4 こんにちは、マスター ~悪夢のつづき

 知らない天井……、じゃなかった。目をあけた俺は即座に目を閉じた。……むしろ知らない天井希望。

 獣のでかい眼玉がいくつも、俺を覗き込んでいたのだ。すごく熱っぽく見つめられていた。獣たちの顔の背景の青空がきれいだ。ちょっと現実逃避。……まだ湖の岸辺から一歩も動いていないようだ。

 「気がついたでし、よかったでし」

 ベロンと何かになめられた。たぶんあの銀の犬っぽい奴だろう。怖いが目を開けたくない。見たくない現実が瞼の外に待機しているのをひしひしと感じる。

 「マスター、目を開けてくださいでし」

 獣がいった。マスター?俺のことか?

 仕方なく目を開けると、犬もどきと目が合う。きれいな透明感あるうす紫色のつぶらな瞳。起き上がると、嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っている。あの尻尾、さっきブーメランになって化け物を首チョンパした奴だ。極力視界に入れないようにする。

 「迎えにやった奴がはぐれてしまって、申し訳ないでし。でも、無事に会えてよかったでし」

 ……。

 何を言えばいいのか、わからない。


 「もうちょっと力が戻ったら、人型になれるでし。だから……」

 犬もどきはちらっと後ろの方に目をやった。そこには、さっきの首と胴体の二つに分かれた魚竜が転がっている。血は湖の水で洗われてしまったのか、切断面はマグロを思わせるきれいな色だ。ちなみにその魚竜化け物の方は頭にお皿がついていない。

 ぐうっと腹を鳴らして、犬もどきはもじもじした。

「本当なら獲物はマスターに一番に食べてもらうべきなんでしが、あたしもお腹空き過ぎて力出ないでしから……」

俺はぶんぶん首を横に振った。

いや、おかまいなく。どうぞ、食べちゃってください。さっきまで腹ぺこな気がしてましたが、食欲は跡形もなく失せましたんで。俺はお肉派です。なんでしたら、さっきのイノシシもどきで結構ですんで……。

「いや、どうぞ」

かすれた声を絞り出すと、犬もどきは感激したように目をうるうるさせた。

「マスター、やさしいんでし。んでは、失礼するでし」

いうと、いきなり犬もどきの前足が片方、みょーんと伸びた。そして、その伸びた前足がぴたっと化け物の首にひっつき、直後、首は消えた。

 「ごちそうさまでし」

 ひいいっ。

犬もどきは口も開けなかった。足で、いや、足じゃない、あれは足じゃないぞ、むしろ考えたくないが触手?……、それで触っただけだ。触っただけで、あの首食ったぞ。怖すぎてちびり……そうだ。


