私は描写ができない

 深い藍色の海は波だっているにも関わらずおよそ液体らしくない硬い印象を与えた。弛みなく張つめた水平線の上で、熟れた太陽が溶け出している。

 地面に転がった爛熟した丸い果実が、自重で底部から崩れ、破れた皮の間からぐずぐずになった果肉と果汁を滴らせるように、紅く色づいた夕日は黄金色を溢れさせ海面に光の絨毯を広げていた。

 などという描写は熟れた太陽という言葉によって引き出されたイメージの連鎖でしかなく、言葉を重ねレトリックに頼れば頼るほどに、大パノラマの夕景に圧倒されたあの瞬間の感覚からは遠ざかって行く。

 私は海岸道路の橋の上の歩道に立ち、手すりのむこうの大海原を眺めていた。白いペンキで塗装された手すりは、潮風に晒されたせいか鉄パイプの継ぎ目の部分などで地の金属が露出して錆が浮いていた。海へと注ぐ河口にかかった橋ではあったが、川幅はあまりなく水面からそれほど距離を置かずに橋桁が渡してあり、ほとんど勾配はなかった。

 背後の車道にはひっきりなしに自動車が往来している。幹線道路としての役目もあるこの道は日中も交通量が多いが、朝夕の時間帯はひときわ車が増える。それでも信号も少ないため流れが滞ることはあまりなく、断続的に風を切り裂き走り抜けていく車の音が聞こえていた。トラックなどの重い車輌が通ると、結合部で地鳴りのような大きな音が響き橋が揺れた。

 ふきつける風が前髪をさらい額に冷たさを覚えた。あたりの空気はまだ昼の気配を残しておりコートを着こんでいればそれほど寒くはなかったが、海のにおいをはらんだ湿気た風は夜風のよう身に凍みた。

 ポケットに手を突っこみながら私は懐かしくなった。自転車で通学していた学生時代、朝夕に強く吹くこの海風に苦しめられたものだ。上半身を折るようにして身体を低くし、重くなったペダルを必死に回していた。行きも帰りも向かい風ということも多く、この立地を何度となく呪った。

 風の冷たさに、春めいてきたとは言っても、まだまだ冬なのだと思い知らせれたような心地がした。

 昔はこうした季節の変化に敏感だったが、長じるにつれて移動の時間以外で外に出る機会は減って行き、四季折々の空気のうつろいを肌で感じることはなくなってしまった。いまの私にとって時節は一年という尺度のなかに配されたひとつひとつの区切りでしかなく、スーパーに並んだ旬の野菜や、服屋の売り尽くしセールくらいでしか強く季節を意識することはなかった。

 思えば、夕焼けをしっかりと目にするのもずいぶんと久しぶりだった。夏はまだ明るいうちに帰宅して家に入ってしまうし、冬は冬で日が傾きはじめる時間なはまだ室内にこもっている。

 いつの間にか一年のサイクルがこなすべきものとなっていた。循環する時間のなかに身を置き季節のなかに暮らすというよりも、時間の流れはコンベヤのような直線的なものとなり、私は目の前に届く仕事をただ淡々と捌き日々の生活をなかば機械的に送っている。

 あのころはなどと昔を懐かしみ感傷に浸ってしまうのは、夕景が郷愁を誘うせいだろうか。

 原初の人間の生活は太陽とともにあった。日が上るころに目を覚まし、日が落ちれば眠りに就く。そうした暮らしのなかでは、夕暮れは一日の終わりを意味するようになる。終わりとはじまりは表裏一体で、一日の終わりは新たな一日をも予感させる。

 かつてのそうした素朴な生活が本能的に呼び起こされ、人は夕日に郷愁を覚えるのだろうか。

 太陽は次なる一日へと向かって、未来へと向かって沈んでいく。終わり/はじまり=未来の象徴として夕焼けを見つめているのは、現在の私という存在だ。夕焼け―私=未来―現在という構図が成り立つとき、現在から伸びる線として私の内面には過去が立ち上がり、未来=夕焼けは鏡像として過去を映し出す。

 私は目をすがめ、なかば没し半円となった太陽をみつめる。

 海面が重みをともなった確とした質感であるのに対して、水平線付近に茜色が垂れこれた空はどこかのっぺりとして奥行きがない。晴れ渡って雲ひとつないせいもあり距離感が上手く掴めず、平面じみた胡乱さで茫洋と広がっている。

 そんななかにあって鮮やかな黄金色で輝く夕日は、空に穿たれたトンネルのように見えた。海面に降り注ぐ陽光が、まばゆい輝きを放つトンネルへと至る光の帯を描き出していた。その周囲には、波に砕かれた光のかけらがさんざめくように散り波に揺られきらきらとまたたいている。

 光の道は、未来へ、そして過去へと続いていた。

 しかし、それは私の思考によって歪められた虚像だけでしかなく、太陽も海も空も、人間が見いだす意味など関係なく存在している。自然は、内面を映す鏡てもなければ、象徴でもない。

 人間の営みとは独立し、私たちのまなざしに晒されずとも、ただありのままの自然としてそこに在り続ける。

 だからこそ、私たちはその雄大さに触れたとき、ただただ圧倒され、言葉も思考も介在しない純粋な感嘆をもって息を飲みうち震える。

 その感覚がまずあり、言葉は遅れてやって来る。

 広大な自然を目の前にしたとき、倫理も道徳も宗教も社会性も文化も言語も思考も、あらゆる雑念を剥奪され私のは一匹のけものとなる。

 そして、単純な、ひどく原始的な声で吠えるのだ。

 すごーい!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る