十一話:お風呂と理由と両親の話

「お姉ちゃん、まずは着替えてお風呂入んないと」


 家に入ってすぐ、真昼はそう言う。

 朝美としても全く同感であった。


「もう、どうして私を探しに来ておいてお姉ちゃんのほうがびしょ濡れになってるの」

「はい、返す言葉もありません……」

 

 朝美は濡れた服を少しだけ玄関で絞りながら申し訳なさそうに答える。

 それを聞いた真昼は少し恥ずかしそうに振り向いて微笑む。


「……でも、そこまでしてお姉ちゃんが探しに来てくれると思ってなかったから、正直なところ、ちょっと嬉しいかもしれない」

「……真昼さん」


 それに朝美は微笑み返したと共に、ひとつ思いついたことを言ってみることにした。


「あの、真昼さん。一緒にお風呂に入ってみませんか」

「えっ」

「あ、いえ、その……いろいろ話すのにも、いいかな、と思ったんですけど……」


 真昼は、んーと悩むそぶりを見せる。

 その様子を見た朝美が少しだけ慌てるように付け足す。


「ええと、ほら……あんまり畏まりすぎるのも、今は、どうかと思いまして、その、よくないと思うのなら、その」


 真昼はその様子を見て、くすりと笑ってから朝美に返答をする。


「うん、一緒に入ろう」

「は、はい……!」


 そうして、朝美と真昼は初めて二人でお風呂に入ることになったのである。


----


「……」


 朝美は、自分で言ったことなのになんだか急に恥ずかしくなってしまっていた。

 とはいえ、自分で言ったことのため今更ひっこめるわけにもいかず、真昼と共に服を脱ぎ、シャワーを浴びる。

 雨で冷えた体がようやく温まり、一息つく。


「私でもちょっと寒かったんだからお姉ちゃん、もっと寒かったでしょ」

「そうですね……でも、とりあえずもう大丈夫ですよ」

「でもちゃんと湯船に入って暖まらないとだめだよ」


 真昼は朝美に湯船に入るように促した。

 朝美もそれに同意して、すぐに入ることにする。


「……ふあー……」

「あ、お姉ちゃんちょっとよけてー」

「ふあ、あ、はい」


 朝美が少し体をずらすと、真昼がそのまま朝美の隣に入ってくる。


「……」

「……」


 ゆったりと、リラックスした時間が流れる。

 朝美はしかし、今ここで言おうと思っていたことをしっかりと言う。


「真昼さん。改めて、本当に申し訳ありませんでした。私が真昼さんの気持ちをもっと考えていれば、真昼さんをあんな気持ちにさせずに済んだのに」

「お姉ちゃん……ううん、ちゃんと話さなかった私も悪いんだよ」

「……いえ、でも……真昼さんに、ずっと無理をさせていたことは事実です」

「んん……ずっと?」


 真昼が不思議そうな顔をする。

 朝美はちゃんと伝わるように、今度は間違えないように、しっかりと伝える。


「……私は、今まで、真昼さんが怒ったり、泣いたりする顔を全く見たことがありませんでした。両親がいなくなって、悲しんでいないわけがないのに、そんなことに気付きもしませんでした、ですから……」

