9 温泉に入ろう

「ま、とにかく、俺、温泉入りたいな」

話はいったん保留にして、俺はいった。

この件に関しては、おいおい洗脳してゆくこととしようではないか、この漆黒のマスター空良がな……。


そう、温泉があると分かっちゃったら、まだ朝だろうがなんだろうが一刻も早く入りたい。服、洗いたい。主に、パンツを洗いたい。さっき偽フェンリルの首チョンパ事件その他もろもろでちょっとちびった……、いや、ちびっていない。ちびったとしても体熱で一、二時間で乾く範囲だから、ちびっていない!ちびっていないが、洗いたいのだ。


洗濯しても、天気もいいし、夕方までに乾きそうだ。

着替えがないから下着とTシャツを洗って干している間、ジャージにフルチンで過ごすか、と思っていたら、なんと、スライムたちが服を作ってくれるという。

わお!!バチモンスター、万歳!見直したぜ。

脱いだものを参考にそっくりに作ってみるというのだ。

しかし、風呂に入るとなると、タオルを首に巻いてきた俺、グッジョブだな。しかも今日のタオルが厚手の倉橋工務店宣伝タオルのローテでラッキーだったぜ。


洗濯についてはちょっと考えて、囲炉裏の真っ白な世界樹の灰を軍手の片方に詰めて、ジャージのポケットに入れてもっていくことにした。本当はゴロ君に頼んで袋を出してもらい、それに詰めようとしたのだが、ゴロ君作の袋と世界樹の灰はあまり相性がよくない、すぐ破けてしまう、といわれ、仕方なくポケットに入れたのだ。

もう片方の軍手はぼたんが持ちたがったので預けた。喜んで汗臭い軍手の匂いをかいでいる少々変態的なメイドである。

うん、おまえみたいな奴、俺は嫌いじゃないぞ。いい線いってる。男じゃなかったら、な!


灰は洗剤の代わりだ。灰汁が洗剤になるときいたことがある。こんな真っ白な灰ならそのまま石鹸代わりになりそうじゃね?香りもいいし。世界樹を薪にした魔物と、その灰で洗濯する俺、どちらがより黒いのか、という疑問はさておき、用意万端、出発だ。


俺は靴を手にして、みんなに光ってもらい、それを頼りに洞窟に踏み出した。ヴィオのおかげですべてが毛皮なので靴下のままで大丈夫。大丈夫だが、とっても変な感じだ。


部屋から直接続いているそこは広間になっていた。天井も壁もすべてが起毛している。毛は白銀色だ。鼻くそ色でなくてよかった。

広間の壁にはいくつか穴があいていて、それぞれどこかへ道がつながっているようだ。驚いたことにその道もぜんぶふさふさだった。さっきヴィオが投げたあのボールで洞窟すべてに毛が生えたというのか……。どこもかしこもふっさりした白い洞窟はなにか癖になりそうな気持ち悪さだった。なんでももふもふならば正義というわけではない、と一つ、学んだ。


水源は下の方にあるという。右手の方の穴から入ってしばらく歩き、さらに右に枝分かれしたふさふさ階段を皆でぞろぞろと下ってゆく。聞くと、この小屋も階段も最初からあったもので、ヴィオが進化するときに襲われて逃げ込んだ洞窟がこの洞窟の西の端、ということだ。


「この洞窟の中は特別なんでし。マスターとつながりやすいんでし」

よくわからないが、ヴィオはこの洞窟で俺の力とやらと繋がって進化してから、歩きキノコを駆逐し、西の端にあった自分の村や周辺の村から仲間のスライムを洞窟に連れてきて同じように進化させたらしい。

ちなみに進化した順番はヴィオレッタ、カッペイ、ぼたん、ゴロの順だ。なにしろ二の次は五だから……。それからさらに皆でいろいろと探検し、無人の小屋をみつけて入り込んで、手を入れて使っているというのだ。


ゴロくんは空間魔法のほか、土魔法も得意で階段や家の修理もするんだとか。いろいろな道具を作るのも集めるのも楽しみで、こまごましたものを揃えて収納しているのだという。そういわれてみれば、身に着けている装備が一番凝っているのはゴロくんだ。背中に背負った斧は川で拾った奴を修理したもので、初めにみたジョウロはお手製だそうだ。


カッペイは前に言っていたようにシーフの能力があるが、それは念話などもできる能力で、遠く離れても仲間に自身の一部をもたせておけば互いに話ができるのだそうだ。

ほほー、こいつらの能力ちゃんと聞きだして使い道をもっと考えていくと面白そうだな。


ぼたんは治癒担当だから薬とか作れるのか、と聞くと、首をふり、かわいいだけなんですう、とかいって、ヴィオに後ろから蹴りを入れられ、喜んでいた。

だが、カッペイによれば、体の一部を変じて何かにできるのはスライムの基本特性なんだそうで、ぼたんにももちろんできるし、進化したバチモンたちはそれぞれ得意不得意はあるものの、全員その特性をかなりいろいろと使いこなすことができるということだった。


