11 のぞき

兵士たちはやってくると、お隣さんの牢の扉を開けた。

迎えが来て金払っていったから釈放だ、といっている。お隣さんはお帰りのようだ。いいなあ。羨む目でみていると、再び蔑むような眼で見られ、兵士にあんな変態男の隣で最低だった、とか文句いっている。


お隣さんがいなくなってすっきりしたところで、俺はパンツを通してカッペイと話す。

「俺、どうしたんだ?なんかエルフみたいのに、引っ張られた感じだったけど」

──やっぱりエルフなんすね。この洞窟周辺には結界があるからふだんは直接干渉されたりしないんすけど。

──マスターがエルフ臭くしてたから、手出しされたんでし。エルフの奴、いきなりマスターをさらうなんて、いい度胸でし!早く帰ってきて一緒に攻め込むでし!

ヴィオの声が割り込んできた。

いや、攻め込まないから。そもそもおまえらがエルフにひどいことしたから、こういうことになってんじゃないの?


──そこ、どこっす?普通なら俺、見えるんすけど、微妙に見えにくいっすね。

「領主の館の牢屋にいるんだよ。さっき魔法使えないように腕輪されたんだけど」

──ええ?あ、確かに、ちょっと干渉してくるっすね。でも、しょぼいっすね。人間の作った奴じゃないっすか?そんなの、マスターならなんでもないっしょ。建物周りの塀のとこにあるやつの方が強力っすね。ま、ともかく一遍帰ってきてくださいよ。

「いや、だから帰れないって。俺、魔法なんて使えないんだってば。ていうか、おまえら、今朝みたいに俺をそっちに召喚してくれよ」

──なにいってるでし!召喚魔法なんて、当分使えないでし!どれだけ力使うと思ってるでし!

──俺ら、マスターと違うんすから。そう簡単にいわれても困るっす。

これだから天才は、みたいな調子でいわれてしまった。

え、でもちょっと待って?俺が家に帰れるのっていつ……?いや、新学期には間に合うよね?ね?できれば始まる三日前には帰って少しは宿題やりたいデス……。


「じゃ、どうしたらいいんだ……。俺、なんか師匠がどうとか流派の名前をいえないと帰してもらえないっぽい。ってか、身元引受人みてえなのがいないとダメかも……」

──ハア?なにいってるんす?さっさと転移魔法で帰ってくださいっす。俺ら飯食い終わっちまったっす。マスターの分、残ってるっすよ。

「え、飯ってなに?」

──魚の残りっす。

ああ、あれね。マグロっぽかったな。腹減ったら食ってみてもいい気がしてくる。だが……。

「おまえら、俺は魔法使えないと何度いったら……」

──いやいや、もう隠さなくっていいっすよ。俺らとマスターの仲じゃないっすか。

うんざりしたようにカッペイが言った。どんな仲なんだよ。パンツだからといって、変に距離詰めてくるんじゃない!


だが、バチモンどもは、魔物は直感で魔法使えるといっていたから、魔力量が多いのに魔法が使えないなんて、想像もできないのだろう。どうしても、信じられず、聞く耳をもたない。

……魔力かあ。なんの自覚もなしに、ただ多い、多いといわれてもな……。思い当たることは童貞だということくらいしか……。いや、でもまだ三十になってないしな。

……くそう、自力でどうにかするしか……。だが、まったく状況がわからない。

いや、待て……。そうだ、ともかく情報収集だ!


「おまえら、このタオルとか軍手とか動かせるんだよな。この屋敷がどうなってるのか、探ってこられないか?」

──そんなのお手のもんすよ。ゴロ、分裂な。

カッペイの声がいうと、床に大量の小さなゴムボールが四散した。タオルがぽろぽろと崩れて大量のボールになり、ばらばらと床に落ちて散らばったのだ。それが一斉にぼよんぼよんと動き出す。

──俺の部分か、ぼたんの奴のを目のとこと耳に当てれば、マスターも見たり聞いたりできるっすよ。


へえ、感覚共有するわけか……。

カッペイはパンツだから目や耳に当てるのは、画ヅラ的にも社会的にもナシだろう。じゃ、軍手の方だ、……と、俺は気軽な気持ちで、……いや、多少汗臭さに躊躇はしたがそこは我慢して、軍手を目と耳に当ててみた。軍手は多少変形し、嬉々として俺の目と耳にひたりとくっついた。

途端に、俺は目を回してベッドに手をついた。


ぐはっ。


 軍手をむしり取って、俺は鼻をおさえた。圧迫感を伴うほどの感覚のなだれが襲い掛かり、頭の中を思い切りぶん殴ったみたいだった。温かいものが鼻の奥からツーッと滴ってくるのがわかる。

──だ、だいじょうぶっすか?

