10 牢屋にて
みなさん、お元気ですか。最近ついてないな、と感じる悩み多き高校生、緑谷空良です。
現在の俺はですね、そうですねえ、鉄格子の中のベッド上で体育座りして、擦りむいた膝を舐めながら、先ほどまで恒例のハード俺とソフト俺による脳内会議を開いていたところですよ。石畳に取り押さえられたときについた顎の傷もひりひりするよ。
会議の方はさきほどあっけなく終わりました。なんていうか、ピンチのときほど、ハードな俺とソフトな俺って、仲悪くなるんですよね。ハード俺の形勢が有利になりすぎて、ソフト俺がそんな言い方しなくったっていいじゃないか、と逆切れ、みたいな、ね……。
兵士の人たち、異世界の住人達ですが、言葉は通じました。
ええ、異世界の人たちは普通の人間が大半でしたけど、本物の獣人もいて、耳と尻尾だけついているじゃなくて顔も犬っぽい人も、猫っぽい人も、馬っぽい人もいるし、ただ人間の顔に耳と尻尾がついている人型獣人も、いろいろいたんですけど、ちゃんと言葉は通じました。通じましたけども、俺が怪しくない、悪くない、ということを説得するのはですね、ぶっちゃけ無理でした……。
もう既に空中から出てきたときにはパンツ一丁になぜか軍手、タオルという格好ですからねえ……。それに加えて、名前は緑谷空良です、変わった名前だな、どこから来た?えーと、日本じゃなくて、森じゃなくて、洞窟?とかたどたどしく答えたらそりゃあもう、怪しむなってほうが無理でしょう、みたいな感じになった。俺、アドリブ弱すぎ……。
とりあえず、服はもらった。生成りの、もとは白かったかもしれないけど今は煮しめたような灰色の奴。掃除の時間に出るふわふわの謎の埃を固めて作ったような感じに布がダメージを受けている。丸首のすとんと上からかぶる上着と七分丈くらいの短めのズボンで、落ちないように腰のところを紐で縛っている。
足にはぺなぺなの柔らかい皮の靴をくれたが、決していいものじゃない。ダイレクトに床のでこぼこが足裏に伝わってくるよ。
軍手とタオルは取り上げられてしまったが、パンツは許されて、ほっとした。
軍手もタオルも危険はなさそうに思うのだが、軍手はここの人たちにとって見慣れないものらしく、タオルのほうは模様が怪しいとかいわれた。ゴロ君の書いた誤字の混じった倉橋工務店という字が魔法陣じゃないのか、とかいうのだ。
この文字で好きなところに転移できるんだったら、いくらでも書くさ、この便所臭い牢屋の壁中にな。ちなみに便所は木のバケツです。トイレットペーパーの代わりに水桶が用意されてますよ。バケツには辛うじて蓋がついてますが、浄化魔法とかはありません。
浄化魔法があったところで魔法なんか無理なのだが、俺を牢に放り込んだ兵士が俺の手首に鍵付きの腕輪をつけ、こいつを嵌めたから、魔法は使えないぞ、と念押ししていった。いきなり空中から出てきてしまったので、俺は転移魔法の使える上級魔法使いということになってしまった。但し、裸で出てきたからヘボい上級だ。
なんでも魔法は危険なため、魔法の失敗自体が罪に問われるっぽいのだ。しつこく師匠の名は誰かとか、流派はどこだ、とか聞かれた。
俺は何度も知らないエルフらしい女にやられたといったのに、もう少しマシな嘘をつけ、頑固な奴だ、とこちらの牢屋にお通しされたのだ。
師匠思いもけっこうだが、黙っているだけおまえも師匠の立場も悪くなるんだぞ、おまえの師匠なんか問い合わせればすぐ分かるんだからな、とか言われたよ。俺の師匠って誰だよ。会ってみてえよ。
ああ、腹減ってきた。もう夕方だ。今度兵士さんが来たら、師匠は白銀のヴィオレッタで、流派はバチモン派でし、とか言ってみよう。そしたら、解放してくれるかな。くすん。
牢屋のあるこの建物はどうやらこの地方を治める辺境伯ライモン卿のお館らしい。尖塔などないシンプルな平たい四角いロの字型の三階建ての建物で中庭があったのが来た時にちらっと見えた。きれいなお庭だった……。一階はほとんど回廊で、召使いらしい人、兵士などが行きかっていた。それだけじゃない、本物のメイドさんたちも行きかっていた。そこを半裸で連行されたときの、悲しさったら……。
連れてこられたとき驚いたのだが、この世界では馬だけでなく鹿にも鞍をつけて乗っている。鹿は馬よりもどことなく柔らかいしなやかな動きで、蹄の音がほとんどしない。そして人懐こい。俺はすべすべの顔を頬に押し付けられてすりすりされた。
……ああ、本物の毛皮、ヨカッタ。高級感に溢れていた……。
