしてみるみるしぼんでゆく。ナイフもぐにゃりと柔らかくなってしまう。
俺は最後に残った軍手の手を伸ばし、カッペイのナイフをもぎ取ろうとしたが、ぼろぼろと崩れてしまう。
魔物がでかくなっている。カッペイたちを喰って、でかくなったのか……。
くそっ。
怒りに我を忘れて踏み出し、俺は魔物に掴みかかった。
──マスタ!!
ぼたんの軍手が慌てたように脱げて、魔物の口を陽動しようと飛び出す。たちまち軍手がすばやい動きの魔物に食われる。俺はその口に手を突っ込み、ぼたんを掴みだそうとした。が、手は空を掴んだだけ、魔物のぐるりと鋭い歯の生えそろった口が勢いよく閉じられた。
もう、右腕はもっていかれるものと覚悟した。
ツッ!!
焼けるような感触があり、魔物の体が急速に膨れ上がった。視界に魔物の黒い毛がいっぱいに広がる。そして、魔物はそのまま、爆散した。
え?
ぱたぱたと溶けた体が地面に降りかかる。俺の腕にはアクセサリーかなにかのように残った歯だけがぐるりと突き立ち、取り巻いている。呆然として、俺はあたりを見回した。
あの魔物はいなかった。目の前で爆発してしまったのだから、あたりまえだ。
あたりまえ……。気が抜けて俺はへなへな膝をつき、座り込んだ。
助かったのか……?いや、でもバチモンたちが……。いやいや、本体は別なんだ。ちゃんといる。だいじょうぶ。よかった。
俺は地面に正座して座り込み、俯いて両こぶしを握り、目をつぶった。た、たすかった。
それからゆっくりと、化け物の形見の歯を順々に腕から抜いて、地面に捨てた。腕から血が滴り、痛みを感じる。治療してくれるぼたんの軍手はない。ゴロくんもカッペイもそばにいない。でも、助かったのだ。
俺が魔物の最後の歯を捨てたとき、背後から声がかかった。
「貴様、よくも、あるじの眷属を……。ただで済むとおもうな」
は?
振り返ると、虎人が筋肉隆々の太い腕を組み、岩の上から炯々と光る金の眼で俺を見据えていた。
いや、いまの、俺、悪くないよね?俺は噛まれたんですよ。むしろ被害者のほうですよ。勝手にあれが膨らんで自爆したんですよ?
しかし、サイカ公の従者である虎人はお怒りのご様子。尻尾が左右にゆれ、喉の奥からうなり声を立てている。殺気で首のあたりがチリチリした。
だが、俺は比較的落ち着いている。だって、肉声がもう聞こえている。
さっきパンツが俺の手を離れるまでずっと俺の頭に響いていたムオーッとか、クオーッとかいうやかましい戦闘狂の叫びがいま、実際に俺の耳に届いてきていたから。
虎人は背中に負った大剣の柄に、一度手をかけたが気が変わったように手を放した。そのままだらりと脇に垂らし、うたうようにいった。
「なかなかいい従者をもっているではないか。この辺り一帯を覆う我の巨大な気にも臆さず近づいてくるとは……。その忠心に免じて、少しく待ってやろうではないか」
武人のようだ。ははーっ、ありがたきしあわせ、とか言いたくなるな。
「このハトマの気配を感じながら闘いを挑むものなど、ここ数年なかったぞ。たとえあるじの危機であっても怖気づき尻尾を巻いて逃げ出すものばかりであった。久しぶりに感服させられる主従に出会えたようだ」
だが、その忠義に篤い従者、マントをバッと広げタッと岩に降り立ってのご到着の第一声はこうだった。
「マスターッ!!待つでしーっ!それはあたしの獲物でしーっ!」
ヴィオ、俺はおまえとそこで張り合う気はないから、安心してくれ……。
「なんと!」
ハトマという虎人、目を見張った。
「あるじを立てて、自身が守るなどといわぬ気づかい……」
……ハトマさん、どうあっても俺たちで感動したいんですね。無理ありすぎますよ……。だって、アホが、
「マスター!あたしの獲物を横取りしようなんて、いい度胸でし!勝負するでしっ!」
唾飛ばしながら主張してくるんだから……。ここで俺らが勝負してどうすんだよ……。
ハトマ氏の目が点になった。そう、それが正しい反応だとおもいます。
で、このばか娘、両手をパンと合わせ、斜め上下に開いてゆく。まるで手品のようにそこから長く棒が伸びた。
「ほう、大した魔道具だ」
虎人ハトマ氏が感嘆の呟き。
ヴィオがそれを手の中でくるくる回すと、でかい刃がじゃきーんと出てきて大鎌になる。大きな刃がぎらりと鈍く日の光を反射する。自分の背丈の倍ほどもあるそれをしゅたっと俺に向けて構えた。
