秋の夜長にコーヒーを
いつの間にか秋になり、このところ上着を羽織りたいくらいに夜は肌寒い。
煙草が美味しい季節だという。あいにくと私は煙草を飲まないので寒空のなか紫煙をくゆらす心地よさというのはわからない。しかし、この喫煙者に厳しいご時世であっても私が住んでいるのが田舎だからかしばしば煙草をふかしている人を目にする。ある世代より上では煙草を嗜んでいるのが当然となっているし、若い者であっても喫煙の習慣を持つ者は思いのほか多い。喫煙所と言わずコンビニの入り口や自動販売機の前で煙草を吸ってるのを見かける。
暗くなり始めた空に向かってゆっくりと煙を吐き出すのは、なかなかどうして気持ちよさげだ。朝はこうはいかない。時間か押しているからか苛立たしげにもみ消していたりする。しかし仕事終わりともなれば、彼らはみな一様にリラックスした表情でその一本を満喫するかのように煙草を吸う。たしかにあれはおいしそうだ。
私にとって彼らの煙草の代わりとなってくれるのはコーヒーだ。冷たい風を浴びながら、シロップをたっぷり落としたコーヒーを飲むと疲れた頭に糖分が回って行くようですこぶる身に沁みる。あの温かさと甘みは、至福のひとときをもたらしてくれる。
甘めのコーヒーは読書のおともとしても最適だ。カフェインは集中力を高めてくれるし、文章を追うことで脳が消費した糖分を砂糖が補ってくれる。真空断熱タンブラーを使えば、ちびちびと飲みながら本を読んでいるうちに冷めてしまうということもない。
この理屈は読書だけではなく小説の執筆にも適用される。なにしろ文章を書くというのは頭脳労働で、集中力と糖分が必要不可欠なのだ。コーヒーさまさまである。
しかし、私にとってコーヒーそれだけのものでもない。執筆作業の相方として嗜むうちに、文章が途切れたときにタンブラーに口をつけて喉を湿らせるのが習慣となった。
これはある種のルーティンだ。スポーツ選手がミスを引きずらずらないよう何らかの行為、癖のような小さなワンアクションを挟むように私はコーヒーを飲む。つらつらと流れていた文章が途絶えて、次が出てこない。そういう場面では往々にしてネガティブな考えに囚われがちだが、一度暗い感情の穴に嵌ってしまえば抜け出せなくなる。気持ちを切り替えなければならない。
そこでコーヒーの出番だ。糖分とカフェイン、そしてその温かみで頭をリセットする。意識するまでもなく自然に、流れるように私は詰まったときにコーヒーを口にする。
というようなことを、なんとはなしに考えながら秋の夜に文章を綴っていた。
しかし捗っていたのも尿意を催すまでだ。カフェインには利尿作用もあるのだった。
トイレで離席して戻って来たら書けなくなっていた。
まるで水分と一緒にアイデアも流れ出てしまったかのようだった。
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