獣人の兵士が苦笑しながら引き離してくれたが、俺が捕まったときも全然抵抗しなかった、というよりできなかったおかげで、あまり悪意はもたれていないようだった。だが、現在俺の処遇を決めるご領主ライモン様が不在とかで、あえなく地下牢にお泊りというわけだ。
地下牢といっても半地下という感じで、窓から一階の外を通る人の足元がみえ、外の光が入ってくる。その光が薄暗くなってきていて、すっかり日が暮れて牢内に電灯のようで電灯ではない不思議な灯りが灯った頃に食事が出た。俺の歯が勝つかパンが勝つかみたいな固いパンと、くそまずいスープが少々だ。まあ、だが、俺は文句は言わない。施設に入る前の親戚たらい回しのときなんか、妹と二人、本当に食うものなくて、給食だけが頼りだったことがあったし、給食費も持っていけなかった時期もあって散々嫌味を言われてきた俺だ。タダ飯に文句をいうものか。……いや、口には出さないだけで、内心不満たらたらなんですけどね。
俺がきっちり文句も言わずスープを飲みパンを食うと、獣人兵士が無表情でひょいと干しアンズみたいなのをくれた。
俺に対してなんとなく獣人の兵士たちのあたりが柔らかいのにはわけがある。俺の牢のお隣さんのおかげだ。お二人様がそちらではお世話になっているのだが、そのおばちゃんとねえちゃんがすごいのだ。ザ・獣人差別派という感じ。
罪状もどうも近隣獣人とのトラブルらしい。結局しょぼい無銭飲食なのだが、当人たちの主張では人族さまに対する不当な態度に起因する当然の不払いなのだとか。で、払えばなんともないことなのに、牢屋まで来て監禁されているわけだ。この牢に来た直後から俺が人族とわかると、聞いてもいないのに滔々とまくし立ててくれたので、事情を知った。
俺も最初は曖昧な笑顔のザ・日本人をしていたのだが、正直十回以上同じ話をされたらもう疲れてしまい、相手が何をいってもひたすら、そっすね、モフモフさいこーっす、そうっす、もふもふっす、としか返事しないようにしたら段々口数が少なくなってくれた。
だが、本当に暗くなってくると、心細いのか自分たちの身の上を嘆き、励ましあっている。
「こんなこと、天使さまは許しませんことよ」
「そうですとも。天使さまがあの毛玉どもに鉄槌をお下しになる日も近いのです」
とかなんとか言い合っている。なんかの宗教かな。この世界の天使さまはモフモフ嫌いらしい。いや、この二人の妄想かもしれないが……。
牢は不思議な灯りのおかげで真っ暗にはならない。その灯りはロウソクなどではなく電気のようにみえるが、電球のようにガラスのほやに覆われているのでなく、ただぽつんと光が浮いて一か所に止まっているのだ。
お陰でお隣さんの顔くらいはお互いになんとなく見えたが、俺はあまり相手をしたくないので、早々に粗末なベンチみたいな木の寝台にごろりと横になった。だがもちろん眠気なんかやってこない。
さっきのあのエルフみたいの、エルフだよな、なんだったんだろう。やっぱりバチモンどもがご近所のエルフにひどいことをしたから、兵士たちのいっていた転移魔法とやらで、俺を強制転移させて逮捕させたのか。
だが、兵士がいうには他人に対する強制転移の魔法なんて、上級魔法使いだって使えやしないらしいのだ。ハーフエルフならともかく、強力な魔法を使うエルフが人間にかかわるわけがない。エルフに会った人間でさえ稀だし、他人に強制転移魔法を使う女王クラスのエルフなんて、歴代皇帝でさえ会った方は少ない。エルフに攫われたなんて馬鹿げた嘘はよせ、と叱責された。
でも、俺はそもそもスライムのバチモンスターどもに召喚されたんだぞ。いや、魔物は人間と比べ物にならないほど強い魔力をもつのかもしれん……。バチモンスターのことは黙っていた。でかいスライムからマスターと呼ばれています、とか、言いにくいじゃん。
どちらにしろ、俺は知らないことだらけだ。今朝来たばかりだしな。
悶々ととりとめもなく考え、不安にかられていると、
「あ、あれはなんですの?」
お隣さんが震え声でいった。
うん、俺も気になってた。
さっき地下牢に出入りする向こうの薄暗い階段から白くて丸いものが二つ、転げ落ちたよね。それが、もぞもぞこっちに向かってくるよね。怖えよ。
なんか、でかい蜘蛛みたいにみえる。こぶしくらいの大きさのあるタランチュラみたいな太い足の蜘蛛……。ど、どうしよう。こっちくんな。
俺は牢内を探した。武器になりそうなものは枕しかない。入ってきたら、この枕で叩くしかない。隣の人たちは、奥の方に縮こまってしまったみたいで視界から消えた。俺が牢内で枕を構えていると、それは着実にもぞもぞと俺の牢の方へ近づいてくる。
あれ?