 カッペイが慌てたようにいってくる。

「ゴロ君、数、減らしてくれ、三つくらいでいいから……」


 そう、あの大量のボールたちが収集した映像と音声とがすべて一気に頭の中になだれ込んできたのだ。てんでに飛び跳ねつつ階段を登ろうとしたのか、いろいろな角度からのばらばらの迫ったり遠ざかったりする石の段、天井がくるりと回る光景、絶え間ない階段にぶつかるボールのぼんぼんというくぐもった音が圧迫感と恐怖さえ感じる物量で襲いかかってきた……。

 きつすぎた。


 俺の頼みに、ほとんどのボールがころころと戻ってきて集まると、俺の前で白いタオルに変じたが、そのタオルは隅の方が少し欠けていた。ゴロ君が俺のいうとおり、ボールを三つばかり残してくれたらしい。

 俺は鼻血を服の胸元で拭い、慎重にベッドに仰向けに寝ころぶと、軍手を耳と目に当てた。映像三つでも目が回るので、ちらちらみるだけにする。基本的にぼよんぼよん跳ねてゆくので上下に振れる光景が目まぐるしすぎるのだ。

……うう、手ぶれ補正頼む……。

 音声だけ拾って、一瞬みて、目をつぶる、みたいなのの繰り返しでしのぐ。


「ゴロ、見つからないようにしてくれよ」

 無言だが、了解です、のような気持ちは伝わってくる。おっと、鎧の金属音と靴音がしてきて、ゴロ君のボールは何かの布の後ろに隠れた。続いて、俺の耳にも直接階段を降りてくる兵士の靴音と鎧の部品の金属音。


 人間の兵士が俺の牢屋の前まで来た。俺は軍手とタオルをすでに隠している。

 寝ている俺をみるなり、心配してくれる。

「お、おまえ、大丈夫か?その胸元の、血か?」

「あ、大丈夫です。ただの鼻血なんで……」

 いうと、兵士はなんともいえない顔をした。

「……おまえ、女がちょっと隣の牢に入ったくらいで、そこまで……か?」

 へ?いや、これは違う……。

「お館様は明日の昼頃にお帰りだ。大魔法師さまが客人としてご一緒だそうだから、さっさと訊かれていることに答えたほうがいいぞ。女に興奮している場合ではないぞ」

 言いおいて、兵士は呆れたように首を振り、さすが魔法使いだ、とかぶつぶつ言いながら行ってしまった。


 ち、違うんだ。この鼻血はもっといい感じの理由で出たんだってば!さっきの、ぐはっ、ての、ちょっとカッコよかったんだってば!……と声を大にして言いたい。

 いや、そりゃ、彼女いたことない、できる気もしない魔法使い予備軍ではあるがな!すごく将来有望な士官候補生くらいではあるけどな!

 ……い、いや、負けるな俺、まだ三十になるまでには間があるぞ。まだ高校生じゃないか!

 ぼたん軍手がぴょんとベッド下から飛んできて、心にダメージを負った俺の手を握ってきた。

 ……うん、ありがとう。ぼたんのやさしさが心に染みる。いや、まだ、方向変えなくてもだいじょうぶ、希望はある。時間はあるんだ……。


 さて、ゴロくんボール三個は兵士をやりすごし、壁にそって追ってゆく。つつつつっ、という滑るような目立たない動きに切り替えたらしく、かなり手ぶれ補正が効いている。ほとんど兵士の靴の後ろしかみえないが、覗き見は順調である。俺はどこぞの家政婦か……。


 お、兵士が立ち止まった。仲間の兵士に呼び止められている。どうだった、白状しそうか、あの魔法使い?とか聞かれて、兵士が答えている。

「いやあ、だめですね。隣の牢の女にパンツみせて興奮していたようで……」

 おいっ、こら、おまえ、話つくんな!