「……ああ……そっか」


 真昼はやっと少し気が付いたように頷いた。

 そして、少しだけ息を吐いてから、朝美に向き直る。


「あのね、お姉ちゃん。うん、確かに最初はそういう顔、見せないようにしようって思ってた……正直な事言っていい?」

「はい、そのための話し合いですから」


 真昼は少しずつ、思い出すように語り始めた。

 初めて朝美に会った時の事を少しずつ。


「正直、お姉ちゃんは最初怖い人だと思ってたし、そうでなくっても泣いてるとことか、見せないようにしようって思ってた」

「は、はい……」

「あはは、今は思ってないよ。というかお姉ちゃん全然怖くないもん」


 それはそれでどうなんだろう、と朝美は思いつつも話の続きを聞く。


「様子見て、ある程度静かで、何も文句言わずに過ごしてれば、とりあえず追い出されたりとかすることはないかな、って」

「お、追い出すだなんて……」

「それくらいは考えてたよ。だって全然知らなかったもん」


 朝美は言葉に詰まる。真昼はそのまま話を続けた。


「でも、最初のお姉ちゃんはすごい不器用で、私の事怖がってて……怖がってたよね?」

「う……は、はい」

「んん、でもね。それでも、私とちゃんと話をしてくれた。優しい人だって思ったんだ」


 真昼はそう言ってにこりと笑う。

 その顔は、いつも見ていた真昼の笑顔だった。


「だから、そんな気持ちどっかに行っちゃってた……つまりさ、本当に楽しかったから……怒ったり泣いたりする必要がなかったから、笑ってたんだよ、お姉ちゃん」


 見慣れた満面の笑みの真昼は、それでも少し恥ずかしそうにそう言った。

 朝美は、やっぱり自分は真昼のことをまだ何もわかっていなかったと、そう思った。

 そんなに信頼を向けていてくれたなんて、思いもしていなかったから。


「うん……だからやっぱり私もごめん。そんな風に思わせちゃうくらい、私の事を大切に思ってたって、ちょっと思ってなかった」

「……じゃあ、きっとおあいこですね」

「そうだね、おあいこ」


 朝美と真昼は、ぎゅっと握った手をこつんとぶつけあった。

 そして、真昼はぱしゃりと顔を水につけた後、また顔をあげる。


「……もうひとつ話さなきゃいけないよね。誕生日のこと」

「真昼さん……」

「うん、ちゃんと話す」


 真昼はまたゆっくりと話し始める。

 その心の中にあった思いを。


「お父さんとお母さんさ、気が早かったから、もう今年の私の誕生日に何をくれるかってのを考えてくれてたんだ」

「……ああ、なるほど。確かに」


 思い出してみれば、祝い事は常に盛大に行うのが、あの両親であった。

 私も誕生日の何か月前からほしいものを考えておくように言われていたっけ、と朝美は思い出した。


「だから今年の誕生日もね。もう何をもらうか、頼んでおいたんだ……でも……ね……お父さんと……お母さん……」


 真昼の声がだんだんと小さくなっていく。

 朝美は真昼の頭を少しだけ撫でた。


「……真昼さん」

「うん……大丈夫……だからね。誕生日を、祝ってもらったらさ……その……」


 そこから先は、朝美にも言われずともわかる気がした。

 今、誕生日を祝ってもらったら、両親がいない誕生日というものを強く実感してしまうということを。

 それが怖くて、悲しくて、真昼は誕生日を祝われるのを嫌がったのだと。


「……そうですね、わかりました。じゃあ誕生日は……」

「……ううん、お姉ちゃん」


 真昼は朝美の言葉を、首を横に振りながら制止した。


「……誕生日、祝ってほしいな」

「いいんですか?」

「……確かに、お父さんとお母さんには……祝ってもらえないかもしれないけど、でも」


 真昼は、頭を撫でていた朝美の腕を、ぎゅっと抱きしめるようにつかみ言う。


「お姉ちゃんに、祝ってもらえるから」

「……真昼さん」

「……その代わり、絶対楽しい誕生日にしてよ!」

「……はい、必ず」


 朝美はそう言いながら、微笑んだ。

 それに釣られるように、真昼もにこりと微笑む。


「……あ、そういえば」

「え?」

「まだ肝心の誕生日がいつか、聞いていませんでした」

「あー……」


 真昼は若干目を逸らして、ぼそりという。


「……3日」

「えっ」

「……だから、6月の、3日」

「……3日?」


 それを聞いた朝美は指折り数える。


「……もう一週間もないじゃないですか!」

「う、うん」

「急いで準備しないといけないじゃないですか!」

「しょ、しょうがないじゃん!教えるつもりなかったんだから!」

「あ、ああ、どうしよう。もうちょっと余裕があるものだと思ってたから……」


 朝美が頭を抱えて風呂から出ようとするのを、真昼が引き止める。


「まあまあまあ、焦らなくていいから、ね?」

「で、でも……」

「と、とりあえずさ、ほら。背中流してあげるからさ、ね?」


 真昼に促され、朝美は今度は椅子に座らせられる。

 朝美はしかめっ面で鏡越しに真昼の顔を睨むように見つめた。

 真昼は愛想笑いをしながら、朝美の背中を流し始める。


「……まったくもう」

「ごめんってば……」


 すると、今度はお互いに楽しげに笑い始める。

 そうしてしばらく背中を流されていた朝美だったが、ふいに真昼の手が止まる。


「……真昼さん?」

「……お父さんにもね、こうやってよく背中流してあげたんだ」

「……そうですか」


 朝美はゆっくりと目を閉じて、ただ真昼に身をゆだねる。

 真昼は少しだけ濡れた顔を拭うともう一度朝美の背中を流し始めるのだった。


----


「ねえお姉ちゃん、お父さんとお母さんと暮らしてた時のお姉ちゃん教えてよ」

「……あんまり覚えてないんですよ。でも、真昼さんと暮らし始めてから少しずつ思い出すようになって」


 お風呂からあがった朝美と真昼は晩御飯を食べ始める。

 今日は作るのが面倒だったため、簡単にチャーハンで済ませることにした。


「両親とも家を出たっきり会っていなくて……正直な話、写真がなければもう顔も思い出せるかどうか怪しいくらいで」

「……」

「……今となっては、もう一度くらい会っておくべきだったかもしれないと、思うんですけどね」


 朝美のその言葉に真昼はうつむいた。

 かちゃりというスプーンの音が少しだけ響く。


「あ、ごめんなさい……また、その……」

「ううん……私も、お姉ちゃんと、お父さんとお母さんが会ってるとこ、見てみたかったな」

「……」


 二人はチャーハンを掬って食べる。

 簡単に作ったものなのに、昼の食事とは違ってしっかりと味を感じる。

 即興で作った割には悪くない味だと感じた。


「……真昼さんと一緒にいて、思い出せた事くらいなら」

「うん、それでいいよ、聞かせてほしいな」

「それじゃあ、今日は二人だけで女子会にしましょう」

「お姉ちゃん、なんか最近そのフレーズお気に入りだよね」


 そうして、天崎古書店での夜は更ける。

 朝美の声と、真昼の声で、今日は少しだけ騒がしい夜だった。

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