「覚悟するでし!」
敵と闘る前に、この死神スタイルの味方に殺られそうである。
「いや、あの獲物はおまえのものでいいから……」
だから、向こうの敵と闘ってください、お願いします。
「でしか!なら、許してやるでし!マスターはすでに一匹、やったんでしから、こっちのはあたしのでし!」
鼻息も荒くお許しくださり、ようやく虎人に向かって構えなおした。だが、ここに疑問の声が上がる。
「まて。そなた、そのマスターと呼んでいる者があるじではないのか?」
「はあ?ちがうでし」
えっ。俺は一瞬焦った。
「マスターはマスターでし。そういうおいしいものではないのでし」
「ば、ばかっ。あるじってのは、マスターのことだよ」
小声で教えてやる。
「今、ばかっていったでしね?ばかではないのでし!」
「わ、わかったから、敵はあっち!あっちだから!」
「ばかっていう方がばかなんでし!」
「ハイハイ」
「ハイは一回でし!」
もう、なんなの、こいつ……。
ハトマという虎人はなにか考えるように顎に手をやった。白っぽいあごひげをしばらく撫でてじっくり俺たちを見比べたあと、聞いてきた。
「我はつねに、主従を相手にする際には、従者をさきに屠ることに決めている。そなたら、一体、どちらが主人で、どちらが従者なのだ?」
俺にはためらいがあった。自分がこのバチモンの主人だと認めることに……。だから先にヴィオにいわれてしまった。
「あたしが一番なのでし!」
その言葉に、虎の金眼の中の黒い瞳孔が俺にまっすぐに向けられた。その黒丸が小さく絞られ、黒点になる。
「ふむ。ならば、おまえから、やらねばなるまい」
背中からずるりと大剣が抜かれた。厚みのある幅広の剣を一度どかりと見せつけるように目の前に立てる。その重量だけで大地に刺さるようなそれを重さを感じさせない動作でひょいと持ち上げ、切っ先を天に向けた。
ひいい、勘弁してくださーいっ!
大剣がうなりを上げて襲ってくる。首をすくめ目をつぶった俺は脇から衝撃を受け、草地に転がった。脇から飛んできた塊に突き飛ばされたのだ。
「マ、マスター」
小さな少年の体が俺を庇うように立ちふさがった。
「カッペイ!」
感激だ。すげえ、感激。
だって、カッペイの尻尾、すんごいボワボワ。毛がぜんぶ逆立ってリスの尻尾みたいになっている。怖くて毛が逆立ってしまっているのだ。そりゃ、そうだ。こんな大虎に、仔ぎつねが対峙しているのだ。そんな思いをしながら、俺を守ろうとしてくれている。しかも、あの虎が従者を先にやる、と宣言しているときに、飛び込んできてくれたのだ。
つづいて、ゴロくんとぼたんも息を切らして、駆け込んできた。カッペイの横に並ぶ。ぼたんの顔色は変わらないが、ゴロくんも蒼白の顔をしている。三人とも頭にお皿は付いていなかった。取るものも取りあえず駆けつけてくれたのだろうか……。
虎人はおもしろそうに、身を揺すった。肚にこたえる太い声がひびく。
「貴様ら、みたところ、獣人のようだが、主を庇い、あたらその幼きいのちを散らそうとは……。あっぱれなり!それでこそ、獣人の鑑」
「マ、マスター。あいつ、なにいってるんす?」
俺にもわかんない。あいつ、ちょっと言葉がむずかしすぎるよな……。
でも、どうやらこれで俺があるじ認定されちゃったらしい。
くそっ、こいつらを殺らせてたまるかよ!
きっと俺が虎人を睨むと、横のカッペイの震えが止まり、尻尾がシャキーンとした。ゴロくんも落ち着いたようで、背中の斧を抜いて、構えた。
「ちょっと!カッペイまであたしの邪魔しようってんでしか?!生意気でし!目にもの見せてくれるでし!」
おまえ、だまれ。虎人の目に憐れみの色が浮かんだだろうが……。虎人は首を振った。
「従者の手綱もとれぬ未熟な主と、いとけなき幼獣が相手とは、な……」
チッ、このマスター・ソラを舐めんなっ!
俺は怒鳴った。
「ヴィオ!勝負だ!俺たちとおまえ、どっちが先にやつをやるか!」
ヴィオの顔が輝いた。にこーっとしてぶんぶん尻尾を振り、大鎌を掲げて元気よく叫んだ。
「負けないでし!」
やたっ!!
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