12 サイカ公

いま、俺はきれいな中庭を眺めながら広くて古風ないい感じの回廊を連行されてきたところだ。

こちらの世界でも季節は一緒、夏の朝、今日も暑くなりそうだ。汗っかきの俺はもう汗をかき始めている。立ち止まった扉は彫刻を施され、ところどころ金属装飾の施された重厚なものだ。兵士がそれをノックし、奥からの誰何に答えるのをびびりながら、待った。


今朝、牢屋に兵士が朝飯を届けてくれて、俺に告げた。

「お館様が直々に、検分裁定して下さるそうだ。正直にありのままお答えするんだぞ。お客人がおまえが魔法使いということで興味をもたれたのだ。素直にお答えして情けをかけていただければ寛大な処置を下さるやもしれんぞ。魔術の失敗でも、人に負傷させたわけではないし、な。言っておくが、妙な振舞いはするな」

お客人というのはもちろん、お姫様という噂の昨日のあの怖い女のことだろう。


俺は徹夜でバチモンどもとあれこれ相談しておいた。その打合せどおり、ゴロ君タオルとぼたん軍手は隠れてもらい、カッペイ・パンツとだけ一緒にいる。つまり、パンツは履いているということだ。取り調べを受けるにあたって、ともかく牢屋に入れられたときと同じ仕様でないとまずいだろうと判断したのだ。

カッペイ・パンツがただのパンツでないことはあの女にはばれてしまいそうだが、これまでなくなってしまうと、いよいよ変態の仲間入りだ。それにカッペイ・パンツなしで独りになってしまうと、心も股間も寂しいし……。……パンツがないと寂しいのって、正常だよな?


兵士のノックに、すぐに扉の向こうから、入れと返事がある。俺は促されて、兵士にしたがって部屋に足を踏み入れた。入ると、大きな虎の獣人が立っているのに気圧される。

圧倒的な存在感。獣人はこちらをちらとも見ない。ゆったりと脚を開き、その片方にやや多めに体重を乗せる楽な姿勢で、警戒もせずに立っている。しかし、その立ち姿からは野生の獰猛な気配が濃厚に立ち上っていた。確か、サイカ公の従者とかいわれていたやつだ。

びくびくしながら横を通り、部屋の奥、二人の若い男が座る前で、俺は跪かされた。絨毯がふかふかなので膝は痛くはない。兵士が横に立ち、許されて顔を上げる。


手前の金髪の若い坊ちゃん風の男の奥に、ひっそりと座った黒衣の少女に目が吸い寄せられた。

昨日の、サイカ公と呼ばれていた少女。美しいのに、そのことに不吉さを感じさせる美少女。目立たない……、と思える。手前の金髪のおぼっちゃま、……これがご領主のライモン卿だろう、こちらの方が服も真っ赤で黄色の房飾りがついていて目立つ……、いいや、そんなことはない。黒衣に黒髪で部屋の日陰にあたる場所にいるあの姫君の方が目を引く。柔らかい白い光に包まれているからなのか……、いや、ちがう、そうじゃない。ギラギラしている。ギラギラした光を背負っていて、それでくっきりあの黒が浮き出ているのだ。強烈な光に支えられた濃い影、いや、むしろ闇だ。

床まで垂れた黒いローブにすっぽり身を包んでいるが、その黒色は俺のジャージとは比べ物にならない、バチモンたちがこれこそ高貴な黒といって小躍りしそうな黒だ。その黒衣の床に垂れて折れて返った裏地は深紅で黒と強烈な対比をなしていた。

せっかくのお姫様なのに、なんであんなよくピアノが着ているような服なのか……。お姫様ってもっと白っぽい服で頭にとげとげに丸がついた奴かぶってんじゃないの?

