3 夢は夢でも悪夢だった

 さて、すっきりしたところですっかり忘れていたが、俺は頭の上にお皿のついたイノシシもどきから離れなければならないのだ。もうとっくにどこかへ去ってしまったのだが、念のため。


 周囲を見渡すが、木の幹は太いし、地面が緩やかに上下しているせいもあって、遠くまでは見通せない。幸い太い木々が生えそろっているわりに葉が茂っておらず、下草も木の周りに少しある程度で明るい。俺は下り坂になっているほうの木々の隙間でなにか光っているのに気づいた。

水面だ。まちがいない。

 ともかく水が必要だ、と坂を下り始めてすぐ、下の方にきらきらと輝く湖が広がっているのがわかった。

 

 柔らかい腐葉土に足を取られながらも時々でかい木の幹に手をついて体を支えつつ、慎重に降りてゆくと、近づくにつれて、向こう岸が見えないほどの大きさの湖が広がっているのがわかった。目的地は見えているのに意外に遠い。腹が減ってきた。

 ああ、くそ、あのイノシシもどき、ボッチなら獲れねえかな。イノシシ肉、ぼたん鍋とかいう奴、うまいらしいな。いっぺん食ってみてえ。

 岸に打ち寄せる波の音がしてきた。潮の香りはしないから、大きいけれどきっと海じゃない。どちらにしても魚ぐらいいるにちがいない。

 だが、近づくにつれて、俺は波の音以外のものが聞こえてくるのに気づいた。

 話し声がする。

 俺は木の間から目をこらした。誰か湖の岸辺にいるのか。

 幸いふわふわした土のせいで足音はしない。湖からの風を受けている俺は風下だ。木の陰に隠れながら見つからないように近づくことにした。

 岸辺に生える木の根元にはちょうどいい具合に藪が茂っていた。姿勢を低くして葉の隙間からうかがって、俺は驚きのあまりあんぐり口をあけ、顎が外れそうになった。


 人間じゃない。動物だ!動物がしゃべってる!


 岸辺には獣が数頭、うずくまるように座り込んでいた。目立つのは手前の銀色の毛並みの犬のような一頭。犬だとすれば、ありえないほどのものすごく大きい犬だ。向こう側に一回り小さいが体と同じほど大きな尻尾の金色にみえるほどきれいな黄色の狐のような獣。そして、灰色の小さめだが熊のような獣。子熊はなぜか斜めに肩掛けかばんを下げていた。


 ばしっと手前の銀の犬がその太い尻尾で苛立ったように地面を叩いた。

 「ああもう、早く迎えに行かないと、マスター、びっくりしてしまうでし、途方に暮れてしまうでし。このくらいで動けなくなるなんて、悔しいでし」

 いや、しゃべっているのにもびっくりだが、なんでその口調?

 声は女の子だ。それに対して、

 「いやいや無理ねえよ、あねご。召喚魔法は魔力の消耗が半端ねえ」

 金色狐みたいのが答えた。こっちの声は小学生の男の子という感じだが、喋り方におっさん臭が漂う。

 「ごうちゃんがマスターについているんだろ?」

 「さっきまでついてた筈でし。でも、あの子、すぐにそこから駆けていってしまったんでし。そのままさっきから呼びかけてるのにちっとも戻って来ないんでし。ひどいでし!」


 呆気にとられて会話を聞いていると、向こうの灰色子熊がのっそり立ち上がった。肩掛けカバンに前足を入れてしばらく探ると、ジョウロを取り出した。そして、ゆっくり大型犬的ななにかに近づき、その頭の上でそのジョウロを傾けた。ジョウロから水が降り注ぐ。大型犬的なものの頭の上のお皿に……、つづけてクマはキツネ的なものにも向かい、その頭の皿にも、最後に自分の頭の皿にも水を掛けている。

 ここの動物の頭はお皿が標準装備なのか?獣にカッパの皿だけを中途半端に付け加えたような……、どういう仕様なんでし。……うん、思わず感染ってしまった。


 「ありがとでし。元気が出るでし」

 「あねご、俺っちはもうちょっとで人型になれそうだ。様子みてくるぜ」

 「待つでし。あたしがマスターに最初に会うでしっ!!あたしが一番最初にマスターから力をもらったんでし!」

 「だ、だけど、感づかれたみたいだ。湖から奴が近づいて……」

言った途端、水音がした。犬もどきが力強く叫んだ。

 「わかってるでし!任せるでし!」


 ええっ?!俺は思わず木陰から身を乗り出した。湖の水面が急に盛り上がった。俺は目玉が飛び出しそうなくらい、目を見張った。大きな水音とともにでかいものが飛び出してきたのだ。

 魚?いや、ワニ?なんだ、ありゃあ。強いて言えば魚竜か?イルカのようにみえなくもないが、長い嘴のような尖った口に鋭い乱杭歯が並んでいる。湖から飛び出て、ヒレを横にひろげ、どういう仕組みかそのまま宙にとどまり、黄色くらんらんと光る目玉で岸辺の獣たちを睨み付けている。

 「ちょうどいいでし。ごはんにするでし!!」

 魚竜みたいな化け物も怖いが、手前の銀の犬的大型獣のセリフもなんか怖い。


 皿付き犬は座ったまま頭をもたげると、その太い銀の尻尾をぐるぐる回しはじめた。尻尾はすごい勢いでブーメランみたいな形でまわっている。 回りすぎて、四つに分かれ十字型のようにみえる。

 化け物がギョオーッ、というような奇声を発した。口からなんか赤褐色の汚い水が発射されたが、それが届くことはなかった。犬もどきが叫んだ。

 「食らえでしっ!し・っ・ぽ・ギ・ロ・チー・ンーッ!!」

 ひええっ。俺は思わず、ムンクのポーズで悲鳴を上げた。

 すごい勢いでまわっていたフェンリルもどきの尻尾が十字のブーメラン型のままにすっ飛んで行って、スパンっと化け物の首を切り落としたのである。

 首はぽーんと飛んでいき、切り口からは噴水みたいに真っ赤な血がピューッと上がり、首なし胴体がものすごい水しぶきを立てて落ちた。


 ひええっ、俺はもう一度ムンクのまま悲鳴を上げた。

 湖の獣たちの頭がくりんと一斉にこっちを向いたからである。

 本日二度目のブラックアウト。

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