こうして彼は★を増やした
私の友人Sの話をしよう。
Sと私は同じ
はじめて彼と出会ったのは児童公園でだった。私たちが通っていた小学校では集落単位で登校をする決まりになっていて、その公園は集団登校の集合場所として使われていた。田舎にも少子化の波が押し寄せクラスが減らされる学年がちらほらと出始めてきた時代で、よほどの規模でもなければ集落登校の班は男女で別れていなかった。私たちの集落も男女混合の班だった。
集団登校初日、雑談をしたりふざけあったりと男女の垣根なく子供特有のやかましさで騒いでいる上級生たちの輪に入ることもできず、私は所在なく遊具の傍らに立ち彼らを眺めていた。
Sもその集団のなかにいた。中学年でありながら高学年に混じっても遜色のないほど背が高く、にぎやかにしているグループにあっても落ち着いているので大人びた雰囲気があった。もともと人見知りの気がある私からすれば、年上という要素だけでも畏怖に値するのに、あの大きな体つきで、はしゃぎ回るでもなくどっしりと構えているのだ。幼い私には見た目よりもずっと年上に映り、ほとんど恐怖にも近い感情で、熊のような身体を遠巻きに見ていた記憶がある。
同じ字の子供たちにすら持ち前の引っこみ思案を発揮していた私ではあったが、幸いにして同学年の子供がひとりいた。幼稚園から親しくしていた彼女に、整列するときに隣に並んでもらって、そのまま二人でしゃべりながら、旗を持った
初日をなんとか乗り切り、場数をこなすうちに上級生に対する緊張は取り除かれ普通にしゃべれるようになって行ったが、それでもSとはあまり話さなかった。
彼は、恵まれた体格を傘に着て暴力のにおいをちらつかせ周囲に威張りちらすガキ大将タイプではなかった。むしろSは頼れる近所のお兄ちゃんといった風情の面倒見の良さがあった。下級生の手を引き世話を焼く姿を何度とな目にし、彼への恐怖心は完全に払拭され、いつしか頑健な身体を仰ぎその大きさに安心感を覚えるようになっていた。
けれど、Sは朴訥とした性格だった。どんな話であってもうんうんと頷き耳を傾けてくれるので小さな子には懐かれていたが、自分から積極的に話かけたりはしておらずあくまでも聞き役に徹していた。その黙して多くを語らぬ姿勢にこそ懐の深さが窺われ、話し相手の言葉を引き出していたのではないかと今にして思う。
下級生には慕われ上級生からは一定の信頼をえている、そんな彼の人柄には私も好感を持っていた。しかしながら、内気な私と口数の多くない彼ではいかんせん相性が悪い。話が弾むわけもなく、集団登校以外でも、
同じ字に住みながら親しく話すこともないという微妙な関係のまま彼が中学に上がり、顔を合わせることすら減ってますます距離は開いていった。私が中学生になると校内や通学路なんかでたまに見かけるようにはなったが、挨拶をするべきか悩んで結局一言も交わさないまますれ違う間柄なのは変わらなかった。
彼と話すようになったのは、高校受験を控えた冬の偶然の再会から。
受験とは言っても私はそれほど真剣に考えておらず、エスカレーター式にそのまま公立高校に上がるものだと思いこんでいて試験対策にもあまり力を入れていなかった。それでも図書館の自習室に時折顔を出していたのは、家に居たくなかったせいかもしれない。思春期まっただ中のあのころ、反抗期というのでもないだろうが意味もなく家族と折り合いが悪くなっていて休日はどこかへ出かけてることが多かった。
友達と遊びに出かけると家を空け、誰も都合がつかないときには、勉強してくると言ってひとり図書館へと足を運んで日がな読書をして過ごした。親への言い訳として勉強道具を持ってきた手間、何もしないのも気が咎めて形ばかりの試験勉強を自習室でする日もあった。
その日も、図書館に赴いていた。Sと出くわしたのは、本棚で読みたい本を探し、机が並んだ読書スペースへと向かったときだった。
読み終わった本を返しに行くところだったのだろう。書架の間から出てきた私は、死角から現れた彼とぶつかりそうになって咄嗟に足を止めた。すんでのところで衝突を免れ、私たちは、どちらからともなく謝罪の言葉を口にした。そこでようやく知り合いなのだと認識した。