夏に真っ黒のその恰好で、ピアノの如く汗一つかかないという神業を軽くこなして涼しげである。


背は俺よりわずかに低いだろう。その白磁のようななめらかな肌の白さは長いまつ毛の落とす影をほとんど蒼くみせている。異様なほどにととのった顔立ちのせいか、地味にさえ感じるのに、そいつだけ切り取られたような周囲と異質な空間にいる気がする。黒髪が長く二房、両耳の前に垂らされていて、かなり長髪のようだがそれ以外の髪を後ろに高く結い上げるという変わった髪型だった。その黒髪は暗がりにいてなお、黒曜石のようにところどころ光が滲ませて、艶やかだった。


目が離せないでいると、その切れ長の黒目がちの眼がふっと細められ、邪悪な猫のような三日月に笑った。

「おもしろい」

少女はゆっくり感慨深げにつぶやいた。

「評価の厳しいサイカさまがそれほどのことをおっしゃるとは……」

と、手前のライモン坊ちゃまが目を見張っている。なぜ坊ちゃまかといえば、きれいな金髪を坊ちゃん刈りにしているから。非常にハンサムだが、どんぐりに似ているところがイケメン嫌いの俺としては好感がもてる。

「浅学菲才の身ではわかりませぬが、この者、それほどまでに傑出しておりますか?」

「ええ、この者、実に興味深い」

背筋になにかがうぞぞぞぞ、と這い上がってきた。こいつ、絶対やばい。ほんとうに人間か?

「差し支えなければ、ご教示いただけますでしょうか」

ライモン坊ちゃんが丁寧にサイカ公に聞いている。俺と同年齢くらいの少女への口の利きようと思えない。そして、少女の方も丁寧ではあるが、その尊敬をうけることを当然のこととしていた。


「ふむ、まず、この者、魔力量が多い。異常なほど……」

「それは……、しかし、なぜわたくしには感じられぬのでしょう。わたくしも魔法に関してはそれなりに修行を積んできたと自負しておりますが……」

いや、俺にも感じられませんからご安心を……。

「人が魔力量を感ずるのは、それが制御されている場合なのです。そのせいで、人は相手の強さを比較的容易に判断し、それを脅威ととらえて危険を免れることができる。しかし、自然界に漂い、ありのままに存在する魔力には意外に鈍い。だから、魔力に満ちた世界の気脈をみつけることすら魔道具なしにはなかなか難しい」

へえ、なるほどー。……いや、さっぱり、わからん。この人、何言ってんの?

「人、いや自我あるものは総じて、魔力を無意識にでも常に制御してしまうもの。この者のありようは、どちらかといえば魔物に近い」

「いや、人間です。人間。れっきとした!」

思わず大声で主張してしまった。おまえの方が怪しいくらいだよ!

「そのようだな。で、あれば、まあ、正体は絞られる」

人間以上の正体なんか、ねえよ!バチモンじゃあるまいし!一体おまえが俺の何をしってるっていうんだ!!

