13 逃走
しおしおと牢に戻された俺だが、兵士の足音が聞こえなくなるとすぐ、立ち上がった。
「よし、行くぜ」
俺は牢を出る!
どうやって、だって?
さて、お立合い。そこの外に通ずる窓の鉄格子、タオルに変わります。
鉄格子が柔らかくなり、ずるりと床に落ちて、タオルに変わる。俺はそれを拾って首にかける。
そこの鉄格子はゴロ君タオルが昨夜、割と好きなんです、といいながら食べちゃったのだ。食べちゃったあとに鉄格子に化けたタオルが嵌っていたのさ。ちなみに土魔法が得意なゴロ君の一番の好物は石。
こうして鉄格子はなくなったのだが、窓は狭くて体をねじ込んでも出られない。だから、鉄格子のない窓はブラフ。出ていくのは、牢の扉から。扉には魔法の封印がしてあって、これはなかなかの出来ということで、たっぷり一晩かけないとゴロくんも歯が立たず、食べられなかった。ぼたんがゴロくんに治癒魔法をかけながら食べるという苦労があって、ようやく開いた扉から逃げることになる。
別のところから逃げるふりするなんて、俺、頭いい。……いや、結果的に、頭よくみえるだけなんですけどね。
実は、我が優秀なバチモンたちは、壁から牢を抜けようという秀逸な提案をして、昨夜、壁に外の井戸の中に出てさらにそこから地下水道に抜けられるすてきな穴をあけてくれたのだ。ただ、その穴が直径五センチ角程度しかなかったので、液状化できない俺は使えなかったのだ。
──マスター、めんどくさいでし。
と穴を通れないことで、ヴィオにディスられ、窓にもつっかえて出られないと分かった俺は、ゴロ君にまで無言でため息をつかれてしまった。窓から出られたら、昨日の夜のうちに逃げてたさ……。
でもさ、最近、俺、ふつうの人間だって理由で責められすぎじゃね……?
そういうわけで、窓から逃げたとみせかけて、正面から牢を出ることになったのだが、建物の入口にはもちろん警備の兵士たちが常に数人は詰めている。
だが、だいじょうぶ!兵士のいるほうへ階段を上がらなくていいのだ。
逆に、階段を下りる。突き当りに扉があって、地下水道に通じる通路があるのだ。地下水道は館を出て、町中の井戸の数か所から出られる……と、夜のうちに調べはついている。井戸の中から町へ出て、どうにかして人ごみに紛れることができれば、あとはどうとでもなるだろう。
錆ついた扉には太い鎖が巻かれて錠前がついているが、問題ない。
ゴロくん!ごはんだよ!
──マスタ、自分、腹いっぱいで食えないす。
……え?
一瞬焦ったが、ぼたんの軍手がぐいと俺の手を引き、錠にはまり込み、もぞもぞやる。開いた!鎖がじゃらりと落ちて、俺は扉を押した。
暗闇に階段が続いている。一歩踏み出そうとして、固まった。
「小僧、気が早いな。まだ時間ではないぞ」
ひょええーっ!
くるりと踵を返して、俺は階段を駆け上がった。
悪魔だ、悪魔がおる!
暗闇にどうしてか、くっきりと、あいつらのように光っているわけでもないのにくっきりと、サイカ公の立姿が目に飛び込んできた。
あの気味悪い魔物を手にして、暗闇より濃い闇をまとって、サイカ公が鮮やかに笑った。金色の瞳で……。
俺の悲鳴にならない悲鳴と階段を駆け上がる音で、兵士が階段の方に駆け込んできた。三人と鉢合わせする。おまえどうして、と言いかけるのに、俺は飛びつく。
「助けてくれーっ!悪魔だ!悪魔が出た!」
戸惑う兵士たちを楯にするように背後にまわり、階段の下を指さす。
「あの下に、悪魔がいるんですーっ」
「お、落ち着け」
俺の怯えっぷりに兵士たちも異常を感じたのか、階段下を警戒し短槍を構える。
カツン、カツン、と靴音がゆっくり上がってくる。
来たーっ。
踊り場に曲がり角から影が差した。……と、思ったら、俺の周りの兵士たちの体から力が抜けた。どさどさと、重なり合って倒れてゆく。
驚きと恐怖とで固まっていると、角からサイカ公が姿を現した。
「ふむ、やはりこの程度の魔術では効かぬか」
独り言のようにいった。その落ち着き払った態度が怖い。少女が妙に落ち着き払っているというその事実も怖い。
「四百年余り、人の世で暮らしてきたが、人間風情から魔族と指摘される失態を犯すなど、ついぞなかったぞ」
そのセリフ、もっと怖いから!