しばらくも階段を下りてゆくとやがて水音が聞こえだし、下りた先に外から光が差し込んでいるのがみえてきた。下までおりきって洞穴を出るところで毛皮が終わっている。俺はようやく手にしていた靴を履く。

出てみると、そこは河原だった。


今出てきた洞窟も、切り立った崖に穿たれたものだが、向こう岸にも大岩混じりの崖がそびえ、その岩壁に流れがぶつかって瀬音を立てている。断崖の間の谷にごうごうと水音が響く。

絶壁の上の方には張り出した木の枝と青空がみえた。

たぶん川は下流でさっきの大きな湖に注いでいるのだろう。曲がってゆく川の行方は崖の奥に隠れてしまっていて見えない。

上流に目をやると、下流と同じように流れは曲がっており、遠くは崖にさえぎられていた。

すぐ手前の崖寄りの河原に、白い湯気のあがる場所がある。

歩きにくいごつごつした石に気を付けながら近づいてみると、大きな平たい岩で囲ってあって、温泉になっている。流れる川はかなり流量も勢いも激しいが、どうやら地熱に温められて湯の湧いている岸に、その本流から枝分かれさせた流れを引いて、泉がつくられているようだ。

すてきな露天風呂だった。


先に入ってくれ、俺はあとから、という間もなく、やつらは飛び込んでいた。ウェーイとか、きゃあとか、でしー、とかいいながら、一名無言だが、ともかく勢いよく飛び込んでいた。

服のまま、マントだのエプロンだのもそのまま、靴も履いたまんま……。ゴロは背中にしょった斧だけは外していたが鎧のまま……。


「おいこら、服脱げ!いや、いろいろ、とれ!おまえ、カバンまで……。なにやってんだ?!」

一斉に振り向いてキョトンとした顔。この俺だけが一人変な人みたいな疎外感、デジャブだな……。

「俺たち、人間ちがう」

「服なんて着てないでし」

 え?

「だって、その靴とか、エプロンとか、カチューシャとか……」

「体を変形させてるだけでし」

「え、ええと、着てない?服じゃない?」

一斉に頷いた。

「じゃ、いっつも、その…服着てないのか?裸?」

カッペイが納得したようにいった。

「あ、そっすねー、人間からすると、俺ら、いつも裸のまんまなんすね」

衝撃の常時裸体宣言キタ……。なんということだ。


「マスターもはやくですう」

催促されるが、俺だけ脱いで、この服着た……というか、むしろフル装備の子供集団と一緒に、一人裸で入るわけ?

「その外側の服、早くみせてください!作るっす!」

カッペイが勢い込んでいってくるが、どうもなあ……。


「おまえらさあ、その……服じゃないとしても、なんか脱ぐふりとかできない?」

遠慮気味にいったのに、ヴィオのやつ、にべもなく、

「えー?一部だけ切り離して別洗いなんて面倒でし」

即座に却下。……だよね、丸洗いが基本だよね、体だもんね……。


「ま、でも、こういうとこは取ったほうがよく洗えるでし」

いうと、ヴィオは頭の上のフェンリルの犬耳を片方ぶちっとちぎって、じゃぶじゃぶお湯で洗った。

どうせとるなら皿の方にしろよ……。

カッペイはでかい立派な尻尾をとり外し、両手でわしゃわしゃ洗ってから湯から上がり、丁寧に毛を撫でて整えている。しばらくして尻尾がシャキーンとなると、満足げに後ろに戻してくっつけている。頭の短い毛もツンツンに立て直している。

ゴロ君はまたジョウロを取り出して、お湯を頭にかけているが、ジョウロは人気ですぐに取り合いになり、結局みな頭をゴロ君の方に突き出してお皿にお湯をかけてもらっている。


それを尻目に俺は、念のため、こっちみるなよ、と言っておいて、裸になり、タオルを腰に巻いて湯に入った。

あー、あったかい。

湯加減は場所によって違い、地面の数か所から熱いお湯が沸いているので、本流から流れ込む水と合わさってちょうどいい温度の場所を選び、腰を落ち着ける。そうやって湯船に入りつつ、すぐ外の岩の上で、ジャージ上下とTシャツ、パンツを世界樹の白い灰で洗う。