むかついたので思わず聞いてしまった。

「あのう、その……サイカ…さま?は、人間なので?」

聞いた途端、目から火が出た。背後の兵士が手にしていた槍の柄で俺の頭をぶん殴ったのだ。

あいたーっ。涙目で這いつくばって頭のたんこぶを確認していると、サイカ公が、まあよい、と鷹揚に兵士を宥めている。

「おい、質問に答えろ」

兵士の声に、俺はあわてて頭を上げた。


「名前と住所、所属を申し上げろ」

「あのう、名前は緑谷空良です。住んでいるのは、ええと、村北苑という施設でして……何しろ遠いんで、ご存じないと思いますが……」

「余計なことはいわんでいい。で、学校には通っているのか?」

「あ、もちろん。えと、一年です」

ここで、奥のサイカ公が反応した。

「ほう、どこだ?」

ライモン坊ちゃまの方も感心したようにいう。

「一年でその実力とは、いずれ帝都の名門に違いあるまい」

名門てなに?おいしいの?うちの高校、偏差値、県内で下から数えたほうが早いんですけど。

「ええと、これもご存じないと思いますが、村北第一高……」

「きかんな」

サイカ公が短くいって首を振ると、俺は兵士に小突かれた。

「正直にお答えしろ」

「いや、ほんとなんです。でも、その……ここでは正式じゃない学校っていうか……」

そういうと、ライモン卿が引き取ってくれた。

「ふむ、私塾か。しかし、遠距離の転移魔法を使えるほどの学生が私塾通いとはな」

「あ、俺、孤児なんで、金とかないし」

うん、この部分は嘘ではないので、すらすらいえるぞ。

「で、どこから転移してきたのだ?」

「村北ってとこです。なんせ田舎なんで……。ご存じないと思いますが」

誤魔化し方が、遠いからご存じない筈、の一点張りなのが我ながら情けないところだ。ライモン卿がサイカ公を振り返った。

「この者のいうとおりならば、大変な才能が我が領地に眠っていた、ということになりますが、公はどう判断されますか?」


サイカ公は目を伏せて、微笑んだ。

「ふふ。それは卿の怠慢ということにもなりかねませんね。しかし……」

言葉を切って、赤い眼が俺を見据えた。あれ、こいつの目、さっきまで黒くなかったっけ?ちらっとそんな疑問がかすめたが、

「おまえ、転移魔法を使ったか?報告書によると、使っていないとも供述したようだが……」

言われて、俺は迷った。迷ったが、どうせ魔法なんか使えないことはすぐばれるのだ。信じてもらえる可能性があるのなら、言ってみようか。

「あ、そうなんです。俺、魔法なんか使えないから、なんか風呂に入っていたら変なエルフみたいな女にここに飛ばされて……」

「魔法が、使えない?」

オウム返しに、聞き直された。俺はこくこくと頷く。

「それはおかしい。おまえは魔法を使う筈。しかも相当の使い手だ」

「いや、使えないし、使ったこともないです」

いうと、いきなり怒鳴りつけられた。

「黙れ!昨日、私を見ていたであろう。この私をたばかろうというのか!」

ええっ?あのカメラ、やっぱり向こうからもこっち、見えたの?

「いや、それ、そのう……、俺じゃないです」

バチモンでし……。

「ほう……」

声が低くなった。あ、まずい……、怒らせちゃったっぽい。


で、裁定は……。

「どういたしましょうか?」

というライモン卿のお伺いに、サイカ公がにっこりした。怖ええ……。

「わたくしにお任せいただけますか?」

いやいや、任せないで!ご領主に、お願いします、という俺の祈りもむなしく、坊ちゃまは素直に承諾してしまった。ライモン坊ちゃまはもう、そもそもサイカ公とはご身分が違いすぎる感じだもんな……。


サイカ公は立ち上がり、懐から紙切れを出しながら近寄ってきた。紙にはなにか複雑で不思議な印象の文様が描かれている。

「これは」

と、ライモン卿と俺にご説明くださる。

「これは私の召喚獣、魔蛭」

ふっとその札に息を吹きかけた。紙が揺らめいて何かの文字のようなものでできた輪が二つ飛び出て、一瞬光ったと思ったら、ゾロリと毛皮の管のようなものがサイカ公の手から垂れていた。そして、サイカ公がひょいと手を動かすと、その管が頭をもたげて、カチカチと歯を鳴らした。目も鼻もない毛の生えた管の先に口が開いていて、そこにぐるりと何重にも歯が生えている。

げえーっ、趣味悪っ。身の毛がよだつってのはこのことだ。


そのキモ悪いのを手に淡々とサイカ公が告げた。

「おまえを東の森に放って、こいつに追わせてやろう。こいつは魔力に目がない。魔力の多いものを延々とどこまでも追ってゆく習性がある。追いつかれれば、ただではすまぬ。大概のものならば、吸い尽くされる」

ええっ、ひどくね?俺、一般庶民ですよ?!死んじゃうじゃないか!

「安心せよ。東の森はつい先日、魔物たちの大狂走があったところ」

「……大キョウソウって、なんでしょうか?」

「知らぬのか?百鬼夜行ともいう。あまたの魔物が集まり狂騒状態で侵攻し、あたりを蹂躙する。時折起こる現象だが、おさまった後もかなりの期間、一帯の魔物たちは、興奮状態にある」

「おい、どう安心しろっていうんだよ?!」

思わず怒鳴ると頭に兵士の拳骨がふってきた。いってええっ、こいつ、さっきのたんこぶの上に……。

「おまえより魔力の多いものがあれば、迷わずコレはそちらを追うからな」

「いや、そうすると、俺はなんか強い魔物に出くわさなきゃならないってことになりますよね?」

「なかなか察しがいいではないか」

「いや、ちょ、やめてくださいよ」

泣きつく俺を冷然と無視して、サイカ公はそろりと腕を組んだ。魔蛭という魔物が肩からマフラーのように垂れている。

「そうだな。わたしの魔蛭は日が暮れてからのほうが力がある。夕刻までゆっくり考えるのだな。少し素直になって、おまえの秘密を明かす気にならなければ、辛い鬼ごっこがはじまることになるぞ」

サイカ公は手で合図をして、兵士に俺を牢に戻すよう、と指示した。

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