さすがにそのまま立ち去るのは失礼な気がして躊躇われたが、こういうとき何を口にすればいいのかわかなかった。共通の話題も見いだせず、ただ気まずい沈黙が横たわる。
先に口を開いたのは彼だった。
「それ」
私が手にした文庫を指差し「読むの?」とそっけない口調で訊かれた。
あのとき、自分がどの巻を手にしていたのかまでの記憶はないが、シリーズもののファンタジーのうちの中盤にあたる一冊だったことは覚えている。最初こそハマっていたけれど追いかけていくに従って当初の熱は少しづつ引いていき、なかば惰性で読み進めているような状態だったのだ、たしか。
会話の糸口ができたことによろこびを覚え自分でそうした事情を説明したのか、あるいは私の表情からSのほうで察したのか、そこからそのシリーズの話題になった。彼は全巻読み終えているらしく、途中でだれるけど終盤では盛り返すのだと教えてもらった。あのラストの展開を見逃すのはもったいないというようなことも語っていた。
Sの言ったことは正しかった。中だるみさえ後半戦へ突入する前のタメとしての布石で、ラストにかけての怒涛の展開では、中盤でのキャラクターの掘り下げや回想の効果がてきめんに現れページをめくる手が止まらなくなった。閉館時刻になったのにも気づかずに熱中して館員に注意されてしまったくらいだ。
Sへの感謝を伝えその小説について一緒に語りたくて図書館に都度都度顔を出しては彼の姿を探したが、なかなか機会はめぐって来なかった。それで私は勇気をふり絞り自宅を訪ねることにした。
招かれたSの自室は本に溢れていた。本棚に入りきらなかったものが、フローリングの床に積み上げられていた。文庫もあれば四六判もあり、日に焼けて変色した古びたものから刷られたばかりのにように真新しいものもあった。居住スペースを逼迫しかねないほど堆く積み上げられた本の山に圧倒された。田舎の一高校生に過ぎない彼ががどうしてこれほど溜めこめたのかと疑問になるようなありさまだった。
図書館で遭遇したときから読書を趣味としているだろうと推測はついたがまさかこれほどとは想像だにしなかった。
思いもよらない光景にびっくりしたのは最初だけで、彼が中央に置かれた座布団にどかりと腰を下すとそれがいかにも部屋の主といった自然さで、ここが紛れもなく彼の暮らしてきた部屋なのだと感じられた。本の山の中にはジュブナイルに児童書のタイトルもあった。列になって一緒に登校していたころもこの部屋で活字に溺れていたのだろう。あのころは触れることのできなかった彼の一面がそこにはあった。
当初の目的通りSにお礼を言った。自分の好きなキャラクターやシーンを挙げそれを読み逃さなかったのは彼の言葉があったからこそだ。そんなふうに具体的に示したせいもあったのだろうか、そのまま自分にしては信じられないくらいの熱っぽさで言葉がついてでた。身体は一層大きくなり顔つきも精悍になってより大人びた彼は、けれど昔と何一つ変わらないような表情でうんうんと私の話に耳を傾けていた。
それから私たちは読書という共通の趣味を通じて親しくなっていった。とは言え、Sは相変わらずの口数の少なさで私ばかり話していた。私にしてはしゃべりやすかったのは、共通の趣味があったというのもあるが、どんな拙い言葉であっても受け止めてくれると知っていたのが大きかった。小学生のころ、みんなが彼を慕っていたのはこういう理由だったのだなと自分で言葉を重ねてみて改めて実感した。
彼が口を開くのは相槌か本をおすすめするときくらいだった。私があれが良かったと言えば、「それならこれもきっと楽しめる」といつもの落ち着いた調子でどこからともなく一冊を取り出してくる。あのおびただしい量のなかからどうやってそれを探してくるのか不思議だった。まるで魔法のようだ。
Sが短大に行くまで部屋に通う日々は続いた。彼がいなければ自分からは手に取らなかっただろう作家やジャンルに触れ趣味の幅は格段に広がった。読書が私の人格形成に大きく影を落としているとするのならば、今の私があるのは彼のおかげだと言っても過言ではないのかもしれない。