おお、泡立つぞ。ほんとの石鹸みてえ。

いい感じなので、思わず外に出てタオルにつけ、ぶくぶくに泡立てて体を洗う。

すると、ヴィオが

「マスター、臭いでし」

文句をいった。


「なんでだよ。いい匂いだろうが」

「えー?!エルフ臭いでし!」

「え、そうなの?」

「うーん、なんか俺らには体の表面がチクチクして荒れそうな感じっすね。世界樹、囲炉裏で燃やしてるときにはなんも思わなかったんすけど」

カッペイもいう。

どうやら世界樹の灰はスライム除けになるのか、魔物除けなのかわからないが、彼らにとって苦手な感じのもののようだ。

でも、俺には問題なーい。なんかお香焚いたみたいでいい匂い。ちょっと優雅な紳士の気分。これがエルフ的かほりなのか。

気にせず、灰でパンツやジャージを洗い、近くの支流に浸して適当に石を乗せ、流れていかないようにしておく。自動濯ぎだ。それから、ざぶんと湯に入ると世界樹印の石鹸のせいで湯が白く濁った。それが嫌だったのか、スライムたちはわーっと湯から飛び出した。

ケッ、魔物め……。


大騒ぎしながらも温泉を満喫する。

体を洗い終わって泡をすべて流し終わっても、バチモンどもはマスター臭いとかほざいて寄り付かない。寄り付かなくていいから取りあえずパンツ作ってくれや。

「いや、ぼたんじゃなくて、カッペイ頼む」

妙に息を荒くしながら寄ってきたぼたんを避けて指名すると、カッペイは嬉しそうにピンと洗い立ての尻尾を立て、張り切って作ってくれた。


おお、パンツそっくり。白い立派なパンツだ。今度憧れのトランクス、作ってもらおう。

美奈子先生がバザーに手伝いに行って大量に新品の男性用パンツもらってきてしまったせいで、俺は今どきの若者なのにかわいそうに、トランクスを履く機会が得られていない。いや、施設の経済状況が苦しいのわかるけどさ、大量のパンツ捨てるの勿体ないのもわかるけどさ……。たぶん戦前生まれのどっかのじいちゃんが大量にため込んでいた奴がバザーに放出されて売れ残ったんだろう。木綿百パーの白い奴が俺のタンスには大量に保管されている。文字通り売るほどある。

……おい、カッペイ、自分用にも作るのはいいが、それを頭にかぶるんじゃない。耳がちゃんと出て、ついでに皿も出せて便利な形なのはわかるけどな。


ゴロ君は無言でタオルを作ってくれた。ちゃんと倉橋工務店という字まで再現してある。店って字の上のマダレの部分が左右逆になっているのが漢字覚えたての子供みたいだ。

すごい、よくできている、と褒めると嬉しそう。ピコピコ熊耳が動いている。

俺にパンツ作りを断られてしゅんとしたぼたんには、しょうがないので軍手を頼む。

……おい、汗染みはいらない、真っ白で頼む。


「あたしはこの黒の大物でし!」

ヴィオが張り切ってTシャツとジャージ作りに挑んだ。

「こらこら、ズボンの足は三本はいらないぞ」

いうと、四本に増えた。

「それじゃ、四本だろ、二本っていってるだろ。俺の足、二本だろ」

見た通り作れよ。

「そんなの、簡単すぎでし!」

なら色を黒にしろよ、鼻くそ色やめろ!なんなの、こいつ……。


肝心のTシャツとジャージがなかなかできてこない。

夏でよかった。冬にパンツと軍手と首かけタオルのみで風呂上りに長時間いたら風邪ひいてたよ。まあ、バカみたいな恰好ではあるけどな。


半裸の間抜けな格好で涼んでいると、ふと、灰を入れていた軍手がぼちゃんと湯に落ちてしまった。たちまち湯に白煙が広がってゆく。

しまった、と俺は足を延ばして、足の指でそれをつまもうとした。白く濁って底のみえない湯に片足を入れた途端、うわっと俺は悲鳴を上げた。なにかが足首を掴んだ。それはあっという間に俺を湯の中に引きずり込んだ。

引きずり込まれたって、湯は浅かったはずだ。そんなに沈むわけがない。……ないはずなのに、底に足は届かなかった。

そのまま猛烈な勢いで引っ張りこまれる。

深い水の渦、ぐるぐる回る。目がくらんでくる。


その中で、一瞬、俺は美しい女の顔を見た気がした。


真っ白な肌に白金に輝く髪。髪は編まれて女の美しい額を冠のように二重にとりまいていた。

急速に接近してくる。耳が長い。長くて上に尖っている。

 ……あれ、もしかして……。

すれ違いざま、表情のない女の口が動いて、短く言葉をつむいだ。

──まさか、人の子か?


女の、その白く細い手にもった柳のようなしなやかな枝が俺の胸をつくと、急激にその姿は遠ざかってゆく。いや、俺の方が飛ばされているのか……。


どさりと俺はかなりの高さから落とされ、痛みに呻いた。

「な、なんだあーっ?!」

俺は叫んだ。


そこは街路だった。石畳の人々が行きかう大通り。いきなり現れて叫んだ俺に注目が集まった。

集まっただけでなく、警察……じゃなくて、兵士らしいのが五六人、怒号を上げて駆け寄ってきた。

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