金の目がふたつ、暗がりから俺を見上げた。
「貴様、何者だ」
すいません、人間風情です。なんかすいません……、心中は殊勝な態度、でも行動は別、俺は落ちた槍をひっつかみ、それを悪魔に向かってぶん投げる。刃先が相手に刺さって怪我したら怖い……おもに仕返しが……ので、柄の方を向けて投げたヘタレである。
槍の行方も見ずにダッシュ。部屋を飛び出し、回廊を駆け抜ける。たちまち、兵士たちが追ってくる。その集団に、
「悪魔ですっ。悪魔が来るんですーっ。三人くらい、階段で倒れましたよーっ!」
来た方向を指差して、教えて差し上げる。ぎょっとする追手たちだが、二人くらい抜けたものの、あとは、待てーっと足音も荒く追ってくる。
俺よりあっちを追うべきだって、絶対……!
門の方には人がいっぱい、当然兵士たちも多いから、近づけない。俺は回廊を外れて館の周囲にめぐらせた庭に駆け込んだ。
だが、館は高い塀に囲まれていて行き止まりだ。このままじゃ追い込まれる。
──マスター、平気っす。ゴロを握るんす!そのまま走ってくださいっす!
カッペイ・ナビが力強く請け合ってくれる。
俺はタオルを握った。どうしたらいいか、瞬時に悟った。頭の中に流れ込んでくるぞ、ゴロくんの気持ちが!
その気持ちのままにタオルを塀に向かって振り下ろす。先端が宙をホースのように伸びてゆき、塀に届いた、と思ったら、俺はぐいっと、握ったタオルに引っ張られ、勢いのまま空に投げられる。ひええ、腕、抜ける。
自分だけの握力ではこうはいかない。タオルはすっぽ抜けてしまったはずだ。だが、そこはぼたんの軍手が絶妙のサポート。ぴったり引っ付いている。
塀の上に着地する直前、俺を阻むように、文様でできた光の輪が空中に急に浮かび上がった。
──弱い。
普段無口なゴロ君の渋い呟き。タオルがかすめただけで、輪はパリンと音を立てて割れ、光の粒と化して四散した。
塀の上への着地と同時に再びタオルを振る。少し離れた大木へ跳躍、ゴムのようなタオルが勢いを殺してくれて、俺は葉を散らしながら木の茂りに飛び込み、大枝に降り立った。
いってえ、飛び出た枝が弁慶の泣き所に……、と、すばやくぼたんの右軍手に手が引かれ、傷んだ箇所に当てられる。すっと痛みが治まる。
ぼたんの治癒能力は確かなものだ。昨日もそれで兵士に小突かれてできたタンコブを治してくれたのだ。この心強さ。
つい軽口が出た。
「ありがとな、ぼたん。ただの変態から、できる変態に格上げだ」
──うれしいですう。
……おまえ、それでいいのか……?
俺は葉陰から周囲の様子をうかがう。
塀の中からは、飛んだぞ、外だ、裏へ回れ、という叫びの合間に、結界はどうした?魔法師はなにをしている、という怒鳴り声も聞こえてくる。すぐあとに、魔法師が気絶した、と返しの叫び声がする。
うん、ゴロくんの言う通り、魔法師弱え。いや、ゴロくんが強いのか?
──マスター、右っす!そっから森に入るっす。あねごがもうすぐそっちへ着くっす。俺らも追ってますから!
──魔族!魔族と闘うでしーっ!つぶすでしーっ!たたむでしーっ!