「牢に入っているのにまったく堪えてませんよ」

 たった今、おまえのセリフに堪えたよ! ……くそう、ぐはっ、がいけなかったのか、ぐふっ、とかのほうがよかったのかな……。

 これだから魔法使いってのはしょうがねえな、とか話しながら、兵士たちは歩いてゆく。すると、もう一人、向こうから兵士が歩いてきた。上官らしく、兵士たちは敬礼している。


「おまえたち、口を慎め。今しがた、ご領主とご友人の高等魔法師殿がおつきになったぞ」

「しっ、失礼しました。しかし、到着のご予定は明日だったのでは?」

「高名な魔法師殿がご一緒だからな。お力をお借りしたのだろう。従者がお一人、ついていらっしゃっている。失礼のないように、警備の打合せをしろ」

 それから、三人は近くを通りかかったメイドさんを呼び止め、どこの部屋を使うのか、など聞いて、去っていった。


 ようし、ゴロくん、その男どもにはついていかなくていい。

 メイドさんについていくんだ!もっと足元寄れ。そうそう、スカートの下。さあ、上を見上げるんだ!!……おっと、まずい、隠れろ!

 女の子の声がした。メイド仲間らしい。お湯の支度、手伝うわ、ありがとう、とか言い合いながら、二人は連れだって歩いてゆく。小さい声だが、おしゃべりしている。

「聞いた?お客さま。お姫さまですって!」

 なになに、なんですって?

「ええ?まさか」

「本当よ。帝都の貴族さまっておっしゃっていたけど、あんなきれいな方、見たことないわ。しかも魔法師として本当に有名な方らしいわよ」

「ええ?だって、こんな田舎に?」

「ほら、この間、東の方の森で魔物が狂騒状態になって村がいくつか呑まれたじゃない?」

 ええっ、こわいー。こわいよー。

「でも、予めお館様が避難させてくださって、被害はなかったのよね、たしか」

「そうそう、それを予言されてお館様にお知らせくださった方なんですって。で、お館様がお礼にぜひ、といってご招待されたの。もう少し詳しく様子もみてくださるといって、来られるらしいのよ。魔法師さまたちの教育もお願いしているとか……」

 この子、詳しいな。さすが本職家政婦、みた内容が濃い。

「まあ、それは心強いわね。お館様も魔法には熱心でいらっしゃるから……。で、姫君って、どちらのお国の?」

「それがね、お名前がね、サイカさま、サイカ公って呼ばれているのよ」

「じゃ、あの北西のサイカ王国の?」

「そう、あの宝石の国の」

 すてきねー、とか言い合いながら、階段に向かってゆく。

 ふむ、これは期待大ですぞ。ちょっと俺にも運が向いてきたんじゃない?とホクホクしながら、ついてゆくと、ふと、二人は黙り、さっと壁際によけた。


 ゴロ君ボールの視界がぐるりと振り返り、上へ角度を合わせた。視界に一団をなす人の顔が入ってくる。


 獣人が歩いてくる。虎だ。虎の顔をもっている。周囲から頭一つどころか二つくらい抜けた身の丈に、がっしりとした体躯、重量感があるのに、足取りは軽い、体中筋肉をまとっているのに、弾むようなしなやかさを感ずる。たぶん決して若くない。だが、周囲に放射するエネルギーは猛々しくも若々しかった。


 それが通り過ぎると、若い男と、もう一人、その男の隣にいてその男を見上げるように話す少女が歩いてきた。黒衣をまとい、俺と同じくらいの年齢にみえる少女、息を呑むほどの美少女だった。二人の後ろには、兵士たちが従っている。

 メイドさんたちと一緒に一行をやりすごすはずだった。が、一行は立ち止まった。

 少女が立ち止まったからだ。

 冷たく見えるほどにととのった顔だ。黒い切れ長の目が、まっすぐこちらを見ている。


 ……うん、ばっちり目が合っちゃっている。なんで、そんなカメラ目線なのかな?


「ほう」

いって、少女はちょっと目を見張った。そして、ぞくりとする薄く赤い唇を引いて、にいっと笑う。

……こいつ、怖い。

 少女が命じた。

「来い」

 !

 行くかよ!ゴロ君、逃げるんだ!

 思いっきり同意の返事が来て、目が回った。すごい勢いで跳ねたのだろう。天井が迫ってきたかと思うと景色が目まぐるしく変わる。

 うわ、三つのうち、一つ捕まった!手が迫ってきて、がっちり握られた。懸命にボールは身を捩っているみたいだが……。

「おもしろい。はぐれか。このわたしの命を背くとは……」

 意味不明のつぶやきとともに、少女の掌で急速に視界は暗くなり狭まって、バチンッと白い光が弾けると、何も見えなくなった。

 続いて、パチン、パチンと急激に切り替わっていた二つの映像もなくなる。


──マスター、あいつ、やべえっす。残りもゴロが自爆させたっす。

 カッペイがいった。

 ひええ、怖いよー。俺、どうなっちゃうの?

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