見覚えがある。あれ、俺の軍手だ。正確には、さっき取り調べのとき取り上げられた軍手に似せてぼたんが作ったやつだ。それが二個、ペアーで仲良く五本指を使って歩いてきた。ううむ。キモイ。キモイがこれは俺のだ。
手を差し出すと、軍手はぼたんみたいになんとなく感激した感じで震えてから、俺の手に飛び込んできた。うん、この軍手、真っ白なのに汗臭い。あの変態メイド、熱心に臭いを嗅いでいたが、俺の体臭まで再現しやがったな……。
一応、お隣さんには、だいじょうぶです、虫ですから、窓から逃がします、などと安心させておく。
すると、今度は牢の外に通ずる高い窓から白い四角い布が飛び込んできた。タオルだ。倉橋工務店(誤字含む)のゴロ君作……。来ちゃったのか……。俺がこれ以上怪しい奴にならないために、おとなしく普通のタオルの振りをしていて欲しかった気もしないでもない。でも、そこはかとなく嬉しい。だって、寂しかったんだもん。
感慨深く軍手をはめ、タオルを首に巻くと、いきなり話しかけられた。頭の中に直接声が響く。
──マスター、マスター、聞こえるっすか?
へ?
「カ、カッペイ?!」
大声を出してしまった。
──そっす。聞こえてるっすね。
「え?どこ?」
──これっすよ。俺の体の一部なんで、これを通して念話を……。
「アフン」
俺は飛び上がった。パンツがもぞっとした。
「ば、ばかっ。動くな!」
てめえ、どこ動かしてんだ。変な声出ただろうが!
「おまえ、パンツになったら、動くの、だめだろうがっ。パンツに徹しろよ!」
仰天した俺の叱責に、カッペイがしゅんとして謝ってきた。
──すんません。申し訳ないっす。
「ったく、そんなことで立派なパ、……聖獣になれると思ってるのか?
……ま、まあいい。で、頭の中に直接声が届いているみたいだけど、こんなこと、できんだ?」
聞いても黙っている。まさか、切れちゃった?電波悪いの?
「も、もしもし?」
──あの……、しゃべっていいんす?
「……あ、うん。声が出てないから、パンツ的には問題ないな。だいじょうぶ」
ごめん、言いすぎたよ……。動揺しちゃってさ……。
答えると、安心したように聞いてきた。
──なんで帰ってこないんす?
「捕まってるんだよ」
──エルフっすか?でも、マスター、エルフくらいちょいと捻れるっすよね?
捻れませんよ。
「人間に、だよ。牢屋に入れられてんの」
「あなた、一体誰と話しているんです?」
安心したらしい隣人が俺の方をうかがっていたのだが、黙っていられなくなったらしく、キンキン声で咎めてきた。
俺は正直に、ありのままを、答えた。
「パンツと、です」
ねえちゃんに、ゴミを見る目でみられた。でも、俺は悪くない。ふっ、気にしないぜ。思わずニヤリとしてしまう。これでさらにお隣さんのこちらへの関心が薄まってくれるだろうさ。
そっとぼたんの軍手が手を握ってくるような感触。
やめろ、俺はお前の同志じゃない。蔑まれて喜んでいるわけではないんだ。
おっと、兵士の声が近づいてくる。慌ててタオルと軍手をベッドの向こうに隠す。
いやあ、なんか女中たちがでかい蜘蛛が出たっていっててよ、大騒ぎでな、とか話をしながら、兵士が二人、鎧の金属音を立てながら階段を降りてきた。
……ああ、なるほど。大騒ぎの原因わかりました。すんません。
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