戦闘狂の雄たけびが頭に響いてくる。たのもしいのがじつに悲しい……。
枝から枝へ、木から木へ、タオルによる放り投げられ方式で移動し、館の塀が途切れるところまでくると、木の列も途切れ、かなり広い畑が広がっている。畑はまばらな林になり、そこから次第に高く傾斜しながら木の多い森になり、山へつながっている。俺はタオルの弾力に助けられながら、地面に降り立った。
あっちだ!音がしたぞ!声がした。ばらばらと何かの駆ける足音。呼子の音。森に逃げ込ませるな!という声も聞こえる。振り向くと、シカに乗った一団がすごい速さで迫ってきていた。シカの跳躍が大きい。ピーッという高く鋭い鳴き声を上げながら、一跳ねで五、六メートルの距離をあっという間に詰めてくる。
俺はゴロくんタオルを広げる。ぱっと薄くなって全身を覆う膜になる。膜を頭から被り四つん這いになって、茂みから茂みに逃げる。膜は周囲の景色に合わせて変化してゆく迷彩仕様だ。畑を囲う仕切りの低い石垣を越えて、身をひそめる。
やりすごせるか?このまま石垣の縁に沿って、林の方に移動で……。……いや、だめだ。シカの一団三人が林の方に先回りし、足踏みしながら弓を手に、あたりを見回している。
目を凝らして、兵士の様子を観察する。シカはでかかった。そして多分こちらの世界の馬よりはるかに胴が太いのだろう。兵士はその上に鞍を乗せ、またがるのでなく、鞍に胡坐をかいて座っている。そして、鞍と腰帯とを革紐で繋いでいた。それをみて、俺は決心し、ぼたんに考えを伝える。
悪いが、たのむ、と俺は左だけぼたん軍手を脱ぐ。軍手は丸まってボール状になり、回転しながらあっという間に畑の縁にのびた雑草の中に消えた。
しばらくして、黒い丸いものがいくつか、畑の石段に跳ねたのが視界をかすめた。即座に異変が起きた。
兵士を乗せた三頭のシカの頭上に、木の枝が落ちてきて、驚いたシカが散り散りに飛び跳ねた。つづいて、畑の方へ跳んだシカに乗った兵士の手綱が切れた。さらに黒い丸い影はシカに跳んだ。直後、そのシカの胴に鞍を止めている太い革紐のようなものも千切れとんで、兜をかぶった騎乗の兵士が鞍ごとシカから投げ出された。
やった!
と思ったのもつかの間、兵士は頭から落ちてゆく。
あぶないっ。ひやりとしたが、そのための訓練を受けているのか、落下した兵士は見事に受け身をとった。体を止めきれず転がってゆくが、頭を打つのは免れている。
それを目の隅で確認しながらも、俺はすでに立ち上がり走り出していた。薄膜をタオルに変えて手首に一巻きしておいて、一振り。
タオルが伸びてシカの首に巻き付き、走り出した俺をぐいと引き上げた。甲高い笛のような悲鳴を上げるシカの上にどさりと落ちる。一瞬、背中を丸め思い切り跳ね上げたシカに飛ばされる。逆立ちさせられ息がつまる。が、ぼたんの軍手がぐいと俺の手を引き、シカの角をしっかり掴ませた。タオルは細く長く、シカの首と胴とに巻き付き、その上に伏せた俺の背中にのびて、俺をシカの上に張り付けてくれる。
たのむ、森の方!あっち!
祈る思いで、強引に角を引き、シカの首を制御する。
よし、いける!いけえっ!!
ぴたりとシカの上に伏せた俺をのせてシカが木々の間を疾駆する。景色が緑と茶の流れと化して、うしろに飛び去ってゆく。
それでも追いすがってくる声は数を増し、大きくなってくる。速い。あっちは乗り慣れている。当然だ。
どうする?どうするよ、俺。
──マスタ、任せる!
ゴロくんが力強く一言いうと、背中の紐が細くなる。張り付ける紐が食い込んできながら揺すぶられる。つらい。つらいが、ゴロくんが体を分ける必要があってそうしたのだ。我慢せねば……。
急にぐんとスピードが増した。
──うまいでし!ゴロ!足強化したでしね!
──跳躍のとき押し上げているだけ、だ。
淡々と、だが、若干照れたようなゴロくんの答え。
──あとでやり方、教えるでし!
おかげで、集結しつつあったシカ群団との距離が離れてゆく。だが、内臓が激しく揺すぶられ、俺は歯を食いしばって必死に肚に力をこめる。胃液どころか胃そのものがせり上がって出てきそうだ。それでも、アップダウンのきつい坂道で距離を開ければ地面のこぶのせいで、俺の姿は完全に隠れた。足跡は辿られるだろうが、一応は振り切ったのだ。
急傾斜を下り、その下を流れる浅瀬を渡り、向こう岸にとりつくと急斜面を昇る。登り切って尾根を下るところで、
──来たっす!
カッペイの念話が来たとおもったら、シカの背から飛ばされた。ゴロとぼたんとが同時に、シカの背の縛りから俺を解いたのだ。頬をなにかがかすめ、ガチンッという歯の合わさる音を耳元で聞いた。ぼたんの軍手が片方勝手に脱げて、その黒い長いものに向かっていく。
あの魔物だ。あの女が魔蛭と呼んでいた……。
空中を回転し落ちながら目に焼き付いた光景は、信じられないほど大きく魔物の口が開いて、シカの首を呑み込もうとするところだ。シカは悲鳴を上げたが、さすがの動物の勘で頭を下げた。すぱっとその大きな角がなくなった。角のなくなったシカは跳ね飛び、あっという間に藪を越えてみえなくなり、魔蛭が振り返って、目のない顔をこちらに向け、狙いを定めた。
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