地元を離れSひとり暮らしをはじめる直前、私は彼の部屋を訪ねた。引っ越しの準備をしていたのか室内には段ボールがいくつか置かれていたが、本は荷物として纏められてはいなかった。什器の類はあちらで揃えるようで、まだ閉じられていない段ボールに納められているのは主に衣服。
その段ボールが、彼の旅立ちを象徴しているようで慣れ親しんだ部屋がひどく居心地が悪く思え、お邪魔しても悪いからなどと言って長居もせずすぐに別れてしまった。
結局、それがSと顔を合わせた最後の日になってしまった。
ひとり暮らしと言っても、県内で会いに行こうと思えばいつでも会いに行ける距離だったのだ。だというのに、彼のところを一度も訪れなかったのは最後の日にもらったもののせいかもしれない。
あの日、私はSから一枚のメモを手渡されていた。メモには手書きの、けれど彼らしい整った文字でURLが記されていた。
Sのブログだった。アクセスしてみると、書評ブログらしく記事のタイトルとして書名が並んでいた。記事ひとつにたいして結構な分量の長文で、寡黙な彼が頭の中ではこんなことを考えていたのかと新鮮ではあったのだけど、同時にけして欠点をあげつらうようなことなく良い部分を掬い上げてその魅力を最大限に訴えかけるような優しい筆致はいかにも彼らしいように思えた。文章の向こうに彼の顔が透けて見えるかのようで、ブログを読んでいると彼と居るような心地になるのだった。
実際に顔を合わせずともブログが更新されるとSが元気にしているのがわかったし、文章を読むことで離れてはいても彼を身近に感じられた。電話をすれば声だって聞くことができた。
そうしていつでも会えるからと再会を先延ばしにしているうちにSは短大を卒業して地元で働くことになった。しかし、今度は私が大学進学でひとり暮らしをすることになった。引っ越しや手続きなどでタイミングが合わず彼の顔を見ることなく県外に私は出ていった。
大学で一番変わったことはと言えば私が小説を書くようになったことだろう。小説の執筆なんて自分には縁遠い行為だとずっと思いこんでいた私だったが、サークルに入ってその考えに変化が生じた。文芸部とは名ばかりのお気楽な集まりではあったけど学園祭では毎年冊子を刷ることになっていてそこではじめて小説を書いた。
評論を寄稿しているメンバーもいた。私も最初はそうするつもりだったが、いざ自分で作品について論じてみると何故だか上から目線の偉ぶった文章になってしまった。Sのものと比べれば雲泥の差だと痛感し、それでもう書けなくなった。原稿を埋めるため仕方なく掌編の執筆をしたのが小説を書きはじめたきっかけだ。拙作ながらに仲間うちでウケてしまったのもあって、何本か書いているうちに小説を書く楽しさに目覚めた。
Sにはそのことを伝えられなかった。よく知った人間だけにどうにも恥ずかしい気がしたし、あの読書家に読ませてなどと言われたらと想像して臆してしまったのだ。けれど、どういう流れだったか彼に、あれだけ文章が書けるのに電話口で小説は書かないのかと尋ねてみたことがある。そこで実はと彼は教えてくれた。
カクヨムで長編を連載しているのだという。
タイトルで検索してヒットしたページを読んでみた。高校を舞台とした群像劇で、まだ序盤ということもあって各キャラクターの下地を作っているよう段階だったけど、私はその静かにけれど丁寧に描かれる等身大のキャラクターに好感を持った。悩み、ときに苛立ちあの年代らしい焦燥感を抱いた青臭さの抜けきらない登場人物はけれど嫌みがなかった。それは彼らしい優しいまなざしがキャラクターに向けられれているからこそだった。これは確かに彼の小説だった。
私の感想に反して読者受けは芳しくないようで、アクセス数は多くなかった。数人にフォローはされているが、一話目をピークにどんどんPVは下がっていた。
殺人事件が起こるような派手な話ではないし、流行の異世界転生ものでもない。そして、一話の文字数が多く空白改行もなくずらりと文章が並んでいてネットの小説として最適化されていないせいだろう。真面目で責任感が強いというのは彼の良い面ではあるけど、そのせいで少し保守的なところがあり簡単にはスタイルを変えられなかったのかもしれない。