 「お、おまえ、な、なんなんだ!犬……じゃねえな、一体なんなんだよっ?!」

 犬もどきはしれっといった。しれっと、だが、自慢げに白銀の胸を張って。

 「フェンリルでし」

 「ざけんなあっ!!このバチモンがあっ!!!」

 たぶん怖さメーターが吹っ飛んだ。なにかがぶちっと切れて、俺は全力で叫んだ。

 「フェンリルの足がのびてたまるかあっ!!フェンリルに謝れぇ!!」

 詐称フェンリルは一瞬おたついたが、図々しく言い張った。

 「そ、そういうフェンリルなんでし」

 「嘘つくな!フェンリルの頭に皿があるか!じょうろで水掛けるか!!」

 「お皿は、べ、便利なんでし。お水は大切なんでし」

 便利ってなんだよ……。


 ここで、キツネもどきが口を挟んできた。

 「そ、それよりマスター。俺ら、迎えにきたんだぜ」

 「そうでし!やっと会えて嬉しいでし、感激でし」

 「なんの話だ。俺はおまえたちみたいな妙な生き物と交流はない。初めてみたぞ」

 嘘っこフェンリルだけでなく、周りの獣たちも一斉にショックというふうに口を開けて固まった。厚かましい詐称フェンリルが震え声でいう。

 「ひ、ひどいでし。あたしたち、頑張ってマスターを召喚したでしよっ。あのままだったら、マスター、四角い化け物にやられてしまっていたでし」

 四角い化け物……、もしかしてトラックか?じゃ、あれは現実で俺は異世界に来ちまった……のか?うそ……、帰りたい……。帰れるのか……。

 「も、もとのところに戻せないか……?」

 聞くのが怖い。だが、聞かねば……、いや、ちがう、言うべきことはこうだ。

 「戻してくれ。俺を帰らせてくれ。帰りたい」

 皆、顔を見合わせた。帰る方法がなかったら、と思うと、こわい。しかし、偽フェンリルが困惑しながらも言ったセリフはこうだった。

 「今は、無理でし」

 今は、ということは、後でならいけるということだ。俺はもう、それだけで安堵し、ほっと息をつくことができた。

 「わかった。なるべく早く頼む。帰らなきゃならないんだ」

 「マスター、帰っちまうんすか……」

 キツネもどきがいった。肩とでかい尻尾を落としている。こいつ、いいやつそうだ。

 「いてください」

 クマもどきもいって、がさがさカバンを探って、リンゴみたいな赤い果物を差し出してくれる。なぜか、俺の好感度バツグンである。

 「いや、いきなりで、向こうの人に何も言ってきてないから」

タジタジとしていうと、キツネ少年がはっとしたようになにか思いついて、顔を上げた。

 「そっか、そんなら、またすぐいつでも来てくれたらいいんす」

 え?そんなことできんの?ラッキー。よーし、俄然わくわくしてきたぞ。じゃ、夏休みの間、旅行にでも来たと思ってればいいんだ。宿題のことはあとで考えよう。バイトのこともな。だって、異世界来ちゃったんだもん。しょうがないじゃーん。

 旅行なんて、施設に落ち着いたのがついこの間だったから、親戚の家のたらい回しの間、修学旅行なんて金出してもらえねえから、行けなかったんだ。

 すごく安易な気がするが、帰れるとわかったら、考えようがでてきたぞ。こいつら、得体が知れなくて怖いけど、俺にとって無害そうだし。

 「んじゃ、ともかく帰るまでの間、よろしくな」

 いって、もらったリンゴみたいなのを一かじり。うん、ジューシーでうまーい。フェンリルもどきも頷いて、力強く言ってくれた。

 「はじめに力をくれて助けてくれたのはマスターでし。あたしたちがマスターを助けるのは当然なんでし」

 「ありがたいが、その……」

 俺は少しためらいはあったが、言った。

 「そのマスターっての、違うとおもうぞ。身に覚えがない」

 それははっきりさせておいた方がいいだろう。だが、獣たちはショックを受けた顔をした。

 「なにかの間違いじゃないか?俺、おまえらみたいなその……皿のついた動物、初めて見たし、正直、なんていうか、おまえらみたいのがいるのって、想像もできなかったしな」

 ためらいつつもいうと、ますますショックな顔をした。おまえら動物顔なのに、表情ありすぎだろ。

 「そんなこと、あるはずないでし!」

 興奮したのか、詐称フェンリルもどきが首チョンパの尻尾をぶんぶん振っている。いや、それ怖いから……。

 「いや、でも、俺は普通の高校生でさ……」

 「マスターの力がなければ、あたしたちはここまで進化できなかったんでし。マスターのおかげなんでし。マスターはマスターでし!」

 目じりに涙をためて必死のセリフ。それだけなら、健気っぽい。が、触手発射可能なお皿付きバチモン・フェンリルの発言である。仲間もキツネ風やクマ風ではあるが、どうせ同じくバチモンに違いないのだ。助けてほしいのはやまやまではあるが、全力でマスターはお断りである。

 俺は問いただした。

 「つまり、その…、おまえら、何かから、それに進化したんだな。元は一体、なんだ?」

 「……えーと」

 化けフェンリルは困ったように小首をかしげ、伏せをした。柔らかい白銀の毛がそれだけだったら、光を反射して美しい。上目づかいでこちらをみて、聞いた。

 「……なにがいいでし?」

 いや、そういうことじゃなくて!!

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