これが埋もれているのはもったいない。そんな気持ちからカクヨムにユーザー登録をして、レビューを書いてみようしたが、いつかと同じ偉そうな文章になってしまってすぐに消した。★だけつけた。
ちまちまと更新はされていたが、やっぱり読まれていないようで★は全然増えていなかった。私が面白く感じたのは、Sを知っていて文章の向こうに彼の顔を見ているためで私が思うほどに魅力のある小説ではないのかと不安になるほど閲覧数は増えない。自分のことでもないのに、無駄にやきもきとした。
仕事が忙しくなったのか、モチベーションが下がったのか、更新の頻度は徐々に落ちていった。Sは愚痴を漏らすようなタイプではなかったので、実際どんな心境だったのかはわからないが、私はそのことがひどく寂しかった。私に何も言ってくれないことも、彼の小説が読者に届かないことも、そして彼のために私が何もできないことも寂しかった。
私はただ彼の小説を待ちそして追いかけることしかできなかった。もし、自分も小説を書いていると告白していたのならばもう少し違ったのだろうか。執筆に対する私に打ち明けてくれたのだろうか。彼と悩みを共有することができたのだろうか。今となってはもうわからない。
彼は亡くなったのだ。
それを知ったのはニュースでだった。火事だった。地元の名前をアナウンサーが告げたとき、私はまだまさかこんなこところで耳にするとはと驚きこそすれ、テレビを通した地元の風景はどこか知らないところのようで他のニュース同様、遠い場所の出来事のように感じていた。
Sの名前が告げられてようやくそれでこれが現実の話なのだと理解した。いや、それでもまだどこか嘘だと思っていたかもしれない。衝撃を受け呆然としながらも、どこかでそんなわけはないと疑いを抱いていた。
どれくらい我を忘れ立ち尽くしていただろうか。私は実家に電話をかけた。
ニュース見たんだけど、と口にしてそこで言葉に詰まってしまったが、母はそれで察して事情を語ってくれた。
私たちの字からそう離れていない集落で火事があったのだという。同じ学区にあり、そこに住む同級生もいたので何度か足を運んだことのある場所だった。
燃えたのは古い木造家屋で、延焼こそ免れたもののほぼ全焼だったという。
彼が巻き込まれたのは、屋内に取り残された子供を助けに入ったためだった。梁が崩れ下敷きになったのだと母は涙ながらに語った。
まだ上手く受け止められてはいなかったしどこか心の中ではまだSが生きているのではないかと感じていた。
本当にSの死を実感したのは、地元へ帰り線香をあげたときでも、大量にあった本が図書館に寄贈されたと知ったときでもない。
私はカクヨムで彼の小説を待っていた。更新されないと知りつつも幾度となくアクセスした。★もPVも増えず、待っているのは私だけなのではないかとさえ思えた。
第2回カクヨムWeb小説コンテストの読者選考期間が終わったとき、私は不意にSが小説を書いていると打ち明けてくれたときのことを思い出した。
文章で食べて行けたらどれだけいいだろうと彼は言っていた。それがただの願望であったのかそれとも真剣に作家を目指していたのかはわからない。けれど、Sはコンテストの募集要項である十万文字をひとつの目標として見据え、仕事をしながらも少しずつ書いていた。更新頻度が落ちたとは言えそれは達成目前だったではないか。あと一話でも投稿されていれば十万文字を越えていた。
もう永遠に続きが書かれなくなった小説。たぶん★もPVもこれ以上増えることはないのではないだろうか。
私はカクヨムを開きコンテストの募集期間が終わったことを知ったとき、彼が亡くなってからはじめて泣いた。
あの生き生きとしていたキャラクターたちの未来は失われてしまったのだ。
失われたものばかりではないのが、せめてもの救いだろうか。
Sは自分の命を犠牲にしてひとりの子供の命を救ったのだった。
消防士として職務を全うし殉職したSの最期はいかにも彼らしいように思えた。
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